第23話 攻撃力の高すぎる首輪
雨季が来た。
ティカルの雨季は、前世の日本の梅雨のようにジメジメと湿った雨がシトシト降り続くわけではないらしい。
バケツをひっくり返したような猛烈な大雨が断続的に降る。南国のスコールと思ってもらえばいい。雨が上がれば一転して蒸し暑くなり、王宮のテラスから見えるジャングルからは、まるで巨大な工場のように真っ白な水蒸気が立ち上っていた。
カサカサ、パチパチ。
ヤシュ様の執務室には、入れ代わり立ち代わり役人や文官たちが出入りして、何やら報告したり指示を受けたりしている。私はといえば、相変わらずヤシュ様の隣でオブジェと化すだけの、簡単なお仕事をこなしていた。
どこにも焦点を合わせない虚無の目のまま、ヤシュ様に声をかける。
「ヤシュ様ー、雨季ってこんなに忙しいんですか? みんなバタバタしてますけど」
ヤシュ様は手元の書類から目を上げずに、さらさらとサインを書き進める。
「いや、必ずしも公務そのものが増えているわけではない。今年の雨季は例年より雨量が多く、ところによって地滑りが起こっているのだ。その災害対応で皆せわしないだけだ」
「へえ、そうなんですね。……って、待ってください。ジャングルで地滑りっていうのも、私の感覚からしたらちょっと解せないんですけど」
ぴたり、とヤシュ様の手が止まる。
(やばい。藪をつついたか……)
切れ長の美しい瞳が、私の方を向いた。
「……どういうことだ?」
「だって、ジャングルって、数え切れないほどの樹木が超高密度で密集しているわけじゃないですか。それだけ木が生えていれば、地下の根っこだって網の目のようにもの凄いことになっているはずです。大地に『天然の杭』がガチガチに打ち込まれている状態なんですから、普通に雨が降ったくらいで、そうそう地滑りなんて起こるはずないんですよ」
「ほう……。植物の根が、大地の崩壊を食い止めるということか」
「はい、地質学っていうか、故郷の砂防演習の常識です」
「なるほど。知識の褒美だ、食え」
「あーん」
いつの頃からか、ヤシュ様が皿の上のかぼちゃの種をひとつまみすると、条件反射で私の口が開くようになっていた。餌付けというか、完全に雛鳥のようである。香ばしくて美味しい。
そのとき、執務室の扉が勢いよく開き、肩で息を切らした下級役人が飛び込んできた。
「ご報告します! 一号貯水池に、豪雨による大量の泥が流れ込み、水が溢れました!」
役人は雨の中を走ってきたのだろう、全身濡れ鼠だ。
すわ、重大インシデントか、と私が身を固くした瞬間、隣の専務が落ち着いた声で応じた。
「被害の状況は?」
さすがエリート管理職。こういう時、一緒になってあわあわしてはいけないのだ。
「はっ! 貯水池から大量の水が溢れましたが、市街の水路網がすべて綺麗に吸い込み、現在のところ大きな人的・物的被害はございません! 土木課の説明によりますと『シャク式傾斜法』が奏功したとのこと」
陛下が満足そうに頷き、口を開く。
「なるほど。土木課がよい仕事をしたのだな。後ほど土木課の全員に褒美を支給する。ご苦労だった、下がってよい」
役人が一礼をして執務室を退室する。
扉が閉まった瞬間、陛下が口の端をニィと上げて、私にちらりと目線をくれた。
「さて……。そういえば、王宮には、水路のドブさらいを命じられて狂喜乱舞していた、世にも奇妙なバケモノがいたな? そのバケモノがよい仕事をしていたようだ」
「……フッ、よくぞ聞いてくれました」
おもむろに立ち上がり、すぐ後ろに置いた特製台座に立てかけてある、マイ・ヘドロ用スコップを手に取り、肩に担いでドヤ顔を決める。
「やっぱり最前線には、現場を熟知したプロフェッショナルが必要なんですよ。さあ陛下、今すぐ私をドブさらい課へジョブチェンジ(人事異動)させてください! 現場が私を呼んでいます! さあ! さあ!」
「却下だ」
「解せぬ」
