第百話 12月8日 得意なことと、好きなこと
月曜日の放課後、太秦の面談の番が回ってきた。
教室の前で、さやかが先に待っていた。
「緊張してる?」
さやかが聞いた。
「してない。……少しはしてる」
太秦が、正直に言い直した。
「珍しいね、素直なの」
「今日くらいは、真面目にやろうと思って」
太秦が、そう言って、少し肩をほぐすように腕を回した。
「太秦くんが真面目になると、逆に緊張する」
「どういう意味だよ」
「いつもとのギャップが大きいってこと」
さやかが、あっさり言った。
「褒めてるのか、それ」
「半分」
さやかが、そう答えて、少し笑った。
「さやかさんは、もう面談終わったのか」
「まだ。太秦くんの後」
「同じ日か」
「順番が近いだけ。中身は関係ない」
さやかが、そう言って、鞄の持ち手を握り直した。
太秦が、そう言って、教室のドアを開けた。
笠置先生は、いつも通り、淡々とした様子で座っていた。
「太秦さん、座ってください」
「失礼します」
太秦は、椅子に座って、少し姿勢を正した。
「進路希望調査、『検討中』とだけ書かれていましたね」
「……はい。まだ、うまく言葉にできていなくて」
「何か、興味のある分野はありますか」
笠置先生が聞いた。
太秦は、少し迷ってから、口を開いた。
「スニーカーが、好きです。集めるのも、手入れするのも」
「趣味として、ですか」
「……最初は趣味でした。でも、父の店を手伝ってから、少し違う見方をするようになりました」
「違う見方、とは」
「売る側の視点というか。どういう商品が、どういう人に届くのか、考えるようになりました」
太秦が、そう言って、自分の言葉に少し驚いたような顔をした。
「それは、立派な進路の芽です」
笠置先生が、そう言った。
「……そうでしょうか」
「はい。『好き』を『ビジネスとして』考え始めている。それは、大きな一歩です」
笠置先生が、初めて言葉にした太秦自身の言葉を、丁寧に拾い上げるように言った。
「ビジネス、として……」
太秦が、その言葉を、小さく繰り返した。
自分の口から出た言葉のはずなのに、改めて言われると、少し実感が湧いた。
「経営学部や商学部など、方向性はいくつかあります。焦らず、少しずつ調べてみてください」
「はい。……ありがとうございます」
太秦は、そう言って、頭を下げた。
「もう一つ、聞いてもいいですか」
太秦が、椅子から立ち上がりかけて、また座り直した。
「どうぞ」
「ビジネスにするって、簡単なことじゃないですよね」
「簡単ではありません。でも、簡単ではないことと、できないことは、
別の話です」
笠置先生が、そう言った。
「……そうですよね」
太秦が、その言葉を、少し噛みしめるように頷いた。
「今日、初めて言葉にしたことは、大きな意味があります。それを、
忘れないでください」
「はい」
太秦は、そう言って、改めて頭を下げた。
「最後に、一つだけ」
笠置先生が、太秦が席を立とうとしたところで、そう言った。
「はい」
「お父さんの店、今度見学させてもらってもいいですか。純粋に、興味があります」
笠置先生が、少し珍しく、素の表情で言った。
「……はい、もちろんです」
太秦は、少し驚きながらも、そう答えた。
笠置先生の、そんな顔を見るのは、初めてだった。
次はさやかの番だった。
太秦と入れ替わりで、さやかが教室に入った。
「鳥飼さん、座ってください」
「失礼します」
さやかは、いつも通り、きびきびとした様子で椅子に座った。
「進路希望調査、『四年制大学、東京』とだけありましたね」
「はい。……学部は、まだ絞れていません」
「クラス委員として、いつも周りをよく見ていますね」
笠置先生が言った。
「……見ているつもりです」
「人に教えることや、面倒を見ることに、興味はありますか」
笠置先生が、少し踏み込んで聞いた。
さやかは、少し考えてから答えた。
「……嫌いではないです。誰かが分からないことを、分かるようにする過程が、
面白いと感じることはあります」
「それも、立派な方向性です」
「まだ、はっきりとは言えませんが」
「はっきりしていなくても、興味の種はあります。それを、育てるかどうかは、これからの話です」
笠置先生が、そう言って、書類に何か書き込んだ。
「もう少し、色々な仕事を調べてみます」
「それがいいと思います」
