第3話『フラれたスライムを、笑いものにはしない』
黒いスライムは、通路の水たまりのそばで潰れたように広がっていた。
普通のスライムは核を中心に丸い形を保つ。だが、こいつは表面が垂れ、体の半分を床に流している。弱っているのかと思ったが、赤文字は違うことを言っていた。
《昨日、アビススライムに振られた》
《見ろよ、あの形。落ち込みすぎだろ》
《寄れ寄れ、顔を撮れ》
人間のコメントも寄ってきた。
『何これ、ヘドロ?』
『ボス映せよ』
『スライムの失恋配信は草』
俺はズームを寄せた。黒い体表に、小さな光がひとつ浮いている。核ではない。半透明の膜に包まれた、青白い結晶だった。
スライムがわずかに身を縮めた。カメラが近づくと、結晶を体の奥へ隠す。
「……撮られたくないのか」
《もっと寄れ》
俺はズームを戻した。
仕事で何度も見た。撮影対象が嫌がっているとき、寄ればいい画が撮れることはある。泣き顔も、怒りも、失敗も、数字だけなら強い。だが、撮れることと、撮るべきことは違う。
「近づくのはやめる。全体を撮る」
赤文字の流れが一瞬止まった。
俺はカメラを少し引き、水たまりと、スライムの体、結晶が隠れたあたりをひとつの画面に収めた。水面には通路の先が反射していた。そこを、小さな白いスライムが横切った。
黒いスライムの表面が、ほんの少しだけ持ち上がる。
白いスライムは立ち止まらなかった。だが、通り過ぎる直前、水面に小さな青いしずくを落としていた。
黒いスライムは、そのしずくを体内へ包み込んだ。隠していた結晶の光が、少しだけ強くなった。
『今の何?』
『白いの、何か置いてった?』
『失恋したんじゃないのか?』
赤文字も騒いだ。
《あれ?》
《何で返した?》
《おい、戻ってこい》
白いスライムは、もう画面の外だった。
俺には二匹の関係も、しずくの意味も分からない。それでも、さっきまでの黒い塊が、ただの「失恋して形を崩した魔物」ではないことだけは分かった。
見せ場を作ろうとして寄れば、結晶を隠した瞬間しか撮れなかった。距離を取ったから、その前後にあった小さなやり取りが画面に残った。
『なんか、今のよかったな』
『何が起きたか分からないのに、もう一回見たい』
初めて、人間側のコメントに嘲笑ではない言葉が混じった。
赤文字の中から、今までとは違う太い字が現れた。
《お前、言われたとおりに撮らなかったな》
「嫌がってる相手に寄るのは、仕事が雑なんだよ」
《……ふうん》
それ以上、返事はなかった。
その夜、配信の切り抜きが広がった。スライムの失恋を笑う動画ではなく、二匹の間に何が起きたのかを考察する動画として。配信中の投げ銭は二万三千円に達した。手元の三千円と合わせた二万六千円のうち、一万三千円を滞納分の返済に回す。手元には一万三千円が残り、残債は二十八万七千円になった。期限まで、あと二十四日。
数字はまだ絶望的だった。だが、今日の映像は「偶然いい画が撮れた」で終わらなかった。
俺は、相手が何を隠し、何を残したいのかを見ていた。
画面の端で、赤い文字が静かに浮かんだ。
《二層へ来い。明日は、もっと大事なものが決まる》




