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「わたし、死なないみたいです」処刑された悪役令嬢は首を抱えて帰省する。  作者: あとりえむ


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第5話

王都はまさに地獄と化していた。

執務室の窓から見下ろす街並みは、ほんの数時間前まで平和な輝きを放っていたのが嘘のように、どす黒い瘴気に覆い尽くされている。


城壁を容易く乗り越えた魔物の群れが通りになだれ込み、逃げ惑う民衆を次々と血祭りにあげていく惨状は、目を覆いたくなるほど凄惨だった。

空に響き渡るおぞましい咆哮と、絶望に満ちた人々の悲鳴が重なり合い、美しいはずの王都を無惨に引き裂いていく。


「殿下、もうここも危険です!早くお逃げください!」


血まみれになった近衛騎士が一人、執務室に駆け込んできて叫んだ。

ミハエルの背後には、すでに誰もいない。


国を導く立派な重鎮であったはずの宰相も、神々しい光で魔物を浄化してくれるはずだった聖女マリアも、とうの昔に己の保身のために逃げ出してしまった。


権力欲にまみれた彼らは、王都を飲み込む圧倒的な死の瘴気と魔物の大群を前にして、王太子である僕を真っ先に見捨てたのだ。


「逃げる……どこへ逃げるというのだ。この瘴気は王都だけでなく、じきに国中を覆い尽くすぞ」


僕は震える声で呟き、床に転がったままの魔道具の破片を見つめた。

マリアの微弱な光を増幅させていただけの、偽物の宝石。


こんなくだらない石ころと、権力に目が眩んだ浅ましい女の嘘を信じ込み、僕は自らの手で国の命運を絶ち切ってしまったのだ。



「結界だ……」


乾いた唇から、無意識にその言葉が漏れた。

父上が死の床で何度も口にしていた、エドワーズ家の忌まわしい伝承。


あれは迷信などではなく、この国を数百年もの間、魔物の脅威から守り続けてきた紛れもない真実の防波堤だったのだ。

そしてその強固な防波堤を維持するための鍵こそが、僕が婚約を破棄し、あろうことか処刑台へと送ってしまったミランダだった。


「そうだ、ミランダだ!あの女は処刑台から生きたまま逃げ延びたという報告があった。彼女なら、もう一度結界を張り直せるはずだ!」


僕は床から弾かれたように立ち上がった。

まだ希望はある。彼女は僕の元婚約者であり、この国を守る防波堤としての役割を担っていたのだ。王太子である僕が自ら赴いて命令を下せば、再びその役目を全うするに違いない。


己の取り返しのつかない愚行を痛感しながらも、僕の心にはまだ、王族としての身勝手な傲慢さがこびりついていた。


「殿下、ならば一刻も早く王都を脱出し、エドワーズ公爵領へ向かいましょう!我々が命に代えても血路を開きます!」


残された数少ない忠義の近衛騎士たちが、剣を握り直して僕を先導する。


彼らの決死の覚悟に背中を押されるようにして、僕は王宮の隠し通路から外へと飛び出した。

用意された数頭の馬にまたがり、僕たちは地獄と化した王都からの脱出を図った。


背後からは建物が崩れ落ちる轟音と、魔物たちの耳をつんざくような咆哮が幾重にも重なって迫ってくる。


城門を突破する際、瘴気に当てられて狂暴化した何体もの魔物が飛びかかってきたが、護衛の騎士たちが自らの体を盾にして食い止めてくれた。


「殿下、ここは我々に!どうかエドワーズ領へ!」


断末魔の叫びを背中に浴びながら、僕は一度も振り返ることなく馬の腹を蹴り続けた。


次々と騎士たちが魔物の群れに飲み込まれ犠牲になっていくが、今の僕には彼らを助ける力も、足を止める余裕すらない。

ただ己の命を繋ぎ、エドワーズ家の領地へと辿り着くことだけが、僕の生き残る唯一の道だった。



王都を抜け出した後の道中は、まさに凄惨を極めていた。

ただでさえ過酷な長旅の中、背後からは常に魔物の気配と死の瘴気が追いすがってくる。


数人いたはずの護衛の騎士たちは、昼夜を問わず襲い来る魔物の群れに一人、また一人と食い殺され、ついには僕一人だけが残された。


宝物庫から持ち出した数々の国宝級の魔道具も、力を残すものはもう残り少なくなっている。


乗っていた馬も瘴気にあてられて泡を吹いて倒れ、僕は泥と血にまみれながら、自分の足で荒野を這うように進むしかなかった。


豪奢だった王太子の衣服は見る影もなくボロボロに引き裂かれ、泥や汚物で悪臭を放っている。

それでも、あの忌まわしい女に結界を張らせることだけを希望に、僕は泥水をすすり、必死に足を動かし続けた。


数日にも及ぶ地獄のような逃避行の末、ついに僕の視界に、目指していたエドワーズ公爵領の境界が見えてきた。

その光景を見た瞬間、僕は思わず絶句し、泥だらけの足を引きずったまま立ち尽くした。


防波堤を失った王国の土地は、どこもかしこも瘴気に汚染され、草木は枯れ果ててドロドロに腐敗しているというのに、エドワーズ家の領地だけは、まるで目に見えない強固な壁に守られているかのように、清らかな空気が保たれ、青々とした木々が風に揺れて太陽の光を浴びていたのだ。


僕を追ってきた恐ろしい魔物たちも、その見えない境界線を前にしては一歩も中に入ることができず、ただ唸り声を上げて周囲をうろつくことしかできていない。


完璧な、彼ら独自の結界。

これこそが、我が王家が何百年も頼りにし、そして僕が自らの手で無惨に手放してしまった力そのものだった。



「ああ、助かった。この結界の中に入れば、僕は助かるんだ」


安堵と歓喜で視界が歪み、僕は残された最後の力を振り絞って、エドワーズ公爵領の壮麗な鉄門へと駆け寄った。

背後からは、僕を追ってきた魔物たちの飢えたような唸り声がすぐそこまで迫っている。


冷たい門の鉄格子にすがりつき、泥と血に塗れた無様な姿のまま、僕は喉から血が出るほどの声で叫んだ。


「ミランダ!ミランダ・エドワーズはいるか!僕だ、王太子ミハエルだ!」


門の向こう側は、外の地獄が嘘のように静まり返っていた。

美しい花々が咲き誇る庭園の静寂が、僕の焦燥感をさらに激しく煽り立てる。


「早く門を開けろ!そして今すぐ王都の結界を張り直すんだ!これは次期国王である僕からの至上命令だぞ!」


息も絶え絶えになりながらも、僕はなおも尊大な態度を崩そうとはしなかった。


彼女は僕の元婚約者であり、この国に仕えるただの臣下だ。処刑台の一件は少しやりすぎたかもしれないが、王太子である僕がわざわざ自ら出向いて命令を下してやるのだから、すぐに飛び出してきてひれ伏すに違いない。


背後に迫りくる魔物の気配にガチガチと歯を鳴らしながら、僕は狂乱したように重い鉄の門を揺らし続けた。


だがこの時の僕は、この完璧な結界に守られた楽園の中で、かつて僕が切り捨てた令嬢の両親が、どれほど冷酷で絶対的な怒りを煮えたぎらせて待ち受けているかなど、想像すらしていなかったのである。

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