第百二十一話 3月14日 今度は、こちらの番です
三月十四日、土曜日。
ホワイトデー。
午前中、央は太秦と一緒に、駅前の和菓子店を訪れていた。
「葛城さんへの贈り物、まだ決まってないのか」
「候補は絞ってるんですけど、最後の一押しが欲しくて」
央がそう答えながら、ショーケースの中を覗き込む。
みおが以前、和菓子の中でも上品な甘さのものが好きだと話していたのを、央は覚えていた。
店内には桜餅やうぐいす餅など、春らしい商品がずらりと並んでいた。
どれも魅力的で、逆に選ぶのが難しくなる。
「これとか、どうだ」
太秦が指したのは桜の練り切りだった。
春らしい、淡い桃色の一品。
「……良いですね。見た目も季節感があって」
央はそう言いながら店員に、その練り切りを数個包んでもらうよう頼んだ。
「にしても和菓子選びなんて、渋いセンスだよな、おうくん」
「みおが洋菓子より和菓子の方が好きだと言ってたので」
「よく覚えてるな、そういうところ」
太秦が感心したように言った。
「覚えておかないと意味がないので」
央はそう答えながら、包んでもらった練り切りを丁寧に鞄へしまった。
思えば去年の今頃も、こうして贈り物を選んでいた気がする。
あの頃はまだ、選ぶ心持ちも、今とはまるで違っていた。
「それにしても、おうくんも、こういうの板についてきたよな」
「太秦のおかげでもあります。……いつも付き合ってもらって」
央がそう言うと、太秦は照れくさそうに笑った。
「まあ、頼られるの、悪い気はしないしな」
太秦がそう付け加えると、二人は、揃って、和菓子店をあとにした。
同じ頃、慧は駅の反対側の商店街で頭を抱えていた。
「……マジで、何にすればいいか分からん」
「幼馴染への贈り物って、案外難しいよな」
太秦は央との買い物を終えたあと、慧に声をかけられて相談に付き合っていた。
「普通のお返しだと、なんか物足りない気がして」
「かといって気合入れすぎても、変に意識させちまうしな」
太秦がそう言うと、慧は深くため息をついた。
「そもそも、なんでこんなに悩むんだろ、俺」
慧がそう零すと、太秦は意味ありげに笑った。
「その理由、自分でもう分かってるんじゃないか」
「……別に、分かってないっすよ」
慧はそう言い返しながらも、その表情には隠しきれない動揺が浮かんでいた。
「勢多先輩は、どうやって決めたんですか」
慧がそう尋ねると、央は少し考えてから答えた。
「みおが好きなものを、素直に選びました。……相手のことを考える時間そのものが、意味を持つと思います」
「……なるほど」
慧はその言葉を、しばらく噛みしめるように繰り返していた。
「そういうの、勢多先輩っぽいですね。真面目っていうか」
「……馬鹿にしてます?」
「まさか、褒めてます」
慧がそう答えると、央は、少し安心したように、小さく笑った。
「でも、ほのかの場合、幼馴染すぎて逆に何が『特別』か分かんなくなるんですよね」
「特別なもの、じゃなくてもいいんじゃないか」
太秦がそう口を挟んだ。
「え?」
「ほのかちゃんが今、欲しがってるものとかないのか。……気合い入れた贈り物より、そっちの方が案外喜ばれるもんだぞ」
太秦の言葉に、慧はしばらく考え込んでから、はっと顔を上げた。
「……そういえば、この前可愛いって言ってたヘアゴム、あったな」
結局、慧が選んだのは、ほのかが最近気に入っていると話していたシンプルなヘアゴムだった。
派手すぎず地味すぎない。
ほのからしさを慧なりに考えた末の選択だった。
朔は、ことねへの贈り物を選ぶため一人で雑貨店を訪れていた。
受験を終えて少し肩の力が抜けたことねの姿を思い浮かべながら、朔は棚を一つずつ見て回った。
(……大学生活で使えるものがいいかもしれない)
文房具、マグカップ、アロマグッズ。
どれも悪くはないが決め手に欠ける気がして、朔はなかなかこれというものを見つけられずにいた。
目に留まったのは小さな観葉植物の鉢だった。
朔自身の趣味とも重なる、育てやすい種類のもの。
「これなら、一人暮らしの部屋にも置きやすいはずです」
朔はそう呟きながら、店員にラッピングを頼んだ。
植物の世話をしながら過ごす時間は、朔にとって心を落ち着けるための大切な習慣だった。
