第五十一話 3月14日 テストと、その先のこと
学年末テストの範囲が発表されたのは、3月の第二週の月曜日だった。
笠置先生がホームルームでプリントを配った。
「最後のテストだから」と言いかけて、「今学年の、ね」と言い直した。
太秦が受け取ったプリントを見た。
眉が、少し下がった。
「……え、めちゃくちゃ広くない?」
「当然だよ」
さやかが言った。
「1年間の仕上げだもん。そういうもんでしょ」
「分かってるけど。分かってるけどさあ」
太秦が頭の後ろを掻いた。
隣で央がプリントを確認していた。
「数学の範囲がけっこう広いですね」
「言うな。俺が聞こえてる」
「聞こえていても事実は変わりません」
「そういうこと言うんだ、勢多くん」
さやかが少し笑った。
みおはプリントを縦に持ち替えて、もう一度見た。
思ったより整理されている範囲だった。
分野の偏りも少ない。
(……やりやすい)
と思った。
声には出さなかった。
放課後、教室に残った四人で勉強を始めた。
机を二つ合わせて、テキストを広げた。
さやかが「どこからにする?」と聞いた。
太秦が腕を組む。
「英語は後で」
「なんで後なの」
「やる気がなくなるから」
「なら先にやりなよ」
みおが数学のノートを開いた。
央が現代文のプリントを取り出した。
「葛城さん、数学は大丈夫そう?」
太秦が聞いた。
「……今のところは」
「今のところ、ってことは不安な単元もある?」
「……ひとつだけ、確認したいところが」
「どこ」
「確率の応用です。計算自体は合っているんですが、場合の数え方で迷うことがあって」
「あー俺それ全部迷う」
「……一緒に確認しますか」
「助かります」
太秦が座り直した。
さやかが「英語は」と言った。
太秦が「あとで」と応える。
さやかが「ほら」と呆れた。
みおが問題を開いた。
太秦が「ここからここ、ってことだよね」と指差した。
みおが「……はい。この樹形図を書く前に、整理する順番があります」と答えた。
ノートに図が書き出された。
太秦がそれを見ながら「……あ」と小さく言った。
みおが続きを待った。
「……なんか急に見えた気がする」
「……そうですか」
「葛城さんの教え方、分かりやすいんだよな」
みおが少し首を傾けた。
「……教えているというより、整理しているだけです」
「そのやり方が分かりやすい」
「……そうですか」
さやかが手を止めて、ふたりを少し見た。
それから何も言わずにノートに戻った。
一時間ほど経ったころ、太秦が「ちょっと休憩」と言った。
背もたれに寄りかかって、窓の外を見た。
「なんか、テスト終わったら3学期も終わりじゃん」
「そうだよ」
さやかが言った。
「クラス替えって、発表いつでしたっけ」
「始業式の後。4月に入ってから」
「やだな」
「何が」
「クラス変わったらやだなって思って」
さやかが少し考えた。
「変わっても続くものは続くし」
「そうかもしれないけど。でも毎日同じ教室にいるの、慣れてきたから」
「慣れたからいいじゃん。その分また新しいのに慣れるだけじゃないの」
太秦が「さやかさんは強いなあ」と言った。
さやかが「強いとかじゃないよ」と笑う。
みおがプリントを揃えながら、少し間を置いた。
「……席が離れても」
言いかけて、止まった。
央がみおの方を見た。
「……続くものは続きます」
央が言った。
みおが少し顔を上げた。
「……そうですね」
太秦が、ふたりを交互に見た。
さやかが太秦を横目で見て、何も言わなかった。
テスト本番は、3月の第三週の月曜から始まった。
一日目は国語と数学。
二日目は英語と理科。
三日目は社会と保健。
三日間で終わる日程だった。
一日目の国語が終わったとき、太秦が廊下でさやかに「現代文どうだった」と聞いた。
「まあまあ」
「まあまあって何点のまあまあ?」
「人に聞く前に自分を振り返りなよ」
みおが教室から出てきた。
「みお、数学どうだった?」
「……解けました」
「全部?」
「……たぶん」
「たぶんって」
さやかが少し笑った。
「みおの"たぶん"は満点のたぶんでしょ」
「そんなことは」
「知っとったし」
みおが少し止まった。
「……何度目ですか、その言葉」
「三度目だけど」
「数えてたんですか」
「覚えてただけ」
みおが少し、口の端を動かした。
さやかはそれを確認して、前を向いた。
央が後から教室を出てきた。
「数学、どうでしたか」
みおが聞いた。
