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第六話 4月24日 図書室の住人たち


 図書委員の初回オリエンテーションは、四月の最終週に設定されていた。


 放課後のHRが終わると、笠置(かさぎ)先生が「図書委員の人は図書室に集合してください」と言った。

 (おう)は手帳にメモした日付を確認して、鞄を持って立ち上がった。


 廊下に出ると、みおがすでに教室の外にいた。


 それだけのことだったが、少し意外だった。

 みおはいつも、帰りの支度をゆっくりとする。

 先に出て待っている、という印象がなかった。


「……図書室、どこか分かりますか」


 みおが聞いた。

 廊下の人の流れを少し気にするように、声は小さかった。


「北棟の三階だと思います。行き方は、たぶんこっち」

「……ありがとうございます」


 ふたりは並んで歩いた。


 廊下を歩くと、何人かが振り返った。

 理由は分かっていた。

 央は正面を向いたまま歩いた。


 みおは少し肩を内側に入れて歩いていた。

 なるべく小さく見せようとする、いつもの癖。

 でも廊下の横幅を考えると、そこまで縮めることには意味がないのを央は知っていた。

 言えなかった。

 言う必要はなかった。


 北棟の階段を上ると、突き当たりの右手に「図書室」と書かれた札が見えた。


「あそこですね」

「……はい」


 みおが静かに答えた。



 図書室のドアは少し重かった。


 中に入ると、本の匂いがした。

 紙と埃と、かすかな木の香り。

 央はその匂いが嫌いではなかった。


 室内は思ったより広かった。

 本棚が規則正しく並んで、その間に机と椅子が点在している。

 窓際に大きなカウンターがあり、その向こうに人の影が見えた。


「来てくれましたね」


 カウンターの向こうから、静かな声がした。


 女性だった。

 三十代らしい落ち着いた雰囲気で、眼鏡をかけていた。

 紺のカーディガンに、細い首のシルエット。

 立ち上がったところで、央と視線が合った。


「宇陀、と申します。この図書室の司書をしています。宇陀で"うだ"です」


 一拍おいてから、「読み方が珍しいので最初に言うようにしているんです」と付け加えた。

 声の調子は変わらなかった。

 何度も繰り返してきたことが、滲んでいた。


勢多央(せた おう)です」

「……葛城(かつらぎ)みおです」


 宇陀さんは、ふたりを順番に見た。

 みおを見たとき、少し視線が上に行った。

 でも何も言わなかった。

 央は、それを見ていた。


「もう一人来るはずです。少し待ちましょうか」


 宇陀さんがそう言うと、ほぼ同時に図書室のドアが開いた。


 入ってきたのは、男子生徒だった。

 黒髪をきれいに整えたマッシュ、細身の体型。

 央より少し背が低い。

 高校生にしては落ち着いた歩き方をしていた。


「すみません、少し遅れました」


 言い方は穏やかで、急いでいた様子がなかった。


「大丈夫ですよ」と宇陀さんが答えた。「比叡(ひえい)くん、今年もよろしくお願いしますね」

「こちらこそ」


 二年生だと、央はすぐに分かった。

 比叡。

 ことねちゃんが言っていた名前だった。


(サクさん、か)


 比叡朔は央を見た。

 少し目が細くなった。

 観察するような、でも警戒ではない目つき。


「……勢多くん、ですよね」

「そうです」

波多野(はたの)さんから聞いてました。図書委員に入るって」


 央は少し驚いた。

 ことねちゃんが話していたのか、と思った。


「彼女、君のこと気にかけてるんで」と朔が言った。「大変だな、と思って」

「大変、というのは」

「従弟のことを全校に言いふらして歩くのが波多野さんの趣味なので」


 朔は淡々と言った。

 笑ってはいなかったが、悪意もなかった。

 事実の報告のような口ぶりだった。


 央はこめかみに力が入るのを感じた。


(ことねちゃんに後で言おう)


