第12話「遊魂について」
俺は病室を出て、彩衣と彼女の母親を二人きりにしてあげた。この階のナースステーションから離れ、エレベーターに乗ろうと待っていると、後ろから声が聞こえてきた。振り返ると、ひと目でわかるピンク色の髪と、頭につけたウサギ耳のリボンカチューシャが目に入った。
「どうして何も言わずに行っちゃうのよ!」
「ん?」
そのとき、頭の中に声が響いた。
『おめでとうございます! 郭彩衣ルートに入りました。1000Gポイントを獲得しました』
「まだお礼を言ってないじゃない! それに名前よ! あなたの名前! 私は郭彩衣。あなたは誰なの?」
「お礼なんていいよ。本来なら願いを叶えてもらうべきだったのは君なんだから。それに、俺たち同じクラスだろ? 名前なら入学式のときに言ったはずだけど」
「私……人の名前を覚えるのが苦手なのよ! お願いだから、もう一度名前を教えて!」
「そうなのか。俺は日日明だよ」
ちょうどそのときエレベーターが到着し、扉が開いた。俺はエレベーターに乗り込もうとした。
「日日明、日日明ね。あなたの名前、覚えたわ。お母さんを助けてくれてありがとう」
「ああ、じゃあな。俺は学校に戻るよ」
俺がエレベーターに乗ると、扉はゆっくりと閉まった。
エレベーターが一階に到着し、病院を出てバスに乗ろうとしていたところ、スマホにメッセージの通知が届いた。LINEのメッセージだ。
『郭彩衣さんから友達申請が届いています。承認しますか?』
俺はバスを待つ停留所のベンチに座り、スマホを操作して承認ボタンを押した。すると、すぐに彩衣からメッセージが届いた。彼女と母親が一緒に写っている写真だった。
母親はもう毛糸の帽子を脱いでいた。生えてきた長い髪と、すっかり血色のよくなった顔を見て、俺は初めて気づいた。彼女の母親って、かなりの美人だったんだな!
どんなメッセージを返そうかと考えていると、ちょうどバスが停留所に入ってきた。
俺はバスに乗り込み、ペンギンのデザインが描かれた悠遊カードをタッチして、空いている席に座った。それからスマホを操作し、気軽に一言だけ返信した。
『お母さん、すごく美人だね!』
バスは何駅か通過したあと、バスターミナルに到着した。俺はバスを降り、少し歩いて家に帰った。
そこでようやく、金猫神の小さな神像のことを思い出した。
家に入ると、誰もいなかった。どうやら愛露莎はまた出かけているらしい。俺はリビングのテーブルから金猫神の小さな神像を手に取った。しかし、彼女はすぐに二・五頭身のGS社製ねんどろいどの姿にはならなかった。
俺は神像を手のひらに乗せ、軽く揺すってみた。
「おーい! 小暁月、起きろー!」
「私に用があるなら、お供え物をくださいにゃ」
「まだお供え物が必要なのかよ! お前なあ、ちょっと待ってろ!」
俺は神像をテーブルに戻し、家にあるお菓子をしまっている戸棚へ向かった。そこからチョコレートの新貴派を取り出し、小さな神像の前に持っていって包装を開けた。
この包装を開けるには、ちょっとしたコツがある。裏側の接着部分から上に向かって引っ張ればいいのだ。
「お供え物を持ってきたぞ。これで姿を現してくれるだろ?」
「おお! 新貴派じゃない! 私、ピーナッツ味よりブルーベリー乳酸菌味のほうが好きなんだけど!にゃ」
「食べ物をもらえただけでも感謝しろよ!」
小さな神像は二・五頭身のねんどろいどの姿に変わった。彼女は新貴派を一口ずつ食べていて、頬をぷっくりと膨らませていた。
「あなたの態度、私に対して失礼すぎるわよ! これでも一応、神様なんだからね!にゃ」
「ただの分身だろ。おい、小暁月。あの女の子を見つけて、万能薬を彼女の母親に飲ませてきたぞ」
「そうなの? それで、私に用があるのはその報告だけ?にゃ」
「いや、聞きたいことがあるんだ。郭彩衣ルートに入ったって、どういうことなんだ?」
「ルートに入れたってことは、彼女に遊魂が取り憑いていたってことよ!にゃ」
「遊魂に取り憑かれるって、いったいどういうことなんだ?」
