第百三十三話 5月4日 二年前と同じ日に
五月四日、月曜日。みどりの日。
ゴールデンウィークも、後半に差し掛かっていた。
二年前の同じ日、央とみおたちは私服で出かけ、梅晴堂という和菓子店を訪れていた。
あの日から、二年の月日が流れている。
高校一年生だった央たちは、今、三年生になった。
ことねと朔は大学生になり、それぞれの新しい生活を、少しずつ歩み始めている。
同じ五月四日でも、それぞれの立場から見える景色は、あの頃とは少しずつ、違うものになっていた。
ことねと朔は、大学近くの公園のベンチに、並んで座っていた。
「やっと、少し、落ち着いたな」
ことねがそう言いながら、大きく伸びをした。
「四月は、本当に、慌ただしかったですね」
朔がそう答えると、ことねは目を細めた。
「サークルも、講義も、なんとかリズムが掴めてきたし。今日は久しぶりに、何も予定ない日だわ」
「僕も同じです。……こうして、ゆっくり座っているのが、久しぶりな気がします」
朔がそう言いながら、持ってきた文庫本を、静かに開いた。
ことねはその隣で、スマホをいじりながら、のんびりと時間を過ごしている。
「そういえば朔くん、結局、図書館のボランティア続けてるんだ」
ことねがそう尋ねると、朔は頷いた。
「はい。……思っていたより、性に合っているみたいで」
「テニスサークルの方は、あたし結局、あんまり顔出せてないんだよね」
ことねがそう言うと、朔は少し意外そうな顔をした。
「見学の時は、楽しそうでしたけど」
「うん、楽しいは楽しいんだけど。……講義との両立、思ったより大変で」
ことねがそう言いながら、苦笑いを浮かべた。
「無理せず、続けられる形を、見つけられればいいと思います」
朔がそう言うと、ことねは優しく微笑んだ。
「なあ、朔くん」
「はい」
「あたしら、去年の今頃、何してたっけ」
ことねがそう尋ねると、朔は少し考えるように、視線を上げた。
「受験勉強に、追われていた頃だと思います。……ゴールデンウィークも、ほとんど勉強していました」
「そうだったなぁ。……今年はこうしてのんびりできるの、なんかありがたいわ」
ことねがそう言いながら、青空を見上げた。
公園の木々には、初夏の風が心地よく吹き抜けている。
「一年経つと、こんなにも景色が変わるものなんですね」
朔がそう言うと、ことねは頷いた。
「せやな。……来年の今頃も、また違う景色、見てるんやろうな」
ことねがそう言いながら、小さく笑った。
「僕たちも、来年には二年生ですね」
朔がそう言うと、ことねは少し複雑そうな顔をした。
「なんか実感湧かんけど。……時間経つの、早すぎるわ」
「本当ですね」
朔がそう相槌を打つと、ことねは伸びをしながら空を見上げた。
その隣で、朔も静かに、同じ青空を見上げていた。
同じ頃、太秦は、実家の自転車店で父の作業を手伝っていた。
「そこの工具、取ってくれ」
父にそう頼まれ、太秦は慣れた手つきで、工具箱から必要なものを選び出した。
「相変わらず、手際いいな、お前」
父がそう言いながら、感心したように頷いた。
「まあ、これくらいは」
太秦がそう答えながら、父の作業を横で見守った。
「連休中も、店、開けるんだね」
太秦がそう言うと、父は口元を緩めた。
「休みの日ほど、自転車のパンク修理とか、頼まれることが多いからな」
「大変そうだけど……なんか、嫌いじゃないよ、こういうの」
太秦がそう言うと、父は少し驚いたように手を止めた。
「そうか」
父がそう短く答えて、また作業に戻った。
その様子に、太秦は少しだけ、照れくさい気持ちになった。
「なあ、親父。……店、俺が継ぐって言ったら、どう思う?」
太秦がそう尋ねると、父は手を止めて、息子を見た。
「まだ、早いだろ、そういうの決めるの」
「まあ、そうなんだけど。……なんとなく、聞いてみたくなって」
太秦がそう言うと、父は少し考えるように腕を組んだ。
「継いでくれるなら、そりゃ嬉しいさ。……でも、無理に決めることじゃない」
父がそう言うと、太秦は静かに頷いた。
「うん。……ちゃんと、考えてみる」
その時、店の奥から姉が顔を出した。
「お父さん、お客さん来たよ」
「おう、今行く」
父がそう言って、店先へと向かっていく。
