第五話「8月」
冬が過ぎ、春が過ぎた。
搭乗員は来て、名前だけを残して、島を出ていった。幸造の手帳は、少しずつ頁が増えていった。
そして八月になった。
・ ・ ・
玉音放送は、正午に流れた。
基地の将兵たちは広場に集められた。ラジオの前に整列した。幸造も末席に立った。
雑音の混じった音声が流れた。言葉が途切れ途切れに届いた。
幸造は背筋を伸ばして、前を向いていた。
放送が終わった。
しばらく、誰も動かなかった。
それから、あちこちで音が起きた。
嗚咽する者がいた。地面に膝をついた者がいた。拳を握って、唇を噛んだまま微動だにしない者もいた。若い搭乗員の一人が、声を殺さずに泣いた。子供のように泣いた。
幸造は動かなかった。
泣かなかった。
怒りもなかった。
ただ、広場の端に広がる海を見ていた。
凪いでいた。
八月の瀬戸内は、光の中に沈んでいた。
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人が動き始めた。
将校たちが集まり、何かを話し合っていた。下士官たちが右往左往した。泣いていた者たちも、やがて立ち上がり、それぞれどこかへ歩いて行った。
幸造は広場を動かなかった。
日が傾くまで、そこに立っていた。
若い兵の一人が、まだ地面に座り込んだまま泣いていた。誰も声をかけなかった。幸造も、かけなかった。
ただ、その背中を見ていた。
夕方になって、ようやく幸造は歩き出した。
格納庫に向かった。
・ ・ ・
引き戸を開けると、薄暗い空間に回天が据えられていた。
いつもと同じだった。
何も変わっていなかった。
幸造は工具箱を開けた。
道具を並べた。
誰かに頼まれたわけではなかった。命令でもなかった。
ただ手が、そう動いた。
外筒の継ぎ目を指先で辿った。ハッチの縁を確かめた。推進軸の遊びを測った。
いつもと同じ順番だった。
いつもと同じ手の動きだった。
格納庫の外から、遠く、誰かの声が聞こえた。泣いているのか、怒鳴っているのか、判然としなかった。
幸造は手を止めなかった。
・ ・ ・
どれほど経ったか。
格納庫の中が、少し暗くなった気がした。
幸造は作業を止めて、回天の前に立った。
全長十四メートル七十センチ。直径一メートル。鈍い灰色の外筒。
幸造は右手を伸ばした。
外筒の中央に、手を当てた。
冷たかった。
いつも冷たかった。
真夏でも、この鉄は冷たかった。
幸造は目を閉じた。
声に出さずに、名前を呼んだ。
村田秋男。
鹿児島の、農家の息子。芋焼酎を飲めないまま逝った。
桐島陽介。
眼鏡の奥で、いつも何かを考えていた。答えを聞けないまま逝った。
中村篤。
額を外筒に当てて、目を閉じていた。あいつだけは、帰ってきた。
それから幸造は、もう一つの名前を呼んだ。
藤堂清。
フィリピンの、どこかの土の下にいる。顔は二十代の半ばのままだ。照れたような顔で、カメラの少し横を見ている。
幸造は目を開けた。
手を下ろした。
工具を仕舞った。工具箱を閉めた。
格納庫の引き戸を開けた。
外に出た。
海が見えた。
八月の光の中で、瀬戸内は静かだった。
幸造はしばらく、その海を見ていた。
それから歩き始めた。
(第五話・了)




