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『隣の席の彼女は、今日も高すぎる』  作者: さかっち


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第八話 5月4日 私服と、知らない顔


 連休の空気は、朝からすこし違う。


 鳥が鳴く時間が早い。

 車の音が少ない。

 遠くで子どもの声がして、それが遠ざかる。


 勢多央(せた おう)は五時半に目を覚まして、珈琲を入れた。

 コーヒーミルを回すと、豆の香りが台所に広がった。

 窓の外、東の空が明るくなりかけていた。


 今日は十一時に渋谷集合。

 行けたら行く、と言ったが、目が覚めた瞬間に既に行く気になっていた。

 それを自分で少し可笑しいと思った。


 ドリッパーからゆっくりと湯を注ぎながら、どういう服で行くかを考えた。

 結論はすぐに出た。

 白の薄手シャツ、チノパン、スニーカー。

 いつも通りだ。

 それ以上を考えない、というのが央のやり方だった。



 十時四十分に家を出た。

 五月の風は、まだ少し新しかった。


 笹塚から渋谷まで、自転車なら二十分かからない。

 住宅街の中を縫うように走った。

 木々の葉が、若い緑だった。

 連休の街は、どこか浮き足立っている。


 待ち合わせの広場に着いたのは、五分前だった。


 太秦(うずまさ)がすでにいた。


 白地に太いラインが入ったスニーカー、濃紺のテック系ジャケット、黒のワイドパンツ。

 首にはシンプルなコードネックレス。

 ソフトモヒカンのシルエットが、いつもよりきっちり整っていた。


「早いな」


 央が言うと、太秦が振り返った。


「おうくん来た! ちゃんと来た」

「行くって言った」

「行けたら行くって言ったんじゃないの」

「……そういうことだ」


 太秦が笑った。


「スニーカー、新しいやつか?」

「昨日買ったやつ。出かける口実ができたんで」


 太秦は足元を軽く上げて見せた。

 アッパーが白く、サイドのロゴが控えめな、細身のシルエット。


「……いいな」

「でしょ。おうくんのそれはいつものやつだ」


 太秦が言ったが、批判ではなかった。

 確認のような口調だった。


 しばらくして、坂の下の方から人が来るのが見えた。


 さやかとひなだった。


 さやかは落ち着いたグリーンのリブニットに、白のフレアスカート。

 細いレザーブレスレットが左手首に光り、シルバーのフープピアスが陽光を拾っていた。

 姿勢がいいせいか、歩き方が颯爽としている。


 ひなはその横で、ラベンダーのショートトップスにオーバーサイズのデニムパンツ、厚底のローファーという組み合わせだった。

 チャームが揺れるネックレスが、歩くたびに細く光る。

 スマホはすでに横持ちだった。


「来た来た」とさやかが言った。「太秦くんと勢多くん、早いね」

「自転車だから」と太秦が答えた。


 ひなが広場を見回した。


「みおは?」

「まだじゃない? 来るとは思うけど」


 さやかが言ったところで、ひなが「あ」と言った。


 坂の下に、一人、上ってくる人物がいた。


 みおだった。



 最初、央はすぐ分からなかった。


 いや、分からなかったのではない。

 「違う」と思ったのだ。


 上下ともゆったりとした、オフホワイトのセットアップ。

 コットン素材らしく、風でわずかに揺れていた。

 上はドロップショルダーの長袖で、下はワイドなテーパードパンツ。

 足元は薄底のキャンバススニーカー、灰がかった白。


 髪はいつものシュシュではなく、サテン素材らしい幅広のリボンで低くまとめてあった。

 黒に近い暗いブラウンが、うなじのあたりでゆるくまとまっている。


 腕には、細いゴールドのブレスレットが一本。


 それだけだった。

 装飾は少なかった。

 でも、だからこそ、全部が目に入ってきた。


 みおは坂を上りながら、少し下を向いていた。

 人が集まっているこちらに気づいて、顔を上げた。


 目が合った。


「……来ました」


 みおが言った。

 声は静かだったが、ちゃんと届いた。


「来たね」とさやかが言った。「その服、いいじゃん」

「……動きやすくて。こういうとき用に選んでたやつ」


 みおは少し下を向いて、服の端を軽く引いた。


「かわいいよ。ゆったりしてるけど形がいいもん」

「さやかの方がよく似合ってると思いますよ」

「そういうことじゃないの」


 さやかが笑いながら言った。


 ひなが「みお、ちょっと写真いい?」と言ってスマホを構えた。


「……え」

「広場の光いいから。みおに当たると綺麗そうで」

「わたし目的じゃなくて光目的ね、これ」


 みおは少し困った顔をした。

 でも逃げなかった。


 ひながシャッターを切った。

 みおは反射的に少し肩を縮めたが、それも写真に収まった。


「……いいの、それ」

「いい。光の入り方が最高」


 央はその一連を、少し離れたところから見ていた。



 出発した。


 渋谷の西の方へ、川沿いの緑道を歩くルートだった。


 五人で並ぶと、さすがに横に広くなった。

 自然に、前後がふたりとみっつに分かれた。


 さやかとひなが前に出て、何か話しながら歩いている。

 太秦が真ん中でひとり、左右を見て歩いている。

 央と、みおが、後ろになった。


(結果としてそうなった)


