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ティカルの奴隷は定時で帰りたい  作者: 吉川すずめ
第五章 王宮の窓際族
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第20話 社長の結婚事情を知った私に逃げ場はない?

 パルになって三ヶ月くらいが過ぎた。


 そういえば、私がドブから本社へ引き抜かれる前に約束していた、厨房の友人サキルの異動(キャリアアップ)はどうなったんだろう?


 異動になったという人事発令は聞いていないから、彼女はまだ厨房でトウモロコシを捏ねているのだろうか。

 サキル自身、特に立身出世や本社勤務にこだわるハングリー精神旺盛なタイプでもなさそうだし、私からこれ以上どうこう首を突っ込まなくてもいいのかもしれない。


 ……とはいうものの、やっぱり一度口を出した案件だ。進捗状況は気になる。


「チャーク・ツィブ様。以前、私をドブまでお迎えに来てくださったときのお約束……サキルさんの厨房からの異動の件ですが、進捗はどうなりましたでしょうか?」


 いま私は、神殿に重要書類を届けるため執務室を出たチャーク・ツィブ専務に、書類持ちとして金魚の糞のようにトコトコと付き従っている。


「ん……? ああ、その件であるな……」


 チャーク・ツィブ専務は歩く速度を落とさず、視線だけを斜め後ろの私に向けた。その一瞬の「間」を、私の社畜センサーは見逃さない。


(あ、これ、完全に忘れてたな。タスク放置の顔だわ)


 まあ、あれだけ毎日国家予算規模の書類と格闘して、全社的なデスマーチの指揮を執っているエリート専務だ。下層奴隷一人のマイナーな人事異動なんて、タスクの優先順位の最下層にすら置かれていなくても無理はない。


「その件については、すでに陛下に具申して快諾をいただいておる。ただ……いかんせん私のところで事務手続きが滞っておった。すまないが、いましばらく待て」


(忘れてたのを取り繕うために『事務手続きが滞っていた』って言い換えるあたり、さすが上から目線の役員仕草ね。ま、リマインドできたからいいけど)


「承知いたしました。お忙しいところ恐縮ですが、何卒よろしくお願いいたします」


 そう言って、前世のビジネススキルでぺこりと綺麗な角度で頭を下げる。

 チャーク・ツィブ専務は、そんな私の洗練されたお辞儀をじっと見つめていたが、おもむろに声を潜め、とんでもない爆弾を放り込んできた。


「ところでシャク。……我が主との子はまだか?」


 ――ばさっ!!


 あまりのパワーワードに脳の回線がショートし、抱えていた樹皮紙の書類を派手にぶちまけてしまった。


「な、な、な、な、何をおっしゃっているのか、ちょっと一ミリも分かりかねます!? え、なんで私と陛下の間に子どもができる前提なんですか!? この世界では、隣に座ると妊娠する仕様なんですか? 陛下とは、子どもはおろか、夜をご一緒したことも、指一本触れられたこともありませんよっ!?」


 一瞬にして顔面から血の気が引き、すぐに引いた血液の五割増しくらいの勢いで顔に血が上ってきた。そして、背中から嫌な汗がじっとりと噴き出してくる。


「おや、そうなのか? 我が主は、お前を公式な『側室』として召し抱えたのではないのか? てっきり我々事務方は、そういうお考えなのだと確信していたのだが」


 チャーク・ツィブ専務は、いくぶん歩く速さを抑えて、書類を慌てて拾い集める私の隣に並び立った。その顔は至って大真面目だ。


「いや、ちょっと待ってくださいよ。だって、陛下は周辺の各国から綺麗なお姫様たちをたくさん正室や側室に迎えているんじゃないんですか? 王室ってそういうハーレム仕様なものだって、サキルさんから教わりましたよ!?」


「それがな……我が主は周辺国から側室を一人も迎えておらんのだ。大国である我がティカルには、他国から星の数ほどの輿入れの打診があるが、いろいろと事情があって話が進まないのだ」