「一つ、聞いてもいいですか」
さやかが、少し姿勢を正して聞いた。
「どうぞ」
「先生は、どうして先生になったんですか」
さやかが、ふと聞いた。
笠置先生は、少し意外そうな顔をしてから、静かに答えた。
「昔、進路に迷っていたときに、話を聞いてくれた先生がいました。その人のようになりたいと思ったのが、始まりです」
「……素敵な理由ですね」
「素敵かどうかは、分かりません。でも、後悔はしていません」
笠置先生が、そう言って、少しだけ微笑んだ。
さやかは、その表情を、しばらく見ていた。
「参考になりました」
さやかは、そう言って、面談を終えた。
同じ時間、別の教室では、ひなの面談も行われていた。
「御所さん、写真部での活動を、進路調査の欄に書いていましたね」
2年C組の担任が、そう聞いた。
「はい。カメラを持って、色々な瞬間を撮るのが好きです」
ひなが、迷いなく答えた。
「具体的に、どんな瞬間ですか」
「……普段は見過ごされちゃうような、一瞬の表情とか、光の加減とか」
ひなが、そう言って、少し考えるように続けた。
「切り取った瞬間が、ずっと残るのが好きなんです。誰かの記憶にも、残ればいいなと思って撮っています」
「それは、素敵な視点ですね」
担任が、そう言った。
「進路としては、まだ漠然としていますが……」
「芸術系や映像系の学部も、選択肢のひとつです。今のうちから、色々な作品や大学案内を見ておくといいでしょう」
「ありがとうございます」
ひなは、そう言って、面談を終えた。
放課後、太秦とさやかが教室の前で待っていると、少し遅れてひなが合流した。
「終わった~」
「どうだった?」
太秦が聞いた。
「写真部の話をしたら、先生が興味持ってくれた」
ひなが、少し得意げに言った。
「芸術系とか映像系とか、そういう選択肢もあるって言われた」
「それ、進路っぽくなってきたな」
「うちのクラスの先生、写真部の顧問と仲良いみたいで、色々教えてくれた」
「へえ、詳しいんだな」
「意外と、みんな知らないところで繋がってるんだなって思った」
ひなが、そう言って、カメラのレンズを軽く拭いた。
「先生、なんて言ってた」
さやかが聞いた。
「『写真部での活動を、もっと言葉にできると、進路にもつながる』って」
「言葉にする、か」
「うちも、太秦くんと同じで、初めて言葉にしたかも」
ひなが、そう言って、少し照れたように笑った。
「ひなっちも照れることあるんだ」
さやかが言った。
「たまにはある」
ひなが、そう答えて、カメラをしまった。
「みんな、何かしら見えてきたんだな」
太秦が、しみじみと言った。
「太秦くんは、何話したの」
さやかが聞いた。
「スニーカーのこと。ビジネスとして考えてる、って初めて言葉にした」
「言葉にできたんだ」
「先生に言われて、初めて自分でも分かった気がする」
太秦が、そう言って、少し照れたように笑った。
三人は、駅までの道を、一緒に歩いた。
「みんなバラバラだけど、それでいいんだよな」
太秦が言った。
「バラバラだから面白いんだと思う」
さやかが返した。
「うちは、写真部で良かったって、初めて思った」
ひなが、そう言って、空を見上げた。
「今まで思ってなかったのか」
太秦が聞いた。
「趣味の延長だと思ってた。でも、進路にできるかもって考えると、急に本気になってきた」
「その切り替え、早いな」
「早い方が得だと思う」
ひなが、そう言って、少し得意げに笑った。
「おうくんとみおは、先週だったよな」
太秦が、ふと思い出したように言った。
「聞いた? どうだったって」
さやかが聞いた。
「まだ聞いてない。今度会ったとき、聞いてみる」
「みおは、数学系の話してたはず」
ひなが言った。
「詳しいな」
「LINEで少し聞いた」
ひなが、あっさり答えた。
「おうくんは?」
太秦が聞いた。
「勢多くんは、まだ分からないって言ってた気がする」
ひなが、少し曖昧に答えた。
冬の夕焼けが、三人の影を長く伸ばしていた。
誰もが、それぞれのペースで、少しずつ前を向き始めていた。
歩いている途中、グループLINEが動いた。
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太秦:進路相談終わった。三人とも、それぞれ話してきた
ことね:もう進路相談の時期か
ことね:早いね
