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『隣の席の彼女は、今日も高すぎる』  作者: さかっち
~二年生~

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第六十二話 6月3日 十七番目の朝


 6月3日の朝、みおは少し早く目が覚めた。


 6時前だった。

 カーテンの隙間から、白い光が入ってきていた。

 梅雨の前の、晴れた朝だった。


(……今日で、十七歳)


 天井を見た。

 特別な感覚があるわけではなかった。

 去年の今日も同じような朝だったと思う。


 でも、今年は少し違った。

 去年と同じ日に、去年と違うことが起きる予感があった。


 起き上がって、緑茶を入れた。

 いつもと同じ流れで、でも今日は少しだけ手の動きが遅かった。



 朝食のとき、母が「おめでとう」と言った。

 父がLINEでスタンプを送ってきた。

 蒼介(そうすけ)はまだ部屋にいたが、みおが起きてすぐ「おめでとう」と廊下から言ってきた。


 ドアが少し開いた。

 蒼介が顔だけ出した。


「今年はどんな一日になりそう」


「……図書委員の当番があります」


「それ以外は」


 みおが少し間を置いた。


「……それ以外も、少しあります」


 蒼介が少し口を開いた。

 聞こうとして。

 止まった。


「そっか。いい日になるといいな」


 それだけ言った。

 ドアが静かに閉まった。


 みおが緑茶の湯呑を両手で持った。

 温かかった。



 登校すると、さやかが教室の入口で待っていた。


 手には紙袋があった。

 中身が何かは見えなかったが、みおには想像がついた。


「おめでとう」


 さやかが迷わず言った。


「ありがとうございます」


「「ありがとう」でいい。もう何年目だと思ってるの」


「……ありがとう、さやか」


「よし」


 さやかが紙袋を差し出した。

 みおが受け取った。

 中を開けると、チョコレートが入っていた。

 博多で有名な、さやかがたまに取り寄せる銘柄だった。


「好きなやつだったよね」


「……好きです。覚えてくれていたんですね」


「毎年のことやん」


 博多弁が少し混じった。

 さやかが笑った。

 みおも少し、口元が緩んだ。


 ひなが少し遅れて廊下から走ってきた。

 朝から走っているのはひなくらいだった。


「みお! おめでとう!」


「ありがとう、ひな」


「今年のやつ見せてあげる。これすごいよ」


 ひなが鞄から袋を出した。

 小さなコスメポーチだった。

 トレンドの色だというのはみおには分からなかったが、ひなが選んだものだということは分かった。


「……ありがとう。使ってみます」


「うちが選んだから絶対似合うから。高身長に映える色なんだよ」


「ひな、それ自分で言うの」


 さやかが呆れたように言った。

 ひなが「よくない? 事実だし」と悪びれもなく返した。

 みおが小さく笑った。


 朝のホームルームが始まる前の、短い時間だった。



 一時間目が始まって、みおは少しの間だけ、中をうかがうように教室を見た。


 (おう)は今日も定位置に座っていた。

 最後列。

 窓寄りの席。

 みおの斜め後ろ。


 LINEは届いていなかった。

 当番が終わった後で渡すと言っていた。

 つまりまだ、その時間ではなかった。


(去年も、図書室でした)


 去年、央は図書委員の当番が終わった後で渡してくれた。

 どら焼きと本だった。

 「なんで好きだって知ってたんですか」と聞いたら、「GWのときに話していたので」と答えた。


 みおはその日のことを、今でもよく覚えていた。


 包みを開けたとき、少し手が緊張した。

 誰かにもらったものをあんなふうに受け取ったのは、いつぶりだったか分からなかった。


(……今年は)


