表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『隣の席の彼女は、今日も高すぎる』  作者: さかっち
~二年生~

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
74/100

第七十四話 8月26日 祭りの前の、支度


 八月の下旬だった。


 午後、三軒茶屋の葛城(かつらぎ)家に、みおの兄・蒼介(そうすけ)が戻ってきていた。


 みおが部屋で浴衣の帯を結んでいると、廊下から「出来たか」と声がかかった。


「もう少しです」


「手伝うか」


「……いりません」


 みおがそう言いながらも、帯の最後が少し乱れて、眉をひそめた。

 鏡の前で何度か直して、ようやく形になった。


 浴衣は紺地だった。

 白い大きめの柄が入っていた。

 みおの身体の大きさに合わせて、母が去年の夏に仕立ててくれたものだった。

 足元の草履は、高さを抑えた低めのものを選んでいた。

 少しでも、ということではなかった。

 ただ、履きやすかったからだった。


 髪はシュシュを外していた。

 後ろでゆったりとまとめた。

 いつもと少し違う形だった。


 足元に草履を履いて、廊下に出ると、蒼介がリビングの入口のところに立っていた。

 みおが「何ですか」と言おうとして、蒼介が先に口を開いた。


「……似合ってる」


 ぼそっ、とした声だった。

 聞こえているかどうかくらいの音量だった。


 みおが少し、止まった。


「……ありがとう」


 みおも、同じくらいの声で返した。

 蒼介がそれだけ聞いて、リビングに戻った。


 みおが玄関で荷物を確認した。

 小さな籠バッグだった。

 スマートフォンと財布だけが入っていた。


 外に出ると、夏の夕方の空気が、少し柔らかくなっていた。

 日差しは傾いていたが、まだ暑かった。

 遠くから、祭りの音がかすかに聞こえていた。


(……今日は)


 みおは思った。

 いつもの夏祭りと、少し違う気がした。

 何が違うのかを、うまく言葉にするのが難しかった。

 でも、嫌な「違う」ではなかった。


 みおは歩き始めた。



 同じころ、(おう)は自宅で着替えを終えていた。


 麻素材の薄い白っぽいシャツと、細身のスラックスだった。

 祖父が縁側から見て「今日は随分きちんとしてるな」と言った。


「……いつもと、それほど変わりません」


「そうか」


 祖父が笑って、視線を庭に戻した。


 央が鏡を少し確認した。

 確認して、腕時計をはめた。

 いつもの時計だった。


 今日は何か特別なことをしようとしているわけではなかった。

 ただ、みんなと夏祭りに行く。

 それだけのことだった。


 それだけのことのはずなのに、いつもと少し違う感じがあった。

 感じの正体が何なのかを、考えてみたが、はっきりとは分からなかった。


「行ってきます」


「楽しんでこい」


 央が玄関を出た。

 夕方の光が、空を橙色に染め始めていた。



 集合場所は、祭りの会場に近い神社の鳥居前だった。


 太秦(うずまさ)(けい)は、途中の駅で待ち合わせて、一緒に向かっていた。


「先輩たち、浴衣ですかね」


 慧が歩きながら言った。


「知らん。でも多分そうじゃないか」


「おれ、浴衣って似合わなくて」


「なんで」


「背が高すぎる気がして」


 太秦が慧を見た。

 慧は見た目190cmくらい、かなり大柄だった。

 別に浴衣が似合わない理由は、太秦には分からなかった。


「……普通に似合うと思うけど?」


「そうですか」


「そうだよ。来年着てみれば」


「来年の夏祭りも来られますかね」


「そこは来いよ」


 太秦がそう笑って、前を向いた。

 慧が「行きます」と言った。


 神社の前に着くと、すでに数人が集まっていた。


 ひなが浴衣姿で先に来ていた。

 薄い桃色に細かい柄が入った浴衣で、丈が少し長めにも見えたが、今日はちょうど合っていた。


「あっ、太秦くんと慧くん!」


 ひなが手を振った。


「こんにちは」


 慧が少し目を丸くした。


「……ひな先輩、浴衣、似合いますね」


「ありがとう。かわいいでしょ」


 ひなが笑った。


 さやかが少し遅れてやってきた。

 白地にシンプルな縦縞の浴衣で、飾りは少なく、すっきりした印象だった。


「お、揃ってきた」


 さやかが周りを見た。


「みんなまだ来てない?」


勢多(せた)くんと比叡(ひえい)先輩とことね先輩と……みおがまだだね」


 ひなが答えた。


「ひな、丈ちゃんと収まったじゃん」


「さやかが直してくれたから!」


 ひなが嬉しそうに言った。


「別に大したことしてない」


 さやかが笑った。



 しばらくして、央が来た。

 すぐあとに、(さく)とことねが来た。


 ことねは鮮やかな赤い浴衣だった。

 白い花柄が散っていた。

 テニスで鍛えた身体の線が、浴衣の形をよく引き立てていた。


 太秦が、ことねを見た。

 少し、止まった。


「……ことね先輩、すごいですね」


 気づいたら、口に出ていた。


「え、どういう意味?」


 ことねが少し首をかしげた。


「えっと……浴衣が、似合っていて」


「お、ありがとうな」


 ことねが笑った。


 朔が、ことねの隣に立っていた。

 ことねを見て、何かを言おうとして、言えなかった。


「……朔くん、どうしたの」


 ことねに気づかれた。


「……いえ」


 朔が答えた。

 それだけだった。


 さやかがその様子を見ていた。

 ひなと目が合った。

 ふたりとも、何も言わなかった。


 ほのかが「おそくなりました!」と走ってきた。


 慧がほのかの浴衣姿を見た。

 水色の地に白い模様が入った浴衣だった。

 慧が少し、口が開いた。


「……けいくん、口開いてるよ」


 ほのかがそのまま、慧の横に立って言った。


「っ、いや、べつに」


「え、何? 虫でも入った?」


「そんなんじゃないって」


 慧が少し早口で言った。


 ほのかは特に気にしていなかった。

 周りを見回して「わあ、みんな素敵」と言っていた。



 そこにみおが来た。


 紺地に白い大きめの柄の浴衣だった。

 低めの草履を履いていた。

 髪はシュシュを外して、ゆったりとまとめていた。


 一瞬、その場が少し静かになった。


 慧がまた口を開いた。

 今度は自分で気づいて、閉じた。


 ほのかが「葛城先輩、すごく素敵ですね」と言った。


「……ありがとうございます」


 みおが少し照れた様子で返した。


 央が、みおの方を見ていた。

 何かを言おうとして、周りの騒がしさの中で、少し待った。


 さやかがひなに「そっちそっち」と言って、二人分の射的の話を始めた。

 太秦が慧に「何食べたいか決めたか」と聞いた。


 その騒がしさの中で、央がみおの少し近くに寄った。


「……きれいですね」


 小さな声だった。

 周りには届かない声量だった。


 みおが少し、止まった。


「……ありがとうございます」


 返す声も、小さかった。


 それだけだった。

 それだけだったが、その言葉はみおの中に、静かに落ちた。


 さやかが「じゃあ行こう」と声をかけた。

 九人が揃って、祭りの会場へ向かい始めた。


 夕方の空が、もう少し暗くなり始めていた。

 提灯の明かりが、遠くに見え始めていた。


ご一読いただきありがとうございます。

ポイント、リアクションスタンプ、感想コメントなどいただけると、作者が小躍りして喜びます。

次回もよろしくお願いします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