第19話 見積書のごまかしは「豪華なオマケ」が定番です
今日も、私は、陛下の執務室で書類仕事と格闘する無駄に顔がいい彫師のおじさんことヤシュ・バラム様の隣にいるだけのオブジェになっている。
たまに書類の配達や、ちょっとした小間使いを命じてもらえることはあるが、ぶっちゃけ今の私は完全なる「窓際族」だ。パル(側仕え)としてのきめ細やかな仕事は全部他のベテランの子たちがやってしまうので、私の出る幕など一切ないのだ。
「おい、シャク。やることがないならそこで寝ていてもいいぞ。どうせお前など、ここにいても何の役にも立たぬのだからな」
ヤシュ様が書類から目も上げずに冷たく言い放つ。
今日もツンが絶好調でございますね。
(はいはい、なるほどね。これ、前世のビジネス書で読んだわ)
組織マネジメントにおいて、恐怖や見せしめによって周囲をコントロールする強権的な手法のひとつ。
私を『仕事のできない役立たず』として晒し者にすることで、周囲の文官たちを緊張させるスケープゴート(生贄)にしているのだ。
だが、前世のブラック企業で浴び続けてきたガチのパワハラに比べれば、ヤシュ様のツンなんて猫の威嚇みたいに可愛いものだ。ボスの意図が分かっているから、メンタルへのダメージは完全にゼロである。
「陛下。いま、ちょっと話しかけてもよろしいですか?」
「……ああ、構わない。手短にせよ。俺は、お前のように暇ではない」
陛下は、樹皮紙の書類にスタイラス(筆)を走らせたまま、そっけなく応じる。
一言多いが、それも楽しくなっている自分がいる。
「前々から気になっていたんですけど、陛下のところに回ってくる書類って、けっこうガチの『社外秘(国家機密)』が多いですよね? 私みたいな最下層奴隷が見ていい代物じゃないものばっかりです。こうしてすぐ隣にいると、見ようとしなくても視界に乱入してくるんですよ」
そうなのだ。陛下の元には日々、さまざまな重要書類や報告が届く。
農業の収穫高、流通の税率、国境付近での小さな衝突、神官たちから寄せられるほとんど勘違いに近い神託などなど。
特にクリティカルなのは、インテリジェンスに関すること。
つまり他国のスパイの動向に関する報告だ。
そういうものが、この距離だと全部丸見えだし、文官たちの口頭報告は筒抜けで丸聞こえなのだ。
これ、情報セキュリティのガバナンス的にやばくない?
ただし、サキルに関する情報は見たことがないので、たぶんばれてない。
「ほう……。ならば、その情報をカラクムルにでも高く売ったらどうだ?」
期待していたものの斜め上を行く、いじわるな答えが返ってきた。
私としては、「それもそうだ。情報漏洩のリスクがあるな。お前は今すぐドブさらいに戻れ」とか言って、現場復帰させてくれる流れを期待していたのだが。
「売っていいなら売りますよ。でも、こうして四六時中陛下にゼロ距離で拘束されている身で、一体どうやって他国のスパイに営業をかけに行けって言うんですか。無理ゲーです」
陛下は、私がそんなことできっこないと分かって言っているのだ。
涼しい顔で仕事を続ける陛下に向かって、私はぷうっと両頬を膨らませて睨みつけた。
あー、なんかムカつく。せっかくサウナで美少女にアプデされたのに、置物扱いされてからかわれるなんて。
……よし、ここはいっちょワンマン社長の鼻を明かしてやろうかしら。
「陛下がそんなテキトーなことばっかり言ってるから、カラクムルの狡猾な商人に、まんまと騙されるんですよ!」
「――っ!?」
その瞬間、カリカリと筆を動かしていた文官たちの手が止まり、執務室の空気が一気にざわついた。
「……どういうことだ?」
陛下の書類を見る目がすっと細まり、声のエアコン設定が数度下がった。うわ、寒っ。
「知りません! どうせ、希少な翡翠を『オマケ』に付けてもらって、『こりゃ大儲けだ、カラクムル大盤振る舞いじゃん!』とでも思って、ホイホイ承認のサインしちゃったんじゃないですか!?」
私はぷいっと顔を背けた。
「翡翠だと……? ああ、このカラクムルとの交易報告書のことか」