「……そうなんですか。じゃあ、正室(ファーストレディ)は?」


 チャーク・ツィブ専務が、無言のまま冷ややかに左右に首を振った。


「えっ。それって、王室の血統の維持(後継者問題)として、ガチでやばくないですか!?」


「その通り。王室を支える我々事務方としても、陛下の独身問題には深刻な危機感を抱いておる。……そんな中で、お前のような妙な娘がパルとして特別に召し抱えられ、他の者とは明らかに異なる特別待遇(ゼロ距離配置)を受けている。だから我々も『おお、ついに陛下にも春が来たか!』と全社を挙げて大期待していたのだが……どうやら、ただの期待外れだったようだな」


「なんか、ごめんなさい……」


(――って、なんで私が全社的な期待を裏切ったみたいに謝ってるんだろう!? おかしいわよね!?)


 私は書類を抱え直しながら、必死に頭をフル回転させた。


「でも、仮にですよ!? 万が一、仮に私と陛下の間に子どもが生まれたとして、身分差的に大問題になるんじゃないですか!? 王の妻──この場合、側室でも愛人でも何でもいいんですけど、それがド底辺の『元ドブさらいの奴隷』じゃ、対外的に格好がつきませんよ! いえ、もちろん、天地がひっくり返ってもそんな予定はないんですけどっ!!」


 唾をまき散らす勢いで一気に捲し立てる私を、チャーク・ツィブ専務は歩きながらフッと鼻で笑った。

 その目は「何を素人が浅はかな法律論を語っているのだ」と言わんばかりの、冷徹なエリート官僚のそれだった。


「シャク、お前は宮廷の法律というものを何も分かっていないな。そんなものは、我々事務方の手腕でどうにでもできる」


「はい? どうにでもって、国家の身分制度ですよ!?」


「簡単なことだ。まず陛下からお前へ、水路のドブさらいにおける『多大なる国家貢献』を理由とした特別賞与の形で、王命による奴隷身分の即時解放を発令する。これでまず、お前は法的に『自由民』となる」


 チャーク・ツィブ専務は、歩く速度を一切落とさず、流れるような事務作業のごとく裏技を指折り数え始めた。


「次に、地方の有力カハル(貴族)の家系で、跡継ぎのいない没落しかけた一族をこちらで選定する。そこに王宮からそれなりの予算(賄賂)を付け、お前をその貴族の『養女』として籍を入れさせるのだ。これで書類上、お前は立派な『地方貴族の令嬢』になる」


「ガチの戸籍ロンダリング(身分偽装)じゃないですか!?」


「身分偽装などと人聞きの悪いことを言うな。適法な『手続きの最適化』だ。仕上げに、神殿セクションの最高神官を丸め込み、神託の特記事項に『この娘は神の依り代たる聖なる婚姻の相を持つ』とでも一筆書かせれば完成だ。なあに、どうということはない。お前の胸の呪いを光らせろ。それだけで済む話だ。これで対外的な格好もつくし、お前が産む子の王位継承権の後ろ盾も万全だ。……どうだ? 事務方を敵に回さなければ、この程度の裏技など、数日で貴族評議会を通してみせるが?」


(……このおじさん、有能すぎて逆にめちゃくちゃ怖いんだけど!!)


 完璧すぎる「奴隷から王の側室への最短スピード出世ルート(超脱法スキーム)」を提示され、私は完全に言葉を失った。本社の法務・総務のトップが本気を出すと、国家の法律すらただのエラーデバッグくらいのノリで簡単に捻じ曲げられてしまうらしい。


「……あの、チャーク・ツィブ様。本当に何度も言いますけど、天地がひっくり返っても、私と陛下がそんな関係になる予定はありませんからね!?」


 焦りまくりである。まさか、本社の役員や文官たちから、私がそんな「未来の国母」みたいな目で見られていたなんて。全然知らなかった。ていうか、本当に知りたくなかった……!


 もちろん、陛下のことが嫌いだから知りたくなかったという意味ではない。

 ……そんな話を本社のナンバー2から聞かされてしまったら、これからの勤務時間中、嫌でも陛下のことを男として意識しちゃうじゃないですか!


