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『隣の席の彼女は、今日も高すぎる』  作者: さかっち
~二年生~

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第八十三話 9月19日 体育祭、後半戦と帰り道


 午後の最初の競技は、二年生女子の玉入れだった。


 さやかが、かごを目指して玉を投げ続けていた。

 見るからに上手というわけではなかった。

 ただ、投げることを迷っていない、という感じがあった。


 太秦(うずまさ)が、隣で眺めながら言った。


「さやかさんって、こういうとき全力だよね」


 (おう)が聞いた。


「さやかさんが全力じゃないとき、見たことありますか」


「……ないかもしれない」


「全力か、切ってるかの、どちらかですね」


 太秦が、少し笑った。


「なんか鋭いことを言われた気がした」


「言ってないです」


「言ってる」


 さやかが、投げた玉を確認しながら振り返った。


「何話してるの」


「さやかさんの全力について」


「…………? なんのこと?」


 さやかが、正面に戻った。

 太秦が、また笑った。



 (さく)の短距離走は、午後の半ばにあった。


 三年生の競技だった。


 整列する朔を、ことねは三年生テントの端に立って見ていた。

 スタートラインに八人が並んだ。

 朔は、内側から三番目の位置にいた。


「緊張してるかな」


 ことねが、独り言のように言った。


 朔の背中を見ていた。

 スタートを待つ姿勢は、静かだった。

 他の選手が足踏みしたり体を動かしたりしているのと対照的に、朔はほぼ動いていなかった。

 緊張しているのか、緊張を飲み込んでいるのか、外からは分からなかった。


 笛が鳴った。


 朔が、走った。


 速くはなかった。

 でも、走り方が真面目だった、とことねは思った。

 腕の振り方も、足の運びも、誰かに習ったとかではなく、自分なりに考えて走っている感じがあった。


 結果は、三位だった。


 走り終えた朔が、ゴールラインの先で止まった。

 少し息が上がっていた。

 周りの選手たちが顔を見合わせたり、仲間と話したりしている中で、朔だけが、少しの間、そのまま立っていた。


(終わったな、という顔をしとる)


