第30話『三十万円の仕事は、討伐では終わらなかった』
佐伯悠司は、かすかに目を開けた。
ギルドの救護班が到着するまで、俺たちは彼を空洞から動かさなかった。黒瀬が声をかけるたび、悠司の瞼がわずかに動く。返事はまだできない。それでも、生きていることは疑いようがなかった。
竜は少し離れた場所で、氷壁を見つめていた。俺たちが悠司を包んだ防寒シートへ移す間も、追ってこなかった。最後に一度、青い息を壁へ吐いた。その光が消えると、竜は回廊の奥へ戻っていった。
救護班の担架が悠司を運び始めたとき、黒瀬は竜へ向かって頭を下げた。礼なのか、謝罪なのか、本人にも区別はついていないようだった。
ギルドへ戻ると、依頼の扱いはすぐに変わった。氷晶竜の初討伐は成立していない。素材も回収していない。残りの成果報酬十五万円は支払われない。代わりに、氷結の回廊で行方不明者が生存していたこと、氷晶竜が人間を直接攻撃せず、氷壁の状態を維持していたことが、正式な調査案件として登録された。
黒瀬は異議を唱えなかった。
「俺は報酬を取りに行った。だが、悠司を見つけてからも竜を殺していたら、俺はまた、目の前の人間を置いていくことになった」
「現地の記録は残っています。竜を危険と判断した理由も、そうでない可能性も、両方記録しました」
「ありがとう。あの映像がなければ、俺はまた自分の言葉しか証明できなかった」
今回、俺が受け取るのは着手金の十五万円だけだ。準備費と現地撮影の対価として、契約に書いた金額。成果報酬はない。機材は手元に残る。六万一千円の残高も変わらない。三十万円の仕事として見れば、儲かったとは言えなかった。
だが、氷晶竜を討伐した映像より、今回の記録を必要とする人間はいるだろう。ギルドは位置情報を伏せた調査用映像を正式に保管し、公開版については悠司の回復後に本人の了承を取ることになった。
数日後、短く編集した映像が公開された。救助の瞬間も、氷の中にいた人物も映していない。残したのは、竜が崩れた壁を冷気で支え、氷壁の状態を保っていた様子だけだ。場所を推測できる背景も除いてある。
コメントは、これまでとは違っていた。
『この竜、人間を襲っていたんじゃなかったのか』
『何を守っていたのかはまだ分からない。でも、あの動きは攻撃じゃない』
『肝心な部分が映っていないのに、逆に続きが気になる』
視聴数が一気に跳ねたわけではない。だが、ギルドの調査部から、新しい依頼が届いた。討伐映像ではなく、未確認モンスターの行動記録。安全と公開範囲を契約で決め、必要な部分だけを撮影してほしいという。
俺は依頼書を読み、報酬より先に、公開条件の欄を確認した。
画面の端に、赤い文字が浮かぶ。
《人間を助ける映像も撮れるんだな》
「助けたのは俺だけじゃない」
《そうだな。だから次は、七層の評議を撮れ》
文字は一行だけだった。
《勝者も敗者も、最後まで映せ。だが、最後まで公開しろとは言っていない》
俺は画面を見つめた。
また、撮るべきものと、公開していいものが違う仕事らしい。
三十万円の仕事は、討伐では終わらなかった。
(第三章 完)
ここまで読んでくださって、ありがとうございました。
第三十話をもって、第三章は完結です。
今回タクトが残したのは、討伐の映像ではありません。氷晶竜が何を守っていたのか、その答えを急がず、見えた事実を記録する仕事でした。
次章では、七層で開かれる怪物たちの評議を撮影することになります。
《勝者も敗者も、最後まで映せ。だが、最後まで公開しろとは言っていない》
この言葉が意味するものは何なのか。引き続き、タクトの撮影を見届けていただければ嬉しいです。




