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『隣の席の彼女は、今日も高すぎる』  作者: さかっち
~二年生~

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第六十六話 7月7日 去年と、今年と


 図書室に、竹が飾られていた。


 入口から少し奥、カウンターの横。窓に近い場所。

 去年もあった場所に、今年も同じように笹が置かれていた。

 短冊が何枚かぶら下がっていた。

 宇陀(うだ)さんが朝のうちに準備したのだと、みおは扉を開けてすぐに分かった。


 七夕の日は、昨年もこうだった。

 去年も、この図書室に来た。


 棚の整理をしながら、みおは一度だけ笹の方を見た。

 今年は、短冊を書く気持ちになれそうだった。

 去年は、迷っていた。

 今年も迷っているが、去年とは迷い方が違った。


(何を書くか、ではなく、どう書くか)


 それだけが、今年の悩みだった。


 梅雨の終わりは空気が違う。

 湿度はまだ高いが、光の入り方が夏に近づいていた。

 図書室の窓から入る光も、六月のそれとは少し違った。

 みおが本を一冊ずつ確認しながら棚に戻した。

 手の先が、少し温かかった。



 当番が揃ったのは、放課後になってしばらくしてからだった。


 (おう)が棚の確認を始め、みおが返却本の処理をした。

 (けい)とほのかはカウンターの近くで作業していた。


 宇陀さんが短冊の束をカウンターに置いた。


「去年と同じですが、よければ皆さんも」


 慧が振り返った。


「短冊、書いていいんですか」


「書きたければ。義務ではないので」


 慧が「やった」と小声で言った。

 ほのかが「やったって何」と横を向いた。


「だって笹に短冊ってロマンじゃん」


「ロマン……」


「願い事ひとつ書けるなら書くでしょ」


「内容によっては恥ずかしくて書けないじゃん」


 慧が短冊を一枚取った。

 裏返したり、端を折ったりしながら少し考えた。


「……え、でも何書けばいいんだろ」


「それを考えるのが願い事でしょ」


「適当に書けばいいのかな」


 ほのかが「適当って何書けばいいの」と返した。

 慧が「そこから悩む感じ」と言った。


 みおがそのやりとりを少し聞きながら、自分の短冊を持った。

 端が少しだけ、湿気で曲がっていた。

 七月の空気は、まだ梅雨の名残を持っていた。



 央が棚の前で短冊を持っているのを、みおは少し見た。


 央が何かを書いて、笹の方へ向かった。

 みおが「見てもいいですか」とは聞かなかった。

 去年も、聞かなかった。


(去年の央さんの短冊)


 内容は、確か「読みかけの本を全部読み終えること」だった。

 今年は見えないが、それでよかった。

 短冊に書くものは、見えなくていい部分がある。


 みおが自分の短冊を見た。

 まだ、何も書いていなかった。

 筆ペンを持って、少し止まった。


(去年は、何を書いたか)


 他の人の目に触れないような場所に吊るしたのは覚えてる。

 願い事の形で書いたが、実際は決意に近かったような気がする。

 今年は違う。


(今年は、直接言えた)


