第14話 ご褒美は懲罰
「ちょっと待てぇーーーいっ!!」
背後から、素晴らしいイケボイスの絶叫に呼び止められた。
「はい、なんでしょうか? って、うわっ!?」
びっくりした。めちゃくちゃびっくりした。
だって、振り返ったら、さっきまで十メートルは離れていたはずのア・クフン様が、一瞬で私の目の前(パーソナルスペースゼロ距離)に立っていたのだから。いつの間に距離を詰めてきたの。
この人、文官のフリした忍者か何かなの?
「よいか、シャクよ」
ア・クフン様は、高級な白い衣服に泥がつくのも構わず腰をかがめ、私の目線の高さに合わせて、ゆっくりとした口調で話し始めた。まるで、言葉の通じない迷子の子供に言い聞かせるかのように……。
「お前は、まだ幼い。だからこの社会の常識というものが分からぬのも仕方のないことだ。だから私が優しく教えてやる」
ほら、やっぱり私、この国の人から子供だと思われてるんだ。
この世界の常識では十二歳で成人(成人式)を迎えるんだったよね。それでここまで子供扱いされているってことは、一体、私は彼らの目に何歳(何年目の中途採用)だと思われているんだろう?
「あの、ア・クフン様。私、こう見えても前世と現世を合わせて……いえ、現世でも、おそらく二十四歳は超えてます。ダブルスコアでとっくに成人してます」
(そういえば、こっちの世界に来てから、私、一度も鏡で自分の姿かたちを見てないや)
「マジか……」
ア・クフン様の、官僚としてのメッキが剥がれて「素」が出た。私のチビでちんちくりんな体型と年齢のギャップに、本気で引いている。
「こ、こほん……! いや、そうであったか。それはすまない、大変失礼した。……だが、それであれば尚のことお前の言動は目に余るぞ! 成人している大人のくせに、宮廷に対する常識というか礼節というものがだな……!」
ゴホンと咳払い一つで見事に持ち直したようだ。さすがは本社の役員、リカバリーが早い。
「無理です! だって、私、ド底辺の『最下層奴隷』ですから! 常識なんてドブに流しました!」
「お前、さっきから自分が最下層奴隷であることを、完全に『無敵の武器』にしておらぬか?」
「はい! 使えるリソースは何でも使えって、おじいちゃんから教わってます!」
「そうか、よきお爺様であったのだな……って、いや、そんなことはどうでもよい! シャクよ、お前が王宮のパル(側仕え)になることを嫌がっていることは実によく分かった」
「ご理解ありがとうございます! では、このヘッドハンティングの話はなかったことに!」
「そうはならんのだ」
「解せぬ」
「いや、解せぬのは、むしろこちらなのだ。先ほども言ったが、これは『王命』だ。王の所有物であるお前に、人事命令に対する『否』という答えの選択肢は存在せぬ」
あ、そうだった。私は雇用契約を結んでいる社員ではなく、初日にジャガーの社章を腕に彫られた、彫師のおじさん(若き王)の「完全な所有物(資産)」だったわ。株式会社ティカル・ホールディングスは、究極のトップダウン企業だった。
でもなあ……この天国のようなドブさらいの待遇を手放すのは、あまりにも惜しい。これって、絶対転生特典なんだと思うんだよね。
「……じゃあ、ちょっと条件のすり合わせをさせてください。もし、私がパルとして何か大きなインシデント(やらかし)を起こしたときは、懲罰(懲戒)とかってあります?」
「無論、ある。宮廷のルールを乱した奴隷は、たいていの場合、生贄として神に捧げられる(物理的解雇処分)」
「えっと、私、初日にすでに一度生贄にされそうになって、神官さんたちから『呪われているから神様が受け取らない』という理由で、生贄にするのを放棄(返品)されてるんですけど……それでも生贄ですか?」
「ふむ……。神が受け取らぬとなると、確かに生贄の儀式としては成立せぬな。そうなると、お前には他の懲罰が必要になるか……」
ア・クフン様が腕を組んで真剣に悩み始めた。よし、交渉の余地あり!
