第四話 4月10日 居場所の見つけ方
朝の教室は、まだ人が少なかった。
勢多央が席につくと、隣はまだ空だった。
鞄を下ろしながら、今日は木曜日だと思い出した。
昨日の帰りに太秦が「明日、部活勧誘あるらしいよ」と言っていた。
それから、委員会決めも、と。
央は腕時計を一度撫でた。
クリーム色の文字盤が、朝の光を静かに受けていた。
(部活、か)
特に入りたいものがあるわけではなかった。
体育が苦手で、運動系は最初から候補にない。
文芸部というのが一覧にあったのは覚えていた。
でも、週に何度も集まって何かを発表する、というのが、どうも自分には向かない気がした。
窓の外、校庭に桜の木が見えた。
花びらはほとんど落ちていた。
入学式の日より、だいぶ寂しくなっている。
一時間目が始まる前に、笠置先生が教壇に立った。
「はい、ちょっと聞いてください。今日のHRで部活勧誘と委員会決めをやります」
先生の声に、教室がざわついた。
「委員会何にする?」「部活まだ決めてないんだけど」という声がいくつか重なる。
「午後からは各部活の体験入部もあるので、気になるところは見てきてね。強制じゃないけど、帰宅部の人も一回見るだけでもいいと思うよ」
先生はそう言いながら、プリントを前から回した。
各部活の活動日と場所が一覧になっている。
央はプリントを受け取って、縦に目を流した。
運動部のページをめくって、文化部のページを開く。
図書委員会、という文字が目に入った。
委員会の欄にある。部活ではない。
(……そういえば)
委員会は、入部ではなく選出だったはずだ。
クラスごとに担当が割り振られて、希望者を募る。
「おうくん、部活どうする?」
太秦が後ろから声をかけてきた。
プリントを手に持ったまま、椅子ごと向きを変えている。
「まだ決めてない。太秦は?」
「自転車通学委員、一択でしょ」
即答だった。
「整備の相談まで受けるのか」
「そう。プリントに書いてあった。自転車で来てる生徒の安全管理とか、修理の窓口とか」
太秦は少し得意げな顔をした。
「俺、整備ならできるし。うちの親父の店で昔からちょくちょく手伝ってたから。タイヤ交換もブレーキの調整も一通りできる」
「知ってる」
「でも意外と知らないやつ多くてさ。先週まだ空気の入れ方も分かんないって子いたもんな」
太秦は「ていうかそういうの、俺が一番役に立てる委員じゃん」と言った。
照れているのか誇っているのか、その両方のように見えた。
「確かに」と央は素直に言った。
太秦が「でしょ」と笑った。
HRが始まった。
笠置先生が黒板に委員会の一覧を書いて、希望者を順番に聞いていった。
学級委員、保健委員、環境委員、図書委員、自転車通学委員、購買委員。
「学級委員、やりたい人ー」
一瞬間があって、手が挙がった。
鳥飼さやかだった。
迷う様子もなく、まっすぐ手を上げていた。
「鳥飼さん、ありがとう。もう一人いる?」
男子が一人手を挙げた。
さやかが軽く横を向いて、「よろしくね」と言った。
相手が少し照れた顔をした。
「次、図書委員。二名です」
央は、少し考えてから手を挙げた。
迷ったわけではなかった。
ただ、挙げるタイミングを計っていた。
「勢多くん、ありがとうございます。もう一人……」
先生が教室を見渡した。
少し間があった。
となりで、わずかな気配がした。
央は視線を向けなかったが、隣の席の動きは分かった。
「……はい」
声が聞こえた。
低くて、静かな声。
「葛城さん、ありがとう」
笠置先生が名前を黒板に書いた。
勢多 央、葛城 みお。
二つの名前が、横に並んだ。
央は正面を向いたまま、腕時計を一度だけ撫でた。
(図書委員、か)
特に何かが変わるわけではない、とは思った。
ただ、腕時計の感触が、いつもより少し温かかった。
みおはプリントを膝の上に置いて、もう一度見ていた。
唇を軽く噛んでいた。
(図書室、か)
みおにとっても、良い選択だったのかどうかは分からない。
でも嫌ではなかった、という気はした。
そうでなければ手を挙げなかっただろう。
そんなことを考えていたら、みおが視線を上げた。
目が合った。
「……図書室、本が多いんでしょうか」
唐突な問いだった。
央は少し考えた。
「行ったことはないですが、公立にしては多いと聞きました。前に来た卒業生が寄贈したものがあるらしくて」
