第七十五話 8月26日 離れた場所と、二人きり
九人で会場に入ると、祭りの音と匂いが一気に押し寄せてきた。
太鼓の音、焼きそばの匂い、人混みのざわめき。
提灯の明かりが、参道の両側にずらりと並んでいた。
「すごい人」
ことねが言った。
「はぐれないようにね」
さやかが周りを見回した。
屋台が立ち並ぶ参道は、すでに多くの人で埋まっていた。
りんご飴、たこ焼き、かき氷、輪投げ。
子供の歓声と、店主たちの呼び込みの声が、絶え間なく聞こえていた。
九人がひとかたまりになって、ゆっくり歩き始めた。
歩き始めてすぐ、人の流れに押されて、自然と縦長の隊列になっていった。
しばらく歩いたところで、さやかが急に言った。
「あ、わたしひなと露店回ってくる」
「え、いいけど」
ひなが少し戸惑いながら、さやかに連れられていった。
「お、じゃあ俺、慧くんと食べもの見てくる」
太秦がそう言って、慧の肩を軽く叩いた。
「え、おれですか」
「お前しかいないだろ、ここ」
太秦が慧を引っ張るようにして、人混みの中に消えていった。
「……えっと、みんな?」
ほのかが、残された央とみお、朔、ことねを見て、少し首をかしげた。
「あたしも、ちょっとあっちの金魚すくい気になってて」
ことねが言いかけて、朔の方を見た。
「……ご一緒します」
朔が言った。
ほのかが、その場に取り残された形になった。
「……あれ、わたし」
「あ、こっちおいで」
太秦が少し離れたところから手招きした。
「慧くんと食べもの選ぶの、ほのかさんもどう?」
ほのかが少し笑った。
「……はい、行きます」
ほのかが太秦と慧の方に駆けていった。
残ったのは、央とみおだけだった。
ふたりは、しばらくその場に立っていた。
周りの喧騒だけが、まだ続いていた。
「……気を遣ってもらいましたね」
央が言った。
「……そうですね」
みおが答えた。
お互い、何が起きたかは分かっていた。
分かっていながら、声に出すのは、それだけだった。
「歩きますか」
「……はい」
みおが頷いた。
ふたりは、提灯の並ぶ参道をゆっくり歩いた。
赤やオレンジの灯りが、頭上に連なっていた。
光が、みおの浴衣の紺地に、ぼんやりと反射していた。
「きれいですね」
央が、灯りを見上げて言った。
「……はい」
みおが答えた。
答えてから、少し央の方を見た。
「さっきも、同じこと言ってましたね」
央が少し、止まった。
「……言いましたか」
「今日は、何度も言う日ですか」
みおが少し、からかうように言った。
「……そうかもしれません」
央が素直に答えた。
みおが小さく笑った。
歩いているうちに、金魚すくいの屋台の前に来た。
ポイを持った子供たちが、何人か水槽を覗き込んでいた。
みおが、その前で足を止めた。
「……やってみますか」
央が聞いた。
「……やってみたいです」
みおが答えた。
ふたりで屋台の前に並んだ。
店主からポイを受け取って、水槽の前にしゃがんだ。
みおが慎重に、ポイを水に入れた。
一匹の金魚を狙って、すくおうとした瞬間、ポイの薄紙がすぐに破れた。
「……あ」
みおが、破れたポイを見た。
央もポイを構えて、同じように挑戦した。
央の方は、もう少しもったが、二匹目を狙ったところで、やはり破れた。
「……お揃いですね」
みおが言った。
「……そうですね」
央が、破れたポイを見ながら答えた。
店主が笑いながら「お二人とも筋がいいよ」と言った。
お世辞だということは、ふたりとも分かっていた。
分かっていても、悪い気はしなかった。
結局、何もすくえないまま、ふたりは屋台を離れた。
「……運動神経が、関係あるんでしょうか」
みおが少し、真剣に言った。
「……分かりません」
央が答えた。
「でも、俺もみおも、こういうのは苦手な方かもしれません」
「……そうですね」
みおが頷いた。
頷きながら、少し、楽しそうだった。