「いや、でも、絶対に陛下は私のことをそういう対象として見ていません! 例えるなら『兄と妹』、というか……『飼い主と愛玩動物(ペット)』といった感じです。いつもおやつで餌付けされてますし!」


「ふむ、よい。お前がそこまで深く気にする必要はない。我が主が正室も側室もお迎えにならない本当の理由を教えてやろう。実は、以前、何度か側室候補の姫君と顔合わせをなされたことがある。ただ……姫君たちは、我が主の威圧に耐えられず、目を合わせただけで気を失われて……そのような事情もあって、我が主の威圧も殺気も通用しないお前に期待したのだ。……この先、もし子をなしたら、何よりも最優先で私に報告せよ」


(なんだよー! 結局はまだ諦めずに期待してるんじゃないですか専務――っ!!)


 ◇


「おい。シャク。なぜ、そんなところに座っている」


 書類の配達を終えて執務室に戻ってからというもの、ヤシュ様のご機嫌がすこぶるよろしくない。

 部屋の中に、物理的な重力を感じるほどのピリピリとした「殺人オーラ(殺気)」が充満している。机に向かう若手文官たちは、すでに呼吸の仕方を忘れたかのように硬直していた。無論、殺気の発生源は、陛下である。


「えっ、ええっとですね……あ、そうそう! あまり陛下の近くにいると、重要機密の書類とかが見えちゃいますし、社内の情報セキュリティ的にどうなのかなって思いまして……あはは……」


 いま私がいるのは、陛下からずーーーっと下がった、部屋の端っこの壁際だ。距離にしておよそ三メートル。


 無理。


 あんな赤裸々な裏事情を聞いたあとに、肩が触れ合う距離で陛下の隣に座るなんて絶対に無理。精神的プレッシャーで胃が爆発する。


 だって、陛下は無駄に顔がいいのだ。変に意識しちゃうと、もうダメだ。


(……あ、あの独特なロングヘッドも、よく見たらシュッとしていて、なんだかモード系の最先端モデルみたいでめちゃくちゃカッコいいなあ……)


 なんて、自分の感性までマヤの美意識に毒されていくのを感じてしまう。美人は三日で飽きるらしいけど、マヤのロングヘッドは六ヶ月くらいで脳になじむらしい。やばい。


「こほん」


 静寂を破るように、専務の、わざとらしい咳払いが響いた。

 専務の方をチラリと見れば、彼は冷徹なエリートの顔のまま、目線と顎のクイッという動きだけで猛烈なアピールを私に送ってきていた。


(いいから、我が主の隣に戻れ。このままだと死人が出る、早くしろ)


 専務の悲痛なメッセージが、言葉にせずともビンビンに伝わってくる。


 分かりましたよ! 戻ればいいんでしょ、戻れば!!


「ただいま」


 私は丸椅子を引きずり、すごすごと陛下の左隣のポジションへと帰還した。


「「「「……ふぅううううう……っ」」」」


 私が丸椅子にぽすんと腰を下ろした、まさにその瞬間。

 部屋の中に充満していた漆黒の殺気が、まるで嘘のように綺麗さっぱりと霧散した。

 それに呼応して、専務以下、事務方の文官たち全員から「命拾いした……」という、声にならない安堵のため息が盛大に漏れ出た。


(……え? なにこれ、完全に私が『猛獣のお守』にされてるじゃん……)


 陛下は、私が隣に戻ってきたことで満足したのか、ふんと鼻を鳴らすと、手元の樹皮紙にペンを走らせながらぶっきらぼうに呟いた。


「……遅い。お前は俺の側に控える置物なのだ。セキュリティなどという妙な言い訳で、勝手に俺の視界から消えるな」


 その言葉は冷たかったけれど、目の端に刻まれた疲労の跡は、どこかホッとしたように穏やかに細められていた。


 己の「マスコット(側室候補)」としての需要を完全に察知してしまい、前世のどんなデスマーチよりも激しく心臓をバクバクさせる私は、差し出されたローストかぼちゃの種を、無心で貪ることで現実から目を逸らした。


 もぐもぐ


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