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『隣の席の彼女は、今日も高すぎる』  作者: さかっち
~二年生~

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第八十二話 9月19日 体育祭、前半戦


 朝、グラウンドの空は、澄んだ青色をしていた。


 晴れ時々曇り。

 その言葉をみおから聞いたのを思い出しながら、(おう)はグラウンドに向かった。

 空の端に薄い雲がいくつかあったが、日差しを遮るほどではなかった。

 九月の午前の光は、夏のそれより少しだけ斜めから来て、長い影を地面に伸ばしていた。


 開会式は、予定通りの時間に始まった。


 生徒が縦に整列し、整列した場所からグラウンドの広さがよく分かった。

 端から端まで、同じ制服を着た人間が並んでいた。

 三学年、全クラス。

 体育祭というのは、学校の人数をいちどきに確認する場でもある、と央は毎年思う。


 校長の言葉は短かった。

 生徒会長の言葉はもっと短かった。

 ラジオ体操が始まると、各自がめいめいに動き出した。



 午前の最初の競技は、クラス対抗リレーだった。


 太秦(うずまさ)は、リレーの選手だった。


 走者がバトンを受け取って走り出す。

 太秦の出番は四走目だった。

 バトンが渡った瞬間、太秦の走りは、前の走者とは少し違った。

 踏み込みが強く、切り返しが速かった。

 見た目よりがっしりした体格が、コーナーを回る瞬間に意味を持った。


 央は、テントの外側から、そのコーナーを目で追った。


(太秦は、走るのが好きなんだろうな)


 うまいかどうかより先に、そう思った。

 体が走ることを嫌がっていない、という感じが、見ていると伝わってくる。


 結果は、二位だった。

 アンカーの走者がわずかに届かなかった。


 太秦が、戻ってくる途中でこちらを見た。


「二位でした」


「見てました。コーナーが良かったですね」


「コーナー、分かる?」


「なんとなく」


 太秦が、少し笑った。


「おうくんに言われると、なんか嬉しいな」


「なんでですか」


「体育が苦手な人がそう言うから、かな」



 グラウンドの別の場所では、次の競技の準備が始まっていた。


 みおは、記録係の腕章をつけて、計測エリアの端に立っていた。


 タイマーと、クリップボードを持っていた。

 記録係の仕事は、競技ごとにタイムを計り、用紙に記入し、担当の先生に提出することだった。

 去年と同じ役割だったが、去年よりはうまくこなせている、という感覚があった。


 去年は、記録係の位置にいても、少し緊張していた。

 グラウンドに人が多いと、どうしても視線が気になった。

 今年も、通り際に振り返る人がいないわけではなかった。

 でも、今年は、それに対して「またか」と思える自分がいた。


(去年は「またか」と思う余裕がなかった)


 それだけのことが、少しだけ、楽になった。


 クリップボードに数字を書き込んで、みおは顔を上げた。

 グラウンドの向こう側に、央の姿が見えた。

 競技と競技の合間に、こちらを見ていた。


 目が合った。


 央が、少し手を上げた。

 みおは、ごく短く頷いて、視線を競技の方に戻した。


(……なんで見てたんだろう)


 聞けなかった。

 でも、なんとなく、嫌ではなかった。



 央は、競技と競技の合間に、グラウンドをぼんやり眺めた。


 遠くに、みおの姿が見えた。

 腕章をつけて、クリップボードを持って、計測エリアの端に立っていた。

 記録係というのは、競技の外側にいる役割だ。

 グラウンドの中にいながら、競技の輪の少し外側にいる。

 みおは、その位置が似合っているような気がした。


(みおらしい)


 目立ちたくないのに、いてもいなくてもいい場所には収まらない。

 自分の役割をきちんと果たしながら、できる限り静かに立っている。

 そういう在り方が、みおらしかった。


 みおが、こちらを見た。

 目が合うと、みおはごく短く頷いて視線を競技の方に戻した。

 央は、何かを言うより先に、少し笑っていた。


 クリップボードを持ったみおの姿が、グラウンドの光の中にあった。



 体育館脇の外コートで、バスケットボールの競技が始まった。


 一年生のコートだった。


 (けい)は、コートの端に立っていた。

 立っているだけで、コートの空気が少し変わった。


 審判の笛が鳴った。


 最初の攻めは、相手チームだった。

 ドリブルで持ち込もうとした選手が、慧に向かってきた。

 慧は動じなかった。

 腕を広げた。

 それだけで、相手の選手がコースを変えた。


 ボールが慧の手に入ったのは、その直後だった。

 リバウンドではなく、カットだった。

 素直な正面へのパスを、伸ばした腕で切り取った。


(……速い)