「葛城さん、ですか」


 朔がみおを見た。

 みおが「はい」と答えた。


「比叡朔です。一個上なので先輩にはなりますが、委員会では関係ないので、普通に」


 言い方が簡潔だった。

 押しつけがましくない。


「……よろしくお願いします」


 みおは小さく頭を下げた。



 宇陀さんが四人分の椅子を出して、カウンター前のテーブルを囲む形で座った。


「では、図書委員の仕事について説明しますね」


 宇陀さんはファイルを開いた。

 几帳面に整理されたプリントが入っている。


「主な仕事は三つです。貸出・返却の補助、本棚の整理と配架、それから図書室前の掲示板の更新。それぞれ順番に説明します」


 落ち着いた説明だった。

 一言ずつ、丁寧に。

 聞いていて、情報が頭に入ってきやすかった。


「貸出と返却の補助は、昼休みと放課後の一定時間、カウンターに入ってもらいます。週一回、一時間程度が目安です。二人一組で担当してもらいます」


 央はメモを取った。

 となりで、みおも同じようにメモを取っていた。


「本棚の整理は、月に一度、返却された本が正しい場所に戻っているか確認する作業です。分類番号に沿って並べ直します。覚えてしまえば難しくはないですが、最初は少し時間がかかります」


「分類番号、というのは」と央が聞いた。

「日本十進分類法です。本が〇から九のカテゴリで大別されていて、さらに細かく分かれます。今日、棚を見ながら説明しますね」


 宇陀さんはそう言って、メモの端に数字を書いた。


「掲示板の更新は、月替わりのおすすめ本を紹介するポップを作ってもらいます。どの本を紹介するかは委員が選んでいいので、読みたい本でも、好きな本でも」


 みおが少し顔を上げた。

 何かに反応した表情だった。


「……好きな本、でいいんですか」

「もちろんです。義務感で紹介された本は、読む方にも伝わってしまうので」


 宇陀さんが静かに言った。

 みおが小さく頷いた。


「本を選ぶのは好きです」と、みおが言った。

 自分で言ってから、少し驚いた顔をした。

 唇を軽く噛む。


「それは良かった」


 宇陀さんは表情を変えなかったが、声が少しだけ柔らかくなった気がした。


 朔は手元のメモに視線を落としたまま、何も言わなかった。

 ただ、その口角が微かに上がったのを、央は目の端で見た。


(何かおかしかったか)


 自分には分からなかった。



 説明が一通り終わると、宇陀さんが「棚を見ながら歩きましょうか」と言った。


 本棚の間を、四人で歩いた。


 棚は高いところで二メートル近くある。

 一般書・文庫・参考書・辞典・雑誌のバックナンバーと、細かく仕切られていた。


「一番上の棚には、雑誌の合本や大型本が入っています。ちょうど今、数冊ずれているものがあって」


 宇陀さんが上を指した。


 天井近くの棚に、確かに数冊、向きが乱れていた。

 宇陀さんが背伸びをして手を伸ばしたが、届かなかった。

 朔も同様に試みて、首を振った。


「……わたしが取ります」


 みおが言った。

 声は小さかったが、はっきりしていた。


 みおが棚の前に立って、腕を伸ばした。

 難なく届いた。

 乱れていた本を、一冊ずつ背表紙を確かめながら揃えた。


 その間、誰も何も言わなかった。

 央は自分が何を見ているのか、少し整理がつかなかった。


(さっきまでと、少し違う)


