第21話 深夜の女子寮。密偵としてのキャリアプラン
「シャク(我が主)、お待たせ。本日付で王宮奥御殿に配属されたよ」
小間使いの途上、王宮の回廊で、聞き慣れた、けれど少しだけ緊張の混じった声が響いた。
振り返れば、そこにはシミ一つない、真っ白なウイピルに身を包んだサキルの姿があった。
泥まみれの厨房でトウモロコシを捏ねていた「現場のベテラン」の面影は消え、そこには洗練された『本社の事務スタッフ』としての空気を纏ったパルが立っていた。
むしろ、本来の姿である貴族令嬢に近い凛々しさが溢れていて眩しい。
「サキルさん! 本社へのスライド異動(引き抜き)、本当におめでとうございます!」
私は、彼女の手を取ってブンブンと振った。
専務が、例の身分ロンダリングの裏技を検討するついでに、サキルの『厨房からの現場叩き上げ採用』の稟議を爆速で通してくれたらしい。
ただし、サキルは私のような「猛獣使い(窓際族)」という特殊枠ではない。彼女はあくまで標準的なパルとしての採用だ。日中は別のエリアで掃除や神殿への供物の準備など、に追われるが、執務室に来ることも割とある。そのときは軽く雑談もできるだろう。
「……でも、一番の福利厚生はこれよね」
私は、自分たちに与えられた王宮の一室の扉を開けた。
そこは、ドブさらいの個室(独房)とは比べ物にならないほど清潔な、白い漆喰の壁に囲まれた二人部屋だった。床には新しいゴザが敷かれ、石の寝台にはふかふかの木綿の布が用意されている。『気の合う同僚との相部屋』という最高の住環境だ。
重厚な扉を閉め、窓から差し込む月光だけが部屋を照らす深夜。
私とサキルは、それぞれの寝台に腰を下ろし、小声で「密談」を始めた。
「サキルさん、実際に王宮に入ってみてどう? カラクムルの間者としては、やっぱり情報収集のノルマとか厳しそう?」
私は、懐からこっそり持ち帰った(陛下から餌付けされた)カカオの菓子をサキルに差し出しながら尋ねた。サキルはそれを一口かじると、ふぅ、と長い溜息をついた。
「驚いたわ。外から見ていた王宮はただの敵城だったけれど、中に入ってみれば……ここはあまりにも情報の密度が高すぎる。チャーク・ツィブ様が管理している書類の量、あれは人間が扱えるレベルじゃないわ。祖国に報告しようにも、どれが重要でどれがゴミ(ダミー)なのか、判別するだけで日が暮れる」
「もし私が今、王宮の機密を持ち出して祖国に売れば、私は英雄になれるかもしれない……でも、それは我が主を「間者の手引きをした共犯者」として死刑台に送ることと同義だし」
「……あ。そっか。私のコネで異動したんだから、サキルさんが不祥事(スパイ行為)を起こしたら、紹介責任で私の首も飛ぶわね。まさに連座制」
私は自分の首をさすり、ゴクリと唾を飲み込んだ。
サキルは真剣な目で私を見つめ、声を潜めて続けた。
「ねえ、主。私はもう決めたの。私は、カラクムルのスパイとしての『任務』を放棄する。……もちろん、表向きは間者のふりをして、どうでもいい情報を『業務』として渡すことにする。私の今の主は、ティカルでもカラクムルでもなく、あなた様だから」
「サキルさん……」
「我が主がこの王宮で、あの無駄に顔がいい王様の隣で安全に、そして美味いカカオを食べていられるように。私は我が主の『影』として、ここで働くわ。もし私に祖国から『動け』と指令が来たら、真っ先に我が主に相談して私の命の処分を願い出る……それでいい?」
サキルの力強い言葉に、私は鼻の奥がツンとした。
彼女は、祖国への忠誠(以前のキャリア)を捨て、私との「個人契約」を選んでくれたのだ。
「分かりました、サキルさん。じゃあ、今日から私たちの『秘密の業務提携』締結ですね。サキルさんが間者だとバレないように、私も余計なことはしません。万が一の時は、専務に泣きついて書類を改ざんしてもらうから安心して!」
「ふふっ。我が主のバック(専務と陛下)が強力すぎて、間者として活動するより普通に働いてる方が安全で面白そう」
サキルはそう笑うと、美味しそうに残りのカカオを口に運んだ。
深夜の女子寮に、ポリポリと種子を噛む音と、小さな笑い声が響く。
窓際族の私と、任務を放棄したスパイのサキル。
ドブ底から這い上がってきた凸凹コンビの王宮ライフは、こうして「最強の相互扶助体制」を整えた。
「あ、そういえばサキルさん。専務から『陛下との子はまだか』って聞かれたんだけど、これってセクハラで訴えてもいいかな?」
「ぶっっっ!! ……ごめん、今の、今日話した中で一番の衝撃だわ、それ」
急にサキルがニヤケ顔になる。
「で、陛下とはどこまで行ったの?」
「指一本触られてない!」
「執務室にいるだけ?」
「寝室に行った」
「二人きり?」
「はい」
サキルの耳が真っ赤に染まる。
「寝室で何を?」
「カカオのお菓子をもらって……」
「それだけ?」
「名前で呼べって」
「ちょっと待って。いきなり供給過多」
両手で口元を抑えて息苦しそうだ。
大丈夫かな。
「他には?」
「独身だって強調してた」
「それを我が主は、どう思ってるの?」
「期首面談?」
「つまり、仕事の一環だと」
「うん」
「ほんとに何もないと思ってるの?」
「だって、なにもないよ?」
サキルが天を仰ぐ。
解せぬ。