ヤシュ様が手元にある樹皮紙の報告書に鋭い目を落とす。そして、部屋の隅で凍りついていた専務を呼びつけた。
「チャーク・ツィブよ。この報告書を、今一度、文官一同で精査せよ」
ヤシュ様はそう言うと、書類の束をチャーク・ツィブ専務の机へと放り投げた。
(あ、下に投げた。しかも物理的に放り投げた。まったく……まあ、全部自分で抱え込もうとする無能上司より、適材適所で部下に仕事を渡せる方が、経営者としては優秀だわね)
私はそんな上から目線の品定めをしながら、ヤシュ様の卓上に置かれた皿の上から、香ばしくローストされたかぼちゃの種子をひとつ摘まみ上げ、ポイと口に放り込んだ。モグモグ。ポリポリ。塩気が効いてておいしい。
しばし、放り投げられた報告書を囲み、若手文官たちと額を突き合わせてひそひそと話し合っていたチャーク・ツィブ様が、やがて陛下の前に進み出て一礼した。
「陛下。文官どもとも今一度精査いたしましたが……この取引、特に不均衡となる点(損失)はないように思えますが……」
「そうか。――シャク」
専務から報告書を受け取ったヤシュ様が、上半身を回して私の方に顔を向けた。
その切れ長の目が、「おい、お前が言い出したんだから、皆が納得するように説明しろ」と無言で語っている。ていうか、いらない圧かけないで。
「……恐れながら申し上げます」
「恐れるくらいなら申さなくてもよい」
「あーもう、話の腰を折らないでください!」
私はツッコミの反射神経で、ヤシュ様の長いヘッドの後頭部を、右手で「ぺいっ!」といい音を立てて叩いてやった。
「「「ひぃっっっ!?!?!?」」」
今度こそ文官ズが泡を吹いて卒倒しかけたが、すっくと立ちあがった私は、震える文官の手からマヤの『計算板(二十進法の位取りを行うグリッド盤)』を強引に奪い取った。
「恐れないまま申し上げます! 報告書にある数字だけを見ても、比率が明らかにバグってます! カカオ豆六万個に対して、輸入する黒曜石はわずか二百個。つまり、黒曜石たった一個あたり、約三百個ものカカオ豆を渡している計算になります。カカオは我がティカルの富の象徴、いわば基軸通貨ですよ!? 黒曜石は確かに有用な工業資材ですが、この交換レートでは見返りが少なすぎます。たぶん大赤字です!」
息を呑む文官たちを置き去りにし、私は白い一張羅の袖をまくり上げ、指先で報告書の末尾をバンバンと叩いた。
「そして、ここ! ここです、ここ! 取引の末尾で、カラクムル側が『翡翠の装飾品を五点』、まるで親切なオマケのように付け加えています。……陛下、これこそが、悪徳業者が仕込んだ『ごまかしのポイント』です!」
「いや待て、シャク」
一人の若手文官が、必死の形相で口を挟んできた。
「翡翠は、神々への捧げ物にも使われる、極めて貴重で高価な聖なる石だぞ!? それが五点もあれば、カカオの差額などお釣りがくるのではないか?」
「その『高価なイメージ』に脳をハックされてるから騙されるんですよ! 翡翠は確かに単体で見れば高価ですし、役員への接待用の贈り物としては効果的です。でも、数量と全体のお金のバランス(ポートフォリオ)で見たら、明らかに計算がおかしいです。翡翠がたった五点程度では、カカオ二千個分以上の巨大な価値の溝を埋めきれません!」
私は奪い取った計算板を、陛下の鼻先にドーンと突き出し、二十進法の貝殻模様と点の並び(位取り)を指先でキツく強調した。
「この二十の位の並び方を見てください。全体として、二から三割ほど、わが社が一方的に不利な条件になっています。向こうの狡猾な営業担当は、『今回は特別に最高級の翡翠を付けたから、御社はめちゃくちゃ得をしましたよ!』と思わせて、こちらの目を眩ませようとしているんです。豪華に見える『オマケのインパクト』で、本質的な契約内容の不均衡を隠す──これ、悪質なサブスク契約や、ぼったくり見積書で使われる古典的な詐欺の手口ですからね!」
私は計算板を机に「バァン!」と叩きつけ、両手を腰に当てて「ふんす!」と鼻息を荒くした。
どうだ!
