第九十一話 10月31日 仮装と、素顔と
ハロウィンの日は、木曜日だった。
文化祭の翌週にしては、まだ校内に浮かれた空気が少し残っていた。
廊下にも、まだ縁日コーナーの装飾の名残がいくつか貼られていた。
その中で、グループLINEに投稿があったのは、三日前のことだった。
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ひな:31日、みんなでハロウィンやろ!
ひな:仮装縛り、統一感出したい
太秦:統一感ってなに
ひな:全員モノクロ、白と黒だけ
さやか:それだけ?
ひな:それだけでいい。細かく決めると当日ズレる
太秦:自由度高すぎない?
ひな:自由度が高いのが縛り
太秦:矛盾してないか
ひな:してない。枠だけ決めて中身は自分で考えるのが一番面白い
ことね:受験勢は不参加でごめん
朔:応援しています
みお:……分かりました
慧:了解です
ほのか:楽しんできてね
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央は、その投稿を電車の中で見ていた。
テーマは、単純だった。
単純だからこそ、それぞれの解釈が出る。
そこが、ひなの狙いらしかった。
(みおは、何を着てくるんだろう)
央は、少しだけ考えた。
考えても分からなかった。
分からないことを、そのままにしておいた。
自分の分については、あまり悩まなかった。
クローゼットにある黒いシャツと、黒いスラックスを合わせればそれで足りる気がした。
凝ったものを用意する時間も、特にこだわりもなかった。
(これでいいはずだ)
央は、そう決めて、それ以上考えなかった。
当日の夕方、駅前の広場に集合することになっていた。
最初に着いたのは、太秦だった。
白いスウェットの上下に、黒いラインが入っていた。
顔には、白い絆創膏が数枚、適当に貼られていた。
「それ、テーマ守ってる?」
さやかが、遅れて来て言った。
黒のワンピースに、白いレースの襟がついていた。
落ち着いた色合いで、統一感があった。
「守ってる。白と黒だけだろ」
「絆創膏まみれの人、って設定?」
「ゾンビ、のつもり」
「つもりって何」
「本気でやると恥ずかしいから、つもりぐらいがちょうどいい」
さやかが、少し呆れたように笑った。
「太秦くんの仮装、毎回そう」
「毎回とは」
「気合いを見せないようにする気合いが入ってる」
太秦が、少し黙った。
それから「否定できない」と言った。
「さやかさんのは、ちゃんとしてますね」
「一応、去年から考えてた。襟だけ買い足した」
「一応で買い足すか、普通」
「気になったら止まらないタイプなだけ」
さやかが、襟の位置を少し直した。
「太秦くんは、絆創膏、どこで買ったの」
「近所のドラッグストア。安いやつ」
「安いやつでこれだけ貼るのは、逆にお金かかってない?」
「一枚十円もしない。量でごまかしてる」
「その理屈、なんか嫌いじゃない」
さやかが、少し笑った。
太秦が「だろ」と得意げに返した。
次に来たのは、ひなだった。
黒と白のチェック柄のワンピースに、白いレースの手袋、黒いリボンをいくつも髪につけていた。
全体として、統一感というより情報量が多かった。
「ひな、モノクロって言った本人が一番情報量多くない?」
太秦が聞いた。
「モノクロの中で表現の幅を出すのがこだわり」
「その理屈、去年も聞いた気がする」
「去年は色縛りしてない」
「そういう問題?」
ひなが、カメラを構えながら答えなかった。
答えないことが、答えだった。
「今日、何枚撮る予定?」
さやかが聞いた。
「未定。撮れるだけ撮る」
「文化祭の反省、活きてない」
「あれとこれは別」
ひなが、レンズの調子を確かめながら答えた。
それから、慧とほのかが揃って来た。
慧の方が、先に目に入った。
黒い長めのコートに、白いシャツ、腰には黒い革のベルトがいくつも巻かれていた。
顔の片側に、白い塗料で何かの紋様が描かれていた。
全体として、装備が多かった。
「……けいくん、それ何」
「吸血鬼ハンター」
「テーマ、モノクロだけじゃなかった?」
「モノクロの吸血鬼ハンター」
ほのかが、少し黙った。
それから、笑った。
「けいくん、毎年これ」
「毎年とは」
「気合いの入れ方が、いつも一段階多い」
「多い方が楽しいと思う」
「楽しいのは分かるけど、暑くない、それ」
