第八十四話 9月21日 7人で電車に乗る
大型連休が始まり、いつもの顔ぶれで出かける約束を設けた。
グループLINEに最初のメッセージが来たのは、当日の朝八時過ぎだった。
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ことね:楽しんできてね
ことね:お土産は不要です。受験生なので
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央は、布団の中でそのメッセージを読んだ。
受験生なのでという理由付けが、なんとなくことねらしかった。
断っているのに、どこか楽しそうな書き方だった。
返信が続いた。
みおからは絵文字がひとつ来た。
小さい犬だった。
央は、少しの間それを見た。
(みおが絵文字を送ってきた)
入学してしばらくはLINEの返信が一言か既読スルーだったことを思えば、それなりの変化だった。
小さい犬である理由は、たぶんないのだと思った。
集合場所は、最寄り駅から乗り換えなしで行ける路線の、少し大きめの駅だった。
九時半集合だった。
太秦が五分前に着いた。
さやかはほぼ同時だった。
慧とほのかが、一年生ふたりで並んで現れた。
定刻ちょうどだった。
ひなは三分遅れで来た。
みおが、改札の外でみんなを待っていた。
みおが改札の外に立っていると、それだけで少し景色が変わる。
頭ひとつ以上飛び出た身長が、人の流れの中で静かに浮いていた。
待っている間に、通りかかった人が一度振り返った。
みおは気づいていないか、気づいても関係ないという顔をしていた。
「みお先輩、先に来てたんですか」
ほのかが言った。
「少し前から。電車が早く着きました」
「早起き派ですか」
「……旅行の日は目が覚めやすいかもしれません」
「わかります。あたしも今日は早かったです」
ほのかが、少しうれしそうに言った。
みおが、ごく短く頷いた。
全員揃ったのは、九時三十三分だった。
電車は、思ったより混んでいなかった。
シルバーウィークの日曜日だったが、行楽客の波はまだ早い時間だったらしく、座れる席があった。
ひな・さやか・太秦が三人掛けに並んだ。
向かいに、ほのか・慧が並んで座った。
央とみおは、少し離れたドア脇に立った。
「立っちゃいましたね」
央が言った。
「座る方が良かったですか」
「……いえ。吊り革、使いますか?」
みおが、天井の吊り革を少し見た。
「……使わなくても大丈夫です」
央は、みおの頭の高さと吊り革の位置を確認した。
吊り革は、みおの肩のあたりにあった。
腕を伸ばして掴む必要がなかった。
「夏休みでも、そうでしたね」
「……そうでしたか」
「水族館の帰りに電車に乗ったとき、同じ感じでした」
みおが、少し考えるような顔をした。
「……そうですね。電車は、特に気にならないかもしれません」
「狭くないですか、電車の中は」
「……そうですね。ただ、席が少し窮屈なことがあります。足の置き場所が」
「たしかに」
「でも、立っている分には、ちょうどいい高さのものがある、というのは、あまりないので」
みおが、吊り革の位置を少し見ながら言った。
どこか、それを発見したような、静かな驚きのある言い方だった。
「……電車の吊り革は、わたしにとって、数少ない『ちょうどいい』のひとつかもしれません」
央は、その言い方を聞いて、少し笑った。
「それは、ちゃんといいことだと思います」
「そうですかね」
「そうですよ」
みおが、少し目を細めた。
電車の揺れが来て、みおが軽く壁に手を添えた。
窓の外を、景色が流れていった。
向かいの三人掛けでは、太秦がずっと小さく笑っていた。
「太秦先輩、何が面白いんですか」
ほのかが聞いた。
「ことね先輩のLINE」
「その場にいなくても楽しそうにするの、ことね先輩っぽいですよね」
「ほのかちゃん分かる?」
「分かります。ことね先輩って、なんか、くだらないことをとびきり楽しそうにするじゃないですか」
「分かりすぎる」
太秦が、にやにやした。
「ことね先輩のこと好きだね、ほのかちゃん」
「好きですよ。仲良くしてもらってるので」
ほのかが、素直に言った。
さやかが、読んでいた本から目を上げた。
「ことね先輩、受験終わったら遊べるね」
