第九十六話 11月15日 道頓堀と、少し大人な午後
修学旅行三日目は、大阪だった。
新幹線ほどではなかったが、京都から在来線でしばらく揺られて、大阪に着いた。
「大阪弁、聞こえてくると、なんか旅行来た感じする」
太秦が、車内で言った。
「昨日まで京都にいたのも、旅行だと思う」
さやかが返した。
「それはそうだけど、言葉が変わると実感が違う」
「実感の話をされても」
さやかが、あきれながらも笑っていた。
「関西弁、真似したくなるよな」
「やめときな、絶対おかしくなる」
「なんでそう思う」
「東京生まれの言葉遣いって、なんとなく分かるから」
さやかが、断言した。
みおは、車窓を流れる景色を眺めていた。
ビルの密度が、少しずつ増えていくのが分かった。
「大阪、久しぶりですか」
央が聞いた。
「はい。……小さい頃、少しだけ住んでいたことがあるので」
みおが、そう答えた。
「そうなんですか」
「幼稚園に上がる前だったので、あまり覚えていませんが。言葉が、たまに関西の方が出てくるのは、その名残らしいです」
「独り言のときの、あれですか」
「……気づいていましたか」
みおが、少し照れたように言った。
「俺も、何度か来たことがあります」
央が言った。
「そうなんですか」
「ことねちゃんの実家が、こっちにあるので。親戚づきあいで、小さい頃に何度か」
「……なるほど」
「はい。だから、多少は土地勘があります」
「じゃあ、今日は案内してもらえますね」
みおが、少し嬉しそうに言った。
「覚えている範囲では、案内します」
央が、そう答えた。
ホテルに荷物を置いてから、班ごとに自由行動が始まった。
道頓堀に着くと、太秦が興奮した様子であちこちを見回していた。
「看板、でかいな。実物、テレビより迫力ある」
「太秦、初めて?」
央が聞いた。
「初めて。大阪自体、あんまり来たことない」
「俺は何度か来てる。ことねちゃんの実家がこっちだから」
「そういえば、そうだったな」
太秦が、少し思い出したように言った。
「グリコの看板、あっちの方だったと思う」
央が、迷いながらも歩みを進めた。
「頼りにしてる」
太秦が言った。
「あんまり期待しないでください。子どもの頃の記憶なので」
央が、正直に答えた。
歩いている途中、グループLINEが動いた。
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央:大阪着いた
ことね:懐かしくなってきたやろ
央:少しなる
ことね:たこ焼き食べときや
朔:波多野さんの実家は、大阪のどのあたりですか
ことね:それ聞いてどうするの
朔:今度一緒に行きたいので
ことね:まだ早い
朔:気が早くてすみません
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太秦が、その画面を見て、少し苦笑した。
「朔先輩、地味に踏み込んでるな」
「踏み込んでますね」
央が答えた。
「ことね先輩、若干照れてる気がする」
「そう見えます」
央も、同意した。
道頓堀の川沿いは、思っていた以上に人が多かった。
看板の電飾と、店の呼び込みの声が、絶え間なく続いていた。
「東京とは、また違う賑やかさですね」
みおが言った。
「大阪、来てみて、どうですか」
央が聞いた。
「……広いですね。でも、中心部は意外と歩けます」
みおが、そう答えた。
「思っていたより、道が細いところもありますね」
「はい。それも含めて、面白いです」
みおが、周りの看板を見上げながら言った。
央が、道頓堀の橋の上で、ふと足を止めた。
「ここ、ことねちゃんの家族と来たことがあります」
「小さい頃?」
さやかが聞いた。
「小学生のとき。親戚づきあいで、何度か」
「意外と地味な思い出だな」
太秦が言った。
「地味でいいと思っています。楽しかったので」
央が、川を見ながら、少し懐かしそうな顔をした。
その表情を、みおがじっと見ていた。
「央さんも、そういう顔をするんですね」
「どういう顔ですか」
「……穏やかな顔です」
「珍しいということですか」
「珍しいというか、新鮮でした」
みおが、正直に答えた。
央が、少し照れたように、視線を川に戻した。
グリコの看板の前まで来ると、すでに人だかりができていた。
「これ、写真撮らないと」
ひなが、カメラを構えて走り出した。
「ひなちゃん、いつ合流したんだ」
太秦が驚いて聞いた。
「さっき。自由行動、ここら辺かぶってたから」
ひなが、シャッターを切りながら答えた。
「もう何十枚撮ったんですか」
央が聞いた。
「まだ数えてない」
「……ひなさん、もう十分では」
「足りない! このポーズ、次はジャンプで撮る」
ひなが、そう言って、看板に向かってポーズを取り直した。
太秦が、その様子を見ながら、苦笑していた。
「相変わらずだな」
「相変わらずが、ひなっちのいいところ」
さやかが言った。
「みおも、一緒に撮ろう」
ひなが、みおの腕を引いた。