その習慣を少しでも、ことねと分かち合えたら。
そんな思いも、この贈り物には込められていた。
これから始まる、ことねの新しい生活に、少しでも穏やかな時間を添えられたら。
そんな思いを込めて、朔は包装を丁寧に頼んだ。
夕方、それぞれの贈り物を手に、七人とことね、朔が駅前の広場に集まっていた。
三月の風は、まだ少し冷たかったが、日差しには、確かな春の気配が滲み始めていた。
「みんな、ちゃんと準備できたみたいだね」
さやかが周囲を見渡しながら、そう言った。
「うちは写真部の後輩に、お返し用意するの地味に苦労したよ」
ひなはそう零しながら、鞄の中の小さな紙袋を確認する。
「ひなっちも、意外と律儀だよね」
「うちを誰だと思ってるの。義理、ちゃんと通す主義だから」
ひなが胸を張ると、周囲から小さな笑いが起きた。
「これ、お返しです」
央がみおに、桜の練り切りの包みを差し出す。
「わあ、綺麗ですね」
みおは包みを開けて目を輝かせた。
「みおが好きそうな味だと思って」
「……ありがとうございます。大切にいただきます」
みおはそう言って嬉しそうに微笑んだ。
「実は去年、初めて贈り物を選んだ時から、ずっとこういうのが苦手だったんです」
央がそう打ち明けると、みおは意外そうな顔をした。
「今は、そんな風には見えませんでした」
「みおのことを考えてる間は、不思議と悩むのが楽しくなるんです」
央がそう言うと、みおは頬を赤らめながら視線を落とした。
「……央さんは、そういうことをさらっと言いますよね」
「本当のことなので」
央がそう返すと、みおは小さく笑い声を漏らした。
その様子を見ていたことねが隣で、小さく笑う。
「相変わらず仲良いね、二人とも」
「ことねさんも、朔さんからもらったんですか」
央がそう尋ねると、ことねは少し照れくさそうに、鞄の中から観葉植物の鉢を取り出した。
「これ。……朔くんらしいチョイスでしょ」
「大学生活、応援してます。……無理せず育ててください」
朔がそう言うと、ことねは鉢を大事そうに抱えた。
「ちゃんと枯らさないようにするから」
「水やり、忘れないでくださいね」
「はいはい、分かってる」
二人のやり取りには、受験を終えたばかりの穏やかな余裕が滲んでいた。
「これから大学別々になるのに、こういうの贈るの、ちょっと切ないね」
ことねが鉢を見つめながら、ふとそう漏らした。
「別々でも会う機会は作れます。……この植物が、その度に話題になってくれれば」
朔がそう言うと、ことねは少し驚いたように朔の顔を見た。
「……朔くんって、たまにこういう気の利いたこと言うよね」
「ことねさんの前でだけ、頑張ってる部分もあります」
朔がそう答えると、ことねは嬉しそうに声を立てて笑った。
「頑張らなくても朔くんは、朔くんのままでいいのに」
ことねがそう言うと、朔は少しだけ照れくさそうに目を伏せた。
少し離れた場所で、慧はほのかに、ヘアゴムの包みを差し出していた。
「これ、いつも通りっちゃ通りだけど」
慧はそう前置きしながら包みを渡す。
その視線は、いつもより少しだけ長く、ほのかに向けられていた。
「……うん、ありがとう」
ほのかは包みを受け取りながら、そう答えた。
その声は、いつもよりわずかに小さかった。
「気に入ってくれるといいけど」
「たぶん、気に入る。……けいくんが選んだものだし」
ほのかがそう言うと、慧は少し驚いたように目を見開いた。
「……そういうこと、さらっと言うの、ずるいって前も言ったよな」
「言ったっけ」
ほのかがとぼけるように、そう返す。
その場でほのかは、さっそく包みを開けてヘアゴムを手に取った。
「……本当に、うちの好みだ。なんで分かったの」
「……なんとなく、だけど」
慧はそう答えながら視線を少し逸らした。
「なんとなくで、これだけ当てられるの、逆にすごいと思う」
ほのかはそう言いながら、その場でさっそくヘアゴムを髪に着けてみせた。
「……似合ってる」
慧が思わずそう零す。
「え、なに、その照れた声」
「照れてない」
慧がそう言い返しながらも、その耳はわずかに赤くなっていた。
二人の間に流れる空気は、以前よりも確かに近いものになっていた。
