第五十三話 3月26日 春休みの、それぞれ
春休みの最初の週に、ことねから集合の連絡が来た。
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ことね:じゃあ11時に渋谷のハチ公前で
ことね:みおちゃんさやかちゃんひなちゃん!
ことね:遅刻したら置いてくからね
ことね:うそうそ待つけど
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さやか:了解です
ひな:いくいく!
みお:……行きます
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当日は曇りだったが、雨にはならなかった。
3月の曇り空は白く、寒さよりも湿り気の方が強い。
桜はまだ蕾で、ほんの先端に色が混じっていた。
ことねは一番早く来ていた。
さやかが次で、みおがその後、ひなが最後だった。
ひなが「3分オーバーしました!」と言って走ってきた。
ことねが「ほら」と言った。
ひなが「待ってくれると思ってたもん!」と身振りを交えて応える。
さやかが「まあまあ」となだめた。
みおが四人の中で一番背が高かった。
待ち合わせの交差点で、少し人目を引いた。
みおは気づいていたが、黙っていた。
ことねがみおの横に並んだ。
172cmのことねでも、みおの肩の高さに届かない。
「なんか、毎回すごいな」
「……慣れてください」
「慣れてる。ただすごいと思ってる」
昼を渋谷で食べてから、移動した。
ことねが「ちょっといい店知ってる」と言い、先に立って歩き始めた。
路地を入ったところにある小さなカフェだった。
4人でぎりぎり入れる席だった。
コーヒーとケーキを頼んで、少し落ち着いた。
ひなが鞄からスマホを出した。
さやかが「撮るの?」と聞いた。
ひなが「撮っていい?ケーキだけ」と確認する。
ことねが「どうぞどうぞ」と応えた。
ひながケーキを数枚撮った。
それから少し考えてから、テーブル全体を引いて一枚撮った。
四人の手と飲み物とケーキが収まっていた。
「……うちにしては珍しい構図」
ひながそう言いながらプレビューを確認した。
「いい感じ」
「見せて」
ことねがスマホを受け取って、画面を見た。
「これ好き。もらっていい?」
「いいよ。送る」
さやかとみおにも共有された。
みおがそれを見た。
四人が同じテーブルに座っている。
春休みの最初の日だった。
「……よく撮れていますね」
みおが言った。
「ありがとう」
ひなが少し嬉しそうにした。
「ねえ、みおって彼氏できてから変わった?」
ことねがコーヒーを飲みながら言った。
テーブルが少し静かになった。
みおが少し止まった。
「……どうですか」
「分かんない?自分じゃ」
「……分からないです」
「そうかな」
ことねが少し首を傾けた。
「うちはなんか変わった気がするけど。うまく言えないけど」
さやかが腕を組んだ。
「変わった。いい方向に」
はっきり言った。
「どのあたりが」
「全体的に。でも一番は……」
さやかが少し間を置いた。
「前は何かを言いかけて止まることが多かったんだけど、最近はちゃんと着地するようになってきた」
「……着地」
「言葉が、ちゃんと届くようになった。みおの言葉が」
みおが少し、唇を動かした。
ひなが「それ分かる」と言った。
「最初の頃さ、みおに話しかけても一言か二言で終わることが多くて。それが今は返ってくる量が増えた」
「……そうですか」
「いい意味でね。安心するもん、ちゃんと返ってくると」
「わかるわかる」
ことねが頷いた。
「うちも最初は央からよくみおちゃんの話聞いてたから。静かな子やって言ってたけど、なんか今はそれだけじゃないし」
「……央さんが、わたしの話をしていたんですか」
「してたよ。よく」
「……何を」
「困ったときに助けてもらった、とか。図書室が居やすくなった、とか」
みおが少し、視線を落とした。
「……そうですか」
「そうよ。だから今日こうして女子会できてるじゃん」
さやかが「確かに」と言った。
ひなが「まじそれ」と同意する。
みおが手元のカップを少し回した。
それ以上は何も言わなかった。
ことねがみおを見て、少し笑った。
「まだ照れてるんちゃう、今日も」
「照れていません」
「その顔が照れてるやつ」
「……照れていません」
さやかが「照れてるよ」と言った。
ひなが「めっちゃ照れてる」と頷いた。
みおが窓の方を向いた。
窓の外に、曇り空が見えた。
桜の枝が少し見えた。
まだ咲いていなかった。
(……そうかもしれない)
と、みおは思った。
さやかの言った「着地する」という言葉の意味を、少し考えた。