「……最後の問題に時間を使いすぎました」
「解けましたか」
「……半分くらい」
「……次からは時間配分を先に決めた方がいいかもしれません」
「……そうします」
太秦が頭の後ろを掻く。
「ふたりとも落ち着いてるな」
さやかが歯を見せる笑みを浮かべる。
「ふたりとも、喋り方が似てきたよ」
「……そうですか」
「……そうですか」
言葉が被った。
太秦が「ほら」と笑った。
さやかが「だから言ったじゃん」と言う。
二日目の英語が終わった後、廊下でことねと会った。
ことねが教室の前を通りかかるところだった。
太秦を見て、「あ、テストどうだった?」と声をかけた。
「英語がやばかったです」
「何点くらいいった?」
「それを聞くな」
ことねが笑った。
「うちも昔はそうだったよ。英語だけは毎回こわい」
「先輩も苦手なんですか」
「得意じゃないけど、まあ諦めたら逆に楽になる」
「それはポジティブなんですか」
「ポジティブ以外の選択肢がない」
みおがことねに会釈した。
ことねがみおを見て、少し表情を変えた。
「みおちゃん、テストどうだった?」
「……ひととおり解けました」
「そうか、さすが。央は?」
「……数学に課題が残りました」
「正直だね」
ことねが少し笑った。
それから少し、遠い目をした。
「……来年は私が3年生かあ」
誰かに向けた言葉ではなかった。
自分に向けて言っているような言い方だった。
「……早いですよね」
みおが言った。
「早いんよな。あっという間じゃん、1年って」
「……でも、いろいろありましたよね」
ことねが少し、みおを見た。
「……そうだね」
静かに言った。
「いろいろ」という言葉に、何かが含まれているのを確かめるように。
「まあ、来年になってみないと分からないけどさ。今年は今年で、あとちょっとだし」
ことねがそう言って、「じゃあ頑張って」と手を振った。
廊下の向こうに歩いて行った。
太秦がその背中を見送った。
「……ことね先輩、たまにしんみりするな」
「3年生になれば分かるんじゃないですか」
「俺が3年生になるの、想像できないな」
「……2年間ありますから」
「それまでに想像できるようになるかな」
「……なるんじゃないですか」
「おうくんはそういうとこ頼もしいな」
「……そうですか」
三日目のテストが終わった放課後、央は図書室に寄った。
朔が奥の席で書類を広げていた。
宇陀さんが棚の整理をしていた。
「今日でテストが終わりました」
「お疲れ様でした」
朔が書類から顔を上げた。
「結果はまだ出ませんが、手応えはありましたか」
「……数学に少し後悔が残りました」
「そういうものです。終わってから気づくのが試験の常ですから」
「先輩は学年末テスト、どうでしたか」
「……国語は問題なかったです。数学は、まあ」
朔が眼鏡を少し直した。
「……及第点ではありました。それ以上は望んでいなかったので」
「割り切り方が早いですね」
「自分の得手不得手を把握していた方が楽です。苦手なものを得意にするより、得意なものを伸ばす方が効率がいい」
「……それは正しいと思います」
「ただ、苦手なものを完全に諦めると後で困るので、最低限は維持します」
宇陀さんが棚の向こうから声を出した。
「比叡さんはそういうところが合理的ですね」
「宇陀さんには昔から言われます」
「昔から、とはいつ頃から」
「……去年の春からですから、1年前ですね」
「それが昔かどうかは微妙ですね」
「感覚の問題です」
宇陀さんが棚から出てきた。
手に本を数冊持っていた。
「勢多くん、少し時間がありますか」
「……はい」
「朔さんから聞いていると思いますが、3月末で引継ぎ書類を作ります。今日は一度、現状の蔵書リストを確認してもらいたくて」
央が席に着いた。
朔が書類を引き寄せた。
「3月末で僕は委員長を正式に退きます。来年度の委員構成は4月以降ですが、蔵書の管理記録だけは今のうちに引き継いでおきたいと思って」
「はい。どのような記録ですか」
「貸し出し頻度の高い本のリスト、補修が必要な本のリスト、廃棄候補のリスト、の三種類です」
朔がリストを並べた。
央がそれを見た。
「……分かりやすく整理されていますね」
「やり始めると煩雑に見えますが、構造は単純です。慣れれば難しくないはずです」
「……続けます」
朔が少し頷いた。
「それともうひとつ」
朔が少し間を置いた。