「そうですね。冬になったら、ですよね」
「来年の一月か二月には、また遊べると思う」
ほのかが、それを聞いてから少し頷いた。
「……楽しみです、それは」
太秦が、さやかと目を合わせた。
何も言わなかったが、なんとなく同じことを思っている顔だった。
慧は、窓の外を見ていた。
電車が丘を越えると、遠くに海の色が見えた。
グレーと青の間のような色だった。
「見えた」
慧が言った。
「海ですよね」
ほのかが、首を伸ばして窓の外を見た。
「うん。まだ遠いけど」
「けいくん、海、よく見えるね」
「そうでもない」
「あたし、全然見えなかったよ」
「座ってる位置が違うから」
ほのかが、慧の座っている窓側の席を見た。
確かに、角度が違った。
「……けいくんって、乗り物の中で窓側に座ろうとするよね」
「そうか?」
「中学のとき修学旅行のバスでも、絶対窓側だったじゃん」
「……そうだった、かもしれない」
「なんで窓側が好きなの」
慧が、少し考えた。
「外が見えると、どこにいるか分かるから」
「……方向感覚のこと?」
「たぶん」
ほのかが、「ふーん」と言った。
(けいくん、地図見てても迷子になるくせに)
声には出さなかった。
でも少し笑った。
鎌倉に着いたのは、十一時前だった。
改札を出ると、観光客の流れがあった。
平日より人は多いが、混雑という感じではなかった。
「とりあえず、どこから行く?」
太秦が聞いた。
「地図見ます」
慧が、スマートフォンの地図アプリを開いた。
「駅から北東に行くと、鶴岡八幡宮があって、そこからさらに……」
慧が、画面を見ながら歩き始めた。
真っ直ぐ、人の流れと少し違う方向に。
「慧くん、ちょっと待って」
ひなが呼び止めた。
「何ですか」
「それ、駅から出てる?」
慧が、地図と周囲を見比べた。
少し間があった。
「……出てます」
「ほんとに?」
慧がもう一度確認した。
「……たぶん」
「たぶんはやめて」
ほのかが、太秦たちの方に振り返った。
「太秦先輩、あと先輩方に一個お伝えしておきたいことがあって」
「何?」
「けいくんを先頭に立たせると、たぶん迷子になります」
太秦が、慧を見た。
「慧くん、今どっち向いてる」
「……北」
「駅、どっち?」
慧が、少し振り向いた。
止まった。
「……南」
「ということは?」
「……駅に、いる、と思います」
「『思います』が出た」
さやかが、小さく息をついた。
「慧くんは後ろ。先頭はひなちゃんで」
「任された」
ひなが、スマートフォンを取り出した。
「目的地は?」
「まず鶴岡八幡宮でいいと思う」
「了解。ついてきて」
ひなが、迷いなく歩き出した。
慧が、少し不服そうな顔でほのかを見た。
「ほのか、言わなくてよかったのに」
「言った方がよかった」
「なんで」
「みんなが迷子になるから」
慧が、それ以上何も言わなかった。
ほのかが、少し笑った。
鶴岡八幡宮までの道は、まっすぐな参道だった。
若宮大路の中央を、段葛が細長く続いていた。
低い石垣の上に、季節の植え込みが並んでいた。
道の両脇に店が並び、観光客の流れが自然に道のペースを作っていた。
ひなが先頭で歩いていた。
地図を持ちながら、時折振り返って人数を確認していた。
「ひな先輩、ガイドっぽいですね」
ほのかが言った。
「任されたから」
「普段からこういうの得意ですか」
「旅先でうろうろするの嫌いだから、来る前に下調べしてた」
「頼りになりますね」
「そうでしょ」
ひなが、前を向いたまま短く答えた。
声が、少しうれしそうだった。
みおが、人の間を歩いていた。
すれ違う人が、一瞬だけ目を向けることがある。
みおは、それを受け流していた。
「慣れましたね」
央が、みおの隣を歩きながら言った。
「何が、ですか」
「人通りのある場所で、あまり縮こまらなくなりました」
みおが、少し考えた。
「……縮こまっていましたか、前は」
「縮こまるというより、足が少し遅くなっていた感じがします。視線が気になるときに」
「……そうかもしれません」
みおが、自分の歩調を確認するような間を置いた。
「今は、どうですか」
「……まだ気になります。でも、立ち止まる理由にはならなくなった、と思います」
「それは、変わりましたね」
みおが、「……変わったのかもしれません」と言った。