「……わたしもですか」
「せっかくだから」
みおは、少し戸惑いながらも、ポーズに付き合った。
背の高いみおと、看板のポーズが並ぶと、それだけで絵になった。
「これ、いい写真」
ひなが、満足そうに画面を見せた。
「本当に、良い写真ですね」
みおも、それを見て、少し嬉しそうに言った。
昼食は、串カツの店に入った。
さやかが、道頓堀の食べ歩き事情に妙に詳しく、次々と店の候補を挙げていた。
「ここ、麺のお店も有名だけど、今日は串カツ気分でしょ」
「詳しいですね、さやか」
みおが聞いた。
「前に来たとき、色々調べたから」
さやかが、少し得意げに言った。
「前にって、いつですか」
「中学の卒業旅行」
「友達とですか」
「家族と。でも下調べは自分でした」
さやかが、そう言って、メニュー表を見せた。
「これとこれと、これが鉄板」
「詳しすぎる」
太秦が、少し引き気味に言った。
「食に関しては、手を抜かない主義」
さやかが、きっぱりと言った。
「その主義、いくつあるんだ」
「数えたことない」
さやかが、あっさり答えた。
テーブルに運ばれてきた串カツを前に、店の壁に「ソースの二度づけ禁止」という貼り紙があった。
「……ソースの二度づけ、本当にだめなんですね」
みおが、その貼り紙を見て、驚いたように言った。
「ことねちゃんに聞いていました」
央が答えた。
「知っていたなら、教えてくれてもよかったのに」
「実際に見た方が、印象に残ると思って」
央が、少し澄まして言った。
「……それ、意地悪では」
みおが、少し不満そうに言った。
「悪気はありませんでした」
「悪気がなくても、結果は同じです」
みおが、そう言いながらも、串カツを一口食べて、味に頷いていた。
「美味しいです」
「よかったです」
央が答えた。
「二度づけできない分、キャベツで我慢するといいらしい」
さやかが、キャベツの器を指さした。
「口直し用ってことですか」
「そう。ソースの代わりに、ある程度は口の中をリセットできる」
「知恵ですね」
みおが、感心したように、キャベツをかじった。
太秦は、すでに三本目に手を伸ばしていた。
「太秦くん、ペース速すぎない?」
「美味いものは早く食べたい主義」
「その主義、さっきも聞いた気がする」
さやかが、あきれながらも笑っていた。
食後、少しだけ自由時間ができた。
太秦とさやかは土産物屋を覗きに行き、ひなは自分のクラスの集合時間が近いからと、写真整理をしながら別行動になった。
土産物屋では、太秦が真剣な顔で品定めをしていた。
「たこ焼きキーホルダーか、通天閣のマグネットか」
「両方買えばいいのに」
さやかが言った。
「一回きりだから」
「その台詞、旅行のたびに言ってる?」
さやかが、呆れながらも笑った。
太秦は、しばらく真剣に悩んだ末、結局両方とも買った。
「言った通りになった」
「言った通りにするのが、太秦くんだと思う」
さやかが、そう言って、自分用のお土産を選び始めた。
央とみおは、少し離れたところで、それを見ていた。
「静かなところ、探しますか」
央が聞いた。
「はい。少し、人混みに疲れました」
みおが、正直に答えた。
少し歩くと、川に架かる小さな橋の袂に、人の少ない一角があった。
水面に、周りの看板の光が、細かく反射していた。
「ここ、いいですね」
みおが、欄干に軽く手をかけながら言った。
「人が多い分、こういう場所を見つけると、ほっとしますね」
央が言った。
「はい。……修学旅行、ずっと賑やかでしたから」
「賑やかなのは、楽しかったですか」
「楽しかったです。でも、たまにはこういう時間も必要だと思います」
みおが、そう言って、川の方に視線を戻した。
「大阪、来てよかったですか」
央が聞いた。
「はい。……賑やかで、疲れましたが、来てよかったです」
みおが、そう言って、小さく笑った。
「みおは、疲れていても、楽しそうに見えます」
「そう見えますか」
「はい」
「……央さんと一緒だから、かもしれません」
みおが、少し照れたように言った。
央は、その言葉に、すぐには返せなかった。
でも、言葉を返す代わりに、少しだけ、みおの隣に近づいた。
二人でしばらく、川の流れと、街の灯りを眺めていた。
修学旅行の中で、こういう静かな時間は、貴重だった。
夕方、集合場所へ向かう道すがら、太秦がふと言った。
「今日、ことね先輩の地元来てみて、どうだった?」
「変な感じでした」
央が答えた。
「変な感じ、とは」
「ことねちゃんがいない場所で、ことねちゃんの地元にいる、というのが」
央が、そう言って、道頓堀の川を見た。
「らしいな、それ」
「らしい、とは」
「お前らしい感覚だと思う」
太秦が言った。
央は、それ以上は何も言わず、少し笑っただけだった。
その様子を、グループLINEにも投稿した。
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央:ことねさんの地元、少し歩いてきた
ことね:懐かしんでくれた?
