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『隣の席の彼女は、今日も高すぎる』  作者: さかっち
~三年生~

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第百三十五話 5月15日 輪郭を持ち始めた将来


 五月十五日、金曜日。

 三年A組では、この日から、担任の笠置先生による、個別の進路相談が始まっていた。


 放課後、廊下に並べられたパイプ椅子に、順番を待つ生徒たちが、思い思いに座っている。

 みおは膝の上に置いた資料の表紙を、指先で何度もなぞっていた。


「緊張してるんですか」


 隣に座っていた(おう)がそう声をかけると、みおは小さく頷いた。


「はい。……初めて、はっきりと将来のことを、口にする気がして」


「大丈夫だと思います。……みおの考え、ちゃんと、整理されているので」


 央がそう言うと、みおは少し安堵したように、肩の力を抜いた。


「央さんは、緊張しないんですか」


 みおがそう尋ねると、央は少し考えるように、視線を宙に向けた。


「正直、俺も少し緊張してます。……ただ、みおの方が、先だから」


 央がそう答えると、みおはくすりと笑った。


「その言い方、ずるいです」


 最初に呼ばれたのは、そのみおだった。



「葛城さんは、数学が得意だったわね」


 笠置先生がそう切り出すと、みおは頷いた。


「はい。……理系の学部で、数学を専門的に学べるところを、探したいと思っています」


「具体的に、志望校は決めている?」


「まだ、いくつか候補があって、絞りきれていません。……ただ、応用数学の分野に、興味があります」


 みおがそう答えると、笠置先生は手元の資料に、いくつか大学名を書き加えた。


「なぜ、応用数学に興味を持ったの?」


 笠置先生がそう尋ねると、みおは少し考えを整理するように、間を置いた。


「純粋な理論も、面白いんですが。……何かの役に立つ形で、数字を使えることに、魅力を感じています」


「例えば?」


 笠置先生がそう重ねて尋ねると、みおは少し考えてから答えた。


「データを分析して、何かの課題を解決していくような分野に、興味があります」


「なるほどね。それなら、この辺りの学部案内、後で渡すわね。オープンキャンパスも検討してみるといいわ」


「ありがとうございます」


 みおがそう言って、深々と頭を下げた。


「あと、身長のことで何か、大学生活で心配なことがあれば、遠慮なく相談してね」


 笠置先生がふと、そう付け加えると、みおは一瞬、言葉に詰まった。


「気にかけていただいて……ありがとうございます」


 みおがそう答える声には、これまでになかった素直な落ち着きが滲んでいた。

 教室に戻る廊下で、みおは資料の束を大切そうに抱えながら、次の相談者とすれ違った。


 次に呼ばれたのは、央だった。

 教室に入ると、笠置先生は既に、机の上にいくつかの資料を広げて待っていた。



「勢多くんは、まだ、はっきりとは決めていないのよね」


 笠置先生がそう尋ねると、央は頷いた。


「はい。……ただ、本を読んだり、歴史を調べたりすることが好きなので。その延長線上で文学部か、史学系の学部を考えています」


「具体的に、興味のある時代とか、分野は?」


「近代史、特に、人と人との関わりが時代を動かしていく過程に、興味があります」


 央がそう答えると、笠置先生は感心したように、ペンを止めた。


「面白い視点ね。……お祖父様との会話が、影響しているのかしら」


 笠置先生がそう水を向けると、央は少し驚いたように、顔を上げた。


「よく、覚えていますね」


「以前、面談で少し話してくれたでしょう。……お祖父様と、朝、色々な話をするのが好きだって」


 笠置先生がそう言うと、央はそのことを思い出し、口元を綻ばせた。


「はい。……あの時間が、今の興味に繋がっている気がします」


「そういう、日常の小さな積み重ねが、進路に繋がっていくのよね」


 笠置先生がそう続けると、央は深く頷いた。


「その方向なら、いくつか、良い学部を紹介できるわ」


「ありがとうございます」


 央がそう言うと、笠置先生は資料を手渡しながら、少しだけ目を細めた。


「勢多くんの言葉、いつも丁寧よね。……そういうところ、大事にした方がいいと思うわよ」


 その一言に、央は耳の先をわずかに赤くした。


 廊下に戻ると、太秦(うずまさ)が貧乏揺すりをしながら、順番を待っていた。


