第10話
完全に叩きのめされ、地に伏せるミハエルだった肉塊に、お父様とお母様が静かに歩み寄った。
「ユリウス殿、素晴らしい一撃でした。あとは私たちが引き取りましょう」
お父様が杖を地に突き立てると、ミハエルの残骸から最後の瘴気とともに、彼の自我と記憶のすべてがズルリと引き摺り出された。
「いやだ、助けて……僕は、王太子……」
微かに残っていた身勝手な懇願の声は、お母様が展開した冷酷な魔法陣によって無残に握り潰され、永遠の沈黙へと変わる。
両親が施した高度なネクロマンシーにより、ミハエルは一切の意思と感情を持たない、ただの強靭な肉人形へと作り替えられたのだ。
「自らが不必要だと切り捨てたエドワーズ家の結界のために、永遠に門番として働き続けるがいいわ。それがお前に相応しい罰よ」
お母様の冷ややかな宣告とともに、肉人形は境界門の前にゆっくりと立ち上がり、虚ろな目で外の世界を見つめ始めた。
かつて国を治めるはずだった尊大な男は、こうして自らが蔑んだ結界を守るための単なる駒として、果てのない永遠の労働へと縛り付けられたのである。
◇ ◇ ◇
王太子ミハエルを失い、自らの手でエドワーズ公爵家という防波堤を完全に手放した王国の末路は、火を見るよりも明らかだった。
強固な結界と恐るべき新たな門番の前に侵入を諦めた魔物の大群は、やがて標的を変え、無防備な王都へと雪崩れ込んでいった。
かつて私を冷たく見下し、いわれなき罪で処刑台へと追いやったあの国に、魔物を退ける力など残されているはずもない。
王国はあっけなく魔物たちに蹂躙され、数日のうちに地図からその名を完全に消し去ることとなった。
自らの愚かさが招いた当然の報いとはいえ、一つの国が滅びるというのはあまりにも呆気ないものだ。
しかし、外の世界がどれほどの地獄と化そうとも、私たちの領地には一切関係のないことだった。
お父様とお母様が全魔力を注いで修復し、以前よりもさらに強化された絶対の結界。
そして皮肉なことに、かつての王太子が永遠の門番として外の脅威を機械的に退け続けるこのエドワーズ領だけは、すべての厄災から完全に切り離された安全地帯となったのだ。
王都の悲惨な滅亡を他所に、私たちの領地には、忌まわしい婚約というしがらみから解放された、どこまでも穏やかで美しい平和な楽園が守られ続けていた。
◇ ◇ ◇
すべてが終わり、エドワーズ領には以前と変わらない、いや、以前にも増して穏やかで甘やかな日々が戻ってきた。
「ミランダ、今日のハーブティーはあなたの好きなカモミールを少し多めにブレンドしてみました。熱いうちにどうぞ」
屋敷の美しいテラスで、ユリウス様が私に極上のティーカップを差し出しながら、蕩けるような笑顔を向ける。
禁断の秘術によって私の半身として蘇生した彼は、魔力だけでなくその過保護っぷりも圧倒的に進化を遂げていた。
私が少しでも動こうものなら飛んできて手を引き、風が吹けば寒くないかと分厚いショールを何枚も重ねてくる始末だ。
「ユリウス様、少し過保護すぎませんか?私、もうすっかり元気なのに」
苦笑しながらティーカップを受け取ると、彼は私の隣に腰を下ろし、愛おしそうに私の髪を撫でた。
「過保護で結構です。私は一度、この腕の中であなたを失いかけたのですよ。もう二度と、あなたの指一本たりとも危険に晒すつもりはありません」
死線を共に越え、命と魂を深く結び合わせた私たちの絆は、もはや誰にも断ち切れないほど強固なものとなっていた。
私の命の半分を共有しているせいか、彼が近くにいるだけで胸の奥が温かく満たされ、言葉を交わさずとも互いの深い愛情が伝わってくる。
彼が淹れてくれたハーブティーの甘い香りに包まれながら、私はこの狂気的で絶対的な愛情の中で生きる幸せを、静かに噛み締めていた。
温かい日差しの中、私は出されたカモミールティーをゆっくりと口に運んだ。
満ち足りた時間に、つい気が緩んでしまったのだろうか。
鼻先をくすぐる風に乗って運ばれてきた花の香りに、私は小さく息を吸い込んだ。
「くしゅんっ!」
可愛らしい音を立ててくしゃみをした、まさにその瞬間だった。
──ポロリ
私の首を繋いでいた縫合糸が限界を迎えてあっさりと千切れ、頭部が体から離れて足元の絨毯へとゴロゴロと転がってしまったのだ。
「あっ……」
自分の体から切り離された低い視界の中で、私はしまった、と内心で舌を出した。
しかし、私の生首を見下ろすユリウス様に、慌てる素振りは微塵もなかった。
それどころか、彼は私の転がった頭部を両手で恭しく拾い上げ、愛おしそうに頬ずりをすると、頬を染めてうっとりとした表情で微笑んだのだ。
「ああ、なんて愛らしいハプニングでしょう。さあ、私の愛しいミランダ。今度はもっと丈夫で美しい絹糸を使って、最高に綺麗に縫い直して差し上げましょうね」
そう言って、彼はどこからともなく取り出した愛用の裁縫道具を嬉々として広げ始めた。
「ふふっ、ユリウス様ったら。今度はもう少し、首が動かしやすいようにお願いしますね」
「ええ、もちろん。あなたに最高の居心地をお約束しますよ」
外の世界がどれだけ絶望に包まれていようとも、私たちの世界はどこまでも甘く、そして狂おしいほどに平和だった。
生首を抱えた錬金術師と、縫い直されるのを楽しみに待つアンデッドの令嬢。
呆れるほどシュールで、最高に完璧な二人だけの日常は、これからも永遠に続いていくのだ。
(完)