「……そうですか」
みおは小さく頷いた。
それだけで、また静かになった。
でも今度の静けさは、最初の数日とは少し違う気がした。
困っているわけではない静けさ、だと央は思った。
委員会決めが一通り終わると、昼休みをはさんで午後からは部活体験の時間になった。
太秦は「じゃあ俺、自転車委員の集合場所確認しに行ってくる」と言って、さっさと廊下に出ていった。
行動が早い。
央は教室に残って、プリントをもう一度見た。
どこかを見に行くつもりはなかった。
体験入部は「強制じゃない」と先生も言っていた。
「……勢多さんは、部活は入らないんですか」
声がした。
みおが席にいた。
央のプリントを覗くわけでもなく、ただ真っ直ぐこちらを向いていた。
「帰宅部です。今のところ」
「……そうですか」
みおは頷いた。
手元に同じプリントがある。
まだ何も書かれていない。
「葛城さんは」
「わたしも……どこも、たぶん」
少し迷うように言ってから、つけ加えた。
「体育、苦手なので。運動系は難しいと思って。文化部も、人がたくさんいるところが少し……」
言いかけて、止まった。
続きは言わなかった。
央には分かった気がした。
目立ちたくない、ということだろうと。
みおが教室に入ってくるたびに視線が集まるのを、央もここ数日で何度か見ていた。
「図書委員は、そこまで人前に出ることはないと思います」
言ってから、余計なことを言ったかもしれないと思った。
でもみおは「……そうですよね」と小さく答えた。
否定もしなかった。
しばらく、ふたりとも黙っていた。
廊下から、何かの部活を見に行くらしい生徒たちの声が流れてきた。
賑やかだった。
でも教室の中は静かで、央はその静けさが嫌いではなかった。
午後の体験時間が終わり、ホームルームの時間になった。
太秦が戻ってきた。
上機嫌だった。
「やっぱり自転車委員にしてよかった。部室みたいな集合場所あって、工具も借りられるって。最高じゃん」
「工具まで借りられるのか」
央が言うと、太秦は「そうなんだよ」と答えた。
腕を組んで、本気で満足そうな顔をしていた。
「なんか、自転車の状態チェックをするシートを作りたいって話もあって。先輩が今まで手書きで管理してたらしくて、それをもう少し分かりやすくしたいって言ってた」
「やる気じゃないか」
「そりゃそうよ。あと今日、駐輪場で鍵がはまらなくなったって子がいてさ。ちょっと見たらフレームが少し歪んでたから、その場で直し方を教えてあげたら感謝された」
太秦は少し得意げな顔をした。
本当に嬉しそうだった。
口調の端々に、ちゃんと考えている、ということが伝わってきた。
さっき帰宅部でいいと思っていた自分とは違う、と央は思った。
居場所の見つけ方は、人によって違う。
「良かったじゃないか」
「でしょ。おうくんは?」
「図書委員にした」
「え、まじ? 誰と一緒?」
太秦の目が、一瞬動いた。
央の隣の方向を見た。
それからまた央に戻った。
「……葛城さん、ですか?」
「そうです」
みおが答えた。
太秦が少し面白そうな顔をした。
「あー、なんか、いい感じですね」
何がいい感じなのか、太秦は言わなかった。
央も聞かなかった。
みおは「そう……でしょうか」と小声で答えていた。
放課後、さやかがみおの机のそばに来た。
「みお、今日の委員会、学級委員になったと。うちが仕切るけん、困ったことあったら言って」
博多弁が混じった、さやからしい言い方だった。
みおが「ありがとう、さやか」と小さく笑った。
さやかはそれから央を見た。
目が細くなった。
観察するような、でも悪意のない目だった。
「委員会の初回って、来週って言ってたっけ」
「先生が後でお知らせするって」
「そっか。私、学級委員だからちょっと早めに動いておきたくて」
さやかは腕を組んで、何かを考えるような顔をした。
それから「まあ、なんとかなるか」と独り言のように言った。
頼りがいがあるのか楽観的なのか、どちらとも取れた。
央はさやかのそういう切り替えの速さを、少し羨ましいと思った。
廊下に出たところで、スマホが鳴った。
グループラインではなく、個人。
ことねちゃんからだった。
『委員会、何にしたん?』
短いメッセージだった。
どこかで聞いたのだろう。
央は一瞬考えて、返信した。