それでも、まだどちらも、その先の言葉を口にすることはなかった。
夕暮れの広場で、三組それぞれの距離感が静かに対比を描いていた。
央とみおの、積み重ねてきた確かな信頼。
ことねと朔の、受験という試練を越えた穏やかな安心感。
慧とほのかの、まだ名前のつけようのない、けれど確かな揺らぎ。
どの関係も、それぞれのペースで少しずつ形を変えながら進んでいた。
太秦はその様子を、少し離れた場所から眺めていた。
「……みんな、それぞれ良い顔してるな」
太秦はそう呟きながら、誰に見せるでもなく小さく笑った。
その隣に、さやかがそっと並んだ。
「太秦くんは寂しくないの。……周り、みんな進んでるのに」
「別に。……俺は俺のペースでいいと思ってるし」
太秦がそう答えると、さやかは意外そうな顔をした。
「その考え方、意外としっかりしてるよね」
「意外は余計だろ」
太秦がそう言い返すと、さやかはくすりと笑った。
「うちも太秦くんの、そういうところ嫌いじゃないよ」
さやかがそう言うと、太秦は少しだけ照れくさそうに視線を逸らした。
少し離れた場所では、ひなが写真部の後輩に渡すはずだった紙袋を鞄から取り出し、中身をもう一度確認していた。
「後輩へのお返しも、地味に気を遣うんだよね」
ひなが呟くと、隣にいたみおが興味深そうに覗き込んだ。
「ひなも、後輩がいるんですね」
「一年生の子が二人ほど。……最近、うちに懐いてくれてて」
ひなはそう言いながら、少し誇らしげに笑った。
「先輩として頼られるの、悪くない気分だよ」
その言葉に、みおは小さく頷いた。
「わたしたちも、いつの間にか、後輩に頼られる側になったんですね」
「まあ、時間が経てば、そういうもんでしょ」
ひながそう言うと、みおは少し感慨深げに空を見上げた。
広場の中央では、慧が髪にヘアゴムを着けたほのかを見つめながら、何かを言いかけては飲み込む、ということを繰り返していた。
「……なに、さっきから言いたそうな顔して」
ほのかがそう尋ねると、慧は慌てて首を振った。
「べ、別に、何も」
「怪しい」
ほのかがそう言いながら、じとりとした目を慧に向ける。
慧はそれ以上何も言えずに、視線を明後日の方向へ逸らした。
その様子を、少し離れた場所から見ていたさやかが、みおにこっそり耳打ちした。
「あの二人、もう、時間の問題じゃない?」
「……そうですね。わたしも、そう思います」
みおがそう答えると、二人は顔を見合わせて静かに笑い合った。
やがて、日が傾き始めた頃、九人は、それぞれの帰り道へと、少しずつ散っていった。
「今日は、みんな、ありがとうな」
太秦が、そう声をかけると、皆、口々に、今日の礼を言い合った。
「来週も、また学校で」
央がそう言うと、皆、笑顔で頷いた。
三月の夕陽が、広場に残る央とみおの二人を、優しく照らしていた。
「今日、皆に、贈り物を渡す央さんを見ていて、少し嬉しかったです」
みおが、ふと、そう漏らした。
「……そうですか」
「はい。……去年よりも、ずっと自然に、贈り物を選べるようになっていたので」
みおがそう言うと、央は照れくさそうに頭を掻いた。
「みおのおかげです、それは」
「……わたしも、央さんのおかげで、色々なことに、少しずつ慣れてきた気がします」
二人は、そう言葉を交わしながら、夕暮れの道を、並んで歩き始めた。
途中、二人は、桜の蕾がほころび始めた木の下を、ゆっくりと通り過ぎた。
「もうすぐ、桜も咲きますね」
みおが、そう言いながら、木を見上げた。
「今年は、皆で花見でも、できたらいいですね」
「はい。……ことねさんたちの卒業前に、皆で集まれる機会、大切にしたいです」
央がそう答えると、みおは、静かに頷いた。
その言葉には、間近に迫った別れを、少しでも先延ばしにしたいという、二人の共通の思いが、そっと滲んでいた。
夕暮れの空を、二人分の影が、長く伸びていく。
この一年で積み重ねてきた日々の延長線上に、確かに、今日という日も刻まれていた。
春は、もう、すぐそこまで来ていた。
ご一読いただきありがとうございます。
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次回もよろしくお願いします。




