第13話 内定辞退! ドブさらいこそが私の天職です
「この現場に、シャクという名の女の奴隷はいるか?」
(ん? 私のこと?)
この国の若き王――彫師のおじさんことヤシュ・バラム陛下との最悪な物理衝突(ヘドロぶっかけ事件)という超大型インシデントを天才的な機転で見事にクリアした、翌日のことである。
私はいつものように、五体満足で働ける勤労の喜びに打ち震えながら、現場の主要水路で爆速のドブさらいを敢行していた。そこへ突如、私の名をあげる凛とした声が飛び込んできたのだ。
何事だろうと思ってヘドロを掻き出す手を止め、ドブの中からひょこっと泥だらけの顔を出して、声の主を探ってみる。
すると地上では、ちょっと身なりのいい役人風の男性に対して、ウチの現場監督官(中間管理職)がまるで米つきバッタのように「へこへこ、へこへこ」と高速でお辞儀を繰り返すという、実に見事な社内営業シーンが展開されていた。
いや、よく見ると「ちょっと身なりがいい」なんてレベルじゃない。ものすごくしっかりした一張羅である。
その男性は、泥まみれのドブとは対照的な、雪のように白い最高級の木綿織物に身を包み、頭には網目の帽子を被り、耳には私の拳ほどもある大ぶりのヒスイのイヤリングをジャラジャラと輝かせている。手には、なにやら折り畳み式の樹皮紙のノートのようなものを持っていた。
見るからに、知性で殴るタイプの最高位の文官といった風情だ。
「は、はい! おります! シャクなら確かにウチの部署の奴隷ですが……ただ……」
監督官が、これまでに聞いたこともないような引きつった声で口ごもる。
「なにか問題があるのか?」
文官の男性が、冷たいバリトンボイスで問いかける。
「問題といいますか、その……あ奴はひどく呪われておりまして! 触れると命を吸い取られるという噂の、歩く事故物件でございます! あなた様のような宮廷の雲の上のお方の目に入れるなど、とてもとても……」
監督官が青い顔で使い慣れない敬語をフルドライブさせて頑張っている。
そうね、敬語はビジネスの基本よ。がんばれ中間管理職。
「それなら問題ない」
そう言うと、上級の役人っぽい男性は、懐からじゃらじゃらと音を立てて、貝殻や綺麗な石を紐でくくったものを取り出した。現代の感覚で言うなら、お寺の高級なお数珠か、あるいはガチの除霊用グッズといったところか。
「これは、王宮の神官が直々に祈祷を捧げた『呪いをはじく護符』だ。これがあればシャクの呪いとやらは一切効かぬ。余計な気遣いは無用だ、今すぐシャクをここに連れて来い」
「はっ!」
最敬礼をしてがばっと頭を上げた監督官と、ドブ底にいる私の目がバチッと合った。
「おい、シャク!! ア・クフン(宮廷書記官長)様がお呼びだ! なにをもたもたしている、さっさとこっちに来い、このうすのろめがっ!」
監督官が、これ幸いとばかりに私に向かって怒声を上げる。
(解せぬ)
私は今呼ばれたばかりだ。なのに、なぜ「なにをもたもたしている」と、いかにも私が作業をサボって遅延を発生させているかのように言われにゃならんのだ。
あ、そうか。
前世で過労死してしばらく忘れていたけれど、これが世に言う『理不尽なパワハラ』っていうやつだったわ。懐かしい。
「はーい、ただいま参りまーす」
私はドブからよいしょと這い出し、愛おしいヘドロ用のスコップを胸にがっしりと抱えたまま、監督官たちの待つ土手へと小走りで足を進めた。
(それにしても、ア・クフン様か……サキルから教わったムトゥル語の役職だと『宮廷書記官長』。つまり、社長のスケジュールから各部署の機密情報まで一手に握る、本社の秘書室長兼総務部長みたいな最高幹部(専務)よね。そんな偉い人がなんでまた現場に?)
