第24.5話(閑話) サキル──メソアメリカ最古の限界オタク
「無理。しんどい。我が主がかわいすぎる問題について」
聞いてほしい。本当に聞いてほしいのだが、我が主がかわいすぎて日常生活に支障をきたしている。
出会いは土木課の厨房に併設された独房だった。
最初に見たとき、正直「なんだこれは」と思った。
丸い頭、白い顔、くりくりとよく動く目。
髪も結っていない。
どこからどう見ても、このあたりの人ではない。
ティカルの美の基準で言えば「バケモノ」か「どブス」ということになるのだが、そんな基準が今となってはいかに無意味かということを私は身をもって知ることになる。
腕には彫られたばかりの奴隷紋。
まだ腫れあがって、血まで滲んでいた。
五歳のとき、男たちに押さえつけられてジャガーの刺青を顔に彫られたときの痛みと恐怖が一瞬で蘇ってきて、胸が苦しくなった。
すぐにでも手当てしてあげたかった。
でも一切の手助けを禁じられていたから、何もしてあげられなかった。
それが今でも悔しくてならない。
怖かった、最初は。
だって毎日、その異形の白い女が五体投地で訳の分からないことを言ってくるのだ。
意味が分からない。
なんなんだこれは、と。
だが、毎日続くうちにだんだん分かってきた。「あ、これはお礼を言われているのでは?」と。
言葉の意味はまったく分からない。
でも、雰囲気で伝わってくるものって、ある。
異形だと思っていても、慣れる。
人間って慣れる生き物だ。
それよりも毎日、泥だらけで帰ってくる我が主の姿の方が、だんだん眩しく見えてきてしまった。
周りの奴隷たちが死んだような目をしている中で、ひとりだけ泥の奥の目をキラキラさせているのだ。
その目を見てしまったら、もう終わり。
終わりでしょう。
私が推しに落ちた瞬間というのは、おそらくあの瞬間だったと思う。
どれだけ泥で汚れていても、素顔を知っている私には、その奥の笑顔が見える。それが分かってしまった時点で、詰んでいた。
決定打は「カーン事件」である。
我が主の心臓に、私の祖神であるカーンが宿っていることが分かった瞬間のことは今でも鮮明に覚えている。
心臓の上で神々しい光を放つカーンのお姿。
あのとき私の中で何かが確定した。
我が主はもはや「シャク」ではなく「アハウ」だ、と。
表向きは「バケモノ」と罵倒しなければならないという倒錯した状況ではあったが、それはそれで複雑な面白さがあった。
秘密を共有している関係には、特別感がある。
我が主は「営業秘密」とか「秘密保持契約」とかよく分からない言葉を使っていたが、よく分からないことを言うのは我が主の仕様なので今では「そういうもの」として受け入れている。
そしてあの事件だ。
我が主がヤシュ・バラム様にヘドロを被弾させ、おまけにグータッチまでかまして生きて帰ってきたときは、本当に度肝を抜かれた。
監督官の発狂ぶりは今思い出しても笑いがこみあげてくる。
フグリの責任って何だ。
取れるわけないだろう。
その件をきっかけに我が主は王宮に召し上げられた。もちろんフグリの責任ではなく。
我が主が王宮に行かれてからの厨房業務は、本当につまらなかった。
正確には「我が主が来る前の状態に戻っただけ」なのだが、最推しが消えた穴というのはそういう理屈では埋まらない。
「シャク成分」の摂取が足りない。
圧倒的に足りない。
「シャク・ロス」とでも名付けるしかない、あの喪失感。
毎日ぼんやりと決まった仕事を繰り返しながら、ときどき来る商人に化けたカラクムルの間者にどうでもいい情報を渡す日々。
そもそも土木課の厨房にいる家事奴隷が得られる情報などたかが知れている。
頭や顔まで改造しておきながら情報源として期待しないカラクルムも大概だと思うが、まあそれはいい。
シャク・ロスに耐えること三ヶ月。王宮から遣いが来た。
我が主の計らいで、奥御殿のパルとして召し上げられたのだ。
我が主は、王宮の人事を動かし、家事奴隷をパルにねじ込めるということだ。
最下層奴隷から出発して、王宮の人事にまで影響を及ぼす地位を三ヶ月で築いた例を、私は他に知らない。我が事のように誇らしかった。
さすが我が主。
さすがすぎる。
そして私は見てしまった。ヤシュ・バラム様との、あの「夫婦」を。
まず配置がかわいい。
ヤシュ・バラム様の左隣に、ちょこんと座っている。
ばかでかいヤシュ・バラム様の隣に収まる我が主の小ささといったら、もう、「ちょこん」以外の言葉がない。
ちょこんとしか言いようがない。
「おい」
ヤシュ・バラム様が我が主に樹皮紙を放り投げる。
一見すると粗暴なのだが、絶妙な力加減で樹皮紙が我が主の真正面でぴたりと止まるようになっている。
こういう細やかな優しさを無造作にやってのけるのがずるい。
「ヤシュ様の仕事でしょ。なんで私に下すかな……はい、ここ間違ってます」
一瞥。
一瞥ですよ。
受け取った樹皮紙をちらっと見ただけで書類の不備を瞬時に見つけてしまう。
天才か。
天才でしかない。
「褒美だ。食え」
「もぐもぐ」
ア・クフン様に樹皮紙を戻したヤシュ・バラム様、今度は皿のかぼちゃの種を我が主の口に放り込む。
我が主はまったくためらう様子もなく口を開けてそれを受け入れている。
完全に、完全に餌付けされている。
かわいいか。
かわいいな。
かわいいです。
またある日。
「シャク、あれは?」
「今日の評議会の議題になってます。なんで私に聞くんですか。専務に聞いてくださいよ」
「シャクから聞きたかった」
「あれ」で通じているんです、この二人。
「あれ」だけで何の話か分かる。
どれだけ意思疎通ができているのだろう。
熟年夫婦か。
「シャクから聞きたかった」という台詞を臆面もなく言えるヤシュ・バラム様もたいがいだが、それに対してふくれっ面をしながらちゃんと答えてしまう我が主がかわいすぎる。
ふくれっ面をするな。
いや、してくれ。
その顔も推せる。
糖分が高すぎる。
この二人を毎日至近距離で見守る私の身にもなってほしい。
しんどい。
最高にしんどい。
聞いてほしかったのはそれだけです。
我が主がかわいすぎて、本当に、無理。