「暑い。でも我慢する」
ほのかが、呆れながらも笑っていた。
慧の隣で、ほのかは対照的だった。
白いシンプルなワンピースに、黒の細いベルトが一本だけだった。
「ほのかは、やる気ないの」
「テーマは守ってる。ただ、あたしはこれくらいでいいと思っただけ」
「かわいいとは思う」
「急に言うな」
ほのかが、少し慌てたように返した。
慧が、何気ない顔でそれを見ていた。
気づいていないのは、慧自身だけだった。
最後に来たのは、央とみおだった。
みおは、黒い長い外套のような服を着ていた。
裾が長く、足元まで届いていた。
白い襟だけが、首元で光っていた。
央は、黒いシャツに黒いスラックス、それだけだった。
特別な作り込みはなかった。
ふたりが広場に入ってきたとき、太秦とさやかとひなの動きが、一瞬止まった。
「……なに、それ」
さやかが、先に言った。
「……仮装、ですが」
みおが、答えた。
「いや、分かってる。分かってるけど」
さやかが、言葉を探した。
「似合いすぎ。ほんとに、そういう存在に見える」
太秦が、頷いた。
「まんまだな。実在感がすごい」
「……そう、ですか」
みおが、少し身をよじった。
外套の裾が、静かに揺れた。
長身と、長い黒の外套の組み合わせは、作り物というより、そこにもともといたもののように見えた。
みお本人は、居心地が悪そうにしていた。
でも、周囲の反応は、素直な驚きだった。
「衣装、どこで見つけたんですか」
ひなが、カメラを構えたまま聞いた。
「……ネットで注文しました。丈が合うか心配だったのですが」
「心配、要らなかったね」
「……そうみたいです」
みおが、少し困ったように答えた。
「おうくんは、その仮装で合ってるの」
太秦が、央に聞いた。
「……仮装、のつもりです」
央が答えた。
黒一色の服装と、いつも通りの表情のなさが、かえって「作り物ではない何か」に見えていた。
本人は、特に凝ったつもりはなかった。
ただ、いつも通りの顔で、いつもと違う服を着ていただけだった。
「それ、逆にすごい」
ひなが、カメラを構えながら言った。
「逆に、とは」
「凝ってないのに、一番それっぽい。無表情がハマってる」
「褒めているんですか」
「褒めてる。本人が意識してないところが一番怖いパターン」
央は、その評価をどう受け取ればいいのか分からなかった。
「みおと並ぶと、なおさら」
ひなが付け加えた。
みおが、央の方を少し見た。
央も、みおの方を見た。
どちらも、何を言えばいいのか分からなかった。
その様子を、ひなのカメラがまた一枚捉えた。
「今の、いい顔してた、ふたりとも」
「……いい顔、というのがよく分かりません」
「言葉にできない顔が一番いいの。何度も言ってる」
みおが、少し考えてから頷いた。
「……前も、そう言われました」
「覚えてるならよし」
ひなが、満足そうにカメラをしまった。
七人は、しばらく通りを歩いた。
商店街には、小さな飾り付けがされていた。
かぼちゃの形をした提灯が、店先にいくつも並んでいた。
子ども連れが、あちこちで小さな仮装をして歩いていた。
太秦が、ゾンビのつもりで少し猫背に歩いてみせた。
さやかが「無理して歩き方まで変えなくていい」と言った。
太秦が「せっかくだから」と続けた。
途中、和菓子店の前を通りかかった。
ハロウィン限定の栗きんとんが、店先に並んでいた。
「……あれ、気になります」
みおが、足を止めて言った。
「買いますか」
「……買います」
みおが、栗きんとんをひとつ買った。
外套の裾を気にしながら、店先で少し立ち止まって食べた。
「美味しいですか」
「……美味しいです。栗の甘さが強いです」
央は、その様子を見ていた。
仮装をしていても、和菓子の前でのみおは、普段と変わらなかった。
それが、少しおかしかった。
ひなは、カメラを絶えず動かしていた。
「みおと央、並んで立って」
言われるまま、ふたりが少し距離を詰めて立った。
みおの外套と、央の黒一色が、街灯の下で重なって見えた。
「……なんか、ちゃんと絵になる」
ひなが、シャッターを切りながら言った。
「絵に、ですか」
みおが聞いた。
「うん。仮装だからってだけじゃなくて、ふたりが並んでるだけで、それっぽく見える」
みおが、それ以上聞かなかった。
でも、少しだけ、央の方に体を寄せた。
央は、それに気づいた。
気づいたことを、口には出さなかった。
