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『隣の席の彼女は、今日も高すぎる』  作者: さかっち
~一年生~

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第三十四話 11月7日 京都で、ちゃんと考えた


 新幹線が動き始めた瞬間、ことねは少し目を閉じた。


 窓の外、東京の街が後ろへ流れていった。

 隣の席の同じクラスの女子が何か言っていた。

 ことねは相槌を打ちながら、でも少し別のところにいた。



 修学旅行初日、バスが京都市内に入ると、街の空気が変わった。


 碁盤の目の道。

 屋根の続く街並み。

 東京とは違う、横に広い空。


 ことねはバスの窓にこめかみを当てて、流れる景色を見た。


 (考える、って言った)


 キャンプファイヤーの夜、(さく)に「ちゃんと考える」と言った。

 それからずっと、何かが頭の端に引っかかったままだった。


 「好きです」という言葉だった。

 「ずっと、あなたのことが好きでした」という言葉だった。


 朔がそれを言ったとき、ことねは驚いた。

 でも、「そんなはずない」とは思わなかった。


 (うすうす、気づいてたんかもしれない)


 図書室でよく本を読んでいる背中。

 体育祭のスタンドで、人混みの中でもすぐに見つけられる位置にいたこと。

 「あとで行くつもりです」と言って、でも来なかったブースのこと。


 一つ一つは別々のことのはずなのに、重ねると一本の線になる。

 ことねは人の感情の機微を読み取るのが得意だった。

 気づいていなかったのではなく、気づかないようにしていたのかもしれなかった。



 宿に入ったのは、夕方だった。


 歴史のありそうな旅館だった。

 廊下が長くて、畳の匂いがした。

 窓から、庭の白砂と松が見えた。


 荷物を部屋に置いてから、自由時間があった。


 ことねは一人で廊下を歩いた。

 宿の端に、坪庭を臨む縁側があった。

 誰もいない、そこに座った。


 庭の木が、夕方の光を受けていた。

 葉が落ちかけていて、幹だけが白く見えた。


 ((おう)との、約束のこと)


 ことねは、ふと思い出した。


 小学校の低学年のころだった。

 お盆で親戚が集まったときに、央と縁側に並んで座っていた。

 何かのはずみで、「大きくなったら結婚しよう」という話になった。


 央が「……そう」とだけ言った。

 あの頃から、あの子は無口だった。


 ことねは笑いながら「じゃあ約束ね」と小指を出した。

 央が少し赤い顔で小指を絡めた。


 (あの子のことは、弟みたいなもんやと思ってた)


 ずっとそうだった。

 今もそうだ。

 だから央に「みおちゃんと仲良くしなよ」と言えた。

 央の変化を、嬉しいと思えた。

 それは、弟が成長するのを見るような感覚だった。


 (じゃあ、朔くんは)


 ことねは庭を見た。


 木の葉が一枚、落ちた。


 朔のことを考えると、少し違った。

 「弟みたいに」とは思えなかった。

 「友達として」とも少し違った。


 ことねが「返事はすぐじゃなくていいです」と言われたとき、少し胸が動いた。

 「いいです」と言いながら、急がなかった。

 その落ち着きが、ことねには眩しかった。


 (うちが急ぎすぎるだけかもしれないけど)


 ことねは縁側の端を、足でとんと叩いた。


 庭の木が、また少し揺れた。


 (ちゃんと考えなあかん)


 そう思った。



 二日目は奈良だった。


 大仏を見て、鹿に煎餅を奪われて、班の子が笑い転げた。


 ことねも笑った。

 本気で笑った。

 でも何かが頭の隅に、静かに残っていた。


 昼食のあと、古い商店街を班で歩いているとき、ことねは朔を見かけた。


 別の班だった。

 同じ道を少し遅れて歩いていた。

 プログラムの紙を手に持って、地図を確認していた。


 ことねは少し足を止めた。


 朔が顔を上げた。

 目が合った。


 朔が小さく頭を下げた。

 ことねが胸元で小さく手を振った。

 それだけだった。


 でも、その数秒が、ことねの中で少し長かった。


 (この人は、急かさない)


 ことねはまた歩き始めた。


 「返事はすぐじゃなくていいです」という言葉が、また戻ってきた。

 キャンプファイヤーの夜に聞いたときより、少し違う重さだった。


 (うちが急ぎたいのかもしれない)


 今度は、そう思った。



 三日目は市内の寺社を巡った。


 夕方、フリータイムになった。


 ことねは一人で、参道の脇の細い道に入った。

 石畳が続いていた。

 人が少なかった。

 西日が、木の隙間から差し込んでいた。


 みおに写真を送った。


 お寺の塀と、夕方の光。

 「京都きれい」と一言だけ添えた。


 (みおちゃんにも見せたかった)


 そう思って送った。

 それだけだった。


 石畳を歩きながら、ことねはまた考えた。


 朔のことが好きか、と問われたら。


 (……分からない)


 正直なところ、まだよく分からなかった。

 でも、告白されて嬉しかった。

 「ちゃんと考える」と言えてよかった、と思った。

 急かさないでいてくれることに、安心した。


 (安心する、って何やろ)


 ことねは立ち止まった。


 西日が石畳に伸びていた。

 誰かが遠くで話している声がした。


 (誰かに安心するって、そういうことやないんかな)


 答えになっているか、分からなかった。

 でも、何かが少し決まった気がした。



 最終日の夜、夕食のあとに自由時間があった。


 宿の中庭に、灯籠がいくつか置かれていた。

 夜の冷気が、袖から入ってきた。


 ことねが中庭に出ると、朔がいた。


 縁側の端に立って、庭の灯籠を見ていた。

 ことねが近づくと、朔が気づいた。


「……波多野(はたの)さん」


「朔くん」


 少しの間、ふたりで灯籠を見た。


 火が、静かに揺れていた。


「……ちゃんと考えた」


 ことねが言った。


 朔が少し、動いた。

 でも何も言わなかった。

 待っていた。


「好きです、って言ってくれたの、嬉しかった」


 ことねが続けた。


「……うちも、好きです」


 中庭が静かだった。

 灯籠の火が一度、揺れた。


 朔の眼鏡の奥の目が、少し動いた。

 静かに。


「……ありがとうございます」


 朔が言った。


 ことねが少し、笑った。

 えくぼが出た。


「なんでお礼言うん、朔くん」


「……嬉しいので」


 朔が答えた。


 ことねは笑ったまま、前を向こうとした。

 でも、頬が少し熱かった。

 えくぼをごまかすように、少し俯いた。


 灯籠の火が、また揺れた。


 中庭に、夜の冷気が続いていた。

 宿の中から、誰かの笑い声がした。

 遠くて、でも確かだった。


 ことねは少しだけ、そこに立っていた。


 (急かさないでいてくれた人が、隣にいる)


 それだけで十分だ、と思った。


ご一読いただきありがとうございます。

ポイント、リアクションスタンプ、感想コメントなどいただけると、作者が小躍りして喜びます。

次回もよろしくお願いします。

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