第五十八話 5月3日 連休のそれぞれ
ゴールデンウィークは5月6日の火曜日まで続いた。
その間、何があったかを一言で言えば、それぞれの連休だった。
学校の外に出て、それぞれの場所に戻っていく。
それがゴールデンウィークというものだと、央は毎年思う。
今年は、少し違った。
去年もGWはあった。
でも去年とは、何かが違う。
(……何が違うかは、うまく言えない)
と思いながら、5月の最初の朝に珈琲を入れた。
梅晴堂に行こうと思っていたのはみおの方だった。
個人LINEで連絡が来たのはGW初日の夜だった。
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みお:GW中に梅晴堂に行きたいと思っているのですが。
みお:よければ一緒に来ませんか。
みお:柏餅が出る時期なので。
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央は少し間を置いてから返した。
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央 :行く。
央 :何日がいいか。
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みお:3日はいかがですか。
みお:昼前に現地で待ち合わせでも大丈夫ですか。
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央 :大丈夫。
央 :11時にする。
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それだけで話がまとまった。
短いやりとりだった。
でも央は、連絡が来た瞬間から少し浮いた感じがしていた。
(……GWにみおから連絡が来る、ということが、去年はなかった)
当然だった。
去年の今頃はまだ、個人LINEを交換してもいなかった。
今年は違う。
その違いが、自分の中にどう落ちているか。
うまく言語化できないまま、央はその夜に珈琲を一杯飲んで眠った。
5月3日の11時に、梅晴堂の前でみおが待っていた。
私服だった。
薄いグレーのゆったりしたシャツに、ダークブルーのワイドパンツ。
いつもより少し柔らかいシルエットだった。
央の方を見て、少し頷いた。
「……来ました」
「待ちましたか」
「……少しだけ」
「……すみません」
「早く来すぎたので、わたしのせいです」
みおが言った。
その言い方が、少し照れくさそうだった。
梅晴堂は昼前だったが、すでに何人か並んでいた。
列の端に並んで、ゆっくり進んだ。
「柏餅は今日で今年の最後かもしれないと思って」
みおが前を向きながら言った。
「……端午の節句が終わると、ということですか」
「そうです。この時期を逃すと来年まで待つことになるので」
「それで連絡してくださったんですね」
「はい。ひとりで来てもよかったんですが」
みおが少し、横を向いた。
「……央さんと来た方がいいと思いました」
央が少し、みおを見た。
みおは前に向き直っていた。
(……「方がいい」という言い方か)
それだけの言葉だったが、何かが含まれている気がした。
あえて確認しなかった。
列が少し進んだ。
5月の風が一度吹いた。
柏餅を二つ、どら焼きを一つ買った。
みおがどら焼きの小さな紙袋を持って「これはもう少ししてから」と言った。
「今は食べないんですか」
「梅晴堂のどら焼きは、座って食べると落ち着きます」
「こだわりがあるんですね」
「……いつも決めているわけではないんですが、なんとなく」
ふたりで少し歩いて、近くの公園のベンチに座った。
木漏れ日があった。
5月の光は柔らかかった。
みおが柏餅を袋から取り出した。
少し目が変わった。
和菓子の前でのみおの顔は、いつもより素に近い。
央はそれを横目で見た。
去年のGWの梅晴堂でも同じ顔をしていた。
一年経っても変わらない部分がある。
「……美味しいですか」
みおが先に聞いた。
「美味しいですね。葉の香りが残っています」
「そうなんです。柏の葉の使い方がここはいいと思って」
みおが少し続けた。
「……こういう話、誰かとするのは、ここに来るときくらいです」
「和菓子の話を、ですか」
「はい。さやかもひなも、甘いものは好きですが、細かいところまで話すと引かれるので」
「……引きません」
央が端的に言った。
みおが少し横を向いた。
「……知っています」
それだけだった。
ベンチの横で、子どもが駆け抜けていった。
ふたりしばらく、並んで食べた。
食べ終わってから、みおがどら焼きの袋を開けた。
一口食べて、少し止まった。
「……どうしましたか」
「何も。ちょうどいいと思っただけです」
央がみおを見た。
みおは正面を見ていた。
唇の端が、少し動いた気がした。
(……笑っている)
声には出していない。
でも、そういう顔だった。
「進路のこと、少し考えましたか」
央が聞いた。
「……少し。数学の向こう側に何があるかを、調べました」
「分かりましたか」