『図書委員』
すぐに既読がついた。
三秒後、返信が来た。
『あ、比叡と一緒やん』
比叡、というのは2年生の名前だ。
確か、図書委員の先輩がいると聞いていた。
『そうなの?』
『うん。サクさん、あそこの常連みたいなもんやから。仲良くしてあげて』
『仲良くというのは』
『普通にしてあげてって意味。あの子、人見知りやから』
央はスマホを閉じた。
人見知り。
自分のことを言われている気がして、少し居心地が悪かった。
太秦が横に並んだ。
「帰る?」
「うん」
「コンビニ寄るけど」
「知ってる」
歩き出すと、後ろから声がした。
「あ、ひな! 聞いてよ聞いて」
さやかの声だった。
振り返ると、廊下の少し先でさやかが誰かに駆け寄っていた。
小柄で、ベージュブラウンの髪をハーフアップにした女子。
御所ひなだった。
C組の子だと聞いていた。
「え、聞いて聞いて、うちも言いたいことあって」
ひなが言った。
スマホを横持ちにしたまま、さやかの腕を掴んだ。
ふたりは廊下の端に寄って、早口でしゃべり始めた。
「写真部にしたんだけど」とひなが言った。「体験行ったら先輩たちがめちゃくちゃいい感じで、もう即決だった」
「写真部、似合いそう」
「でしょ。てかさ、うちカメラ用意しないといけなくて。スマホじゃだめなのかな、一眼持ってる子がいてさ……」
「スマホでも全然いいと思うけど。何を撮りたいかによるんじゃない?」
「それそれ。うち、動画もやりたいし。てかもう撮り始めたんだよね、今日。廊下の桜の木がまだ少し残ってたから、逆光で撮ったら滲んでいい感じになって」
ひなはスマホを横に向けて、さやかに画面を見せた。
さやかが覗き込んで、「あ、きれい」と言った。
「意外と向いてるかもしれんって思ったんだよね、うち」
「自分で言う」
「だって本当にそうだから」
ひなは笑った。
自慢でも謙遜でもない声だった。
自分が好きなものを見つけたときの声、という感じがした。
「委員会は?」
「C組、図書委員のなり手いなかったみたいで。でもうちは保健委員にした。なんか薬の管理とかするらしいし、ちゃんとしたことした方がいいかなって」
「それ、ひならしいね」とさやかが笑った。
「え、そう?」
話が弾んでいた。
央は廊下を歩きながら、遠ざかる声を聞いていた。
「みお、体験どこか見に行った?」と、さやかの声がした。
「……写真部だけ、少し」
「え、写真部行ったの?」
ひなの声が一段上がった。
「ひなが入るって言ったから、どんなとこか気になって。入口から少しだけ見た」
「みおに見られてたんだ、うち」
「先輩が楽しそうだったから、良かったと思って」
みおの声は、いつもより少しだけ柔らかかった。
距離がある。でも聞こえた。
「みお……」とさやかが言った。「なんか、ちゃんとしてるね」
ひなが「だよね」と笑った。
何が"ちゃんとしてる"なのか、説明はなかった。
でも否定する声も、なかった。
(みんな、分かってるのか分かってないのか)
央は腕時計を撫でながら、階段を下りた。
校門を出ると、夕方の光が斜めに差していた。
桜の花びらが、もう少しだけ残っていた。
足元に一枚、白っぽく乾いた花びらが落ちていた。
踏まないように、少し横にずれた。
「なんで避けるの?」
太秦が聞いた。
「踏みたくない」
「花びらじゃん、もう落ちてるじゃん」
「分かってる」
太秦は少し笑ってから、「まあいっか」と言った。
そういうところを深追いしないのが、太秦だと央は思っている。
コンビニに向かいながら、今日のことを少しだけ反芻した。
委員会。図書委員。みおと、同じ。
別に、それだけのことだ。
接点が、一つ増えた。
ただ、同じ場所に週に何度か行くことになる。
それだけのことだ。
(そう、それだけだ)
腕時計が、光の中でかすかに輝いた。
央はそれを一度見て、また前を向いた。
コンビニのドアが自動で開いた。
太秦が先に入っていった。
肉まんのにおいが、外まで流れてきた。
桜は、明日にはほとんど散っているかもしれない。
でも図書室には、また別の季節がある。
そんなことを、ぼんやりと思った。
ご一読いただきありがとうございます。
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次回もよろしくお願いします。