残された姉と太秦は、しばらく店番を任されることになった。
「姉ちゃん、進路決まった?」
太秦がそう尋ねると、姉は少し困ったように笑った。
「まだ、全然。……大学二年にもなって、これはちょっと、まずいかもね」
「そうなんだ」
「大学、なんとなくで入っちゃったからさ。……本当にやりたいこと、まだ、見つかってなくて」
姉がそう続けると、太秦は少し意外そうな顔をした。
「姉ちゃんでも、そういうのあるんだ」
「当たり前でしょ。……大人になったら、全部分かるようになる、なんてこと、ないから」
姉がそう言いながら、苦笑いを浮かべた。
「拓海は、どうすんの。店継ぐって話、まだ考えてる?」
姉がそう尋ねると、太秦は少し考え込むような顔をした。
「まだ、はっきりとは決めてないけど。……悪くない選択肢だとは、思ってる」
太秦がそう答えると、姉は優しく微笑んだ。
「まあ、焦ることないよ。あたしもまだ全然、決まってないし」
姉がそう言うと、太秦は少し安心したように、表情を緩めた。
自分だけが迷っているわけではないのだと、その一言に、静かに救われた気がした。
「姉ちゃんは、なんだかんだ、いつもそうやって、俺のことフォローしてくれるよな」
太秦がそう言うと、姉は悪戯っぽく笑った。
「弟の面倒見るの、姉の仕事でしょ」
「それ、いつまで続けるつもりなんだよ」
太秦がそう言い返すと、姉は声を上げて笑った。
「さあね。……拓海が、あたしより先に、しっかりするまで、かな」
姉がそう言うと、太秦は苦笑いを浮かべた。
その軽口の応酬に、店先の空気が、少しだけ和やかになった。
夕方、央とみおは、二年前と同じ川沿いの緑道を、並んで歩いていた。
新緑の香りが、あの日と同じように風に乗って漂ってくる。
(あの日から、もう、二年も経つんだ)
みおは内心でそう思いながら、隣を歩く央をそっと見た。
当時、緊張しながら並んで歩いていた記憶が、今も鮮明に残っている。
「二年前も、こうして、ここを歩きましたね」
央がそう言うと、みおは頷いた。
「はい。……あの日、初めて央さんに、名前で呼んでもらいました」
みおがそう言いながら、懐かしそうに、微笑んだ。
「あの頃はまだ、緊張していました。……こうして、隣を歩くだけでも」
央がそう言うと、みおは小さく笑った。
「今は、違いますか」
「今は……素直に、楽しいです」
央がそう答えると、みおの頬が、わずかに赤く染まった。
緑道の途中、当時、太秦が二人を案内した路地の入り口が、今もそのまま残っていた。
「あそこ、覚えていますか。太秦さんが案内してくれた路地」
みおがそう言うと、央は表情を緩めた。
「はい。……あの頃から、太秦は、周りをよく見ている人でした」
「今も、変わりませんね」
みおがそう言うと、央は静かに微笑んだ。
「あの日、俺も、みおの居心地が悪そうなのに、気づいてはいたんです。……ただ、どう動けばいいか、分からなくて」
央がそう打ち明けると、みおは少し驚いたように、目を丸くした。
「そうだったんですね。……全然、気づきませんでした」
「今なら、もう少しうまく動けると思います」
央がそう言うと、みおは優しく微笑んだ。
「それは、頼もしいです」
緑道を抜けると、見覚えのある和菓子店の看板が、目に入った。
「梅晴堂、まだあるんですね」
みおがそう言いながら、少し嬉しそうに、店先を見つめた。
「入ってみますか」
央がそう誘うと、みおは目を輝かせて頷いた。
「はい。……あの時と、同じものを頼んでみようと思います」
二人はそう言いながら、暖簾をくぐった。
店内の様子は、二年前と、ほとんど変わっていなかった。
和菓子のケースの前に立つと、みおの表情がいつもより少し、生き生きとしたものに変わる。
「これと、これ、両方、気になります」
みおがそう言いながら、真剣な顔で、ケースを覗き込んだ。
「二年前も、こんな顔してましたよ」
央がそう指摘すると、みおははっとしたように、顔を上げた。
「……そう、でしたか」
「はい。……素の表情が、出るところなんだと思います」
央がそう言うと、みおは少し恥ずかしそうに、視線を逸らした。
「見られているの、忘れてしまって」
「いいと思います、そういうところ」