「選択肢は多かったです。でも、どれが自分に合っているかはまだ分かりません」
「……そうですか」
「央さんは」
「……先週末に少し考えました。自分が好きなことをリストにしてみて」
「何が、出ましたか」
「本を読むこと。考えること。静かな場所にいること。珈琲。祖父と話すこと、といった感じです」
みおが少し、央を見た。
「……好きなことが全部、ゆっくりしたものですね」
「……そうかもしれません」
「そういったことが好きな人は、急がないことが多いのかもしれません」
「みおはどうですか」
みおが少し考えた。
「……わたしが好きなことは、答えが出ることが多いです。数学も料理も、ある程度は答えが見える」
「答えが見えることが好きなんですか」
「……見えるから好きなのか、見えるものを選んできたのかは、まだ分かりません」
央が少し頷いた。
「どちらでも、今考えていることが答えになるんじゃないかと思います」
「……どういう意味ですか」
「考え続けていれば、いつか言葉にできる日が来ると思います。宇陀さんがそういう意味のことを言っていました」
みおが少し間を置いた。
「宇陀さんは、静かですが、ちゃんと見ていますね」
「そうですね」
ベンチの上で、5月の風がまた一度吹いた。
木の葉が揺れた。
どこかで鳥が鳴いた。
「……来てよかったです」
みおが静かに言った。
梅晴堂のことか、この場所のことか、それ以外のことかは分からなかった。
央は何も聞かなかった。
「そうですね」
ただそれだけ言った。
去年のGWとは、確かに何かが違った。
●
ゴールデンウィーク中の日曜日、慧とほのかはいつも通り一緒にいた。
近所の大型書店に向かうのも、慧がほのかに「行かない?」と聞いたわけではなかった。
ほのかの方から「書店に寄りたい」と言い、慧が「じゃあ行く」と答えた。
それだけだった。
電車に乗って、二駅。
ほのかが窓の外を見ていた。
慧は鞄の中から文庫を出して少し開いた。
「それ、図書室で借りたやつ」
「先輩に薦めてもらった。面白い」
「勢多先輩に?」
「そう」
「そっか。……勢多先輩って本の話のとき、なんか変わった感じになるよね」
「変わった感じ?」
「なんか、普段より丁寧に言葉を選ぶというか。いや、普段も言葉は少ないけど」
慧が少し考えた。
「……そういうもんなのかな、好きなことの話をするときって」
「そういうもんじゃないの。慧はバスケの話するとき滑舌よくなるじゃん」
「……なるかな」
「なるよ」
ほのかが窓の外を向いたまま言った。
慧が手の中の文庫を少し見た。
今日は何ページか読んでいた。
先輩が薦めた一冊は、言葉が少なくて読みやすかった。
図書室でたまたま開いたとき、最初の一ページで「これだ」と思った。
「ほのかも本屋で何か買う予定あるの」
「葛城先輩が持ってたやつ。ほのかちゃんも読んでみたらって言われたから」
「いつの話」
「この前、図書室で棚整理したとき。先輩が持ってきてた本、タイトル見てたら気づかれて。おすすめ聞いたらじゃあこれ持ってきますって」
慧が少し笑った。
「ほのか、先輩に結構話しかけるな」
「だって話しやすいじゃん。すごく静かだけど、ちゃんと答えてくれるから」
「俺も、葛城先輩と話しやすいと思う」
「それはそうでしょ。けいくんって誰とでも話しやすいじゃん」
「そっか?」
慧が少し考えた。
それが褒め言葉かどうか、よく分からなかった。
ほのかはもう外を向いていた。
(……ほのかは、こういうことをあまり気にしない)
「けいくんって誰とでも話せる」というのはほのかにとっては普通の観察で、それ以上でも以下でもない。
慧にとっても、たぶんそうだ。
でも最近、少しだけ、何か引っかかる感じがある。
それが何なのかを考えようとすると、電車が駅に着いた。
書店では、ほのかが文庫のコーナーに一直線に向かった。
慧はその少し後をついていった。
「……あった」
ほのかが一冊引き出した。
葛城先輩が薦めたらしい、ミステリーの文庫だった。
「読んだことある?」
「ない。でも先輩が最初の一ページだけ読んでみてって言ってたから」
ほのかが表紙を開いて一ページ目を読んだ。
少し止まった。
「……面白そう」
「買うのか」
「買う」
ほのかが棚から離れた。
少し歩いてから振り返った。
「けいくんは何か買わないの」
「俺は今読んでる途中のがあるから」
「進路調査票のこと考えた? GW中に考えてみようかなって思ってたんだけど」
「……少し考えた。よく分からなかった」
「うん、わたしも。ただ保育か教育系かなってうっすら思ってたから、そっちの方向で書いた。……けいくんは何書いたの」
「空欄で出した」
「……正直な」
「先生に「空欄でもいい」って言われたから」
ほのかが少し笑った。
「まあ、最初の進路調査票だしね。あたしも保育系って書いたけど、それが本当にやりたいかどうかは全然決まってないし」
「そういうもんか」
「そういうもんだと思う。勢多先輩も書けなかったって言ってたし」
「先輩に聞いたの?」
「図書室でたまたまそういう話になったって言ってたよ」
慧が少し、ほのかを見た。
「……ほのか、結構いろんな人と話してるな」
