第18話 定時後の期首面談」は、まさかのVIP待遇?
「解せぬ」
いま、私はヤシュ・バラム陛下のすぐ横にしつらえられた丸椅子にちょこんと座り、国王執務室の立派な置物と化している。
解せぬポイントは、以下の三点。
まず、最下層出身の奴隷が王と同じ部屋の椅子に座っていることが解せぬ。
それに加えて、この国のトップの左隣(つまり心臓側)、しかもちょっと身じろぎしたら肩が触れ合ってしまうんじゃないかという距離に配置されていることが解せぬ。
そして何より、本日付けで配属されたというのに、一切のタスク(仕事)が与えられていないことが死ぬほど解せぬ。
社畜にとって「何もすることがない拘束時間」ほどゴリゴリに精神を削られる刑罰はないのだ。
「おい、シャク。やることがないなら、そこで寝ていてもいいぞ。どうせお前など、ここにいても何の役にも立たぬのだからな」
陛下が、手元の樹皮紙の書類から視線すら上げずに、冷淡極まりない声音で言い放つ。
「あのですね陛下、背もたれも肘置きもない不安定な丸椅子の上で寝たら、床に落っこちます」
私はフンと鼻を鳴らし、無駄に造作が整っている顔のくそったれワンマン国王をジロリと睨みつけてやった。
すると、陛下はふっと筆を止め、ニヤリと意地の悪そうな笑みを浮かべてこちらを見た。
「なら、俺の膝の上に乗って寝るか?」
「バカですか? バカなんですか陛下は。どこの世界に、最下層奴隷を自分の膝の上に乗っけてノリノリで執務する国王がいるんですか。コンプライアンス(宮廷の規律)の意識が低すぎます」
「本気にするな」
「このっ……!」
からかわれたのが無性に悔しくて、私は考えるより先に右手を伸ばし、陛下の特徴的なロングヘッドの後頭部を「ぺいっ!」と叩いてやった。
結構いい音がする。
ちゃんと中身は詰まっているようだ。
非破壊検査完了。
「「「「!?!?!?!?!?」」」」
その瞬間、広大な執務室の空気が完全に氷結した。マイナス四十度くらいまで冷え切った。
あのチャーク・ツィブ専務ですら、顔を真っ青にしてフリーズしている。
他の若手文官にいたっては、ショック死寸前の顔でガタガタと震え出した。
そして、叩かれた当人である陛下の全身からは、部屋の観葉植物が枯れ果てそうなほどの、ものすっごい漆黒の殺気が立ち上り始める。「ずずず……」と音まで聞こえてきそうだ。
(あ、やべ。これは生贄ルート──)
私がマイスプーンを握りしめて身構えた、その時。
「……暴力反対だ」
「……はぃ?」
あまりのミスマッチに、脳が処理落ちしかけた。
全身から「お前を八つ裂きにしてやる」と言わんばかりの超弩級の殺人オーラをみなぎらせておきながら、口から出た言葉が小学校の学級目標みたいなマイルドさなのだ。
しかも、陛下はそのまま何事もなかったかのように書類へ視線を戻している。
私は椅子の位置を少し前に進め、殺気を放ち続ける陛下の横顔をじっと覗き込んだ。
「……あの、陛下って、周辺諸国を恐怖で震え上がらせる『殺戮の暴君』じゃないんですか?」
「ふん。周囲からは、そう言われているな」
(ああーーー、はいはいはいはい! そういうことね!!)
