第29話『竜の呼吸に合わせて、氷を一枚ずつ剥がす』
三度の音が聞こえた場所は、氷壁の右下だった。
俺たちは崩落でできた棚を渡り、少しずつ近づいた。配信は切ったまま。カメラは録画を再開せず、画面の確認だけに使う。もう見世物を作る場面ではない。
氷の表面には、白い層と青い筋が幾重にも重なっていた。黒瀬が道具を取り出したが、刃を当てる前に俺は止めた。
「待ってください。竜が息を吐いた直後、青い筋が明るくなる。その間は内側の氷が動く。今、割ったら圧力が変わるかもしれません」
「では、いつならいい」
俺は映像をフレームごとに送った。竜は一定の間隔で冷気を吐いている。青い筋の明滅は、ブレスが終わってから少し遅れて消える。その短い間だけ、白い層の表面に細い亀裂が現れ、すぐに閉じる。
「青い筋は壊せない。白い層だけ、竜が息を止めた瞬間に剥がす。急がず、薄く。亀裂が伸びたらそこで止める」
黒瀬が道具を握り直した。
竜が息を吸う。青い光が喉へ集まる。俺は手を上げ、黒瀬に待つ合図を送った。
冷気が壁に当たり、青い筋が光る。音が止まる。今だ。
黒瀬が刃先を白い層へ当てた。表面だけが薄く剥がれ、氷片が床へ落ちる。内部の青い筋は傷ついていない。人影の胸元が、ほんのわずかに上下した。
黒瀬は息を止めた。
「生きてる」
「まだ確定はできません。でも、胸の動きが複数回、映像で確認できた。今のは偶然じゃない」
作業を続けるたび、竜は俺たちを見ていた。前脚は壁の前に置かれたままだが、もう翼で通路を塞いではいない。俺たちが青い筋を避け、白い層だけを剥がしていることを見ているようだった。
最後の厚い層が残った。人影の顔はまだ見えない。黒瀬の手が震えている。
「俺がやります」
「手元を見てください。顔を見ようとしないで。いま見たいのは、氷の厚さです」
彼は一度目を閉じ、それから道具を構えた。
冷気が壁を撫でた。青い筋が灯る。消える。俺は画面で亀裂の方向を確認し、指を一本立てた。
「右へ二センチ。そこで止めて」
黒瀬が刃を動かす。氷の最後の板が外れ、透明な空洞が現れた。中には、男が横向きに眠っていた。頬は青白く、髪には霜がついている。だが、胸は動いていた。
竜が短く鳴いた。
黒瀬は男の名を呼びかけそうになり、口を閉じた。俺は首を振った。急に揺さぶれば危険だ。救助の手順に切り替える。
俺はカメラをケースに戻した。
今度こそ、撮るのは後だ。