 央は、少し離れた場所でそれを見ていた。

 派手な動きではなかった。

 ただ、ボールが相手の意図した場所に行かなかった、ということだけが起きた。


 慧がボールを持って走った。

 身長と歩幅があると、相手との距離のつめ方が違う。

 三歩で、ゴール下まで来た。

 レイアップ。

 ボールがリングに吸い込まれた。


 観客のひとりが、「あの子、誰?」と言うのが聞こえた。

 別のクラスの生徒だった。

 一年生のコートを、二年生や三年生が覗いていた。



 ほのかは、コートの外から見ていた。


 慧がボールを持つたびに、周りの反応が変わった。

 あからさまなどよめきではなく、少しずつ、人の視線がそちらに引き寄せられていくような変化だった。


(……毎年、こうなるんだよな)


 ほのかは、腕を組んで、それを見ていた。


 中学のときも、体育祭や球技大会があるたびに、慧が出た競技は少しずつ人が集まった。

 慧本人は、そのことに気づいていない。

 今も、プレーの合間に周りを見渡しているが、「見られている」という意識はない顔をしていた。


「あんなの慧の普通なんだけど」


 ほのかが、小さく言った。


 横で聞いていた太秦が、少し振り向いた。


「それ、ほのかちゃんが言うんだ」


「え、何がですか?」


「慧くんの普通を知ってるの、ほのかちゃんだから、って思って」


 ほのかが、少し止まった。


「……そりゃ、一緒にいますから」


「一緒にいたから知ってる、って、なんかいいな」


 太秦が、特に深い意味のない顔で言った。

 ほのかは、その言葉をうまく受け取れなくて、少し黙った。


 コートでは、また慧がボールを持っていた。

 慧のチームは、結果的に一勝一敗だった。

 決勝には進めなかったが、慧が出た試合の時間帯だけ、コートの周りに人が集まっていた。



 三年生のテントは、グラウンドの端に設置されていた。


 ことねは、折りたたみ椅子に座って、バスケのコートを見ていた。


 慧がボールを持つ場面を、ことねは少し前から見ていた。


「慧くん、すごいね」


 ことねが、横に座っている朔に言った。


「一年生なのにすごいですね」


 朔が、静かに答えた。


「慧くんって、運動できるんやね」


「はい。中学までバスケをしてたと」


「え、そうなんだ。知らなかった」


「……あの子が大きすぎて、他のことが目に入らないんだと思います」


 朔が、淡々と言った。

 ことねが、少し笑った。


「朔くんって、たまに面白いこと言うよね」


「……言ってません」


「言ってるよ。さらっと言うから余計に笑えるわ」


 朔が、ことねの方を見た。

 何か言いかけて、やめた。


 ことねが、また正面に向き直った。

 コートで、慧がもう一点を入れた。

 周りから小さなどよめきが起きた。


 ことねは、そのどよめきを聞きながら、少しだけ違うことを考えていた。


(来年の体育祭は、観客席から見るんだな)


 それは以前から分かっていたことだった。

 今日、実際にここに座ってみると、その実感が少し違った。

 悲しいというより、今日が特別だという感覚に近かった。



 午前の終盤、綱引きがあった。


 央は、出番があった。


 綱を握る手に、軍手の感触があった。

 向こう側に、相手チームが並んでいた。

 笛が鳴った。


 力を入れた。

 綱が、少し動いた。

 少し、戻った。

 また引いた。


(……思ったより、力が要る)