 ことねには、そう見えた。

 悔しいとか、嬉しいとか、そういう表情ではなかった。

 何かが、終わった、という顔だった。


 ことねは、その顔を見ながら、少し胸の内に重さを感じた。

 うまく言えなかったが、そういう感覚だった。


 やがて朔が、スタンドの方を見た。

 三年生テントの方に、目を向けた。

 ことねと目が合った。


 ことねは、手を上げた。

 片手で、小さく。


 朔が、少し頷いた。



 閉会式は、四時ごろに始まった。


 グラウンドに再び全学年が集まった。

 整列した顔は、朝より少し疲れていた。

 それでも、どこかすっきりしていた。

 日差しが斜めになり、影が長くなっていた。


 成績発表があった。

 央のクラスは、総合で四位だった。

 一位になったクラスから歓声が上がった。

 離れたところから聞こえたそれは、なんとなく夕方らしい音がした。


 閉会の言葉の後、解散になった。



 ことねと朔に挨拶しに行ったのは、三年生テントの片付けが始まった直後だった。


 央、みお、ほのかの三人で向かった。

 太秦とさやかは、クラスの片付け当番があった。

 (けい)は、太秦たちを手伝うと言って残っていた。


「ことね先輩」


 ほのかが声をかけると、ことねが振り返った。


「来てくれたん、ありがとう」


「最後の体育祭でしたよね。どうでしたか」


「……悪くなかった、かな」


 ことねが、少し考えてから答えた。

 それから、照れたように笑った。


「なんか、今年は見てるだけやったから、逆によく見えた気がする」


「競技に出てないのにですか」


「そう。出てたら、たぶん自分のことで必死やったと思う。でも今年は、みんながどんな顔してるか、ちゃんと見れた気がする」


 ことねが、グラウンドの方に目を向けた。


「……慧くんのバスケも、全部見てた。あれ、本当にすごかったね」


「そうなんですよ。朔先輩も見てましたよね?」


 ほのかが朔に聞いた。


「はい。大活躍でしたね」


「……なんか、違う学年の間でつながってるの、不思議な感じがします」


 ほのかが、少し考えながら言った。

 朔が、ごく短く「そうですね」と返した。


 央は、少し離れたところから、そのやりとりを見ていた。

 先輩後輩、同い年、異なるクラス。

 そういう区分けが、今日という日を通じて、少し薄くなっていた。


 みおが、静かに言った。


「……朔先輩の短距離、見てましたよ」


 朔が、少し目を向けた。


「どうでしたか」


「……最後まで、ちゃんと走ってました」


 朔が、少しの間を置いた。


「三位でした」


「知ってます」


「その割には、あまり褒めてもらえなかった感じがします」


 みおが、少し間を置いた。


「……ちゃんと走ることは、速く走ることより、場合によっては難しいと思います」


 朔が、みおの言葉を聞いた。

 何か返そうとして、止まった。

 それから、ごく小さく笑った。


「……葛城さんは、面白いことを言いますね」


「……言ってません」


「言ってます」


 ことねが、朔の横で笑った。


「ふたりとも、面白い」


「波多野さん、それはまとめすぎです」


 朔が、珍しくやや急いだ声で言った。

 ことねが、もう少し笑った。


 央は、その場面を見ながら、少し思った。

 ことねと朔がこういうふうに話すのを、外から見ることがある。

 会話の量は多くない。

 でも、ことねの笑い方が、朔がいるときは少しだけ違う気がした。


(気のせいかもしれない)


 気のせいかもしれなかった。

 でも、気のせいかどうかは、今日分からなくていいことだとも思った。


「体育祭が終わったら、受験ですよね」


 央が、朔に聞いた。


「そうですね。本格的に、という感じです」


「体育祭でいい区切りになりましたか」


「……なったかもしれません」


 朔が、少し空を見た。


「走り終えたときに、終わった、という感じがありました。体育祭が、ということだけじゃなく」


「高校生の体育祭が、ということですか」


「そういうことです」


 朔が、そう言って、また夕方のグラウンドに目を向けた。


「……勢多くんは、来年の体育祭、楽しみですか」


「来年、ですか」


「来年が、最後なので」


 央は、少し考えた。


「……今年と、今日のことを、しばらく覚えていると思います。来年のことはその先で、改めて考えます」


 朔が、少し間を置いて頷いた。


「それでいいと思います」


 ことねが、ふたりのやりとりを聞いて、少し笑った。


「朔くんと央、たまに話し方似てるよね」


「……似てません」


「似てません」


 ふたりが、同時に返した。

 ことねが笑いをこらえた。

 みおが、横で静かに目を細めた。



 三年生テントから離れる頃、西の空が少しずつ色づき始めていた。


 夕方の光が、グラウンドの砂の上を横から照らしていた。

 体育祭の痕跡が残るグラウンドを、帰る人たちがそれぞれの方向に歩いていた。


「最後の体育祭、悪くなかった、か」


 ほのかが、歩きながらその言葉を繰り返した。


「ことね先輩らしい言い方ですよね」


 央が言うと、ほのかが「そうですよね」と言った。


「悪くなかった、って、すごくいいと思ったんです。良かったって言わないのに、それ以上に伝わるっていうか」


「…………」


 みおが、少し静かに聞いていた。


「みお先輩は、どう思いましたか」


「……ことね先輩が笑って言ってたから、悪くなかった、以上のことがあったんだと思います」


「ですよね」


 ほのかが、頷いた。


 三人が並んで歩いていた。

 体育祭の一日が、もう終わろうとしていた。



 昇降口の近くで、太秦と合流した。


 さやかと慧は、まだ片付けをしていた。


「比叡先輩たちに会えた?」


 太秦が聞いた。


「はい。少し話しました」


「ことね先輩、なんか言ってた?」


「最後の体育祭、悪くなかった、って」


 太秦が、少し笑った。


「それ、いい言葉だな」


「そうですよね。ほのかさんもそう言ってました」


「ほのかちゃんが言いそうなことだな、確かに」


 ほのかが、太秦に向かって「偏見ですか?」と冗談めかして言った。

 太秦が「失礼しました」と言って、わずかに頭を下げた。


「太秦先輩って、たまに外す」


「そうなんだよな。なんでだろ」


「まじめな話してるときの方が、先輩感がある気がします」


「それって、普段が先輩じゃないってこと?」


「そういう意味では……ないです、たぶん」


 ほのかが、少し言い直した。

 太秦が、「たぶん、ね」と笑った。



 さやかと慧が合流し、六人でまとめて昇降口を出た。


 靴を履き替えて外に出ると、夕方の空気が来た。

 体育祭の後の外の空気は、どこか柔らかかった。

 一日中グラウンドにいた後の、静かな空気だった。


「今日、疲れた」


 太秦が、のんびりした声で言った。


「リレーに綱引きに、応援にと動きましたね」


「しかもリレー二位止まりだし」


「コーナーは良かったですよ」


「それ、朝も言ったじゃん」


「今でも思ってます」


 太秦が、少し目を細めた。


「……おうくん、そういうこと、自然に言うようになったな」


「そうですか」


「去年まではもう少し、言葉選んでた気がする」


「……そうかもしれないですね」


 央は、少し考えた。

 一年前の自分が、どういう言葉の選び方をしていたか、正確には分からなかった。

 ただ、今より少し、慎重だったような気はした。


(慎重だったのか、単に言葉の出方が遅かっただけなのか)