少し先で、子どもたちが数人、店の人からお菓子をもらっているのが見えた。
「……いいですね、ああいうの」
みおが言った。
「もらいに行きますか」
「……冗談です」
みおが、少し笑った。
冗談だと分かっていても、央は少し考えてしまった。
慧とほのかは、少し先の屋台で何かを見ていた。
「ほのか、あれ、飴細工らしい」
「食べたいなら食べれば」
「一緒に食べよう」
「別々でいいけど」
「一緒の方が美味しい」
「理屈になってない」
ほのかが呆れながらも、屋台の列に並んだ。
慧が、少し嬉しそうについていった。
飴細工がふたつ出来上がると、慧がひとつをほのかに差し出した。
「はい」
「……ありがとう」
ほのかが受け取った。
ふたりで並んで、少しずつ飴を舐めながら歩いた。
その様子を、少し離れたところから太秦が見ていた。
「……あのふたり、今日もあれか」
「あれとは」
さやかが聞いた。
「気づいてるんだかないんだか分からない距離感」
「慧くんは気づいてないと思う。ほのかちゃんは、たぶん気づき始めてる」
「なんでそう思う」
「今日、ちょっと止まる回数が多い」
さやかが、遠くの二人を見ながら言った。
通りの終わりで、七人がまとまって立ち止まった。
「せっかくだし、全員で撮ろう」
ひなが言って、通りすがりの店員に頼んでカメラを渡した。
七人が横に並んだ。
太秦の絆創膏、さやかの黒いワンピース、ひなのチェック柄、慧の長いコート、ほのかの白いワンピース、みおの外套、央の黒一色。
統一感があるようで、ばらばらだった。
「せーの」
シャッターが切られた。
「これ、絶対グループLINEに送る」
ひなが、確認しながら言った。
「文化祭のときも同じこと言ってましたね」
みおが言った。
「今日も同じくらい大事だから」
ひなが、短く答えた。
夜になって、解散する前に、グループLINEが動いた。
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ことね:楽しんでる?
ことね:朔くんがお菓子くれるらしいよ
朔:言っていません
ことね:え、言ったやん
朔:言っていません
太秦:どっちなんですか
ひな:朔さん、慌ててる
朔:慌てていません
ことね:慌ててるやん
みお:……楽しいです
ことね:それが聞きたかった
朔:楽しんでいるなら何よりです
太秦:結局優しいじゃん
朔:優しくはありません
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央は、電車の中でその流れを見ていた。
みおが「楽しいです」と、短く送っていた。
それだけの言葉だったが、留保がなかった。
(今日は、ちゃんと楽しんでいる)
央は、それを確かめた。
仮装は、いつもの自分たちとは少し違う格好をするだけのことだった。
でも、違う格好をしても、変わらないものがあった。
みおは、みおのままだった。
央も、央のままだった。
外套を脱いだみおが、隣の座席で少し眠そうにしていた。
「……疲れましたか」
「……少し。歩いた距離のわりに、疲れる一日でした」
「そうですね」
「……でも、良い疲れです」
みおが、小さく答えた。
「来年も、こういうのやりますか」
みおが、目を閉じたまま聞いた。
「やると思います。ひなさんが決めそうです」
「……来年は、何を着ればいいか、迷いそうです」
「今年ので、十分似合ってました」
みおが、少し目を開けた。
「……本気で言ってますか」
「本気です」
みおが、それ以上何も言わなかった。
でも、窓に映る顔が、少しだけ緩んでいるのが分かった。
窓の外を、ハロウィンの飾り付けをした店の灯りが流れていった。
明日になれば、いつもの制服に戻る。
でも、今日の外套と、今日のシャツのことは、しばらく覚えていそうだった。
仮装をしても、素顔は変わらない。
それを確かめられただけで、今日という一日には十分な意味があった。
電車が駅に近づき、速度を落とし始めた。
みおが、目を開けて外套の入った袋を膝の上に抱え直した。
「……また来年」
「はい。また来年」
短いやり取りだったが、それで十分だった。
来年のことを、今から決めておく必要はなかった。
ただ、また来る、ということだけが、確かだった。
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