央:少しだけ
ことね:グリコの前で写真撮った?
央:撮った。串カツも食べた
ことね:定番やん
央:定番が一番良いと思って
ことね:懐かしくなってきた
朔:帰ったら一緒に行きましょう
ことね:気が早い
朔:気が早くてすみません
太秦:さっきも同じこと言ってましたよ
朔:本当にすみません
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央が、その画面を見て、小さく笑った。
「朔先輩、今日は積極的だな」
太秦が言った。
「珍しいですね」
央が答えた。
ひなが、写真の整理をしながら、みんなに声をかけた。
「今日の写真、あとでLINEに送るから」
「何枚送る気だ」
太秦が聞いた。
「厳選する。百枚くらいに絞る」
「それ、厳選の意味、分かってる?」
太秦が、呆れたように言った。
ホテルに戻る電車の中で、みおが窓の外を見ながら言った。
「今日で、修学旅行も、あと少しですね」
「そうですね」
央が答えた。
「早かったような、長かったような」
「同じことを思っていました」
央が言った。
「一番印象に残ったのは、何でしたか」
みおが聞いた。
「……いろいろありましたし、一つに絞るのは難しいです」
「わたしもです」
みおが、そう言って、小さく笑った。
「みおは、どうでしたか」
央が聞き返した。
「鹿に囲まれたことも、東大寺で大仏を見たことも、ひなさんに抱きつかれたことも、全部、印象に残っています」
みおが、指を折りながら数え上げた。
「意外と、鹿の話が最初に出るんですね」
「……インパクトが強かったので」
みおが、少し照れたように言った。
「今日のことは?」
「今日は、串カツと、……さっきの川沿いの時間が、特に」
みおが、少し照れたように答えた。
「俺もです」
央が、素直に答えた。
みおが、その言葉に、少し驚いたような顔をした。
それから、小さく微笑んだ。
窓の外を、大阪の夜景が流れていった。
高層ビルの灯りが、京都や奈良とは違う色をしていた。
「東京に帰ったら、また、いつも通りの毎日ですね」
みおが言った。
「そうですね」
「……でも、今回のことは、忘れないと思います」
「俺もです」
央が、同じ言葉を返した。
(明日は、帰る日だ)
央は、そう思いながら、車窓の景色を見た。
三泊四日の旅は、もう終わりに近づいていた。
でも、今日一日だけでも、まだ持ち帰れていない記憶が、たくさんある気がした。
央は、そのまま、隣に座るみおの横顔を、もう一度見た。
修学旅行という非日常の中で、いつもとは違う一面を、いくつも見た四日間だった。
それでも、隣にいるのがみおであることだけは、変わらなかった。
少し離れた席では、太秦がさやかに何かを見せていた。
「これ見て、通天閣のキーホルダー、光る」
「暗いところで光らないと分からないと思う」
「今、電気消したら分かる」
「電車の中で消せるわけないでしょ」
さやかが、あきれながらも、キーホルダーを覗き込んでいた。
「それにしても、色々買ったね」
「一期一会だから」
「そのわりに、毎回買ってる気がする」
「毎回一期一会だから、問題ない」
太秦が、堂々と言い切った。
その会話を聞きながら、央は、少しだけ口元を緩めた。
(それが、一番大事なことかもしれない)
央は、そう思いながら、静かに目を閉じた。
ホテルに着いたら、また部屋で他愛のない話をして、明日には帰路につく。
当たり前の日常に戻る前の、最後の特別な夜が、静かに更けていこうとしていた。
窓の外を、大阪の街の灯りが、最後まで見送るように流れていった。
明日は、いよいよ東京へ帰る日だった。
名残惜しさと、少しの安堵が、入り混じった気持ちだった。
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