 廊下を歩いていたときのみおではなかった。

 猫背になって、人の目を気にして、なるべく小さくいようとしていたみお。


 棚の前に立つみおは、ただ、腕を伸ばしていた。

 それだけだった。

 その動作に迷いがなかった。


「ありがとうございます」


 宇陀さんが言った。


「……ここの棚は、背が届かないと整理しにくくて。委員の方にもお願いしにくかったんですが、葛城さんが来てくれて助かりました」


 みおは少し固まった。

 それから、ゆっくりと答えた。


「……お役に立てるなら、いつでも」


 素直な言葉だった。

 慣れた謙遜でもなく、照れ隠しでもなかった。


 宇陀さんが小さく微笑んだ。

 朔が手元のメモに何かを書いていた。


 央はそれをなんとなく見ていた。

 朔のメモ帳に書かれていたのは、分類番号ではなかった気がした。



 棚を一周して、カウンター前に戻ってきた。


「最後に、グループLINEの作成だけさせてください。お知らせなどをここで共有します」


 宇陀さんが言った。


「司書の先生もグループに入るんですか?」と央が聞いた。

「入りますよ。でも、連絡以外では基本的に発言しません。邪魔したくないので」


 央は「分かりました」と答えた。


 スマホを取り出して、QRコードを読み込む。

 あっけなく四人のグループができた。


 グループ名は「図書委員1A・2B」になっていた。

 朔が作ったらしかった。


 最初のメッセージは宇陀さんから来た。


『本日はお疲れ様でした。次回の委員会は5月の第2週を予定しています。詳細はまた連絡します』


 続いて朔が『ありがとうございました』と送った。

 みおが少し遅れて『ありがとうございました』と送った。


 央は画面を見ながら、みおのアイコンを確認した。

 白地に小さな本のイラストが描いてあった。

 シンプルな、みおらしいアイコンだと思った。


(葛城さんらしい、か)


 まだ半月しか知らない相手に対して、そういう感想が出るようになっていた。

 央はそれを少し不思議に思いながら、グループに『ありがとうございました』と送った。



 図書室を出ると、廊下はもう人が少なくなっていた。


 朔が「先に失礼します」と言って、先を歩いた。

 歩き方が静かだった。

 足音があまりしない。


 央とみおは、並んで階段に向かった。


「……図書室、思ったより広かったです」


 みおが言った。

 歩きながらの言葉で、誰かに届けようとした声というより、ひとりごとに近かった。


「本が多かった。前に卒業生が寄贈したものがあると聞いていましたが」

「……そうなんですか」

「本人からではなく、教師から聞いたので詳しくは分かりませんが」


 みおは少し考えるような顔をした。


「寄贈、って面白いですね。誰かの蔵書が、その人が卒業した後もここに残ってる」

「……確かに」


 央は少し考えた。


「読んだ人の痕跡みたいなものかな。本に書き込んであるわけじゃないけど」

「図書室の本だから、書き込みはないですよね。でも、選んだ、という事実は残る」


 みおが言った。

 語尾が少し上がった。

 普段のみおの話し方より、わずかに弾んでいた。


(本の話をするとき、少し変わる)


 気のせいかもしれなかった。

 でも、廊下の目線を気にしているときのみおと、今のみおは、少し違った。


 階段の踊り場で、ふたりは自然に足を止めた。


 窓から校庭が見えた。

 部活の声が、遠くから聞こえてくる。

 ラケットが何かを打つ音が混じっていた。テニス部だろう。


 央はそれを聞いて、ことねちゃんを思った。


「委員の仕事、難しくなさそうで良かったです」


 みおがそう言った。

「そうですね。宇陀さんの説明が分かりやすかった」

「……わたし、棚の整理は好きかもしれないです」

「図書室の?」

「本が、分類通りに並んでいるのを確認する作業。なんというか、落ち着く」


 みおは言ってから、「変ですか」と付け加えた。


「変じゃないと思います」


 央は素直に答えた。


「俺も、本が並んでいるのを見ると少し落ち着く。図書館に行くと、棚を見て歩くだけで時間が経つ」

「……分かります」


 みおが小さく言った。

 「分かります」の声が、いつもより少し大きかった。


 ふたりとも、そこから少しの間、黙った。

 悪い沈黙ではなかった。

 部活の音が、遠くで続いていた。


「じゃあ、またホームルームで」


 みおが先に言った。

 言ってから、自分から言い出したことに少し驚いたような顔をした。


「はい。また明日」


 ふたりは階段を下りた。

 下り口で方向が別れた。


 央は自分の靴箱に向かいながら、さっきの会話を少し反芻した。


(本が並んでいるのを見ると落ち着く、か)