 意図したわけではなかった。

 太秦がわずかに前に出ただけで、そうなった。


 みおは川の方をときどき見ながら、ゆっくり歩いていた。

 横を歩くみおは、央より頭ひとつ以上高い。

 肩の位置が、並ぶと耳のあたりに来る。


 それはいつものことだった。

 教室でも、廊下でも、分かっていた。


 でも、今日は何か違った。


 私服のみおは、なんというか、もっと大きかった。


 制服のときは、肩を丸めて、なるべく縮めて歩いていた。

 今日のみおは、少し違う。

 完全に伸び伸びしているわけではなかったが、それでも、あの猫背がほんの少しだけ緩んでいた。


 風が吹くたびに、白いパンツがひらりと揺れた。


「川、きれいですね」


 みおが言った。

 前を向いたままの声だった。


「この時期は緑が明るい。五月の川は特に」

「……そうですね。葉の色が薄いうちの方が好きです。濃くなると重くなる」

「夏になる前の緑、か」

「はい。もう少ししたら変わってしまうから」


 みおは川面を見ながら言った。

 「変わってしまう」という言葉に、惜しむような響きがあった。


(こういう話をするとき、少し言葉が増える)


 図書室での話を、央は思い出した。

 本の話をするときのみお。

 今も、それに近い声だと思った。



 緑道の途中に、小さな屋台が出ていた。


 クレープを売っていた。


 ひなが真っ先に反応した。


「え、クレープだ。食べていい? 食べたい」

「別に止めないけど」とさやかが言った。

「みおは? 食べない? あ、でも和菓子の前に甘いもの食べるのはもったいない?」

「……それは考えてませんでした」


 みおが少し真剣な顔をした。


「せっかくなので、わたしは後で」

「律儀だな」とさやかが笑った。


「私とさやかだけ食べる。太秦くんは?」

「俺も食べます」

「勢多くんは?」

「……俺もいい」


 三人が並んで頼んでいる横で、みおはベンチに腰を下ろして待っていた。


 央もそれに倣って、みおの横に並んだ。


「生クリーム、苦手でしたか」


 央が聞くと、みおは首を横に振った。


「好きです。でも梅晴堂のために、今は胃を空けておきたくて」


 言い方が真剣だった。

 策士だと思った。


「……好きなものに本気なんですね」

「……そう、ですかね」


 みおは少し首を傾けた。


「和菓子が好きなの、いつからですか」

「物心ついたころから、かなと。大阪の祖母がよく作ってくれて」


 声が少し柔らかくなった。


「端午の節句のときに、柏餅を一緒に包んだのを覚えてます。葉が大きくて、うまく包めなかった」


 懐かしそうな話し方だった。

 みおが過去のことを話すのを、央は初めて聞いた気がした。


 みおが少し間を置いてから、「あの」と続けた。


葛城(かつらぎ)さん、という呼び方、少しかしこまってる気がして。……みおでいいですよ、もし。さやかたちみたいに」


 言いながら、みおは微妙な顔をした。

 唇を軽く噛んだ。


「……急に言い出してすみません。なんか、一日一緒にいるのに名前で呼ばれない方が変かなと思っただけで」

「……いや、助かります。みおさん、で」

「さん、も取れます。みおで大丈夫です」

「……みお」


 言ってから、一拍あった。


「はい」


 みおが答えた。

 その声が、いつもよりわずかに高かった。


(……さらっと言ってしまった)