 今年は、どう受け取ればいいか、みおには分からなかった。

 去年と違う立場で、去年と同じ場所で、もらうことになる。


 それがどういうことか。

 言葉にするのは難しかった。



 放課後、図書委員の当番が始まった。


 宇陀(うだ)さんがカウンターの奥で本の作業をしていた。

 (けい)が入口から顔を出して「今日、当番でしたっけ」と確認してから入ってきた。

 ほのかがその後ろから「入っていいって言ってくれれば入るのに」と言った。

 慧が「一応確認する方がよくない」と言い返した。


 みおが「大丈夫ですよ」と言うと、ふたりが揃って「失礼します」と言って入ってきた。


 慧がみおの方を見た。


「あ、そういえば先輩、今日誕生日って聞いたんですけど」


「……誰から聞いたんですか」


「ほのかが。合ってますか」


「……合ってます」


「おめでとうございます!」


 慧が少し大きい声で言った。

 宇陀さんが静かに顔を上げた。

 みおが「……声」と言うと、慧が「あ、すみません」と言って首をすくめた。


 ほのかが「おめでとうございます」と続けて言った。

 こちらは最初から小声だった。


「誕生日、知ってたの?」


 慧がほのかに聞いた。


葛城(かつらぎ)先輩に聞いたことあったんだよね」


「俺は知らなかった」


「けいくんは人の話を聞いてないからね」


「聞いてるよ」


「じゃあ私が生まれた日は?」


 慧が止まった。


「……覚えてない」


「だから言ってるの」


 ほのかが少し呆れた顔をした。

 みおが静かに聞いていた。


(……元気だな)


 でも不快ではなかった。

 図書室に人の声があることに、少し慣れていた。


 宇陀さんが「今日はお祝いの日ですね」と静かに言った。

 みおが「はい」と答えた。

 宇陀さんが少し口元を動かした。

 笑ったのだと思う。



 当番の最後の整理が終わった頃、央が棚の前から戻ってきた。


「……終わりました」


「はい。わたしも終わりました」


 ふたりだけになっていた。

 慧とほのかは先に上がっていた。

 宇陀さんはカウンターの中で静かに本を見ていた。


「……少し時間がありますか」


「……あります」


 央が鞄から紙袋を出した。

 白い袋だった。

 シンプルで、央らしかった。


「渡したいものがあります」


「はい」


 みおが受け取った。

 去年と同じ動作で、少し丁寧に持った。


「……開けてもいいですか」


「もちろんです」


 袋を開けた。

 中身を見た。


 本が一冊。

 文庫版で、みおが以前「別の本があれば読みたい」と言っていた作家のタイトルだった。

 去年もらった一冊とは違う本だったが、同じ作家だと分かった。


 それから、どら焼きが入った袋。

 それから、もう一つ。

 小さな箱に入った上生菓子だった。

 あんこ系で、でもどら焼きとは別の系統のものだった。


 みおが少し止まった。


「……増えてますね」


「去年もどら焼きと本を渡したので、そこは残したかったんです。でも今年のものも足したくて」


「……本は、去年と同じ作家ですね」


「みおが「別の本があれば読みたい」とおっしゃっていたので」


「……いつの話ですか」


「図書委員の当番のときです。1年のとき」


 みおが少し、手の中の袋を見た。


(……覚えていた)


