第23話『三十万円の契約に、救助条項を加えた』
氷結の回廊へ入る前に、俺たちは契約を作り直した。
三十万円のうち、十五万円は特殊機材の調達と現地撮影の準備費。残りの十五万円は、氷晶竜の初討伐と素材の記録が成立した場合の成果報酬。着手金はすでに防寒レンズハウジング、バッテリーヒーター、結露防止材、交換用バッテリーへ変わっていた。
「生存者の救助へ目的を切り替えた場合、残りの成果報酬は発生しない。この条件でいいですね」
俺が確認すると、黒瀬はうなずいた。
「構いません。準備費と現地撮影の分は支払っています。成果報酬は、達成できた結果に対して払うものですから」
「機材は俺の手元に残ります。次の仕事でも使える。ただ、現場で何が起こるかは分かりません」
「分かっています」
俺たちはギルド端末に補足条件を記録し、双方の署名を送った。これで、現場で救助を選ぶことが契約違反にはならない。報酬が減ることも、書面に残った。
出発前、俺は機材を何度も確認した。通常のレンズより厚い保護ガラス。結露を外側へ逃がすハウジング。冷気で電圧が落ちても撮影時間を確保できる交換用バッテリー。どれも安くはない。だが、装備を用意しただけで、氷の中で何が見えるかまでは保証されない。
カメラを一台にするか、固定用の小型記録機を追加するか、最後まで迷った。二台あれば、氷晶竜と氷壁の両方を同時に記録できる。だが、二台目を扱う人間はいない。俺が二つの画面を見れば、一つの変化を見落とす。
今回は、一台に集中する。もう一つの画角が必要なら、黒瀬に指示して、記録用の定点機を置いてもらう。彼はカメラマンではないが、指示どおりに設置できる探索者だ。必要なのは俺と同じ腕ではなく、決めた手順を守る人間だった。
「撮影中、俺が合図したら、その場で止まってください。画面を見ている間は周囲を見落とすことがあります。安全確認は黒瀬さんが、構図と記録の判断は俺が担当する」
「了解しました」
「ただし、竜がこちらに向かってきたら、俺の指示より自分の判断を優先していい。命を守るのが先です」
黒瀬は少しだけ眉を上げた。
「あなたは撮影屋なのに、撮影を止める条件を先に決めるんですね」
「止める条件を決めない仕事は、撮影じゃなく賭けです」
転送ゲートの向こうから、冷たい空気が流れ込んできた。
今回、生配信は行わない。撮影記録は現地で保存し、公開する映像は帰還後に黒瀬とギルドが確認する。場所も人物も、本人の了承なしに晒さない。
俺はカメラを起動する。温度表示が下がる。交換バッテリーの残量は正常。画面に異常はない。
しかし、回廊の入口を映した瞬間、画面の奥で小さな白い線が走った。
肉眼では見えない。カメラにだけ映る、氷の中の亀裂だった。