 自分が足を使えていないのが分かった。

 体重を乗せるという感覚が、体育が得意な人にはあるのかもしれないが、央にはよく分からなかった。


 結果は負けた。


 次の組に替わりながら、みおが近くにいるのに気づいた。

 記録係として移動していたらしく、クリップボードを抱えていた。


「見てましたか」


 央が聞いた。


「……見てました」


「どうでしたか」


 みおが、少し間を置いた。


「……頑張ってましたよ」


「負けましたが」


「……でも、頑張ってましたよ」


 二回繰り返した。

 央は、少し笑った。


「みおさんは、今年もそういうことを言ってくれますね」


「……去年も言いましたか」


「去年の体育祭で。競技が終わった後に、少し話しましたよね」


「……覚えています」


 みおが、そう言った。

 それだけだったが、それだけで十分だった。



 昼になった。


 日差しが真上から来て、グラウンドの影が短くなっていた。

 テントの下に人が戻ってきた。

 各自が弁当袋を取り出した。


 ひなが、いつの間にか合流していた。


「写真撮った。バスケの慧くん、めちゃくちゃ映える」


 ひなが、スマートフォンを横持ちにして言った。


「ひなっち、そっちのクラスから来たの?」


 さやかが聞いた。


「昼だから。昼は自由でしょ」


「そうだけど」


「慧くんのバスケ、うちのクラスからも見えてたよ。何あれ、すごいんだけど」


 ひなが、写真の画面をさやかに見せた。

 コートを駆けている慧の写真だった。

 人の輪の中心にいるのに、本人は全くそれを意識していない顔をしていた。


「……よく撮れてますね」


 みおが、ひなの画面を覗いた。


「でしょ。慧くんって被写体として優秀だよ。動きに無駄がないから、どこで切っても絵になる」


「……それは、ひなが上手いんだと思います」


「そうでもあるし、慧くんの動きもいいんだよ」


 ひなが、満足そうに言った。


 慧は、少し遅れてやってきた。

 ほのかと並んで、芝の上に腰を下ろした。


「慧くん、バスケどうだった?」


 太秦が聞いた。


「楽しかったです」


「勝った?」


「一勝一敗」


「惜しかったね」


「まあ」


 慧が、弁当を開けながら答えた。

 特に悔しそうではなかった。

 楽しかった、という言葉の方が、本人の中で大きいらしかった。


「慧くん、あれ見てた。カットのやつ」


 太秦が言うと、慧が少し顔を上げた。


「最初の?」


「そう。あれ、一瞬だったけど、相手の動き読んでたでしょ」


「なんとなく、そっちに来そうだったから」


「それが読む、ってことだよ」


 太秦が、感心したように言った。

 慧は、どう答えればいいか分からなかったようで、「そうなんですかね」と返した。


 ほのかが、そのやりとりを横で聞いて、小さく笑った。



 昼食の場に、七人が集まっていた。


 さやかは、弁当の蓋を開けながら、その状況を少し客観的に見た。


 去年の体育祭の昼は、ここに誰がいたか。

 央・みお・太秦・さやか。ひなは別クラスだったから、合流は放課後だった。

 慧・ほのかは、まだ入学していなかった。


 今年は、七人いる。


(こういうことって、気づいたら起きてるんだな)


 さやかは、そう思った。

 誰かが計画してこうなったわけではなく、それぞれが別々に接点を作って、気づいたらこの人数になっていた。


「ことね先輩、今日あそこのテントにいますよね」


 ほのかが、グラウンドの端を見ながら言った。


「そう。三年生のテント」


「……見に行っても大丈夫ですかね」


「競技の合間なら大丈夫だと思うよ。ことね先輩も比叡先輩も来てほしいと思うし」


 ほのかが、少し考えてから頷いた。


「……午後が終わったら、挨拶しに行きます」


「それがいいと思う」


 さやかが、さらっと答えた。


 みおが、弁当のおかずを箸でつまみながら言った。


「……さやか、今日のお弁当、彩りがいいですね」


「毎朝作ってるから。慣れた」


「弟くんの分も?」


「そう。弟に持たせてると、私のお弁当も自然と作るようになった。最初は面倒だったけど」


「……料理って、続けると慣れますよね」


「そうそう。最初だけ。みおは料理してるんでしょ」


「夕食の手伝いを。あと、お昼のお弁当は自分で作ることが多くて」


「上手そう」


「……さやかの方が、盛り付けが上手だと思います」


「それは見た目のセンスの話だから、別の話」


 さやかが、短く言い切った。

 みおが、少し笑った。


 央は、そのやりとりを少し離れたところで聞いていた。

 みおが、さやかとこういう会話をするようになっていた。

 去年の春、みおが初めてこのグループに入ってきたときは、さやかへの返し方がもう少し慎重だった。

 今は、「さやかの方が上手」という素直な評価をさらっと言えるようになっている。


(みおが変わったのか、さやかさんがみおを引き出したのか)


 どちらでもあるような気がした。


 昼休みの時間が、少しずつ過ぎていった。

 グラウンドの上、九月の日差しが斜めになり始めていた。

 午後の競技が、もうすぐ始まる。


ご一読いただきありがとうございます。

ポイント、リアクションスタンプ、感想コメントなどいただけると、作者が小躍りして喜びます。

次回もよろしくお願いします。

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