央がそう言うと、みおは小さく笑いながら、両方の和菓子を注文した。
「二年前は、たしかこれと、似たようなものを選んだ気がします」
みおがそう言いながら、包みを受け取った。
「よく覚えていますね」
「和菓子のことだけは、なぜかしっかり記憶に残っているので」
みおがそう答えると、央は小さく笑った。
けれど、隣を歩く二人の距離感は、あの頃とは確かに違っていた。
和菓子を買って店を出ると、二人は川沿いのベンチに、腰を下ろした。
「二年前、ここで何を話したか、覚えていますか」
みおがそう尋ねると、央は少し考えるように、視線を上に向けた。
「季節の、緑の話をした気がします。……あとは、みおが和菓子を選ぶ時の顔が、印象的でした」
「その節は、素の顔、見られてしまいましたね」
みおがそう言うと、央は優しく笑った。
「あれが、みおの一番自然な顔だったので。……好きでしたよ、あの時から」
央がそう言うと、みおは驚いたように、目を見開いた。
「……そう、だったんですね」
みおがそう言いながら、頬を染めて、俯いた。
「あの時はまさか、こんな風になるなんて、思っていませんでした」
みおがそう続けると、央は静かに微笑んだ。
「俺も、同じです。……ただ隣の席の人、くらいにしか、思っていなかったので」
「今は、隣の席以上の、存在ですか」
みおがそう尋ねると、央は少し照れくさそうに頷いた。
「はい。……もちろんです」
その答えに、みおは幸せそうに目を細めた。
「二年経って、色々なことが、変わりました。……でもこうして、二人で同じ場所を歩けることが、何より嬉しいです」
央がそう言うと、みおは静かに頷いた。
「はい。……わたしも、同じ気持ちです」
夕陽が、川面を、オレンジ色に染めていく。
二年前と同じ景色の中で、二人はあの頃より、少しだけ近い距離で、並んで座っていた。
「来年の今頃は、どうなっているでしょうね」
みおがそう言うと、央は静かに微笑んだ。
「分かりませんが……その時もきっと、隣にいると思います」
央がそう言うと、みおは幸せそうに、目を細めた。
その時、央のスマホが、小さく震えた。
グループLINEに、太秦からのメッセージが届いていた。
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太秦 :みんな、GW満喫してる? 俺は実家の手伝い中
ことね:あたしも今日は久々にのんびりしてるわ
央 :俺も、みおと、少し散歩しています
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その短いやり取りに、央は小さく笑った。
「太秦さんたちも、それぞれ、良い一日を過ごしているみたいです」
央がそう言うと、みおは画面を覗き込んで、頷いた。
「なんだか、安心しますね。みんな、それぞれの場所で元気にしてるんだと思うと」
みおがそう言うと、央は静かに頷いた。
二年前と同じ場所で、二人はこれまでの歩みを、静かに振り返っていた。
変わったことも、変わらないことも、どちらも、大切な時間の積み重ねだった。
帰り道、二人はもう一度、緑道をゆっくりと歩いた。
夕暮れの空に、一番星が、小さく瞬き始めている。
「また、来年も、ここに来ましょうか」
みおがそう提案すると、央は少し考えるように、視線を上げた。
「毎年の恒例行事にしても、いいかもしれませんね」
「はい。……その頃には、また何か変わっているかもしれませんが」
みおがそう言うと、央は静かに微笑んだ。
「それでも、隣にいるのは、変わらないと思います」
央がそう言うと、みおは嬉しそうに頷いた。
「はい。……楽しみにしています」
二人はそう言葉を交わしながら、夕暮れの道を、駅の方へと歩いていった。
二年前と変わらない空の下、二人の歩幅だけが、あの頃よりずっと近くなっていた。
同じ五月四日という日付を、それぞれの場所で、それぞれの形で過ごした。
積み重ねてきた二年間は、誰にとっても、確かな軌跡として、今日という日に静かに刻まれていた。
ご一読いただきありがとうございます。
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