「なんか、緊張するな、こういうの」


 太秦がそう漏らすと、央は小さく笑った。


「太秦らしくないですね、そういうの」


「うるさいな」


 太秦がそう言い返した直後、名前を呼ばれ、慌てたように、立ち上がった。



「太秦くんは、今日、何か話したいことがあるみたいね」


 笠置先生がそう水を向けると、太秦は居住まいを正した。


「はい。……実家の自転車店、継ごうかなって、思ってます」


 太秦がそう切り出すと、笠置先生は少し目を見張った。


「それは、初めて聞いたわね」


「まだ、迷いもあるんですけど。……この間、家族と話して、少しずつ固まってきた感じで」


 太秦がそう続けると、笠置先生はゆっくりと頷いた。


「どんなお店なの?」


 笠置先生がそう尋ねると、太秦は少し誇らしげに、胸を張った。


「自転車の修理と販売やってます。……親父が、二十年以上続けてる店で」


「二十年か……立派な歴史ね」


「小さい頃から、店を手伝ってて。……気づいたら、自然と選択肢の一つになってました」


 太秦がそう付け加えると、笠置先生は静かに、その言葉を書き留めた。


「継業の道も、立派な進路の一つよ。……もし、経営や経理の勉強が必要なら、専門学校の資料も用意できるわ」


「お願いします」


 太秦がそう答えると、その声はいつもより、少しだけ硬くなっていた。

 両手を膝の上で、無意識にぎゅっと握りしめていることに、太秦自身、少し遅れて気づいた。

 自分の意志を、初めて大人に対して、正式に口にした瞬間だった。


 教室を出ると、さやかが資料に目を通しながら、待っていた。


「お疲れ、どうだった」


 さやかがそう声をかけると、太秦は親指を立てて、応えた。


「まあまあ、な。次、さやかさんの番だろ」


「うん、行ってくる」


 さやかがそう言って、教室の中へと、姿を消した。



「鳥飼さんは、教育系に興味があるって、以前言っていたわね」


 笠置先生がそう切り出すと、さやかは姿勢を正した。


「はい。……弟に勉強を教えることが多くて。その経験から、教育の仕事に興味を持つようになりました」


「具体的には、教員を目指している?」


「まだ、教員なのか、他の教育関係の仕事なのか、迷っているところもあるんですけど。……人に何かを伝える仕事に携わりたいという気持ちは、はっきりしています」


「教育系の仕事は、幅が広いから。……焦らず、色々な選択肢、見ていくといいわ」


 笠置先生がそう助言すると、さやかは素直に頷いた。


「はい。……ありがとうございます」


 さやかがそう言い切ると、笠置先生は頬を緩めた。


「弟さんの、入学式の話、聞かせてもらったわね」


 笠置先生がそう続けると、さやかは思わず、口元がほころぶのを止められなかった。


「あの日からなんとなく、この道が自分に合ってる気がしてきました」


 さやかがそう言うと、笠置先生は大きく頷いた。


「良い原体験ね。……そういう具体的な経験から生まれた志望動機は、強いわよ。その気持ちがあれば、きっと道は見えてくるわ」


「ありがとうございます」


 さやかがそう答えながら、胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じていた。

 これまで、なんとなく抱いていた思いが、初めて、言葉として、形になった瞬間だった。


 最後に呼ばれたのは、ひなだった。

 廊下で待っていたひなは鞄からファイルを取り出し、もう一度、中身を確認していた。



「御所さんは、写真の道を、考えているのよね」


 笠置先生がそう尋ねると、ひなは鞄から一冊のファイルを取り出した。


「はい。これ、今まで撮った写真をまとめてみました」


 ひながそう言いながら、ファイルを開いて見せると、笠置先生は興味深そうに、ページをめくった。


「これは、力作ね。……映像系の専門学校か、芸術系の学部か、進路の幅は色々あるわね」


「どっちがいいか、正直、まだ分からなくて」


 ひながそう漏らすと、笠置先生は優しく諭すように、言葉を続けた。


「今すぐ決めなくても、大丈夫よ。……撮り続けながら、少しずつ、絞っていけばいいの」


「実は、写真部の部長も、任されそうなんです」


 ひながそう打ち明けると、笠置先生はぱっと表情を輝かせた。


「それは、おめでとう。部長としての経験も、きっと、進路選びの良い材料になるはずよ」


「まだ、迷ってますけど。……それも踏まえて、考えたいと思います」