「正直なところ、私も詳しいことはよく知らないのよ。何しろ、これは霊界の管理者たちが担当していることだからねにゃ」
「霊界の管理者?」
「人々の生死を管理している連中のことよ。私が知っている情報は、七月に鬼門が開いたとき、悪人の魂がうっかり逃げ出してしまったってことだけ。つまり、それが遊魂なの。彼らは人間の心の隙間に入り込んで取り憑くのよ。男なら武力で倒して、女なら恋愛を通じて遊魂を追い出すのにゃ」
「それで、遊魂は全部で何体いるんだ?」
「五万体が逃げ出したって聞いているわ。世界中に散らばっているみたいよにゃ」
「じゃあ、今は何体くらい捕まえたんだ?」
「それは私にもわからないわ。詳しいことを知りたければ、この地域を管理している管理者に聞いてみるといいわね。名前は確か白雅蝶。この時間なら、近くのコンビニで休憩しているはずよにゃ」
「どこのコンビニだ?」
「このビルを出て一番近いセブンイレブンとファミリーマートよ。隣同士に並んで建っている、あの二軒のコンビニ!にゃ」
「じゃあ、会いに行ってみるか。ところで、何か特徴はあるのか?」
「長い髪の女の人だったと思うわ。まあ、近づけば選択肢が表示されるはずよにゃ」
「そうなのか?」
「それなら、私を連れていきなさいよ。見つけたら教えてあげるわにゃ」
「それもそうだな」
俺は小暁月を拾い上げ、制服の胸ポケットに入れた。それから家を出た。
すぐに家から一番近い二軒のコンビニに到着した。
それにしても、どうして競争相手である二つのコンビニが、同じビルに並んで出店しているんだろう?
俺はまずセブンイレブンに入った。店内のイートインスペースを見回してみたが、小暁月は誰が白雅蝶なのか教えてくれなかった。どうやら、この店にはいないらしい。
店を出ようとしたとき、店内にいたおじさんの店員が近づいてきた。
「君が今年の猫神祭で、絵馬の願いを当てた子だね!」
「失礼ですが、あなたはどなたですか?」
「相手にしなくていいわ。隣の店に行きましょうにゃ」
小暁月がポケットから顔を出して言った。
すると、頭の中に選択肢が表示された。
【選択肢1】土地公と話をする。
【選択肢2】急いでその場を離れる。
燃えるタイムゲージは表示されていない。つまり、選択肢3はないということだ。
俺は選択肢1を選び、振り返ってコンビニの制服を着たおじさんを見た。
「拙者は三神区の土地公である。小僧、お前は授業をサボっていったい何をしているのだ?」
「土地公? あちこちに神像が置かれている、あの土地公ですか?」
「いかにも拙者である! それで、小僧は授業をサボって何をしているのだ? しかも、猫神様の小さな分身まで連れているではないか。そういえば、店の外にガチャガチャが置いてあるのを見たか? 最近、猫神様の108匹の猫妖怪をモチーフにしたガチャが導入されたのだ。集めてみないか?」
「今、霊界から来た管理者の白雅蝶さんを探しているんです。どこにいるか知りませんか?」
「白雅蝶さんを探しているのか! 今日は隣にある、あの婆さんの店に行っているはずだぞ」
「それじゃ、行ってきます!」
「ちょっと待て! 何か買っていかないのか?」
そういえば、この地域には全聯福利中心が何店舗もある。道路を挟んだ向かい側にも一軒あり、商品の値段はコンビニよりずっと安い。
実際、コンビニに来る客の多くは、手軽に買える調理済み食品を求めているのだ。
「まだ用事があるので、失礼します」
俺はセブンイレブンを出て、少し歩いてファミリーマートに到着した。
店内に入ると、イートインスペースで長い髪の美人がホットミルクティーを飲んでいるのが見えた。
「あの女よ! 白雅蝶!にゃ」
俺が彼女に近づこうとしたそのとき、頭の中に選択肢が表示された。
【選択肢1】彼女に近づいて挨拶する。
【選択肢2】レジで土地婆からラテを一杯買う。
そして、燃えるタイムゲージが現れた。
俺は入り口でしばらく立ち尽くした。
【選択肢3】ミルクキャラメルを一袋買う。
何なんだよ、この選択肢は……。当然、1を選ぶしかないだろ!