前は言葉が途中で止まることが多かった、というのは、自分でも覚えがある気がした。
何かが変わったのなら、それはたぶん、隣に央がいたからだと思った。
図書室に来なければよかったとは、一度も思ったことがない。
カフェを出た後、ことねが「うちこれから朔くんと用事あって」と言った。
「デートかあ」
ひなが言った。
「デートって言うとあっちが照れるから言わんとこうと思ってる。散歩です、散歩」
「いやデートじゃん」
「散歩なの。近所の公園だよ。あと桜見るかもしれないけど咲いてないかもしれないし」
「十分デートじゃん」
ことねが「まあそうかもな」と言って笑った。
さやかが「楽しんで」と見送る。
ひなが「報告して」とはやし立てた。
みおが「……楽しんでください」と言った。
「みおちゃん、梅晴堂、楽しみだね」
ことねが去り際に言った。
「……はい」
「央がちゃんと約束守ってきたか、後で聞かせて」
「来ると思います」
「来ると思いますって」
ことねが少し笑って、手を振った。
路地の向こうに歩いて行った。
ことねが公園に着いたのは、午後の三時過ぎだった。
朔が先に来ていた。
ベンチのそばに立って、上を向いていた。
「何見てるん」
「……桜です」
朔が答えた。
目線の先に、桜の枝があった。
蕾はついているが、まだ閉じていた。
「咲いてないね」
「もう少しで咲くはずです」
「今年は早いの?遅いの?」
「例年並みか、少し遅いくらいかと。来週には咲き始めるかもしれないです」
「へー。なんで知ってるん」
「……今年は調べました」
ことねがそれを聞いて、少し止まった。
「調べたん」
「……ことねさんが桜を見たいと言っていたので」
ことねがしばらく間を置いた。
「……それは」
朔がまた上を向いた。
「……来週もう一度来ますか」
「来る」
間を置かずに言った。
朔が少し、眼鏡を直した。
ことねが隣に立った。
ふたりで上を向いた。
蕾の先に、うっすらとピンクが混じっていた。
「……来週は咲きますかね」
「咲く。うちが念じとくから」
「念じる方法があるんですか」
「気持ちの問題やから」
「……なるほど」
朔が静かに言った。
ことねが少し笑った。
少し歩いた。
公園の奥の方には池があった。
水面が曇り空を映していた。
「朔くんってさ、3年になってから忙しくなる?」
「……授業の量は増えます。受験もあるので」
「だよね」
ことねが少し前を向いた。
「うちも忙しくなるな。テニスは続けるけど、後半は絞らないといけないし」
「……ことねさんの志望校は」
「まだ絞り切れてないんだけど。でも都内で考えてる。どこかには受かりたいな」
「……どこかには、ではなくて」
「どこかには、でいいんよ。そのくらいの気持ちの方がうちは頑張れる気がして」
朔が少し、ことねを横目で見た。
「……そういう考え方があるんですね」
「プレッシャーに弱いんよ、うち。自分で決めすぎると逃げ出したくなるから」
「……それは教えてもらっていませんでした」
「今言ったから」
ことねがちらりと朔を見た。
朔が少し間を置いた。
「……教えてくれてありがとうございます」
「たいしたことじゃないけどね」
ことねが前を向いた。
「……ことねさんが受かった大学の近くに、いい喫茶店を調べておきます」
朔が言った。
「なにそれ」
「受験が終わったら行きましょう。梅晴堂みたいな場所がどこにでもあるとは限らないので、先に探しておきます」
ことねがしばらく止まった。
それから少し、笑った。
「桜も調べるし喫茶店も調べるし。朔くんって準備しすぎじゃない?」
「……しすぎることはないと思います」
「うちのためにそんな準備してくれるん」
「はい」
間を置かずに言った。
今度は朔の方が即答だった。
ことねが少し、朔を見た。
朔は前を向いていた。
耳が少し赤かった。
「……ありがとう」
ことねが静かに言った。
空は曇っていたが、雨にはならなかった。
公園の端で、鳥が一度だけ鳴いた。
その頃、みおは駅のホームにいた。
さやかとひなと別れた後、電車に乗った。
一駅ぶん揺れて、降りた。
改札を出た先の道を、少し歩いた。
角を曲がると、見覚えのある細い路地があった。
暖簾が出ていた。
濃いめの藍色に、白い文字で「梅晴堂」と染め抜かれていた。
みおが少し足を止めた。
(……来ました)
と思った。
5月4日に初めてここに来た。
あの日、央が「梅晴堂に行けますか」と言って、みおが「行けます」と言った。
それからもう一度来た10月の初デートのこと。
今日は春休みで、3月の終わり近くで、桜はまだ咲いていない。
それでも、来た。
暖簾をくぐった。