 央は前を向いた。

 チョコとバナナの甘い匂いが鼻をくすぐった。



 梅晴堂は、緑道からひと筋入った路地にあった。


 間口の狭い、年季の入った外壁。

 暖簾が出ていて、ガラスケースの中に今日の品が並んでいた。


「ここ!」


 みおの足が、明確に速くなった。


 五人の中で、みおだけが少し先に出た。

 暖簾をくぐって、ケースを覗き込んだ。


 ガラスケースのところで、みおがしゃがんだ。

 中の品を確認するように、下から覗き込んでいる。

 その姿は、学校で見るみおとは全然違った。


 ひなが横でスマホを構えた。

 さやかが「撮っていいの」と小声で言った。

 ひなが「みおは気にしないよ、今は和菓子しか見えてないから」と答えた。


 それは多分、正確だった。


「……これ、今日の上生菓子ですよね」


 みおが店のひとに言った。

 声が、ゆっくりだが、ちゃんと届く大きさだった。


「はい、今朝の分です。藤と、青楓(あおかえで)と」

「藤を一個、お願いできますか。あと、どら焼きを二つ」

「どら焼き、大と小があるんですが」

「大を二つ、ください」


 みおは答えながら、財布を取り出した。


「……みおって和菓子屋さんで声大きくなる」


 さやかがそっと言った。

 ひなが「なるね」と返した。


 央はそれを聞いて、確かにそうだと思った。

 普段のみおが声を抑えているぶん、好きなものの前での自然な声は、印象が違った。


 どら焼きを受け取ったみおが、振り返った。


「……ひなとさやかの分を頼んでいいか聞くのを忘れてました。すみません」

「いいよいいよ、私も頼む。みお、何がおすすめ?」


 それからしばらく、みおが全員分を丁寧に案内した。

 どら焼きの選び方、上生菓子の読み方、今日の季節の品。

 声は相変わらず穏やかだったが、よどみがなかった。


 太秦が央の横で小声で言った。


「葛城さん、すごいな。専門店みたいな説明する」

「……得意分野なんだと思う」


 そのとき、太秦がちらっとこちらを見た。

 何かを言いたそうな顔だったが、言わなかった。

 頭の後ろを掻いた。



 梅晴堂を出た後、川沿いの道に戻った。


 みおが手提げ紙袋を大事そうに持って歩いていた。

 上生菓子の入った箱は、その日の夜に食べると言っていた。

 どら焼きのうち一個は、その場で食べ始めていた。


 二口目を食べたところで、みおが言った。


「……ここのは、あんこの甘さが上品です。皮も薄めで。でもどっしりした方が好きな人には物足りないかも」

「でも確かに上品だね、これ。みおにおすすめしてもらって正解」


 さやかが言った。


「見つけるというか、歩いているうちに覚えてしまって」

「散歩中に和菓子屋センサーが発動するわけね」


 太秦が笑った。

 みおが「……センサーは言い過ぎです」と言った。

 さやかが「でも合ってる」と言った。


 央はその少し後ろを歩きながら、ひなが前を歩くみおとさやかを横から撮っているのを見ていた。


 さやかは160センチで、みおは自称198センチだった。

 でも実際には、もっと高いのではないかと央は思っていた。

 数字のことは分からない。

 ただ、今日の、外の光の中で見るみおは、学校よりさらに大きかった。


 服が白いせいもあるかもしれない。

 背景の木々が緑で、その前に立つと対比が出る。


 歩いていると、すれ違う人が何人か振り返った。


 理由は明白だった。

 見ている人は、一様に「驚き」という顔をした。

 人の流れが、みおの周辺だけわずかに変わった。


 みおはそれを分かっていた。

 少し肩が内側に入った。

 でも、歩みは止めなかった。


(慣れている、のか。慣れているのとは、少し違うか)


 慣れていたら、肩は動かない。

 いつも通り肩を縮めているのは、諦めたのか、受け入れたのか。


 央には判断がつかなかった。


 ただ、前から歩いてくる人と距離が縮まったとき、みおが少し立ち止まりそうな気配をした。

 通行の邪魔にならないように、端に寄ろうとしていた。


 央はほんの少しだけ、みおの前に出た。


 大した動作ではなかった。

 すれ違いの流れを読んで、少しだけ位置を調整した。

 それだけだった。


 みおが気づいたかどうかは分からなかった。


 太秦が横で「ん」と小さく言った。

 振り向いたら、真顔だった。

 何も言わなかった。



 一時間ほど歩いて、ひなが目星をつけていたカフェに向かうことになった。


 渋谷の裏路地にある、と聞いていた。


 ひながスマホを見ながら先頭を歩いた。

 「あ、ここ。このビルとビルの間の」と言った。


「ここ好きなんだよね。光の入り方が綺麗で」


 ひなが満足そうに言った。


 川沿いを歩いてきたみおが、紙袋をそっと抱え直した。

 梅晴堂の藤の上生菓子が、今夜の楽しみとして入っている。


 入り口に向かって、五人が歩き出した。


 五月の午後の光が、路地の壁に斜めに入っていた。

 連休の街の中で、その一角だけが、静かだった。


ご一読いただきありがとうございます。

ポイント、リアクションスタンプ、感想コメントなどいただけると、作者が小躍りして喜びます。

次回もよろしくお願いします。

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