 自分が言ったことだが、言葉にして初めて気づいた感覚でもあった。

 みおも同じだと言っていた。


 嘘ではないと思った。



 校門を出たところで、スマホを開いた。


 さっき作られたグループLINEの画面が開いていた。


 四人のアイコンが並んでいる。

 宇陀さんは本棚の写真。朔は無地のグレー。

 自分はデフォルトの人型のまま変えていない。


 みおのアイコンの白地の本を、もう一度見た。


 個人的な連絡先は、まだ交換していない。

 グループで繋がっているが、それと個人のLINEはまた別の話だった。


 何か用事があれば、グループに書けばいい。

 用事がなければ、書かない。


 それだけのことだ。


(……それだけのことか)


 自分に言い聞かせながら、腕時計を撫でた。

 文字盤が夕方の光を受けていた。


 太秦(うずまさ)から着信が来た。


「今どこ? コンビニ先行ってるけど」

「すぐ行く」

「委員会どうだった?」

「仕事の説明を聞いた。司書の先生と、二年の先輩がいた」

「比叡さん? ことね先輩と同じクラスの」

「よく知ってるな」

「姉から聞いた。同じ学年なんだって」


 太秦は「まあ早く来て」と言って通話を切った。


 央は歩き出しながら、先ほどの図書室を少し頭の中で振り返った。


 宇陀さんの静かな説明。

 棚の前に立ったみおの、迷いのない動作。

 分かります、と言ったみおの声。


 それぞれが、それぞれの場所に収まっていく感じがした。

 悪くなかった。


 コンビニのガラス越しに、太秦がこちらに手を振っているのが見えた。

 肉まんを両手に持っていた。


(何個買ったんだ)


 央は速足になって、ドアを引いた。



 その日の夜、グループLINEに朔からメッセージが届いた。


『図書室の貸出管理システム、昨年度と変わっていないか確認しました。同じです。勢多くん、葛城さん、不明点があれば気軽に聞いてください』


 几帳面な文章だった。

 丁寧で、余分がない。


 みおが先に返信した。


『ありがとうございます。よろしくお願いします』


 央も続けた。


『ありがとうございます。よろしくお願いします』


 文面が被った。

 気づいたのが自分だけでないとしたら、みおも気づいているかもしれない。


 しばらく待ったが、みおからは何もメッセージが来なかった。


 被ったことに気づいて、笑っているかもしれない。

 あるいは気にしていないかもしれない。


 どちらとも取れた。


 央はスマホを置いて、文庫本を開いた。

 読みかけの推理小説の続きを読み始めた。


 数ページ読んで、ふと思った。


(葛城さんは、どういう本を好むのだろう)


 図書室で選んで紹介するとしたら、どんな本を選ぶのだろう。


 聞く機会があるかもしれない。

 委員会で本の話をするなら、自然に聞けるかもしれない。


 そう思ってから、また本に目を戻した。

 ページが進んだ。


 ことねちゃんから夜にLINEが来るのは、いつもの癖だった。


『今日の委員会、どうだった?』


 察しが良すぎる。


『普通だった』

『朔くんとは話せた?』

『少しだけ』

『どう思った?』

『落ち着いた人だと思った』

『でしょ。いい子なんよ。見た目より物静かやけど、ちゃんと気がつく子やから』


 央は少し考えた。


『ことねちゃんのこと、俺の従弟だと話してた』

『え、そんな話したっけ』

『したらしい。気にかけてるって言ってた』

『まあ、してるよ。央が入学してちゃんとやれてるか気になってるし』

『心配しなくていい』

『してない。ちゃんとやってそうやから』


 少し間があって、続きが来た。


『葛城さんも一緒だったん?』

『そうです』

『……また丁寧語』

『それがどうした』

『なんでもな~い』


 絵文字が一個ついていた。

 央はそれを見て、スマホを閉じた。


 文庫本に戻った。

 ページを一枚めくった。


 図書室には、また来週から通うことになる。


ご一読いただきありがとうございます。

ポイント、リアクションスタンプ、感想コメントなどいただけると、作者が小躍りして喜びます。

次回もよろしくお願いします。

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