私は心の中でポンと手を叩き、完全に理解した。
この人は、本物の血に飢えた暴君なんかじゃない。
たぶん、そういう物騒な二つ名や冷酷な噂は、周辺国に対する抑止力として、あえて戦略的に本社の広報が流している「イメージ戦略」ってやつでしょ。
だって「言われている」だけで、事実だとは一言も言っていないじゃない。
なんだか陛下の生真面目な仕事っぷりの裏側が見えた気がして嬉しくなり、私は思わず満面の笑みで陛下の顔を見上げてしまった。
どうもこの国は、戦闘民族気質が強いせいで、「冷酷で残虐なイメージ」の方がボスとして箔が付くと思われている節があるらしい。
大変ね、ヤンキーのハッタリみたいなブランディングを強要される社長業も。
◇
ティカルの大ジャングルに真っ赤な夕日が沈み、王宮の白い回廊が美しい茜色に染まる頃。
「……本日の執務はここまでとする。皆、下がってよい」
机の上の樹皮紙の束をピシャリと揃え、陛下が低く冷徹な声で告げた。
いい声だ。
その瞬間、日中ずっと陛下の威圧に怯え、胃に穴が空く思いでデスマーチをこなしていたであろう若手文官たちが、「は、ははっ!」とクモの子を散らすような爆速の勢いで退室していった。
定時退勤の執念は万国共通だ。
チャーク・ツィブ専務だけは、去り際に私をチラリと見て、「頑張れよ新入社員」と言いたげにフッと意味深な笑みを残していったが……。
「お前は、ここに残れ」
文官たちが完全に部屋を出ていくのを見送った陛下から、居残りの下命があった。
まあ、私は陛下直属のパル(奴隷)ですからね。言われなくても、社長がオフィスを去るまでは置物としてここに残りますよ。
「……ついてこい」
陛下が椅子から立ち上がり、ぶっきらぼうに言った。
そのまま、執務室の奥にある、近衛兵すら立ち入りを完全に禁じられていそうな、分厚い木製の扉を開けて進んでいく。
(げっ。まさかの定時後のサビ残居残り……いや、これはあれだ。新期が始まるときに個室に呼び出されて、達成不可能なノルマや目標設定を詰められる恐怖の『サシの期首面談』だわ)
私はゴクリと唾を飲み込み、脇に抱えたスコップをぎゅっと握り直して、無駄に広い陛下の背中を追った。
案内されたのは、先ほどのオフィスとは比べ物にならないほど豪華な、陛下のプライベートスペース──いや、マジもんの「社長の私室(寝室)」だった。
床にはふかふかの高級な毛皮(ヒョウ柄みたいなやつ)が隙間なく敷き詰められ、壁には神々の細密画が鮮やかに飾られている。部屋の隅には、最高級の木綿を何層も重ねて設えられた、ふっかふかの大きなベッド(寝台)が鎮座していた。
重厚な木製の扉がバタンと閉まり、空間は完全に二人きりになる。
一瞬、「まさかのお手付き!? 貞操の危機!」とアラートが鳴る。
がしかし、社畜の悲しい習性で、すぐに直立不動の姿勢を取り、背筋をピンと伸ばした。
(さあ、どこからでもかかってきなさい! 今期の目標は『現状維持・残業ゼロ』の一択よ。どんな無理難題のノルマを課されようと、私は労働基準法の盾で戦って──)
「……ふぅうううううううううううう……っ!!」
突如、目の前で、陛下がものすごく深いため息と共に盛大にベッドへと崩れ落ちた。
現代でいうクイーンサイズくらいはありそうな超豪華なベッドの縁に腰を掛け、長い足を前方に投げ出し、あおむけになって四肢を「じたばた、じたばた」とでたらめに動かしている。
イヤイヤ期の子どもか。
日中の、あの冷酷無比な絶対君主のカリスマオーラは、完全にどこかへ霧散していた。
「……疲れた。死ぬほど疲れた……。なぜ俺が、いちいちあやつらに凄まなければならんのだ……。目が痛い……」
「えっ」
あまりの情けない姿に、私の口から素のトーンの困惑が漏れた。
「お前もだぞ! 俺がコデックスを投げつけた時、なぜあんなに涼しい顔をしていられるのだ!? 普通の奴隷ならもっと『ひぃっ!』とか怯えて平伏するものだろう! ……もちろん、絶対にお前に当たらない安全なコースを狙って投げたのだが、私の方が『もし当たったらどうしよう、本気で嫌われたらどうしよう』と気が気でなかったのだ!」
