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『隣の席の彼女は、今日も高すぎる』  作者: さかっち
~二年生~

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第九十九話 12月5日 まだ、かたちにならないもの


 十二月に入ると、教室の空気が少しだけ変わった。


 面談週間の予定表が、黒板の端に貼り出されていた。

 放課後、順番に呼ばれて、担任と二人で話す時間だった。


 廊下では、面談を終えたクラスメイトたちが、それぞれの表情で歩いていた。

 すっきりした顔をしている人もいれば、少し困ったような顔をしている人もいた。


 誰もが、同じように、少しずつ将来のことを考え始めている時期なのだと、央は思った。


「進路相談、もう始まるのか」


 太秦(うずまさ)が、予定表を見ながら言った。


「二年の今頃だと、まだ早い気もしますが」


 (おう)が言った。


「早いくらいがちょうどいいんじゃない」


 さやかが言った。


「さやかは、もう決めてるみたいな言い方だな」


「決めてはいない。ただ、考えるのは嫌いじゃない」


 さやかが、そう言って、予定表の自分の名前を指でなぞった。


「俺の番、いつだっけ」


 太秦が、予定表を覗き込んだ。


「来週の月曜日」


「まだ先か」


「先だからって、考えなくていいわけじゃないと思う」


 さやかが言った。


「分かってる。分かってるけど、今すぐ答えが出るもんでもないだろ」


 太秦が、少し弱気に言った。


「それは、みんな同じだと思う」


 さやかが、そう言って、教科書を鞄にしまった。


「みおと央は、今日だっけ」


 太秦が聞いた。


「はい。これから順番です」


 央が答えた。


「緊張してる?」


「……少しは」


「まあ、なんとかなるだろ。先生も鬼じゃないし」


 太秦が、軽い調子で言った。


「太秦くんの言う『なんとかなる』は、あまり参考にならない」


 さやかが、あっさり切り捨てた。


「ひどいな」


「事実だから」


 太秦が、それ以上反論せずに、肩をすくめた。


 央は、その会話を聞きながら、自分の順番のことを、少し意識した。

 今日の放課後、自分にも順番が回ってくる。

 まだ、何を話せばいいのか、はっきりしていなかった。



 みおの面談は、央より先の順番だった。


 教室の外で待っていると、しばらくしてみおが出てきた。


「……終わりました」


「どうでしたか」


「……少し、話が進んだ気がします」


 みおが、そう言って、小さく息をついた。


「数学のこと、話しましたか」


「はい。……数字や構造を扱う仕事に興味がある、と伝えました」


「具体的になってきましたね」


「まだ、学部名までは出ていません。でも、方向は、前より見えてきた気がします」


 みおが、少し照れたように言った。


「笠置先生は、何と言っていましたか」


「……『焦らなくていい。でも、興味の芯は、ちゃんとある』と言われました」


「良い言葉ですね」


「はい。……少し、安心しました」


 みおが、そう言って、鞄を持ち直した。


「他には、何か聞かれましたか」


「大学で学びたいことと、将来やりたいことは、必ずしも一致しなくていい、とも言われました」


「それは、意外でした」


「わたしも、少し驚きました。でも、納得できる話でした」


 みおが、そう言って、小さく頷いた。


「央さんの番ですね」


「はい。行ってきます」


 央は、そう言って、教室の中に入った。



 笠置先生は、いつも通り、淡々とした様子で座っていた。


「勢多さん、座ってください」


「失礼します」


 央は、指定された椅子に座った。


 教室には、二人分の椅子と、間に置かれた小さな机だけがあった。

 いつもの授業とは違う、少し緊張感のある空気だった。


「進路希望調査、まだ白紙のままでしたね」


「……すみません」


「謝ることではありません。ただ、考え始める時期ではあります」


 笠置先生が、そう言って、手元の書類を見た。


「二年生のこの時期は、まだ決まっていない人の方が多いです。焦る必要はありません」


「……そう言っていただけると、少し楽になります」


 央が、正直に言った。


「みおさ……葛城さんは、もう方向性が見えてきているようでした」


「はい。少し、羨ましく思います」


「人それぞれ、進むペースは違います。焦って比べるものではありません」


 笠置先生が、そう言って、少し柔らかい声で言った。


 央は、その言い方に、少しだけ違和感を覚えた。

 まるで、央とみおのことを、よく知っているような口ぶりだった。


(気のせいだろうか)


