第9話『百万円の契約書が欲しがったのは、映像だけじゃない』
回廊の一件は、予想外の形で広まった。
レオの高画質映像には、ガーゴイルの攻撃で床が砕ける瞬間が記録されていた。俺の配信には、攻撃の直前に撮影を止め、二人で退く場面が残っている。視聴者の間では「どちらの映像が優れているか」よりも、「あの怪物はなぜ胸を守ったのか」という議論が盛り上がった。
数日後、ギルドから面談の連絡が来た。指定された応接室にいたのは、大手配信事務所『アルファ・ライブ』の事業部長だった。
「志摩さん。あなたの映像を、弊社で扱わせていただきたい」
机に置かれた契約書には、即金百万円とあった。残債二十七万二千円を払い、機材を新調してもまだ余る金額だ。
「契約内容を確認しても?」
「もちろんです。弊社はあなたの撮影技術を高く評価しています。機材提供、安全管理、編集スタッフ、配信網まで用意できます。あなたは撮影に集中できる」
それは本当に魅力的な提案だった。独力で危険な場所へ入り、壊れた機材を修理し、編集までやる生活から抜け出せる。
だが、契約書を読み進めるうちに、目が止まった。
撮影場所の指定。未編集データの全面提供。位置情報と撮影経路の納入。さらに、同社は素材を独占的に編集し、公開時期も決められる。
「この位置情報は、何に使うんです?」
「危険地帯を特定できれば、探索者向けの有料攻略コンテンツが作れます。あなたの映像を最大限に活かせる」
事業部長の説明は合理的だった。企業は映像に金を払うだけではない。そこから再利用できる情報を取り出し、商品にしようとしている。
「この回廊には、記録されたくないものがある」
「それも含めて、こちらで編集します。公開に適さない部分はカットすればいい」
俺は首を振った。
「カットするかどうかを、俺が知らないところで決められるのは困ります。場所を隠したつもりでも、床の模様や鉱物の並びから割り出せることがある。素材を渡した時点で、俺はその先を止められない」
事業部長は、しばらく黙っていた。
「百万円を失うことになりますよ」
「分かっています。だから、素材を売らないんじゃない。位置を特定できない編集済み映像なら、用途を決めてライセンスできます。元データと経路情報は渡せません」
「それでは、弊社が求める商品にならない」
その返答も理解できた。だから交渉はそこで終わった。
応接室を出ると、スマートフォンに赤文字が浮かんでいた。
《場所を売らなかったな》
「売れるものと、売っちゃいけないものは違う」
《なら、これを持っていけ》
赤文字の先に示されたのは、四層の隠し小部屋だった。そこには、青い光を内側に閉じ込めた結晶が転がっている。
《あの回廊を、場所ごと売らなかった礼だ》
俺は画面を撮らず、位置を確かめてからカメラをしまった。




