第15話 ここは六本木か
「ア・クフン様。ひとつお伺いしたいのですが、王宮(本社)に着いたあと、私は一体何をやるんですか?」
「実は……私も、お前が何をするのか我が主(陛下)から聞いておらんのだ」
「夜のお相手とかですかね……」
「どうだろう。それもあるかもしれんな」
「ひーっ! 呪い、呪いが移りますからね!!」
ドブさらいの現場を離れた私は今、ア・クフン様のきっちり三歩後ろを追従していた。
そう、ついに王宮に向かっているところだ。
前世の日本には『三歩下がって師の影を踏まず』という殊勝な言葉があった気がする。
それを実践しているのだ。
だがしかし、現在は太陽がほぼ真上、高い位置にあるためア・クフン様の影は足元にちょこんとあるだけで、ほとんど伸びていない。これなら一歩後ろだろうが並んで歩こうが、間違いなく影を踏むことはないだろう。
ちなみに、今の私はといえば、目の部分だけを雑にくり抜いたスカスカの麻のような袋を頭からすっぽりと被せられている。
私がこの泥まみれのバケモノビジュアルのまま街中を歩くと、ティカルの一般市民のみなさんが恐怖でパニックを起こすから、という優しい配慮らしい。
私に対する人権への配慮は、これっぽっちもない。
「そこをどけ。宮廷書記官長のお通りである!」
護衛の戦士が声を上げ、ア・クフン様が悠然と歩みを進めると、市場を行き交う人波が「ざざっ」と左右に割れて道を作った。
神話か何かで見た『海が割れる奇跡』のような光景だ。
そして、その割れた海の中心を、頭に麻のような袋を被り、首輪につながれた縄で犬のように引かれるちびっこい泥だらけの奴隷が、スコップを抱えて堂々と歩いている。
珍妙この上ない、不審者の極みみたいなパレードである。
すれ違う市民のみなさん、麻のような袋の網目から特濃のヘドロ臭が漏れ出ていて本当にごめんなさい。
ア・クフン様にドナドナされること数十分。
賑やかな市場や密集した市街地を抜けた先で、一気に目の前が開けた。
その瞬間、私は思わずその場に立ちすくみ、胸に抱えていた泥まみれのスコップを落としそうになった。
「うわぁ……何これ、めちゃくちゃ『本社』じゃん……」
麻のような袋の丸い穴から覗く世界にそびえ立っていたのは、歴史の教科書でよく見たような、あの急勾配な三角形のピラミッド(神殿)ではなかった。
広大な、チリ一つ落ちていない美しい石畳の広場の向こうに、目が眩むほど真っ白な漆喰で塗り固められた、超巨大な複合建築物がドーンと鎮座していたのだ。
それは、細長い箱のような白いコンクリート風の建物が、何層にも、テラス状に複雑に積み重なった見事な構造をしていた。
各階の窓や入り口からは、これまた白い一張羅(礼服)を着たホワイトカラーの役人らしき人たちが忙しそうに出入りしている。
外壁のいたるところには、ミリ単位の狂いもなく精巧に彫り込まれた神々やジャガーのレリーフ――現代でいうところの「企業のロゴマーク」が、誇らしげに太陽の光を浴びて白く輝いていた。
生臭いヘドロの世界から、一瞬にして、圧倒的な資本力を見せつける総大理石の「メガベンチャー企業の本社ビル」へとワープしてしまったのだ。
「シャク、何を呆けている。早く来い」
前方からア・クフン様のクールなイケボイスが降ってくる。
うん、イケメンの上司の声ってだけで、サビ残確定の社屋に向かう足取りがちょっとだけ幸せな気分になるから不思議だ。
「は、はい! すみません!……っていうか、ア・クフン様。御社の、いえ、陛下の王宮って、近くで見ると『六本木あたりの超高級デザイナーズマンション』にそっくりですね。あの二階のテラス席(回廊)とか、完全に意識高い系の社員が、シャレオツなカフェでリンゴマークのノートパソコンを開いて、カフェラテでも飲んでそうな雰囲気じゃないですか」
「ろっぽんぎ? りんごまーく? ……お前は本当に、相変わらず意味の分からぬ異国の言葉ばかり口にするな。あれは陛下が国政を執り行い、我ら文官が書類を改める聖なる政庁であるぞ」
ア・クフン様が「これだから下賤の人間は」とため息をつく。
(へー、やっぱりあそこが『社長室兼、デスマーチ用の二十四時間オフィス』なんだ。さすが大企業ティカル・ホールディングス、外観だけは令和のホワイト企業の風を装ってるわね)
私は感動半分、これからの激務への警戒半分で、その真っ白な「巨大オフィスビル」を見上げた。
「それにしてもア・クフン様、これだけ壁が真っ白だと、維持費がめちゃくちゃ大変そうですね。漆喰の塗り直し予算とか、すぐに膨らみそう」
「……なぜお前は、王宮の美しさに感動した直後に、そんな現実的な『修繕予算』の話ができるのだ。最下層奴隷のくせに、着眼点が完全に本社の財務官のそれであろう」
ア・クフン様が、今度こそ本気で頭を抱えるように、網目の帽子の上から額を押さえた。その呆れ顔すらちょっと絵になるのが憎い。
「いやいやいやいや、とんでもないことです! ちょっと思ったことを口走っただけですから! 前世……ゲフン、昔の職場でよく上の人から『経営者の目線を持って仕事をしろ』なんて意識高いことを言われてたんですけど、ぶっちゃけ冗談じゃないですよね。こちとら経営者なみの高い給料や待遇なんてもらってないんだから、平社員(奴隷)の目線で十分です。だから、私は王宮でも言われた最低限のことだけを淡々とこなしていきますよ!」
フンス、と鼻息を荒くして決意を表明した瞬間、麻のような袋の中で私が熟成させた特濃のヘドロの匂いが狭く循環し、自分で自分の臭さに軽く目眩がした。ウッ、自爆。
「……お前は、本当に何者なのだ……」
「ご覧の通り、ド底辺の奴隷にございます!」
私が麻のような袋の穴から目をキラーンと光らせて胸を張ると、ア・クフン様は一瞬呆然としたあと、「ふっ」と、その形のいい唇をわずかに緩めて微かに笑った。
(あ、今、笑った! よし、なんか知らんけど本社の専務(ア・クフン様)から契約一本取った気分!)
「ところでア・クフン様。この立派な王宮には『不浄門』のようなものは設置されていないんですか? 私みたいな薄汚い奴隷が出入りするには、正面玄関じゃなくて不浄門で十分なんですけど」
「なんだ、その『ふじょうもん』とは?」
「えっとですね、私の国のお城にあった専用の門のことで、城内で亡くなった人とか、重い罪人を外に出すための、まあ裏口みたいなものです」
「……なるほど。そのような性質の門は今のティカルにはないな。だが、これから先、王宮の機能が大きくなれば、そのような動線の隔離(不浄門)があってもいいかもしれん。私の心にとどめておくとしよう」
「光栄です!」
私は麻のような袋の中でにへらっと満面の社畜スマイルを浮かべながら、そのあまりにも巨大で、そしてサビ残の匂いがプンプンと漂ってくる「白い要塞」のゲートを、泥まみれの足で堂々とくぐり抜けた。




