第16話 新人研修は「極限デトックス」
真っ白な本社ビル(王宮)のゲートをくぐった直後、ア・クフン様は私を振り返り、これ以上ないほど露骨に鼻をつまんだ。
「――やはり、限界だ。シャク、お前、あまりにも臭すぎる。まずはそのブラックヘドロを完璧に洗い流してこい。話はそれからだ」
「ごもっともです。公害防止法違反で訴えられる前に、ぜひ洗面所を貸してください」
そうして私は、ア・クフン様から王宮詰めの中級奴隷――つまり、本社勤務の「正社員の先輩」である女性へと身柄を引き渡された。
先輩は、頭に麻袋を被った泥だらけの私を見て「うわぁ……」と引いた声を出し、首輪の縄をこれまた露骨に遠巻きに持ちながら、王宮の裏手へと私を連行していった。
到着したのは、石造りの頑丈なドーム型の小部屋だった。
「一旦、首輪を外すよ」
先輩奴隷が、私の首輪を外す。
なんか、心もとない気持ちになる。
小部屋の入り口は、信じられないほど狭く、四つん這いにならないと入れない。
前世の日本のサウナブームもびっくりの、ガチ仕様な『蒸し風呂』である。
「いい、ドブネズミ。あんたの汚れはちょっとやそっとじゃ落ちないから、ここで身を清めてきなさい。陛下の御前に出るんだから、一粒の泥も残しちゃだめだよ!」
先輩奴隷に麻のような袋をはぎ取られたうえ、背中をドカンと押され、暗いドームの中へと転がり込んだ。
中はすでに、中央の炉で真っ赤に熱された石から、じゅうじゅうと凄まじい熱気が立ち込めている。
しかも、石にかけられているのはただの水ではない。何やらスースーするハーブ(香草)を煮出した特製のアロマ水だ。
「熱っつ!! 何これ、お風呂っていうか、『本社の超過酷なデトックス部屋』じゃん!!」
狭い室内で、一瞬にして毛穴という毛穴から滝のような汗が噴き出してくる。
これが凄かった。
前世の限界二十連勤のとき、深夜のカプセルホテル併設サウナで「あー、身体の老廃物が溶けていくわー」と現実逃避していたあの感覚が、マヤの地で完全復活したのだ。
汗とともに、二の腕の社章にこびりついていたブラックヘドロが、見る見るうちに浮き上がって床に流れ落ちていく。
「ふぅ……。最高ね。お湯に浸かるお風呂じゃないけど、これは完全に『岩盤浴付きサウナ』だわ。激務のあとのサウナ、これだけは会社の福利厚生として満点評価(★★★★★)をあげてもいい……」
しばらく限界まで蒸されたあと、外へ這い出ると、待ち構えていた先輩奴隷が冷たい水を「バシャーーーン!!」と私に浴びせてきた。
「ひゃうっ!! と、整うーーー!!」
交互浴まで網羅しているとは、ティカル・ホールディングス、恐るべし。
先輩は、驚いたように目を丸くしながらも、トウモロコシの芯やザラザラした布を私の皮膚にこすりつけ、残った泥を容赦なくゴシゴシと削ぎ落としていく。
めちゃくちゃ痛い。
湯洗いのあとの韓国式あかすり並みに痛い。
そうして、すっかり「一皮剥けた綺麗なお姉さん(中身は社畜)」になった私は、ようやくパル(側仕え奴隷)の制服を支給された。
「ほら、これを着なさい。破ったり汚したりしたら、すぐ生贄だからね」
手渡されたのは、ドブさらいの時に着ていたボロ雑巾のような粗末な麻布ではなかった。
真っ白に漂白された、驚くほど柔らかく織られた、上質な木綿のウイピル(貫頭衣)だ。裾や襟元には、鮮やかな青や赤の糸で、美しい幾何学模様の刺繍が精巧に施されている。
首元には、奴隷の証明である頑丈な「木製の首輪」がカチャリと嵌め直されたが、心なしかドブさらいの時よりもヤスリがけが丁寧にされていて、肌触りがいい。
髪を櫛できれいにとかしてもらう。
髪を結おうとされたので、丁重にお断りした。
そして、支給されたパルの一張羅に袖を通す。
「……あれっ? 私、普通に可愛くない? いや、相変わらず童顔はそのままなんだけど……これ、前世の私より圧倒的に健康的じゃない!?」
水瓶のピカピカに磨かれた水面に映る自分の顔を凝視して、私は思わず素で呟いていた。
泥が完全に落ちた私の肌は、思っていたよりもずっと白く、モチモチとしていて健康的な輝きを放っている。
連日終電帰りで万年ドス黒いクマを飼育していた前世の限界OL時代の肌とは、細胞の戦闘力が根本から違っていた。
ヘドロの天然アイラインが消えたことで、むき出しになった元々の目は驚くほどパッチリと大きく、まつ毛も長い。
なんていうか、この国の流行りとは明らかに系統が違うけれど、もし現代の日本にこの顔のまま戻ったら、確実に子役タレント広告に使われるレベルの顔に仕上がっているのだ。
しかも、二の腕の黒々としたジャガーの社章が、新調された白い衣服に映えてめちゃくちゃスタイリッシュなアクセントになっている。
(中身は二十四歳の擦り切れた社畜なのに、外見だけ『そこそこのポテンシャルを秘めた謎の美少女』に転生させてくれるなんて……神官たちからは受領拒否(生贄失敗)されたけど、神様、ビジュアルの初期設定だけは最高の手際じゃないの!)
ちんちくりんだと思っていた体型も、ウイピルのストンとしたシルエットのおかげで、なんだか「本社のマスコットキャラクター」みたいな絶妙な収まりの良さを見せていた。
「な、何よ、生意気に……ドブネズミのくせに、ちょっと身なりを整えたからって調子に乗らないでよね!」
先輩奴隷が、綺麗になった私を見て、ちょっと悔しそうに顔を真っ赤にしてツンケン怒っている。うん、分かりやすい嫉妬だ。これぞ『大企業のOLのキャットファイト』の初期症状ね。
「ありがとうございます、先輩! おかげさまで、公衆衛生を完全に遵守した『清潔感のあるビジネスパーソン』に生まれ変われました!」
私は、新調された白い制服の裾をパタパタとさせながら、満面の営業スマイルで先輩に頭を下げた。
「さーて、身だしなみチェック(爪・頭髪・服装)は合格ね。いよいよ社長室への初出勤。ビシッと決めますか!」
先輩奴隷が陛下の執務室まで案内してくれた。
いや、これは案内がないと絶対迷うやつ。
もうね、「昭和の老舗旅館」か「大阪梅田の地下街」レベル。
「私の案内はここまでだよ。せいぜい殺されないように頑張りな」
これは激励なんだろうか?
先輩奴隷はさっさといなくなってしまった。
私は、前世の飛び込み営業で鍛え上げたハッタリの営業スマイルを浮かべ、スコップを脇に抱え直し、重厚な扉を「話は聞かせてもらった!」ばりの勢いで左右に押し開けた。
「失礼いたしまーす! 本日付けで土木課から社長室直属へと異動してまいりました、新人奴隷のシャクです! ご挨拶に伺い──」