確かめるような、静かな声だった。
参道の突き当たりに、八幡宮の楼門が見えてきた。
朱塗りの大きな門が、九月の青空を背負って立っていた。
人の流れが、その前で自然に速度を落とした。
「……大きいですね」
みおが、少し上を見ながら言った。
「みおがそう言うなら、相当大きいんだと思います」
みおが、央の方を見た。
「……それは、どういう意味ですか」
「背の高い人が大きいと言うものは、大きいということです」
みおが、少し間を置いた。
「それは、普通に大きい場合もあります」
「そうですね」
「……でも、まあ、大きいです。この建物は」
みおが、そう言って正面に向き直った。
どこか決着をつけた、という顔だった。
央は、少し笑った。
「写真、撮りますか」
みおが、少し考えた。
「……撮ってもらえますか」
「はい」
央がスマートフォンを構えた。
みおが、楼門の前に立った。
普通に立っているだけで、建物と同じ方向に視線が向いていた。
観光地の人混みの中で、みおだけが少し別の縮尺にいるような感じがした。
央が、シャッターを押した。
昼食場所の選定は、思ったより難航した。
ひなが言った。
「しらす丼。絶対しらす丼。ここまで来てしらすを食べない理由がない」
太秦が言った。
「でも混んでそう。カフェにしない? あの雰囲気のいいところ」
「カフェは東京でも行けるじゃん」
「しらす丼も東京で食べれる」
「鎌倉で食べることに意味がある」
「カフェも鎌倉で食べることに意味がある」
ひなと太秦が、向かい合ったまま動かなかった。
さやかが、両者を一度見た。
「……ひなっち、そのしらす丼、行列どれくらい?」
「……調べます」
ひなが、スマートフォンを開いた。
「三十分待ち」
「太秦くんのカフェは?」
「十分待ちくらい」
「しらす丼にする」
太秦が、抗議しようとした。
「三十分の方が?」
「混んでるってことは美味しいってこと。それに三十分並べば、今日の観光で一番の思い出になる可能性がある」
太秦が、少し考えた。
「……確かに」
「でしょ」
「さやかさんの理屈、たまに飛躍するんだよな」
「飛躍してない。消去法とリスク評価の話をした」
太秦が「そう、かな」と首をかしげた。
さやかが「そう」と一言で返した。
しらす丼の店に並んだ。
待ちながら、ひなが店の壁のメニューを眺めていた。
「ダブルしらす丼ってやつにしようかな」
「それ、しらすが二倍乗ってる?」
「そう。単純に二倍」
「量は大丈夫?」
「多い方がいい。写真映えするし」
太秦が、「ひなちゃんのごはんの選び方、一貫してる」と言った。
ひなが、「そこは譲れない」と真顔で返した。
三十分後、席に着いた。
しらす丼は、想像以上に良かった。
「美味しい」
ほのかが、率直に言った。
「でしょ。来てよかった」
「来てよかったです」
「三十分並んだ意味あったね」
「三十二分です」
「……そう」
ひなが、少し笑った。
「みおはどう?」
「……美味しいです」
みおが、一口食べてから答えた。
「良かった。みおに美味しいって言ってもらえると、なんか確認できた感じがする」
「……どうしてですか」
「みおって、美味しくないものには感想を言わないじゃん。食べてるとき黙ってるから」
みおが、少し止まった。
「……そうですか」
「気づいてなかった?」
「……あまり、意識していませんでした」
「でも、そう。だから美味しいって言ったとき、本当に美味しいんだって信頼できる」
みおが、ひなの言葉をしばらく考えるような顔をしていた。
「……それは、あまり積極的に良い評価ではないかもしれません」
「そう? あたしはいいと思う。みおが美味しいって言うと、嬉しくなる」
ひなが、また食べ始めた。
みおが、少し間を置いてから、また箸を動かした。
央は、そのやりとりを聞いていた。
ひながみおを観察していて、その観察が正確であることを、央は知っていた。
みおが「美味しい」と言う場面を、最初のうちはあまり見なかった。
でも、最近は少し増えた気がした。
(みおが変わったのか、場所が変わったのか)
どちらでもある気がした。
どちらでもあっていいとも、思った。
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