「水路は立派に機能した。シャクが出るまでもない。お前が技術を残してきたのであろう。しかも、ドブさらい課などという部署はない」
「えー、いいじゃないですか! ほら、災害が起きてからじゃ遅いんですよ! 災害予防! 防災! ぼ・う・さ・い!」
スコップをぶんぶん振り回す私と、それを片手であしらうヤシュ様。
「ぎゃーぎゃー」「わーわー」とやり合っているのを、チ専務が書類の陰からニヤニヤしながら見ている。なによ専務、気持ち悪いわね。
「我が主。いかがでしょう、スコールの合間を見て、その一号貯水池の現場視察に出向かれては。百聞は一見に如かず、にございます」
専務の進言に、陛下は真面目な顔になって頷いた。
「そうだな。泥の流入経路を見ておくことは、今後のインフラ維持に不可欠だ。よし、日程の都合がつき次第一号貯水池の視察を行う。各自、調整せよ」
「はっ!」
(いいね、いいね。統制がとれていて気持ちいいわ。……あ、私は内勤専任のパルですので)
「じゃあ、私はお留守番をして書類の整理をしておきますので、皆さんで気をつけて行ってきてくださいね」
軽く言い放った、その直後。
隣の「無駄に顔がいい大男」から、肌がチリチリするほどの凄まじい殺気が飛んできた。
「え? ……私、なんか間違ったこと言いました?」
ロボットのような動きで恐る恐る振り返り、陛下の顔を見上げる。陛下は、地獄の監査官のようなドスの利いた笑みを浮かべていた。
「シャクよ。お前は、自分の立場というものが、まだ分かっていないようだな」
いや、だから、無言で威圧のパラメーターを最大まで引き上げないでください! みんなが怖がってますから!
「お前は、俺の所有物だ。俺が行く現場には、必ずついてこい」
「またそうやって優越的な地位を濫用(職権ハラスメント)するんだから……ぶつぶつ」
「王だからな」
「お、おう……(王だけに)」
私が渋々スコップを台座に戻すと、陛下はふと表情を和らげ、私の首元に視線を落とした。そこには、私が奴隷であることを示す、ごつい木製の首輪が嵌っている。
「ところでシャクよ。そろそろ、その首輪を外してやってもいいぞ。首輪を外したところで、今更お前が逃げる場所もあるまい?」
陛下が長い人差し指で、私の首輪をツンツンと小突く。
私は即座に、両手で首輪をがっちりとガードした。
「お断りします!!」
元気にフルスイングで拒絶してやった。
「なぜだ? 奴隷の身分から脱したくはないのか?」
陛下が「心底解せぬ」、というか傷ついたような、呆れたような複雑な顔をする。
「あのですね、この首輪は私の『身分証明書(社員証)』です! 現代ビジネスにおいて身分証の常時携帯は『基本のキ』です! この木なんの木、ヒエラルキーです! お味噌ならハナ〇キです! ここに来たとき、ヤシュ様がわざわざこんな上質で立派な首輪に交換してくれたんじゃないですか。大好きなんですよ! 大事にするに決まってるじゃないですか」
一歩後ろに下がり、ヤシュ様のセクハラ(ツンツン)から距離を置く。
「それに……」
「それに?」
「この首輪が、私がヤシュ様の奴隷である証拠ですから。これを付けている限り、ああ、私はヤシュ様のものなんだなって、がっちりグリップされてるんだなって実感が湧いて安心するんです!」
「…………っ!」
沈黙。
見れば、ヤシュ様は口元を片手で覆い、形の良い耳の裏まで真っ赤に染めてフイと顔を背けてしまった。
「あのお……ヤシュ様? 私、また何かまずいこと言いました?」
まじまじとヤシュ様の顔を覗き込もうとする私に、後ろから専務が、お腹を抱えて震えながら声をかけてきた。
「シャクよ。お前は、何も間違えてはおらん。ただ……今の発言は、ちょっとばかし攻撃力が高すぎるぞ」
「は? 攻撃力? ……解せぬ」
こうして私は、なぜか「王を殺せる唯一の最強バカ」というちょっと意味の分からない二つ名を冠することとなったのである。