 みおが少し筆を動かした。

 今年の願い事は、去年よりも短くなったように思える。

 それでいいと思った。


 笹に下げながら、去年の短冊と今年の短冊が並んでいないことに気づいた。

 去年の短冊は、もうなかった。

 当たり前のことだった。

 でも少しだけ、去年の自分の字が残っていたら面白かったかもしれない、と思った。



 しばらくして、慧がほのかの方を向いた。


「ほのかは何書いたの」


「見たいなら自分で見れば」


「笹に向けてるから読めないじゃん」


「それが普通でしょ」


 慧がそれ以上は聞かなかった。

 代わりに自分の短冊を見た。

 ほのかが少し、そちらを見た。


「……けいくんは何書いたの」


「見たいなら自分で見れば」


 ほのかが「それ今私が言ったやつ」と返した。

 慧が「そうかな」と言った。


 ほのかが慧の後ろから短冊を覗こうとした。

 慧が反射的に手で覆った。


「見ないで」


 ほのかが少し止まった。


「……なんか、初めて隠したね」


 慧が「そんなことない」と言った。

 でも、少し間があった。


「……去年は見せたんですか」


「去年は笹に下げたやつ読みましたよ。なんか面白いこと書いてたから」


「それは読まれた感じがする」


「短冊は読まれるためにあるんじゃないの」


「……願い事によりますかね」


 ほのかが「変なの」と言って、自分の作業に戻った。


 慧が短冊を笹に下げた。

 少し引っ張って、端をしっかり結んだ。

 その動作が、いつもより丁寧だった。


 ほのかがそれを横目で見て、少し口を閉じた。

 何か言いかけた気配があったが、やめた。


 みおがその一連を見ながら、棚の整理を続けた。


(……今年は隠した)


 去年は読まれていた。

 今年は隠した。

 それは、今年の方が「本当の願い事」を書いたということかもしれなかった。


 そういうことは、本人が気づいたときに動くものだった。

 みおは棚の本を一冊戻した。



 作業の合間に、みおが宇陀さんの方を見た。


 宇陀さんが、笹の前に立っていた。

 自分の短冊を下げた後、少しだけ全体を見ていた。


 みおが近づいた。


「宇陀さんは、今年も同じ願い事ですか」


 宇陀さんが少し振り返った。


「……そうかもしれません」


「書きかけの物語、ですか」


 宇陀さんが少し目を細めた。


「……去年と少し、違います」


「どんな違いですか」


「去年は「完成すること」でした。今年は「完成すると分かってきたこと」です」


 みおが少し、笹を見た。


「……前に進んでいるのですね」


「少しずつ、です。願い事の内容が変わるのは、進んでいる証拠だと最近思うようにしました」


 宇陀さんがそれだけ言って、カウンターに戻った。


(願い事の内容が変わるのは、進んでいる証拠)


 みおが頭の中で繰り返した。

 去年と今年で、みおの願い事は変わった。

 それは進んでいるということだった。

 そう思うと、今年の短冊の文字が少し、正しかった気がした。



 慧とほのかが上がる前に、みおが央の横を通った。


 央が笹の方を見ていた。

 短冊がいくつか、揺れていた。


 みおが少し止まった。


「……去年の(さく)さんの短冊、何て書いてあったか覚えていますか」


 央が少し、みおを見た。


「……覚えています」


「なんと書いてありましたか」


「「大切な人が笑っていること」、でした」


 みおが短冊を見た。

 今年の笹の中に、朔の短冊はなかった。

 今年の朔は図書委員ではない。

 図書室には来ているが、短冊を書くタイミングがなかったのかもしれなかった。


「……叶いましたね」


 みおが言った。


 央が少し、口元を動かした。


「そうですね」


 答えはそれだけだった。

 でも、その「そうですね」の中に何かがあるのを、みおは感じた。

 朔の願い事が叶ったことを、央も静かに喜んでいた。

 それは言葉にするより、短冊の揺れ方の方がよく伝わっていた。


 慧が「お先に失礼します」と言った。

 ほのかが「失礼します」と続いた。

 ふたりが扉を出ていくのを見送った。



 作業の終わりに、みおは笹をもう一度見た。


 短冊がいくつか下がっていた。

 みおのと央のと、慧のとほのかのと、宇陀さんの分。

 それぞれが少し違う高さにあって、梅雨の湿気を含んだ空気の中で揺れていた。


 内容は読もうと思えば読めた。

 でも、読まなかった。

 短冊というのはそういうものだと思っていた。

 飾られていても、覗かない方がいい。

 願いというのは、見せても隠しても成立するが、

 一番しっくりくるのは「ここに書いた」という事実だけが残る状態だとみおは思った。


 そのことを誰かに言ったことはなかった。

 言ったところで伝わるかどうか分からなかった。

 でも今は、となりに央がいた。

 央なら分かるかもしれない、とも思った。


(……いつか言おう)