「はぁ……いや、前世の……じゃなくて昔の職場のボスは、もっと重たい内線電話の受話器とか、角が尖った分厚いバインダーとかをガチの殺意(ヘッドショット狙い)を込めて投げてきましたから。陛下の軌道は、ぶつけるつもりがないのは一目瞭然でした。あれくらいなら『想定内のビジネスパフォーマンス』です。これからもパフォーマンスが必要なら、じゃんじゃん投げつけてください!」
「じゅわき……? ばいんだー……? お前のいた国は、ジャングルの野獣よりも野蛮な修羅の国なのだな……あ、そこらへん、好きなところに座っていいぞ」
「あ、そうですか。それじゃお言葉に甘えて、失礼します」
私は、ベッドの縁に座る陛下のすぐ隣に「ぽすん」と腰を下ろして並んだ。
日中、ずっと至近距離の丸椅子に座らされていたので、特に深く考えることもなく、自然とそうなった。
陛下は、私のあまりにも物怖じしない距離感に少し驚いたように目を丸くしたあと、嬉しそうにふらっと立ち上がり、部屋の棚から何かを取り出してきた。
それは、贅沢にもハチミツと貴重なスパイスをこれでもかと混ぜて練り上げた、王宮最高級の濃縮カカオの塊(生チョコレートタルトみたいなもの)だった。
「ほら、これを食え。ろくなものを食べていなかったのだろう。……あと、これもお前の分だ」
手渡されたのは、美味しいカカオのお菓子だけではなかった。
なんと、予備の真っ白なウイピルが、丁寧に畳まれて三着も置かれていたのだ。
さすがに私サイズのものは在庫になかったのだろう。ちょっと大き目。
私はカカオの菓子をモグモグと咀嚼しながら、目の前の若き王をじっと観察した。
……うむ、近くで見てもやっぱりめちゃくちゃ顔がいい。
こんないい男を特等席で眺めながら、労働ゼロで最高級のカカオが食べられるなんて、冷静に考えてマジで破格の『VIP待遇』といえる。
初日で餌付けされたちょろい奴隷とは私のことさ。
ただし、これは定時後の待遇であって、勤務中の待遇は奴隷以下といえる。そこは、どうにかして欲しい。
「ところで陛下。今は今後のノルマを激詰めする『期首面談』の時間ではないのですか?」
隣に戻ってきたいい男を見上げる。
口の中に食べ物を入れたまま王に向かってしゃべるのはどうなんだろうね。
「またおかしなことを言い出したな。あらたまった面談など必要なかろう。そうだな……シャクの仕事は、ただ俺の側に控えていること。それだけだ」
(おやっ? いま、私の呼び方が「お前」から「シャク」に変わったね?)
なるほど、隣に座ってカカオを食べるのが業務内容なら、確かに今期の目標設定なんて必要ないわね。
窓際族ってとこか。
「ああ、それからだな、シャク……これからは、俺のことを『ヤシュ』と呼べ」
「はぁ!? なに言ってるんですか、そんなことできるわけないじゃないですか! チャーク・ツィブ専務に聞かれでもしたら、書類の角で殴り殺されます!」
さすがにそれは福利厚生の範囲を超えている。
チャーク・ツィブ様に殺されなくても、ガチ恋勢の臣下や、あるいは奥方みたいな人に目を付けられたりしたら、今後の社内政治で超面倒なことになりそうな予感しかない。
リスクマネジメントだ。断固回避だ。
「……安心しろ。お前が心配しているような面倒ごとなど何もないぞ?」
陛下は、ふっとドヤ顔を決めて私の顔を覗き込んできた。
ちょっと待って、あなたはエスパーか何かなんですか!? なんで私が脳内でピックアップしたリスクが分かるんですか!?
「と、と、とりあえず本日は、これにて退勤いたしますっ!!」
「なんだ、もう帰るのか? ……もっとゆっくりしていってもいいのだぞ?」
「お断りします!!」
被せ気味の全力の拒絶を叩きつけると、私はお菓子とウイピルをひっつかみ、そそくさと陛下の私室を辞去した。
そうして息を切らせながら、自分に与えられた王宮の個室へと滑り込むつもりだったのだが──
小一時間ほど迷った。
梅田地下街おそるべし。