「けいくんも話してるじゃん」
「……まあそうだけど」
慧が頭の後ろを掻いた。
特に理由はなかった。
ただ、何か言いたいことがある気がしたが、うまく出てこなかった。
(……何を言いたかったんだろう)
ほのかはもうレジに向かって歩き始めていた。
慧はそれを見ながら、少し後からついていった。
いつもの速さだった。
●
こどもの日の午後、朔はファミレスにいた。
参考書を三冊持ってきていた。
志望校の過去問の傾向を調べていた。
3年生になってから、勉強の時間が増えていた。
「朔くん、もう来てたんだ」
ことねが来た。
少し早口で言いながら、向かいの席に鞄を置いた。
「来ました。……少し早かったです」
「早めに来るのが当然みたいに言わんといてよ。待った?」
「……少し」
「ごめん」
「大丈夫です」
ことねが席に座った。
朔が参考書を少し端に寄せた。
ことねがドリンクバーのコップを持って立った。
朔のコップも持った。
「自分のぶんは自分で取ります」
「いいじゃん、何がいいの? コーヒー?」
「……そうします。ありがとうございます」
ことねが行った。
朔は参考書のページを一枚繰った。
(……波多野さんはよく動く人だ)
座ってもすぐ立つ。
テンポが自分と違う。
でも不思議と、落ち着かない感じはしなかった。
ことねが戻ってきた。
コーヒーを置いてから自分の分のコーラを注いだ。
「受験勉強、はかどってる?」
「少しずつです。文学部の過去問を見ていました」
「文学部か。朔くんって文学が好きなんだっけ」
「……好きです」
「どういうところが好きなの、文学って」
「言葉のことを言葉で考える、という感じが好きです。数学は計算で答えが出ますが、文学は読むたびに答えが変わる」
ことねが少し考えた。
「……難しい言い方するなあ、朔くん。でも、分かる気がする」
「……そうですか」
「うち、国語好きだもん。読んで考えるのが好きなのは同じじゃない?」
「……似ているかもしれないです」
ことねが少し満足そうな顔をした。
朔が参考書を見た。
口の端が少し動きそうになって、止まった。
こういうことが最近少し増えていた。
ことねと話しているとき、何か言いかけて止まる瞬間がある。
口に出してもいいと思うことと、まだ早いと思うことが、ときどき混じる。
「波多野さんは進路調査票、書けた?」
「まあまあ書けた。東京の大学で英語使う仕事がしたいって書いた」
「……英語が得意でしたね」
「実用重視ね。文学みたいな深いとこは全然やけど、使えるのが好きで。英語で話したり読んだりするのって、なんか世界が広がる感じがするから」
「いいと思います」
「朔くんって、こういうとき必ず「いいと思います」って言うね」
「……そうですか」
「悪い意味じゃないよ。なんか、ちゃんと聞いてる感じがする。どうせ聞いてないのに「そうだね」って言う人もいるから」
朔が少し、ことねを見た。
「ちゃんと聞いています」
「うん、知ってる」
ことねがコーラを飲んだ。
ストローで少し音が立った。
「央もみおちゃんも、進路書けなかったって言ってたよ。LINEで」
「……そうですか」
「でもふたりとも、考え始めたって感じがした。メッセージの感じで」
「察しますね、波多野さんは」
「人の感情の機微を読むのが特技なんで」
ことねが少し、自分で言って笑った。
「冗談っぽく言ったけど、割と本気。朔くんが何考えてるかも、たまに読んだ気がするし」
「……どういうことですか」
「ひみつ」
ことねが笑った。
朔が少し、目を伏せた。
(……何を読まれているのか)
と思った。
確認したい気もした。
でも確認した先に何があるかを考えると、少し止まった。
まだ今じゃないと思った。
でも、遠くもないと思った。
「……受験勉強、応援しています」
朔が言った。
今言えることは、それだけだった。
ことねが少し止まった。
「ありがとう。朔くんも、頑張って」
「……頑張ります」
ファミレスの窓の外は、5月の空だった。
連休の最後の日が、静かに過ぎていった。
●
5月6日の火曜日、連休が明けた。
学校に行ったら、いつもの教室があった。
いつもの席があった。
いつもの顔が揃っていた。
「いやー、休みって短いな」
太秦が伸びをしながら言った。
「自分で何もしなかったからでしょ」
さやかが即座に返した。
ひなはそのやりとりを半分聞き流しながら、ぱっと顔を上げた。
「え、聞いて、限定コラボゲットした」
みおが席に着いて少し前を向いていた。
央が自分の席に着いて、みおの方を見た。
みおが少し、横を向いた。
「……柏餅、おいしかったですね」
みおが小さく言った。
「……そうですね」
央が静かに応えた。
それだけだった。
連休の間のことを、そのまま教室に持ち込むことはしなかった。
でも、持ってきたものが何もないわけでもなかった。
5月の朝が、教室の窓から差し込んでいた。
新学期が、ようやく本格的に始まろうとしていた。
ご一読いただきありがとうございます。
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