第5話『魔物の夜市では、金より先に信用を見られる』
【手元残高:13,000円/残債:287,000円/残り23日】
修理屋の見積もりは三万円だった。
レンズのマウントが歪み、焦点を合わせるたびに金属音がする。このままでは、次の撮影でピントが合わない。だが、手元の一万三千円では足りなかった。
「……カメラが使えなきゃ、稼げない。稼げなきゃ、家に帰れない」
俺は三層へ向かう階段の前で、リュックに詰めた光苔キノコを確かめた。赤文字の指示どおり、一層の壁際で採ったものだ。理由は聞いても返ってこなかった。
《手ぶらで来るな》
言葉どおり、手土産らしい。
第三層『深緑の廃迷宮』。巨大なツタが石柱を覆い、湿った葉の匂いが濃くなった。奥の広場から、金属を叩く音と、低い唸り声が聞こえる。
そこには、三頭のヘルハウンドと、古い鎧をまとった死霊の騎士がいた。人間なら、敵に囲まれたと思って逃げるだろう。俺も一歩退きかけた。
だが、犬たちの尾は低く揺れていた。耳は威嚇の角度ではなく、周囲の音を聞くように動いている。死霊の騎士の大鎌も、刃を外へ向けず、地面に柄を立てていた。
中央の石卓には、鉱石、果実、骨細工が並んでいた。品物の横には、それぞれ違う色の小石が置かれている。
「……取引か」
《そうだ。光るキノコを出せ》
俺はキノコを一つ、石卓の端へ転がした。
大きなヘルハウンドが鼻を寄せた。ひと嗅ぎし、口に含む。キノコの光が喉の奥へ消えると、犬は満足げに喉を鳴らし、足元の青い結晶を鼻先で俺の方へ転がした。
純魔石。三層で採れるものは希少で、ギルドなら四万五千円で買い取るという。
俺はすぐに拾わなかった。
卓の向こうで、死霊の騎士が首をかしげている。青い結晶の隣には、同じ色の石が二つ並んでいた。犬が出した石だけ、角が欠けている。
「これでいいのか? そっちの二つじゃなくて」
《そっちは別の取引だ》
俺はようやく結晶を拾った。品物には値段がある。だが、どの品物を選ぶかには順序がある。勝手に持っていけば、交換ではなく盗みになる。
人間のコメントが流れた。
『魔物が買い物してる?』
『キノコで魔石買ったぞ』
『これ、攻略情報じゃないのか……?』
俺はカメラを少し引き、卓の全体を映した。犬が石を渡す手順、騎士が品物を選び直す仕草、小型の魔物が順番を待つ様子。ここにあるのは偶然の餌やりではない。ルールに従った交換だった。
赤文字が流れた。
《いい画だ》
すぐに別の文字が割り込む。
《品物の置き場は映すな》
俺はレンズを卓の上から外し、交換する手元だけを撮った。
『え、そこ切るの?』
『全部映せよ』
『場所が分かるのを嫌がってるんじゃないか?』
そうだ。撮影できることと、何もかも公開することは違う。人間の市場でも、取引先の帳簿や住所を勝手に晒すカメラマンはいない。
俺は交換の手順と、青い魔石が渡された瞬間だけを残した。夜市の場所につながる通路も、石卓の位置も、画面から外した。
帰還後、ギルドで純魔石を四万五千円で換金した。三万円でカメラを修理し、さらに一万五千円を返済に回す。
【手元残高:13,000円/残債:272,000円/残り23日】
数字はまだ重い。だが、カメラは直った。そして今日の映像には、戦闘も大技もない。それでも、人間が誰も知らなかった魔物の交換の仕組みが残っていた。
部屋に戻ると、赤文字が表示された。
《次は四層の育児部屋だ》
《うちの子が初めて殻を割る。最初の一瞬を撮れ》
俺は修理されたレンズを見た。
「……撮るのはいい。だが、向こうが嫌がったら撮らない」
返事はなかった。
代わりに、赤文字がひとつだけ浮かんだ。
《そんなことを決めるのは、お前が初めてだ》
俺はリュックを閉じ、四層への階段を見つめた。
今度の仕事は、ただ近づいて撮れば済む話ではなさそうだった。




