第26話 大破! 暴走! 轟沈!
(あれえ……? おかしいなあ……。アルコールは強くないはずなのに、なんか、頭がフワフワする……)
やっくんがおつまみに出してくれた、カカオのほろ苦いお菓子を齧りながら、私は自分の脳内環境の急激な変化に気づいた。
前世で感じたアルコールによる酩酊感とは、根本的に違う。
まるで体から魂が数センチ浮き上がっているかのような、全肯定の幸福感や多幸感が脳内を埋め尽くしていく。
簡単に言うと、頭の中がお花畑だ。
なんか、遥か遠くの方で、やっくんが「もうやめておけ」「それ以上はマズイ」とか何とか言っていような気がする。知らんけど。
……その直後、私の視界が急にぐにゃりと歪んだ。そうだ、あれだ。万華鏡を覗き込んで、くるりっと回転させたときのようなサイケデリックな紋様の歪みだ。
ついでに大脳皮質のブレーキが「ぱんぱかぱーん」と愉快なファンファーレを奏でて大破した。
「あれれ〜〜? おかしいぞぉ……? やっくんの顔が、なんか『無駄に顔が良くて胸筋のすごいジャガー』になってるぅ……」
「それが、一匹、二匹、三匹……」
「あははは、ジャガーの三つ子ちゃんだぁ! もふもふしたぁい……」
「シャク!? お前、完全に目が据わっているぞ! やはり一度に飲みすぎだ、もう止めよ!」
やっくんが慌てて私の手から器を取り上げようとするが、理性のブレーキが物理的に大破したバケモノを止められる者を誰が止められましょうか!
私は長椅子を蹴るようにして、やっくんの立派な、男らしい胸板へと全力でダイブした。
そして、最高級の刺繍が施された彼のチュニック(一張羅)を両手でギュゥゥッと雑に掴み、その胸元に顔を埋めて思いっきり息を吸い込んだ。
くんかくんか。
(……あ、獣臭くないぞ、このプレミアムジャガー。いい匂いがする)
「ちょっとぉぉぉ 聞いてよやっくーーーーんっっっ!!」
「う、うわっ!?」
「私はねぇ! 前世でも! 今世でも! なんでこんなに二十四時間体制拘束ばっかりさせられてるのよぉ! 労基どこー? ティカルの労基は仕事してんの?
……あ、やっくんが労基のトップじゃーん! この職権ハラスメント男ーー! 無駄に顔が良くて、無駄に筋肉質で、無駄に声が低くてかっこいいからって、こんなに健気で可愛い小娘を私物化してキープしてんじゃなーーーいっ!」
「シャ、シャク、声が大きい! 部屋の外の衛兵に聞こえる! 落ち着け、お前は一体何を言っているんだ!」
やっくんは完全に想定外の暴走にパニックになりながらも、ベッドから落ちそうになる私を長い両腕でしっかりと抱き留める。
だが、ラリった私の出力はさらに上がる。
やっくんのあの彫刻のように綺麗な頬を両手で挟み込むと、粘土か何かのようにぐにぐに、ベタベタと捏ね回し始めた。
「も〜〜〜! この顔面国宝が憎たらしいわぁ! 最初のドブさらいのとき、私が作業服(奴隷のボロ布)で泥ドロになってる横で、一人だけ『世界の中心』みたいな涼しい顔して見下してきたの、私、根に持ってるんだからねっ! あははは、嘘ぴょーん♪ かっこいいなーって思ったんだよ」
「……でもねぇ、……でもねぇ、本当はねぇ……」
急に、私のトーンがぽわん、と熱く甘いものに切り替わった。
やっくんの広い胸に、額をすりすりと擦り付けながら、私は熱い吐息とともに、湿った、とびきり甘えた声を漏らした。
「……やっくんが、他の綺麗な女の人を……側室に貰わないの……ちょっとだけ……ううん、すっごく、嬉しいんだよぉ……私のこと『所有物』って言ってくれるの、本当は嬉しいんだー……だって、いつも大事にしてくれるから……だ、だいす…………き……やっくん……すぴ……」
「――――――――――っっっっっっ!!!!」
やっくんの全身が、まるで神の稲妻(チャークの雷撃)を直撃されたかのように、カチコチに硬直した。
彼の心臓が、衣服越しに私の耳に爆音で伝わってくる。ドクドクドクドク、と、上限突破した。
しかし、そこで私の脳は完全に力尽き、強制シャットダウン。
やっくんの逞しい胸の中に身を預けたまま、よだれを垂らしつつ、スースーと深い眠りへと突入してしまったのだった。
「転生か……シャクのぽんこつ具合と知恵……まるでフンアフプーとシュバランケーを一人の身に宿しているかのようではないか」
「いや、それよりも、シャクが転生した身……ならばまた……」
◇
翌朝。
猛烈な、頭がぐわんぐわんと回転するような目眩とともに、私は目を覚ました。
気がつくと、私はやっくんのふかふかのベッドの上に寝かされていた。
衣服の乱れはない。
ただ、私の首に嵌った首輪だけが、なぜか新品のようにピカピカに磨き上げられていた。
枕元には、前世の「ウコン」を遥かに凌駕するレベルで苦い、胃薬代わりの野草の汁が土器に並々と注がれ、その横に山盛りのカボチャの種が置かれている。二日酔いとも違う、脳の芯が痺れるようなおかしな目眩だ。
そして――ベッドのすぐ横で、一睡もできなかったのだろう、目の下にもの凄い色濃いクマを作ったヤシュ様が、耳の裏まで真っ赤に染めたまま、死ぬほど複雑で苛烈な顔をして私をジロリと睨みつけていた。
「……シャク。お前、昨夜の記憶は残っているか」
「え? いや、全然……あはは、頭がバグってて何も。……あ、私、また何かやらかしました?」
私が頭を押さえながら尋ねると、ヤシュ様は深い、深ーーーい溜息を吐き出して、天を仰いだ。
「……何もやらかしていない。いや、お前は悪くない、俺がバルチェを飲ませたのが最大の失敗だったのだ。あれは、チチャとは違い度数は低いが、特有の『軽い幻覚作用』を引き起こす成分が入っている。だから、最初の一杯だけで止めさせようと思ったのだが……止める間もなくがぶ飲みしたバケモノが、そこにいたのだ」
「そうだったんですね。ごめんなさい」
(なるほど、度数の低さに騙されてマヤの天然ドラッグ成分をオーバードーズしちゃったんだ。でも、なんでやっくんは、そんなに耳まで赤くして、私と目を合わせてくれないのかしら?)
しばらくの沈黙。
(やっくんを怒らせちゃったかな……)
「なあ、シャクよ」
「なんですか?」
やっくんの顔を覗き込む。あれっ、ちょっと様子がおかしい。
「シャクは、転生でここに来たと言ったな。――元の国、日本に戻ってしまうことは……あるのか?」
「え?」
やっくんの瞳がいつになく揺れている。
考えてみたこともなかった。
転生してきたばかりの頃は、ドブさらいに夢中だったし、今は、みんなといるのが楽しい。
「――わからない」
嘘じゃない。本当に分からないんだ。
なんで私が転生したのか、日本に戻れるのか。どちらも分からない。
「そうか。シャクは俺の所有物……いや、俺の目の前からいなくなるな。――これも違う。なんと言えばいいのだ……もういい、さっさと食え」
やっくんはそう言うと、私の枕元のカボチャの種を指差した。
ちょっと解せぬ。