 央は、それ以上深く考えず、話を続けた。


「得意科目は、現代文と歴史。これは去年から変わっていませんね」


「はい」


「好きなことと、進路にすること、どちらも別なものだと考えていますか」


 笠置先生が、少し踏み込んで聞いた。


「……正直に言うと、その違いが、まだよく分かりません」


 央が、そう答えた。


「好きなことを仕事にするのが、必ずしも正解とは限りません。でも、得意なことの中に、好きなことが混ざっている場合もあります」


「……そういうものですか」


「そういうものです。例えば、あなたは本をよく読むと聞いています」


「はい」


「読むことと、それについて考えたり、誰かに伝えたりすることは、地続きです」


 笠置先生が、そう言って、少し央の顔を見た。


「編集や出版、あるいは教える仕事、色々な道があります。今すぐ選ぶ必要はありませんが、選択肢として、頭の片隅に置いておくのは、悪くないと思います」


「……考えたことがありませんでした」


「考えたことがないなら、考えてみる価値はあります」


 笠置先生が、静かにそう言った。


「クラスの中には、もう具体的な志望を固めている人もいます。でも、それが早いか遅いかは、人それぞれです。比べる必要はありません」


「……比べていた部分は、正直あります」


 央が、そう認めた。


「多くの人がそうです。でも、隣の芝生を見るより、自分の足元を見る方が、

 結局は近道だったりします」


 笠置先生が、そう言って、少し口元を緩めた。


 その表情は、いつもの淡々とした様子とは、少しだけ違って見えた。


「今すぐ決めなくていい。ただ、考え始める時期ではある、というだけです」


 笠置先生が、繰り返すように言った。


 その言葉は、押しつけがましくなく、でも、確かに何かを促す響きがあった。


「もう少し、時間をかけて考えてみます」


「それでいいと思います」


 笠置先生が、そう言って、書類にペンを走らせた。


「他に、何か気になっていることはありますか」


「……特には」


「そうですか。では、今日はここまでにしましょう」


 面談は、思っていたより短く終わった。

 でも、その短さの中に、確かに何かが残った気がした。



 教室を出ると、みおが廊下で待っていた。


「待っていてくれたんですか」


「はい。……一緒に帰りたかったので」


 みおが、素直にそう言った。


 二人は、そのまま昇降口へ向かった。


「面談、どうでしたか」


 みおが聞いた。


「……まだ、はっきりしません。でも、少し、考えるきっかけにはなりました」


 央が、正直に答えた。


「どんなことを、話したんですか」


「読むことと、それについて考えたり、誰かに伝えたりすることは、地続きだと言われました」


「……央さんらしい方向性ですね」


「そうでしょうか」


「はい。本をよく読んでいますし、言葉を選ぶのも丁寧だと思います」


 みおが、そう言って、少し央の顔を見た。


「……そう言われると、少し照れます」


「照れなくていいと思います。事実なので」


 みおが、きっぱりと言った。


「みおは、もう方向性があるんですね」


「まだ漠然としていますが、……央さんよりは、少し先に進んでいるかもしれません」


 みおが、少し申し訳なさそうに言った。


「それは、良いことだと思います」


「……そう言ってもらえると、助かります」


 みおが、小さく笑った。


「太秦くんとさやかは、来週なんですよね」


「はい。二人とも、それぞれ悩んでいるみたいです」


「太秦くんは、スニーカーのことですか」


「はい。まだ、ビジネスとして言葉にできていないようですが」


「さやかは?」


「……まだ、聞いていません。でも、何か考えているみたいでした」


 央が、そう答えた。


「面談週間が終わったら、また七人で集まりたいですね」


 みおが言った。


「そうですね。今度は、進路の話でもしながら」


「それも、悪くないと思います」


 みおが、そう言って、少し笑った。



 昇降口を出ると、冬の冷たい空気が、二人を包んだ。


「央さんも、きっと見つかります」


 みおが、ふと言った。


「そう思いますか」


「はい。……焦らなくていいと思います」


 みおが、そう言って、少し先を歩いた。


 央は、その後ろ姿を見ながら、笠置先生の言葉を、もう一度思い出した。


(考え始める時期、か)


