第三十七話 12月3日 教える人と、教わる人
期末テストまで、二週間を切っていた。
放課後の図書室に、五人が集まった。
央とみおは図書委員なので、普段からここにいる。
太秦が「おうくん教えてくれよ」と言って来た。
さやかが「どうせなら」と言って来た。
ひなが「え聞いて、うちも教えてほしい」と言って来た。
宇陀さんが「いつもより賑やかですね」と言った。
「すみません」とみおが謝る。
「いえ」と宇陀さんが応えた。
それで始まった。
最初に教科書を並べた。
数学、英語、化学。
現代文、歴史。
古文、社会。
問題集を開く音が続いた。
しばらく、各自が黙って取り組んだ。
五分が経った。
「……葛城さん」
太秦が言った。
「……なんですか」
「ここ、どういうこと」
ノートを横から向けた。
二次関数の問題だった。
解きかけのまま止まっていた。
みおが少し覗いた。
「……この展開の二行目、符号が逆になっています」
「あ」
「……それを直せば次が繋がります」
「……あ、ほんとだ」
太秦が消しゴムを使った。
書き直した。
「……合ってます」
「助かった」
それが最初だった。
次は英語だった。
さやかが長文読解の設問でつまずいていた。
解釈の問題で、選択肢が二つ残っていた。
「みお、これってどっちに近い?」
みおがさやかの問題集を見た。
「……本文の第三段落の最後の文、どう読みましたか」
「ここ?」
「……主語がどこから繋がっているかを先に確認すると、どちらかに絞れます」
さやかが原文を読み直した。
「あ。こっちか」
「……はい」
「なるほど。ありがとう」
さやかが答えを書き込んだ。
太秦が「なんで分かるの」と言った。
「……読む順番の問題です」
「え、それ習った?」
「……授業でやりました。十月の」
「マジか」
太秦が頭の後ろを掻いた。
化学が始まったのは、そこからしばらく後だった。
ひなが問題集を持ってみおに来た。
「これ全然わかんない。モルって何」
「……物質の量を数える単位です」
「量を数える? 物質って数えられるの?」
「……原子や分子は直接数えられないほど小さいので、一定の個数をまとめて1モルと呼びます」
「…………」
「……たとえば、鉛筆が12本で1ダース、というのと同じ考え方です」
「あー」
「……ただし1モルは、602垓個です」
「多すぎる」
「……原子はそれだけ小さいので」
ひなが問題集を見た。
「……じゃあこの計算は」
「……数値を代入するだけです。この式の通りに」
みおが式の構造を指で示した。
ひなが頷いた。
書いた。
合った。
「え、分かった」
「……そうです」
「みおって教えるのうまくない?」
「……そうですか」
太秦が顔を上げた。
「みおって天才だったの?」
さやかが即座に言った。
「知っとったし」
太秦が「え」と言った。
「学年成績どのくらいなの」
「……目立ちたくないので言いません」
「それ上の方じゃん」
「…………」
「それ実質肯定じゃん」
みおが唇を少し噛んだ。
「……成績の話は、本題と関係ないです」
「関係ある」と太秦が言った。
「関係ないです」とみおが言った。
さやかが「まあ、助かってるから」と言った。
ひなが「うち勉強好きじゃないけど、みおが教えてくれるなら来たかったかも」と言った。
みおが「……次も来ていいです」と言った。
ひなが少し目を丸くした。
「いいの」
「……人が多い方が教える効率は上がります」
「それ優しさを合理化してるやつじゃん」
「……そういうわけでは」
「かわいい」とひなが言った。
「やめてください」とみおが言った。
しばらくして、央とみおが向かい合う場面になった。
現代文の読解問題だった。
みおが解いていたが、解釈の文章をどう書くかで手が止まった。
「……央さん」
「……なんですか」
「……この傍線部の説明、どう書きますか」
央が問題を見た。
「……ここの「心情の変化」は、前の段落との対比で説明するといいです」
「……対比」
「……この人物が最初に思っていたことと、最後に変わったことを並べると、採点者に伝わります」
みおが少し考えた。
書いた。
「……こうですか」
「……もう少し前半の言葉を使うと、採点基準に近くなります」
みおが書き直した。
「……どうですか」
「……いいと思います」
「……ありがとうございます」
太秦がそのやりとりを遠めに見ていた。
さやかが手元の問題集から目を上げた。
何も言わなかった。
「おうくんって現代文得意なんだっけ」
「……はい」
「みおが数学得意でおうくんが現代文得意。逆じゃない」
「……よくあることだと思います」
「でもさ」
太秦が少し笑った。
「お互いないとこを補い合ってるじゃん」
央は少し考えた。
「……そうですか」
みおは何も言わなかった。
でも、手元のペンが少し止まった。
ひなが「ちょっと待って。うちノートきれいに取るの得意だから、参考に見せてあげる」と言ったのは、休憩の時間だった。
みんなが少し顔を上げた。
「……ひなちゃん、ノートをきれいに取るんですか」
みおが聞いた。
「そう! 見て」
ひなが鞄から取り出したのは、A5サイズのメモ帳だった。
ページを開いた。
縦書きの文字と、矢印と、括弧が続いていた。
コンテの番号と、カット割りのメモと、BGMの指示が書かれていた。
「……これは」
「動画の編集メモ。次の投稿用のやつ」
「……勉強のノートですか」
「え、違う」
ひなが少し首を傾けた。
「……てかこれ、どこに勉強の話があったんだっけ」
「ノートきれいに取るの得意って言いましたよね」
「うん。これはきれいじゃない?」
みおが少し止まった。
「……きれいです。ただ、教科が違います」
「……あ」
太秦が笑った。
さやかが「やっぱり」と言った。
ひなが「なんかごめん」と言った。
「……でも動画編集のメモは見やすいです」
みおが言った。
「あとで書き方だけ教えてもらえますか」
「え、うちの? いいけど、教科書に使えなくない?」
「……参考にします。情報の整理の仕方として」
「……みおって意外と柔軟だよね」
「……そうですか」
「うん。いい意味で」
みおが少し唇を動かした。
勉強会が一段落したころ、央のスマホが静かに振動した。
テーブルの脇に伏せて置いてあったのを、少しだけ傾けて確認した。
ことねからだった。
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ことね:ちょっと相談があるんやけど
ことね:ダブルデートっていうの? その計画を立てたくて
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央は少し止まった。
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ことね:みおちゃんも一緒に、四人で遊びに行きたいんやけど
ことね:また詳しく話させて
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央はそれを読んだ。
スマホを伏せた。
(ダブルデート)
言葉を頭の中で繰り返した。
四人、ということは、朔も一緒ということだ。
「……どうした」
太秦が聞いた。
「……ことねちゃんから」
「何て」
「……また今度」
太秦が頷いた。
それ以上は聞かなかった。
みおが少し顔を上げた。
央と目が合った。
「……ことね先輩ですか」
「……はい」
「……何かありましたか」
「……近いうちに話します」
みおが頷いた。
それだけだった。
図書室に、ページをめくる音と、消しゴムの音が戻った。
12月の放課後が、窓の外で少しずつ暗くなっていた。
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