 ひながそう答えると、笠置先生はファイルを丁寧に閉じて、手渡した。


「この写真たちを見る限り、御所さんには、確かな目があると思うわ。自信を持っていいと思う」


 その言葉に、ひなの喉の奥がきゅっと締めつけられた。


「ありがとう、ございます」


 ひなが声を絞り出すように、そう答えた。


「頑張ります」


 ひなが力強く、そう続けた。



 全員の相談が終わった後、五人は教室で、それぞれの資料を見せ合っていた。


「太秦くん、家業のこと、正式に先生に言ったんだ」


 さやかがそう言うと、太秦はこめかみのあたりを、指で掻いた。


「言ってみたら、案外、あっさりしたもんだったよ」


「勇気、いったでしょ」


 ひながそう茶化すと、太秦は口をへの字に曲げた。


「うるさいな」


 太秦がそう言い返すと、皆が揃って、声を立てて笑った。


「ひなちゃんは、部長のこと、先生にも、報告したんだな」


 太秦がそう言うと、ひなは少しはにかんだ様子で、頷いた。


「うん。……まだ正式決定じゃないけど、そろそろ腹を括らなきゃな、と思って」


「ひなの写真、先生にも、見せたんですか」


 みおがそう尋ねると、ひなは鞄からファイルを取り出して、皆に見せた。


「これ、けっこう、褒めてもらえた」


 ひながそう言うと、さやかは興味深そうに、ページをめくった。


「本当だ、いい写真ばっかり」


「ひなっち、こういうの見ると、改めて才能あるよね」


 さやかがそう感想を漏らすと、ひなの頬がじわりと熱を持った。


「みおは、数学の方、進めるんですね」


 央がそう言うと、みおは資料を、そっと胸に抱えた。


「はい。……央さんも、方向性、固まってきましたね」


「まだ、途中ですが。……少しずつ、輪郭が見えてきた気がします」


 央がそう言うと、みおは静かに、目元を和らげた。


「私も、今日、初めてはっきり言葉にできました」


 さやかがそう続けると、ひなも、資料を掲げて見せた。


「うちもなんとなくやったけど、今日で、ちょっと前に進めた気がする」


 ひながそう言いながら、晴れやかに笑った。


「なんか、今日一日で皆、一気に大人びた気がする」


 太秦がそう言うと、皆はそれぞれに、苦笑いを浮かべた。


「太秦さんこそ、家業のこと、ちゃんと言葉にできたじゃないですか」


 みおがそう返すと、太秦は少し面映ゆそうに、視線を逸らした。


「まあ、な」


 資料をまとめながら、央がふと、皆を見渡した。


「今日、五人とも、それぞれの言葉で、話せましたね」


 央がそう言うと、皆はそれぞれに、顔を見合わせた。


「まだ、正式に決まったわけじゃないけど」


 ひながそう言うと、さやかが頷いた。


「うん。でも、口に出せたことに、意味があると思う」


 さやかがそう続けると、皆は静かに、そのことを噛みしめるように頷き合った。


 帰り支度をしながら、みおがふと、皆を見渡した。


「今日のこと、なんだか、記念日みたいですね」


 みおがそう言うと、ひなが悪戯っぽく片目をつぶった。


「記念日って、大袈裟な」


「でも、分かる気がする。……皆で、こうして前を向けた日って感じ」


 さやかがそう続けると、太秦が鞄を肩にかけながら、締めくくった。


「まあ、今日のところは、それぞれ一歩ずつ、ってことで」


 太秦がそう言うと、皆はそれぞれに、笑みを浮かべた。


 教室を出て、それぞれの帰り道へと分かれていく前、五人は昇降口で、少しだけ足を止めた。


「また来月あたり、進み具合、報告し合おうか」


 央がそう提案すると、皆は頷き合った。


「いいですね。……お互い、励みになりそうです」


 みおがそう言うと、ひなが明るく手を挙げた。


「じゃあ、それ、約束ね」


 ひながそう締めくくると、皆は、それぞれの表情で頷き合った。


 窓の外、五月の夕暮れが、教室を、柔らかい光で満たしていく。

 五人それぞれの将来は、まだ、はっきりとした形にはなっていない。

 けれど、今日という一日を経て、その輪郭は、確かに、少しずつ、色濃くなり始めていた。

 この日の五人の言葉は、それぞれのノートや、心の中に、静かに刻まれていった。


ご一読いただきありがとうございます。

ポイント、リアクションスタンプ、感想コメントなどいただけると、作者が小躍りして喜びます。

次回もよろしくお願いします。

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