「…………」
執務室は、水を打ったように静まり返っていた。
専務は目を見開いたまま固まり、若手文官たちはシャクの「二十進法ハック術」による電撃的な計算スピードに、完全に脳がキャパシティを超て白目を剥いている。
しばらく無言で、突きつけられた計算板の数値をじっと見つめ、何事か考え込んでいたヤシュ様が、おもむろに口を開いた。
その瞳には、かつてないほどの鋭い光(経営者の目)が宿っていた。
「……チャーク・ツィブよ。王命である」
「は、ははっ!」
「カラクムルの商人は狡猾だ。いまシャクが指摘した通り、此度の交易は我が国の損失となる。大至急、次回の交渉担当者に指示を出せ。翡翠の量をさらに三倍に増やすか、黒曜石を大幅に上乗せさせるか、さもなくばカカオの輸出量を二割減らせ、と。我がティカルの財を、あやつらのハッタリで無駄に減らしてはならん」
「御意のままに……! 直ちに、交易官へ伝令を飛ばします!」
チャーク・ツィブ専務が、信じられないバケモノを見るような目で私を一瞥し、猛烈な勢いで部屋を飛び出していった。
はい、私バケモノなので正解です。
他の若手文官たちも、慌ててその後を追うように書類を抱えて飛び出していく。
一瞬にして嵐が去ったように静まり返る執務室。
残されたのは、若き絶対君主であるヤシュ様と、最下層奴隷の私だけだ。
陛下は「ふぅ……」と小さく息を吐くと、畳一畳ぶんもある立派なマホガニー風の机にもたれかかり頬杖をついた。そして、丸椅子に座る隣の私をじっと見つめ、意地が悪いけれど、どこか誇らしげで嬉しそうな笑みを唇の端に浮かべた。
「……やるではないか、シャク。ただの置物でいることには、もう飽きたか?」
ゾクッ。
その瞬間、私の背筋に冷たいものが走った。
(――待って。これ、完全にやばいやつだわ!!)
前世のブラック企業で培われた、社畜の生存本能(危険察知能力)が脳内で大音量のアラートを掻き鳴らす。
いま、このワンマン社長は私の『職務遂行能力』を完全に評価してしまった。
ここで「はい! 窓際族なんて退屈なので、もっと私にお仕事をください!」なんて調子のいい返事をしたが最後、明日からあっち側(さっき文官たちが白目を剥いていた徹夜デスク席)に強制配属され、国家予算レベルの書類の山でデスマ(真の奴隷労働)に突入させられるのは火を見るより明らかである。
ここは全力でステップを踏み、業務拡大の打診を完全に回避せねばならない。
就労条件(定時退勤)をかけた、負けられない戦いがここにある。
「と、とんでもないことでございます、陛下……っ!」
私はがばっと丸椅子からずり落ちるように床へ膝をつき、胸の前で両手を組んだ。
そして、前世の深夜アニメで見た『庇護欲をそそるタイプの薄幸系ヒロイン』を意識し、消え入るようなか細い声と、上目遣いの潤んだ瞳で陛下を仰ぎ見た。
「わたくしのような、文字すら満足に読めないはずの浅学非才な最下層の奴隷は、ただこうして偉大なる陛下のお側に置物として控えさせていただけるだけで、身に余る光栄、十分すぎる幸せにございます……。これ以上の出世も、クリエイティブなお仕事も、わたくしは何も望みません。ただの無能としてお捨て置きくださいませ……!」
我ながら、涙ぐましいほどの完璧かつあざとい「お仕事お断り営業」である。
しかし、陛下は感動するどころか、ヴィシソワーズくらい冷ややかな目で私を見下ろした。
「……シャク。お前、自分でそれをやっていて恥ずかしくないのか?」
「――めちゃくちゃ恥ずかしいですよ! チクショー!!」
秒で素のトーンに戻って叫ぶ私に、ヤシュ様は「ふっ」と呆れたように笑った。
そして、クールな目のまま、卓上の皿から大ぶりの「かぼちゃの種子」をひとつ指先でつまみ上げると、床に膝をついている私の口元へと無造作に放り込んできた。
「まあ、食え」
「あ、(もぐもぐ)……。はいはい、申し訳ありませんでした。私としたことが、ガラにもない演技を申し上げました。(ぽりぽり、サクサク)……うん、これ塩加減が絶妙ですね」
私は餌付けされるハムスターのように、口を素早く動かして香ばしい種子を咀嚼した。
ヤシュ様は、私が美味しそうに食べる様子を満足そうに眺めている。
日中のあのトゲトゲしさはどこへやら、完全なプライベートモード(ツンデレのご褒美タイム)だ。
「でも、本当に冗談抜きで、窓際族から『裁量労働制』とは聞こえがいいですけど、その実は、たんなるサビ残のデスマにジョブチェンジなんて絶対に嫌ですからね! 優秀な文官たちが徹夜で白目剥いてる部署なんて、労務管理の欠片もないブラック環境じゃないですか。そんなところに配属されるくらいなら、私は喜んで、あの平和でホワイトなドブさらいの現場に戻らせていただきます!」
私はもぐもぐしながら、強い意志を込めてヤシュ様をきっと睨みつけた。
すると、陛下はふんと鼻を鳴らし、再び机の上の書類へと視線を戻す。
「却下だ」
「解せぬ」
ドブさらいへの復帰はかなわなかったが、デスマの危機を回避できたことは高く評価できるではないだろうか。