 どちらでもある気がした。


 さやかが、歩きながら太秦に言った。


「体育祭と誕生日が別の日になって、ちゃんと良かったね」


「……急に言った」


「さっき思い出した。今年は重ならなかったから、先週ちゃんとお祝いできたじゃん」


「そうだよ。今年はその点はよかった」


「毎年重なるの?」


「そうじゃないんだけど、なんか、被ることが多い気がして」


「気のせいじゃない?」


「気のせいかもしれないけど、今年は別の日になってよかったと思ってる」


 さやかが、少し笑った。


「それでいいと思う」


 太秦が、「うん」と言った。

 短かったが、何かが収まった、という感じの声だった。



 慧とほのかは、少し後ろを歩いていた。


 ほのかが、慧の横に並んでいた。


「今日のバスケ、どうだった?」


「楽しかった」


 慧が、迷わず答えた。


「毎年そう言うじゃん」


「毎年楽しいから」


「負けたのに?」


「一勝一敗。楽しかったのはバスケができたから」


 ほのかが、少し止まった。


「……けいくんって、結果より、やること自体が好きなんだね」


「そういうことかな」


「そういうことだと思う」


 慧が、少しほのかの方を見た。


「ほのかは、そういうの、ないの」


「あるけど……そっちの話じゃなくて、毎年そう言う、って話をしてたんだけど」


「毎年楽しいなら、毎年そう言うだろ」


 ほのかが、少し黙った。


「……けいくんって、それでいいの?」


「何が」


「毎年、ずっとそうやって。同じようなことをして、同じように楽しいって言って」


 慧が、少し考えた。


「毎年、少しずつ違う」


「どこが」


「今年は太秦先輩に、カットのことを言ってもらった。それは去年なかったから」


 ほのかが、また少し黙った。


(毎年、少しずつ違う)


 慧が言った言葉が、ほのかの中に残った。

 毎年バスケに出て、毎年楽しかったと言う。

 でも慧にとっては、毎年が別の一年だった。


 ほのかは、「毎年」という言葉を、何度も慧に向けて使ってきた。

 その言葉が、少し違う重さで戻ってきた気がした。


「……けいくん」


「何」


「来年も、バスケ出る?」


 慧が、ほのかの方を見た。


「そこに入れるなら、入る」


「即答なんだ」


「毎年、あるから」


 ほのかが、少し笑った。

 うまく笑えたかどうか分からなかったが、笑った。


 慧が、正面を向いた。

 何か言いたそうな顔をして、何も言わなかった。


 ふたりの間に、少し静かな時間があった。



 夕方の道を歩いていた。


 グループが自然に広がりながら歩いていた。

 前の方に太秦とさやか、少し遅れてひな、その後ろに慧とほのか、そしてさらに後ろに央とみおがいた。


 央が、みおに言った。


「みおは、今年の方が余裕がありましたね」


 みおが、少し考えた。


「……そうですね」


「去年より、グラウンドに慣れてましたか」


「それもありますし……」


「ありますし?」


 みおが、少し間を置いた。


「去年より、知ってる人が多かったので」


 央が聞いた。


「知ってる人が多いと、違いますか」


「……違います。見知らぬ人が多い場所より、知っている人がいる場所の方が、わたしは落ち着けます」


 みおが、どこかそれを確認するような言い方で言った。


「今年は、知ってる人が増えましたね」


「……増えました」


 みおが、正面を向いたまま言った。

 央も、正面を向いて歩いていた。


 前の方で、太秦の笑い声が聞こえた。

 さやかが何か返しているのが聞こえたが、内容までは届かなかった。


「来年の体育祭も、余裕がありますか」


 央が聞いた。


 みおが、少し考えた。


「……今年より、もう少しあるかもしれません」


「じゃあ、来年は、楽しめるかもしれませんね」


「……やってみないと分かりませんが」


 みおが、そう言ってから、ごく小さく笑った。


「……でも、そうですね」


 その声は、どこかほっとしたような、確かめるような、そういう声だった。


 夕方の光の中を、ふたりで歩いていた。

 九月の空が、ゆっくりと色を落としていった。

 体育祭が終わった、という感覚が、少しずつ、静かに落ち着いていった。


ご一読いただきありがとうございます。

ポイント、リアクションスタンプ、感想コメントなどいただけると、作者が小躍りして喜びます。

次回もよろしくお願いします。

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