「来年度の新入生の中に、図書委員を希望する人が来るかもしれません。その案内は、宇陀さんのパンフレットが担当してくれますが、実際に委員として受け入れるのは勢多くんになります」
「分かりました」
「焦らず、でも丁寧に。あとは自然に」
央がリストを整える宇陀さんの方を少し見た。
「宇陀さん、パンフレットはいつ頃作りますか」
「……4月の頭には仕上げます。去年のものをベースに少し更新して」
「去年のパンフレットを見て、委員を選んだのが僕でした」
宇陀さんが少し手を止めた。
「……そうでしたか」
「活字が多かったですが、読みやすかったです」
「ありがとうございます。作った甲斐がありました」
宇陀さんが少し、丁寧な笑い方をした。
朔がその様子を横目で見て、眼鏡を直した。
(……去年の春のパンフレットが、今年の図書室を作った)
と、朔は思った。
それから視線を書類に戻した。
夕方近く、図書室を出た。
廊下に出ると、みおがいた。
「……今日も来ていましたか」
「引継ぎの書類を確認していました」
「……そうですか」
並んで歩いた。
窓の外が、夕方の色になっていた。
3月の西日は、2月より少し長く残る。
廊下に斜めに差し込んで、床に長い影を作っていた。
「……テストが終わりましたね」
「はい」
「あとは結果を待つだけです」
「……そうですね」
みおが少し足を止めた。
窓の外を見た。
「……中庭の木が、少し芽吹いていますね」
央が窓の外を見た。
細い枝に、ほんの少しだけ緑が混じっていた。
先週まではまだ枯れ色だったと思っていた。
「……気づきませんでした」
「昨日はまだなかったと思います」
「一日で」
「そういうものかもしれません。気づいたら咲いている、みたいな」
央が少し頷いた。
「……桜も、そうですね。来週くらいには咲くかもしれないです」
「……間に合うかもしれないですね、進級に」
みおが少し口の端を動かした。
それから廊下を歩き出した。
上履きの音が、静かな廊下に低く響いた。
先週まで試験範囲だったことを、ふたりともそれ以上言わなかった。
校門を出て、駅に向かう途中でみおがスマホを見た。
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ことね:みおちゃん、春休みどうするん?
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みおはそれを読んで、少し止まった。
春休み。
テストが終われば、すぐそこだった。
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みお :……まだ決まっていません
みお :ことね先輩は?
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ことね:ちょっと考えてることがあって
ことね:また話す!
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みおはスマホをしまった。
「ちょっと考えてること」というのが何かは分からなかった。
ことねのことだから、きっとそのうち話してくれるだろうとは思った。
隣を歩いている央が、腕時計をさりげなく確認していた。
(……この1年で、いろいろなことが起きた)
みおはそう思った。
「いろいろ」の中身を順番に思い出そうとして、多すぎて途中で諦めた。
さやかに「開いてきた」と言われたことがある、とことねから聞いたのは先月だった。
自分ではよく分からなかった。
でも、今日ことねが「いろいろありましたよね」というみおの言葉に「そうだね」と答えたとき、その「いろいろ」の中に自分も入っているのかもしれないとは思った。
(……来年も、続きますか)
という言葉が、頭の端に出てきた。
聞こうとして、止まった。
答えは分かっていた。
「……テストが終わったら、桜が咲きますね」
みおが言った。
「……そうですね」
央が少し間を置いてから言った。
「春休みは、……梅晴堂に行けますか」
みおが少し、止まった。
「……行けます」
「じゃあ、また」
「……はい」
改札が見えてきた。
3月の夕方が、少しずつ暗くなっていた。
桜はまだ咲いていなかったが、もうそこにあった。
ご一読いただきありがとうございます。
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次回もよろしくお願いします。