一方、ことねと朔は、金魚すくいから離れた屋台のあたりを歩いていた。
「りんご飴食べよっか」
ことねが、屋台のひとつを指さした。
「……いいですね」
朔がそう言って、ふたりで列に並びに行った。
しばらくして、朔がりんご飴をふたつ受け取った。
「どうぞ」
「ありがとう」
ことねが手を伸ばして受け取った。
受け取る瞬間、指先が一瞬、触れた。
ことねが、少し止まった。
朔も、少し止まった。
「……あ、ごめん」
ことねが先に言った。
「……いえ」
朔が答えた。
短いやりとりだったが、どちらも、その一瞬を少し意識していた。
ふたりでりんご飴を齧りながら、また歩き始めた。
「朔くん、案外こういうとこ似合うよね」
ことねが言った。
「そうですか?」
「うん。意外と、お祭り似合うタイプ」
朔が少し、考えるような顔をした。
「……波多野さんも、似合っています」
ことねが少し、目を丸くした。
「え、急に褒めるやん」
「……思ったことを、言っただけです」
朔がそう言って、視線を少しそらした。
ことねが小さく笑った。
遠くで、それを見ていたさやかとひなが、目を合わせた。
「……うまくいってるね」
ひなが小さく言った。
「だね」
さやかが頷いた。
ふたりは、それ以上近づかなかった。
遠くから見守るだけで、十分だった。
太秦と慧、ほのかは、焼きそばの屋台の前にいた。
「これ三人前」
太秦が注文した。
「太秦先輩、健啖家ですね」
ほのかが言った。
「健啖家って言葉、よく知ってるな」
「読書好きなので」
ほのかが笑う。
慧が、少し離れたところで、わたあめの屋台を見ていた。
「……慧くん、わたあめ気になるの」
ほのかが聞いた。
「……ちょっと」
「買ってきなよ。あとで分けて」
ほのかがそう言うと、慧が少し照れたように「分かった」と言って列に並びに行った。
太秦がその様子を見て、少し笑った。
「きみらって、付き合ってんの?」
ほのかが、少し止まった。
「……幼馴染です」
「ふうん」
太秦がそれ以上、聞かなかった。
聞かなくても、何かを感じ取ったような顔をしていた。
九人は、それぞれの時間を過ごしながら、夜の祭りの中に散らばっていた。
離れた場所にいても、誰も孤立していなかった。
離れていることが、むしろ自然なことのように感じられた。
央とみおは、参道の先にある小さな神社の境内まで歩いていた。
屋台の喧騒が、少し遠くなっていた。
「……静かですね」
みおが言った。
「……はい」
央が答えた。
境内の片隅に、絵馬を掛ける場所があった。
いくつか、すでに絵馬が掛かっていた。
「書いていきますか」
央が聞いた。
「いいんでしょうか、お参りもしてないのに」
「先に、お参りしましょう」
ふたりは賽銭箱の前に立って、それぞれ小銭を入れた。
手を合わせて、少しの間、目を閉じた。
みおが先に目を開けて、央の方を見た。
央はまだ目を閉じていた。
みおは、何を願ったのか聞かなかった。
央も、聞かれなかった。
絵馬を一枚ずつ買って、近くの台で書くことにした。
「何を書きましたか」
央が、書き終えたみおの絵馬をちらりと見た。
「……秘密です」
みおが、絵馬を裏返した。
「……俺もです」
央が言った。
ふたりとも、絵馬を掛ける場所に向かった。
隣同士に、ふたつの絵馬を掛けた。
境内の灯籠が、ふたりの足元を、ぼんやりと照らしていた。
央が、ふと隣を歩くみおの歩幅を見た。
みおの歩幅に合わせて、自分が少し歩調を緩めた。
みおは、まだそのことに気づいていなかった。
ふたりは、しばらく無言で歩いた。
無言だったが、気まずさはなかった。
遠くから、太鼓の音が、夜の空に響いていた。
ご一読いただきありがとうございます。
ポイント、リアクションスタンプ、感想コメントなどいただけると、作者が小躍りして喜びます。
次回もよろしくお願いします。