「じゃあ、パルになることは受け入れます! ただし、私がパルとして業務上のミスをやらかしたときは、懲罰として、直ちにこの『土木課のドブさらい』に落としてください!」
おそらく今の私の目は、これ以上ないほどキラッキラに輝いているに違いない。ミス=大好きなドブへの復帰。もしまた王宮に召し上げられてもミスすればドブさらいという無敵の永久機関(無限ループ)の完成である。
「……ああ、なるほど。確かにドブさらいは奴隷の中でも最下層だ。十分懲罰として成り立つ。よいだろう、それでいいならやらかしの都度、検討しよう」
ア・クフン様が少し呆れたような目で私を見て同意してくれた。よし、社内規定のハック成功
「交渉成立ですね! あと、もう一つ、特記事項として、ウチの家事奴隷である『サキルさん』も、一緒に召し上げてください!」
「家事奴隷の? ……なぜだ。王命はお前一人に対してのものだぞ」
「はい。サキルさんは、なんでか私を『我が主』と呼んで忠誠を誓ってくれる、ちょっと変わった……いえ、最高に優秀なメンター(先輩)なんです。私がいなくなると彼女のメンタルヘルスがやばいことになりそうで心配ですし、何より私自身、彼女がいないと王宮で二十四時間以内にホームシックになります! 私が彫師のおじさん、じゃないや陛下に忠誠を誓えば、そのままサキルさんも御社への忠誠(契約)を継続することになるんで、絶対に安全でコスパ最強です!」
「なるほど……一理あるな」
ア・クフン様は、私の泥だらけのプレゼンを真剣に検討し、ふむと頷いた。
「だが、今回はお前に対する王命しか発出されておらん。私の一存で他部署の奴隷の人事を決することはできない。サキルに対する処分(引き抜き)は、一度王宮に持ち帰って、我が主に伺いを立ててやろう。それでよいな?」
「はいっ! ありがとうございます、さすが専務、話がわかる!」
「では、早速、荷をまとめて参れ。これより王宮へ向かう」
「荷物は、個室(独房)に隠してある『大事なマイ・スプーン』だけだから、秒で用意しますね!」
「……スプーン?」
ア・クフン様が、本日何度目か分からぬ「解せぬ」という顔で首を傾げるのを横目に、私は縄で繋がれないまま、元気にステップを踏みながら個室(独房)へと戻った。
◇
個室に戻ると、いつも通り厨房で作業をしていたサキルが、驚いたように顔をのぞかせた。
「我が主よ、まだ帰る時間(定時)じゃないでしょ? どうしたの?」
タメ口なのに、なぜか私に対する呼び方だけ「我が主よ」なのが、いつ聞いてもシュールで大好きだ。サキルは、周りに他に誰もいない、この檻の中というプライベートな空間の時だけ、私のことをそう呼ぶ。それ以外のオフィシャルなシーンでは「このバケモノ」だ。
「サキルさん、聞いてくれる!? なんと私、本社の社長室――王宮のパルに召し上げられることになってしまいました!」
「えっ!? ……すごいじゃない! 最下層奴隷から、一気に奴隷の頂点への大出世だよ!」
サキルが我が事のように鼻の穴を膨らませ、フンスフンスと荒い鼻息を漏らしている。
「いや、私としては、天国のような最下層から、激務確定のブラック役員室への左遷(強制異動)っていう気分なんですけどね……王命だって言われて、仕方なく、です」
「ふふっ、本当に我が主らしい考えだわ」
サキルが呆れたように苦笑する。
私は「サキルさんも……」と言いかけて、口をつぐんだ。
(……サキルさんも、一緒に召し上げられるかもしれない。ア・クフン様が社長に掛け合ってくれるって)
そう言おうとしたけれど、不確定の人事情報を流して期待させるのはビジネスパーソンとしてご法度だ。それに、サキル自身がスパイ(間者)としてのステージを今さら上げたいと思っているのか、それとも今のまったりした厨房勤務を気に入っているのか、彼女の本心を勝手に決めつけて話を進めていいものか、ちょっと迷ってしまったのだ。
私はスプーンを懐にしまいながら、何気ない風を装って問いかけた。
「ねえ、サキルさん。サキルさんは、奴隷としての『ステージ(職能ランク)』を上げようとは思わないんですか? 王宮とか、興味ない?」
「うーん……」
サキルは一瞬、辺りの気配を窺うと、いつものように誰にも見られないよう、素早く筆談に切り替えた。
『王宮に入り込めれば、中で得られる情報も、ドブとは桁違いに濃いものになると思う。そういう意味では、間者としては是が非でもステージを上げるべきだと思ってる』
「ただねえ……」
サキルは口頭でそう呟きながら、サラサラと続きの文字を走らせる。
『もう、私の本当の忠誠は、祖国にはないんだ。……今の私の主は、シャク、あんただから。なので、祖国のために無理をしてまで、リスクの高い王宮の情報を命がけで盗み出そうとは、もう思えなくなっちゃってね』
『なるほど。じゃあ、今後のキャリアプランとしては、流れに任せるって感じですか?』
私が泥の地面に書くと、サキルは小さく頷いて微笑んだ。
『ああ、そうだね。このまま厨房にいてもいいし、もし私を引き上げてくれる奇特な人がいるなら、その流れに従うだけさ』
(よしっ。言質とった!)
私は脳内でガッツポーズをキメた。サキルの「流れに従う」という承諾さえあれば、ア・クフン様が社長(ヤシュ・バラム陛下)から引き抜きの許可を勝ち取ってきた瞬間、何の後腐れもなくサキルを私の『専属サポート備品』として王宮に連れていける。
「オッケーです! じゃあ、とりあえず私は社長室に『異動』してきますね!」
私は大事なスコップを小脇に抱え、懐のスプーンをパタパタと叩きながら、いよいよ始まる「王宮編(ブラック役員室ライフ)」に向けて、不敵な社畜スマイルを浮かべた。