朔:懐かしいです。僕たちも、去年の今頃は同じでした
太秦:ことね先輩と朔先輩は、何て答えたんですか
ことね:ぼんやりしてた。今は志望校決まってるけど
朔:僕も、最初は漠然としていました
ことね:意外と、みんなそんなもんよ
太秦:安心しました
ひな:うちも安心した
さやか:私も
ことね:一年経てば、ちゃんと見えてくるから大丈夫
朔:僕たちが保証します
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太秦が、その画面を見ながら、少し笑った。
「先輩たちも、最初はぼんやりしてたのか」
「意外だね」
さやかが言った。
「意外でもないと思う。誰でも、最初は分からないものだから」
ひなが、そう言って、また空を見上げた。
「朔先輩の『僕たちが保証します』、なんか頼もしいな」
太秦が言った。
「ああいうところ、地味に良い人だと思う」
さやかが言った。
「地味にって言うな」
太秦が、少し笑いながら突っ込んだ。
三人は、それぞれの方向へ帰っていった。
太秦は、家路をたどりながら、今日の面談のことを、もう一度思い返した。
(ビジネスとして、か)
まだ何も決まっていない。
でも、初めて言葉にしたことで、少しだけ、輪郭が見えた気がした。
家に着くと、父親が店から戻ってきたところだった。
「おかえり。今日、進路相談だったんじゃないか」
父親が聞いた。
「うん。……父さんの店のこと、少し話した」
「俺の店?」
父親が、少し驚いたように言った。
「スニーカー、ビジネスとして考えてるって、初めて先生に言った」
太秦が、そう言うと、父親は、しばらく黙っていた。
「……そうか」
父親は、それだけ言って、少し嬉しそうな顔をした。
「まだ、ちゃんとしたことは何も分かってない」
「それでいい。今日、言葉にできただけで、十分だと思う」
父親が、そう言って、太秦の肩を軽く叩いた。
太秦は、その手の感触を、しばらく覚えておこうと思った。
「先生が、店を見学したいって言ってた」
「本当か」
父親が、少し嬉しそうな顔をした。
「今度、日程調整するかもしれない」
「いつでも歓迎するって伝えといてくれ」
父親が、そう言って、笑った。
冬の空気が、少しずつ夜の色に変わっていった。
得意なことと、好きなこと。
その境目は、思っていたより曖昧で、そして、思っていたより地続きだった。
自分の部屋に戻ると、太秦は、しばらく机に向かって座っていた。
特に何をするでもなく、ただ、今日のことを、頭の中で繰り返していた。
(ビジネスとして、か)
その言葉が、まだ、少し他人事のように聞こえた。
でも、悪くない響きだとも思った。
窓の外では、冬の夜が、静かに更けていった。
三人とも、まだ何も決まっていない。
でも、今日という日は、確かに何かの始まりだった。
さやかも、自宅で、今日のことを振り返っていた。
「先生に、教えることに興味あるかって聞かれた」
夕食の席で、さやかが、弟にそう言った。
「姉ちゃんが先生? 似合うかも」
弟が、素直な感想を言った。
「まだ決まってない。ただ、聞かれて、少し考えた」
「考えるだけでも、進歩じゃない?」
弟が、そう言って、味噌汁をすすった。
さやかは、その言葉に、小さく頷いた。
弟の勉強を見てあげることが多い自分にとって、「教える」という言葉は、
思っていたより、身近なものだったのかもしれない。
(案外、悪くないかもしれない)
さやかは、そう思いながら、残りの夕食を口に運んだ。
ひなもまた、自室でカメラのデータを整理しながら、今日のことを考えていた。
これまで撮ってきた写真の中に、進路につながるヒントが眠っているかもしれない。
そう思うと、いつもの整理作業が、少し違う意味を持って見えた。
(記録することが、仕事になったら)
ひなは、そんなことを想像しながら、画面をスクロールし続けた。
三人それぞれの夜が、静かに更けていった。
まだ何も決まっていない。
でも、今日という日は、確かに三人それぞれにとって、小さな一歩になった。
得意なことと、好きなこと。
その境目を歩き始めた三人の冬は、まだ始まったばかりだった。
ご一読いただきありがとうございます。
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次回もよろしくお願いします。