「お初にお目にかかります。土木課・最下層奴隷のシャクにございます。本日は、弊社、あ、いや、王宮最高幹部のア・クフン様にお目通りにあずかり、誠に光栄に存じます」
ア・クフン様の前に進み出て、泥水をポタポタと滴らせながら、前世のビジネス研修で叩き込まれた完璧な角度(三十五度)でお辞儀をし、ご挨拶申し上げた。
「なるほど。我が主がおっしゃるとおり、実に奇妙にして面白い女だ」
ア・クフン様は、私の身体から放たれる強烈なドブ臭に微かに眉をしかめつつも、高貴なプライドゆえか、一歩も後ろに引くことなく凛と相対している。うん、なかなかに肝の据わったお方だ。
ア・クフン様は、ゴミを見るような目で私を一瞥すると、手にした樹皮紙のノートを芸術的な所作でパッと開いた。
そして、普通の奴隷なら一生かけても耳にすることがないであろう、鈴を転がすように洗練された、完璧な宮廷公用語で、厳かに言葉を紡ぎ出した。
「――土木課の最下層奴隷、シャク」
「はいっ!」
私は、前世の小学校の出席確認ばりに、元気にばしっと右手を挙げた。
「……いい返事だが、この場合、返事は不要だ。大人しく聞いていろ」
冷たく言い放たれるバリトンボイスが耳に心地いい。実に仕事ができそうな上司の声だ。
「カ・ウハ・ウ・ティ・ムトゥル(偉大なるムトゥルの王)、ヤシュ・バラム陛下の聖なる直命を伝える。本日をもって汝のドブさらいの刑期を免じ、これより王宮の奥御殿、陛下直属の『パル(側仕え奴隷)』としての全日配属を命ずる」
ア・クフン様は、一言一句、流麗なイントネーションで完璧な辞令を読み上げると、ピシャリとノートを閉じた。
「私は王宮書記官長である。……直ちに荷をまとめ、同行せ」
「お断りします」
被せ気味に即答してやったぜ。
冗談じゃない。なんで「残業ゼロ・完全定時退勤・衣食住つき」という超優良なホワイト待遇を捨てて、社長直属の二十四時間三六五日オンコール待機、いつクビ(物理的な死)が飛ぶかわからないブラック特攻秘書に身をやつさねばならんのだ。内定辞退だ、内定辞退!
その瞬間、ア・クフン様の最高級の帽子が、カクンと斜めに傾いた。見事なまでのズッコケである。
後ろに控える近衛兵たちも、一瞬「……え?」という顔をしてフリーズしている。
「いや、シャクよ……お前、私の話をちゃんと聞いておったか? 偉大なる我が主、この国のトップである陛下の聖なる直命(王命)であるぞ? それをお断りとは何事だ。……しかも、いま私の言葉を遮って被せてきたであろう。お前、本当に死にたいのか?」
慌てて帽子を被り直したア・クフン様が、眼力を鋭くして詰め寄ってきた。うん、ちょっとどころか、普通に就労規則違反(不敬罪)で激怒している。
「はい、全力でお断りします! だってア・クフン様、私はこのドブさらいの職場がめちゃくちゃ気に入ってるんです! 日の出から日没までの勤務時間が厳格に守られていて、サービス残業なんてまったくありません! 美味しいご飯(トウモロコシ粥)だってタダで配給されますし、なんと福利厚生で『個室(独房)』まで与えてくれる素晴らしい好待遇なんですよ!? こんなホワイトな優良職場から離れるなんて、まともな労働者(奴隷)ならあり得ませんよね!?」
私はフンと鼻を鳴らし、仁王立ちのまま、泥まみれの鼻っ柱をグイっと上げてア・クフン様の顔を見上げた。
「う、うむ……。残業なし、個室つき、食費タダ……。そう言われると、確かに労働環境としては悪い条件ではないかもしれぬな。私など、いつ我が主から深夜に呼び出し(オンコール)を受けるか分からぬ身ゆえ、片時も枕を高くして寝られぬし……」
「そうでしょ!!」
ア・クフン様が思わず自身の激務(社長秘書の苦悩)に共感して遠い目をし始めたので、私はすかさず畳み掛けた。
「だから、この件は一旦『ペンディング(保留)』ということでお願いします。彫師のおじさん……じゃなくて社長、いや陛下にも『シャクは現状維持を希望しております』ってうまく丸め込んでください!」
私はビジネスパーソンらしく綺麗に一礼を執ると、くるっと踵を返し、何事もなかったかのように自分の担当区に戻ることにした。
とりあえず礼儀だけは失しないようにしておけば、契約破棄の交渉としては合格点のはずだ。