俺はそのまま真っすぐ彼女のところへ歩いていき、白雅蝶に声をかけた。
「すみません。あなたが白雅蝶さんですか?」
彼女はこちらを振り向き、俺の制服の胸ポケットに視線を向けた。そこから猫神の小暁月が顔を覗かせていた。
「そうですよ。あなたはどなたですか?」
「俺は日日明です。最近、自分の願いが叶ったせいで、人生がある種のゲームモードに変わってしまったんです。今は情報不足で困っているところです」
「あなたが、そこの猫神が主催した猫神祭で、絵馬を当てた人なのね!」
「はい。そうなんです。それで、遊魂について情報を教えていただきたいんです」
「遊魂は私たち管理者が担当している仕事よ。あなたには何の関係があるの?」
「実は、俺の人生がゲームになってしまったんです。そして、ゲームを攻略する方法は、遊魂を捕まえて人生のGポイントを稼ぐことなんです」
「ゲームですって? それは私たちの仕事なのよ! あの猫神、いったいどんなシステムを勝手に作っているのよ! 忠告しておくけど、勝手に行動するのはやめたほうがいいわ。遊魂はとても危険な存在なのよ」
「遊魂について詳しく知りたいんです。どうか教えてください」
そのとき、ファミリーマートの制服を着た、とても美しいおばさんが近づいてきた。
「またナンパ目的の招かれざる客なの? 雅蝶」
「違いますよ。私はナンパしに来たわけじゃありません」
「その制服を見る限り、三神高校の生徒よね。今は授業中じゃないの? サボりかしら? あら? それは猫神様じゃない!」
「はあ? せっかくの休憩時間なんだから、仕事のことなんて忘れさせてよ! 今日はもう遊魂を十体も捕まえたんだから!」
「確かに授業はサボっていますけど、あとでちゃんと学校に戻りますよ」
「どうやらナンパじゃないみたいね。それじゃ、私はレジに戻るわね!」
そう言うと、美しいおばさんはレジへ戻り、客の会計を再開した。
「それで、少年。何が聞きたいの?」
「遊魂はどうやって捕まえるんですか?」
「普通に倒してから、拘留瓶に入れればいいのよ!」
「心の隙間を恋愛で満たさないと、出てこないんじゃないんですか?」
「恋愛? そんな面倒なことをする必要はないわ。私はいつも直接戦って倒してから捕獲しているわよ」
どうやら、これは猫神の小暁月から聞いた話と違っている。
「そうなんですか! それじゃ、遊魂は五万体いるんですね?」
「ええ、五万体よ。世界中に逃げていったの。前にもあの猫神には話したはずだけど」
雅蝶は俺の胸ポケットにいる猫神の小暁月に目を向けた。
「これでは、いつになったら全部捕まえ終わるんでしょうね?」
「霊界から現世にかなりの人数を派遣しているわ。私たちは一体ずつ、着実に捕獲しているところよ」
彼女はミルクティーを一口飲み、黒ゴマまんじゅうを食べ始めた。
「どうして霊界は遊魂を逃がしてしまったんですか?」
「霊界は決して一枚岩じゃないのよ。一部の危険分子が、現在の霊界の新政府を転覆させようとしているの。その連中が結界を破って、罪人たちを逃がしたのよ。今年の旧暦七月、鬼門が開いたときのことね。今、霊界は大混乱よ!」
「戦って捕まえることができるのに、どうして猫神様は俺に恋愛で捕まえろと言ったんでしょうか?」
「さあね? でも、遊魂が取り憑く相手は、主に女性だということなら教えてあげられるわ。取り憑いた遊魂は、その女性から生まれる子供として復活することになるからよ」
これは猫神様から聞いた話とは違う。遊魂が主に取り憑く相手は女性だというのだ。
「つまり、男性には取り憑かないんですか?」
「男性にも取り憑くわよ! しかも、遊魂は元の人格を乗っ取ってしまうの。だから、戦って倒す必要があるのよ。そうすれば遊魂が外に出てくるから、あとはこの拘留瓶で捕まえればいいわ」
彼女の身にまとっていた羽衣が、手元で一つのガラス瓶へと姿を変えた。
そこで俺は初めて、彼女の周囲に浮かんでいる、マフラーのような羽衣に気づいた。まるで仙女のようだった。