 去年の誕生日と同じことを、今年も思った。

 この人はこちらの言葉を、ちゃんと聞いている。


「……ありがとうございます」


「……どういたしまして」


 短い返答だった。

 でも央の言い方は、いつもそうだった。

 それで十分だった、とみおは思っていた。


 しばらく黙っていた。

 図書室の静けさが、ふたりの周りにあった。


 みおが少し、棚を見た。

 去年と同じ場所だった。

 同じ棚の前で、同じように立っていた。


「去年も、ここで渡してくれましたね」


 央が少し間を置いた。


「……覚えていましたか」


「当然です」


 央が少し、みおの方を見た。

 みおが少し、央の方を見た。


 どちらも何も言わなかった。

 でも何かが通ったような、静かな間があった。


 宇陀さんがカウンターの奥で本をめくる音がした。

 それだけだった。



 図書室を出ると、廊下に夕方の光が差していた。

 6月の光は少し重かった。

 でも今日は晴れていたから、橙に近い色をしていた。


 ふたりで廊下を歩いた。

 いつもの帰り道だった。


「学校の帰り、少し寄ってもいいですか」


 央が言った。


「……どこかありますか」


「……みおが行ってみたい場所でいいです」


 みおが少し考えた。


「……少し遠くなりますが」


「構いません」


 みおが歩きながら、少し先を見た。


「梅晴堂に行ってもいいですか」


 央が少し間を置いた。


「……久しぶりに行きますね」


「知っています。だから聞きました」


 央が短く頷いた。

 みおが少し、口元が動いた。


 笑ったのだと央には分かった。



 梅晴堂は平日の夕方で、少し空いていた。

 みおが迷わず選んだ。

 どら焼きとは別に、最中を二つ取った。


「……いつも来るんですか」


「来ます。買いやすい時間を読むのが得意なので」


「……そうでしたか」


「ここは開店直後か、15時過ぎが空いています」


「調べたんですか」


「……通ううちに分かりました」


 央がみおを少し見た。

 みおが「……何ですか」と言った。


「みおらしいと思って」


「……どういう意味ですか」


「好きなものに対しては正確だということです」


 みおが少し止まった。

 返す言葉を探した。

 出てこなかった。


「……そうかもしれません」


 結局そう言った。

 央が「そうです」と言った。

 確認するような言い方だった。


 みおが最中を一つ選んで、央の方に向けた。


「どちらがいいですか」


「……どちらでも構いません」


「それでは選べません」


「……じゃあ、左のやつを」


 みおが左の最中を央に渡した。

 それから自分の分を手に取った。


 ふたりで並んで、店の外に出た。

 6月の夕方の空気は少し湿っていた。

 でも雨の気配はなかった。


 袋から最中を出して、一口食べた。

 あんこがきちんと詰まっていた。


「どうですか」


 みおが聞いた。


「……おいしいですね」


「梅晴堂は皮が薄いんです。あんこの量が多く感じる」


「……確かにそうですね」


「それが好きなんです」


 央が少しの間、手の中の最中を見た。


「これからは、もっと通ってみようと思います」


「いいですね。央さんのお気に入りも分かりました」


「……はい。ここを通るとき、思い出すことにします」


 みおが少し前を向いた。


(この人は、そういうことをさらっと言う)


 照れたのではなかった。

 ただ、返し方が分からなかった。


「……それは、いいことだと思います」


 そう言うのが精一杯だった。

 央が「そうですね」と短く言った。


 それで十分だった。


 みおが少しの間、前を見た。


(……こういう人だ)


 言葉は多くないけれど、見ている。

 見た上で言う。


 去年の今日、「GWのときに話していたので」と言ったときと同じだった。

 一年経って、央が変わったかどうかは分からなかった。

 でも、自分が央のことをもう少し知っていた。


 それが一年で変わったことだった。



 帰り道、電車の中でみおはスマートフォンを開いた。


 蒼介からのLINEが来ていた。


───────────────────────

蒼介:おめでとう

蒼介:いい誕生日になった?

蒼介:……彼氏に祝ってもらえた?

───────────────────────


 みおが少し止まった。


(……彼氏)


 蒼介が「彼氏」という言葉を使ったのは、初めてだった。

 これまでは「誰か」とか「その人」とか、ぼやかした言い方をしていた。


 認めた、ということだとみおは理解した。

 言いたくなかったけれど言った、という蒼介の側の変化に感じた。


 みおが返事を打った。


───────────────────────

みお:ありがとうございます

みお:いい誕生日でした

みお:……もらえました

───────────────────────


 少し間があった。


───────────────────────

蒼介:よかった

───────────────────────


 それだけだった。

 聞かなかった。

 どこで、どんなプレゼントで、という続きを聞かなかった。


(……変わった)


 みおはそう思った。

 蒼介が、少し変わっていた。


 スマートフォンを鞄にしまった。

 窓の外を、夕方の街が流れていった。



 夜、部屋に戻ってから、みおは受け取ったものを机の上に並べた。


 さやかのチョコレート。

 ひなのコスメポーチ。

 央からの本と、どら焼きと、上生菓子。


 梅晴堂の最中はもう、ふたりで食べた後だった。


 本を手に取った。

 文庫の表紙を見た。

 まだ読んでいないタイトルだった。


(……読む前から、少し好きになっている)


 と思った。

 央が選んだから、ではなく。

 央が「みおが言っていた」と覚えていて選んだから、だった。


 その違いは小さいようで、みおには大きかった。


 もらいっぱなしだな、と少し思った。

 去年も今年も、央から渡される側だった。


(……何かできることがあるだろうか)


 考えてみた。

 すぐには思い浮かばなかった。


 央が好きなのは珈琲と読書と、静かな場所だということは知っていた。

 でも央のために何かを選んで渡す、というのをまだ慣れていない。


 それが少し引っかかった。

 悪いことをした感じではなかった。

 ただ、このままでいいかどうか、少し考えた。


(……いつか、できるといい)


 答えは出なかった。

 でも考えたことは、頭の端に残った。


 緑茶を入れて、本の最初のページを開いた。


 最初の一文を読んだ。

 しっかりした文章だった。

 この作家のもう一冊を読んだときと、同じ手触りだった。


(……央さんが選んだ)


 もう一度思った。

 それだけで、ページをめくる指が少し丁寧になった。


 窓の外で、6月の夜が静かに続いていた。


 十七番目の夜が、ゆっくりと深くなっていった。


ご一読いただきありがとうございます。

ポイント、リアクションスタンプ、感想コメントなどいただけると、作者が小躍りして喜びます。

次回もよろしくお願いします。

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