店の中は変わっていなかった。
短暖簾の向こう、小上がりの席に央がいた。
文庫本を開いていた。
顔を上げた。
「……来ましたか」
「来ました」
みおが席に着いた。
央が本に栞を挟んで閉じた。
「……何を読んでいたんですか」
「昨日から読み始めたものです。全部は読めていないですが」
「……そうですか」
店の人が来た。
みおは迷わずに注文した。
「……決まっていたんですか」
「来る前から決めていました。みたらし団子と、お抹茶で」
「……そうですか」
央が少し間を置いた。
「……全部好きですか。ここの」
「全部」
即答だった。
央が少し止まった。
「全部、ですか」
「……全部です」
みおが静かに言った。
そのまま正面を向いていた。
央がみおの横顔を少し見た。
(……全部、か)
一度この話をした。
あのときみおが「全部好きです、ここ」と言ったのを、央は覚えていた。
今日また聞いたのは、確認のためだった。
変わっていなかった。
よかったと思った。
それ以上の感想は、出てこなかった。
みたらし団子が来た。
みおが受け取って、少し端正に並べ直してから一本取った。
一口食べた。
目が、ほんの少しだけ細くなった。
「どうですか」
「……おいしいです」
「変わらないですね」
「変わらないです」
ふたりで少し、黙った。
窓から外が見えた。
路地に、曇り空が映っていた。
まだ桜は咲いていなかったが、木の枝がうっすら色づいている気がした。
「……来年も来られますか」
みおが言った。
「来られます」
「……再来年も」
「来られます」
みおが少し、央を見た。
「……即答でした」
「……当然です」
央が言った。
みおがまた正面を向いた。
ほんの少し、口の端が上がった。
お抹茶が来た。
みおが両手で持った。
ゆっくり飲んだ。
春休みは、続いていた。
夜、みおがLINEを開いた。
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ことね:みおちゃんどうだったーー!?
ことね:梅晴堂!
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みお :行きました
みお :おいしかったです
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ことね:それだけ??
ことね:央は何か言ってた?
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みおは少し考えた。
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みお :……「来られます」と言っていました
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ことね:何に対して
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みお :来年も再来年も来られますか、と聞いたので
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しばらく間が空いた。
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ことね:それはいいやつ
ことね:みおちゃん
ことね:央がいてよかったね
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みおがそれを読んで、少し止まった。
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みお :……そうですね
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(……そうですね)
送信してから、もう一度、頭の中でも繰り返した。
「央がいてよかった」という言葉は、ことねらしい言い方だと思った。
ことねは物事を直接言う人だ。
みおは自分ではそこまで直接に言える自信がなかった。
でも、聞かれたら答えられると思った。
いてよかった、と、ちゃんと言えると思った。
春休みが、続いていた。
桜は、まだ咲いていなかった。
でも来週には咲くかもしれない。
そうことねが言っていた。
ことねが念じておく、とも言っていた。
(……咲くといいですね)
みおは思った。
窓の外の夜を、少し見た。
それから布団に入った。
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