 まだ何も見えていない。

 でも、何も考えていなかった去年までとは、少し違う気がした。


 通学路の街路樹は、もうすっかり葉を落としていた。

 冬の匂いが、少しずつ濃くなっていた。


「みおは、いつから、数学に興味を持っていたんですか」


 央が、ふと聞いた。


「……小さい頃からです。数字が、いつも同じ答えを返してくれるのが、

 安心できる気がして」


「面白い理由ですね」


「変わっていると、よく言われます」


「変わっているとは思いません。……納得できます」


 央が、そう答えた。


 みおが、少し嬉しそうな顔をした。


「央さんは、本のどんなところが好きなんですか」


 みおが、聞き返した。


「……色々な人の考え方に、触れられるところ、でしょうか」


「それも、進路につながる気がします」


「そうかもしれません」


 央が、少し考えるように言った。


「最近、何か面白い本は読みましたか」


 みおが聞いた。


「少し前に読んだ短編集が、印象に残っています。……登場人物それぞれの視点が、交互に描かれる構成で」


「面白そうですね」


「今度、貸しましょうか」


「はい、ぜひ」


 みおが、少し目を輝かせて答えた。


「そういえば」


 央が、ふと口を開いた。


「初詣で、来年は具体的な願い事ができそうです」


「……どんな願い事ですか」


「まだ、内緒にしておきます」


「……教えてくれないんですか」


 みおが、少し不満そうに言った。


「初詣の日まで、待っていてください」


「……分かりました。楽しみにしています」


 みおが、そう言って、また前を向いた。


 冬の夕暮れが、二人の影を長く伸ばしていた。


 まだかたちにならないものが、少しずつ、輪郭を持ち始めていた。

 それは、進路のことだけではなく、他の色々なことにも、同じように言えることだった。


 駅までの道を、二人はゆっくり歩いた。

 急ぐ理由は、どこにもなかった。


 途中、小さな神社の前を通りかかった。

 いつも通り過ぎるだけの場所だったが、今日は少し、目を向けた。


「ここ、初詣で行く神社と同じですか」


 みおが聞いた。


「いえ、違います。初詣は、もう少し大きいところに行く予定です」


「みんなで、ですよね」


「はい。ことねさんたちも含めて、全員で」


「楽しみですね」


 みおが、そう言って、神社の鳥居を見上げた。


「こうして、みんなで行くようになったのは、いつからでしたか」


 みおが、ふと聞いた。


「……今年の正月からだったと思います。ことねさんが言い出して」


「そうだったんですね」


「あの頃は、まだこんな関係になるとは、思っていませんでした」


 央が、少し懐かしそうに言った。


「わたしもです」


 みおが、そう言って、小さく笑った。


「今日は、良い一日でした」


 みおが言った。


「はい」


「進路のことも、少しだけ進んだ気がします」


「同じです」


 央が、そう答えた。


 二人の吐く息が、白く小さく空に溶けていった。

 まだ何も決まっていない。

 でも、決まっていないことを、不安に思う必要はない気がした。


(少しずつ、進んでいけばいい)


 央は、そう思いながら、みおの隣を歩き続けた。


 駅に着くと、いつも通り、ホームで少し立ち話をしてから別れた。


「また明日」


「はい、また明日」


 みおが、そう言って、電車に乗り込んだ。


 扉が閉まる直前、みおが小さく手を振った。

 央も、同じように手を振り返した。


 央は、その背中を見送りながら、今日一日のことを、もう一度振り返った。


 進路のことは、まだ何も決まっていない。

 でも、笠置先生の言葉も、みおの言葉も、確かに何かを残していった。


(考え始める時期、か)


 央は、その言葉を、もう一度胸の中で繰り返した。


 進路のこと、初詣の願い事、そして、みおとの関係のこと。

 どれも、まだ完全なかたちにはなっていない。

 でも、少しずつ、輪郭を持ち始めているものばかりだった。


 冬の夜が、ゆっくりと降りてきていた。

 まだ何も見えない未来の中に、小さな灯りが、少しずつともり始めているような気がした。


 家に着いたら、今日先生に言われたことを、もう少し丁寧に考えてみようと思った。

 答えはまだ出ない。

 でも、考え始めることが、きっと最初の一歩なのだろう。


 央は、そう思いながら、静かに部屋の電気をつけた。


 窓の外には、冬の澄んだ夜空が広がっていた。


ご一読いただきありがとうございます。

ポイント、リアクションスタンプ、感想コメントなどいただけると、作者が小躍りして喜びます。

次回もよろしくお願いします。

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