 今日は言わなかった。

 でもそれは「言えなかった」ではなく、「また別の日に言えばいい」という感覚だった。

 そういう感覚が積み重なることが、去年とは違うことのひとつだった。



 図書室を出るのは、みおと央が最後だった。


 廊下に出ると、窓の外の空がまだ明るかった。

 七月の夕方は長い。

 梅雨の晴れ間が続いているのか、今日も光がよかった。


 ふたりで廊下を歩いた。


 しばらくして、央が少し声を出した。


「……去年の今頃と、何が違いますか」


 みおが少し、前を向いたまま考えた。


 去年の七夕は、何があったか。

 図書室で短冊を書いた。

 央がいた。

 でも今とは、空気が違った。

 何かを言いたくて言えない感じが、去年はもっと重かった。


「……言えないことが、ひとつ減りました」


 央が少し間を置いた。


「……俺もです」


 それだけだった。

 ふたりとも、それ以上は言わなかった。


 窓の外の空が、少し薄くなっていた。

 梅雨が明けるとこういう空になる、とみおは思った。

 まだ明けていないが、もうすぐそこに夏がある感じがした。


 校門を出て、住宅街の路地に入った。

 去年の七夕の帰り道を、みおは少し思い出した。

 去年のこの時間、並んで歩いていなかった。


(今年は、並んでいる)


 それが当たり前になったのは、いつ頃からだったか。

 正確には分からなかった。

 でも今は確かに、ここに並んでいた。


「……央さんは、今年の願い事を書きましたか」


「書きました」


「去年と、変わりましたか」


 央が少し止まった。

 歩きながら少し、空を見た。


「……去年と似たようなことを書きました。でも少し変わりました」


「どう変わりましたか」


「去年は「なりますように」と書きました。今年は「なってよかった」と書きました」


 みおが少し、前を向いたまま止まった。

 止まらないように歩き続けたが、一瞬、足が遅くなった。


(「なってよかった」)


 願い事が、願い事ではなくなっていた。

 叶った後に、叶えてよかったと確かめる言葉になっていた。


 みおが少し、自分の足元を見た。

 路地の影が伸びていた。

 七月の夕方の影は長かった。


「……わたしも、似たようなことを書きました」


 央が少し、みおを見た。


「「なってよかった」ですか」


「少し違いますが、そういうことです」


 央が「そうですか」と言った。

 その声が、少し穏やかだった。


 ふたりで路地を歩いた。

 何も言わなくても、それで十分だった。


 言えていないことが「ある」から「ひとつ減った」に変わった。

 そういうことを言葉にすると大げさになるような気がして、みおは何も付け足さなかった。

 央も付け足さなかった。

 でも確かめ合えた、という感覚はあった。

 それで十分だった。


 駅まであと少しのところで、みおが少し空を見た。

 梅雨の終わりの空は白みがかった橙で、本当の夕焼けとは少し違う色をしていた。

 こういう空を好きだと思ったのは、いつからかみおには分からなかった。

 でも今日の空は、覚えておく気がした。


 空の端が、橙から薄紅に変わっていた。

 梅雨が終わる色だった。

 もうすぐ夏になる。

 夏になったら、また違うことが始まる。


 みおが少し、前を向いたまま思った。


(……去年より、今年の方が好きだ)


 七夕のことではなかった。

 今年のこの時間のことだった。

 去年のこの時間ではなく、今日の今この路地を並んで歩いている時間のことだった。


 央が前を向いたまま歩いていた。

 みおも前を向いたまま歩いた。

 並んでいた。

 それだけで、今日はよかった。


ご一読いただきありがとうございます。

ポイント、リアクションスタンプ、感想コメントなどいただけると、作者が小躍りして喜びます。

次回もよろしくお願いします。

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