第十二話 6月1日 贈るものの選び方
六月一日は、晴れだった。
創立記念日。
学校は休みだ。
勢多央は朝五時半に目を覚まして、いつもの手順で珈琲を淹れた。
ミルで豆を挽く。
ドリッパーを温める。
ゆっくりとお湯を注ぐ。
窓の外は、梅雨の前の澄んだ青だった。
六月の朝には、まだ五月の名残がある。
マグカップを両手で持って、少し考えた。
(六月三日)
日付が、静かに浮かんだ。
誕生日が近い、と聞いた。
ひなが信号のところで言っていた。
六月三日。
創立記念日の、二日後だった。
(何かした方がいいのか)
考えた。
何をするべきか、という話ではなかった。
図書委員として、同じクラスの人間として、一応は知っている。
知っているなら、何かしてもいい。
それだけのことだった。
少なくとも、そういうことにしていた。
珈琲を一口飲んで、スマホを開いた。
太秦からメッセージが来ていた。
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太秦:おうくん今日暇?
太秦:俺も暇なんだよね
太秦:どっか行かない?
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央は画面を見て、少し考えた。
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央:渋谷の方に行こうかと思ってた
太秦:え何しに
央:ちょっと探し物
太秦:行く
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即答だった。
(止めても来るだろうな)
央はそう思って、返信した。
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央:十時に代田橋
太秦:了解
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十時少し前に、太秦は自転車で来た。
央が笹塚の方から歩いていくと、自転車を駐めて柵に寄りかかっている太秦の姿が見えた。
ソフトモヒカンが今日もよく整っている。
私服はパーカーにスニーカーで、足元だけ妙に気合いが入っていた。
「おうくん」
「おはよう」
「今日って何探すの?」
太秦が歩きながら聞いた。
「……プレゼントを」
「プレゼント」
太秦が繰り返した。
聞き返す前に、考える顔になった。
「……誰の?」
一拍、間があった。
「……誕生日が近い人がいる」
央が言った。
言ってから、余計なことを言った気がした。
太秦が二秒ほど黙った。
「なるほど」
それだけだった。
追いかけてこなかった。
(聞かないのか)
そう思った。
聞かないのは、聞かなくても分かっているからだと、なんとなく察した。
央は何も言わなかった。
太秦も何も言わなかった。
二人で、渋谷の方に向かって歩き始めた。
渋谷に着いたのは十時半を過ぎたあたりだった。
六月の週明け、平日の午前中にしてはそこそこ人が出ていた。
若い人間が多かった。
学校が休みなのは、自分の高校だけではないらしかった。
「で、何を贈るかは決めてるの?」
太秦が歩きながら聞いた。
「まだ」
「まだ、か。好みは分かってる?」
央は少し考えた。
「……和菓子。本も読む」
「和菓子か」と太秦が言った。「渋谷で和菓子って、この間の所とか?」
「他も、一応見てみようと思って」
太秦が「なるほど」と言いながら頭の後ろを掻いた。
「和菓子ならどんなの好きか分かる?」
「……あんこ系だと思う。どら焼きとか、たい焼きとか、食べてた」
言いながら、央はGW中のことを思い出した。
梅晴堂の前で声が変わったこと。
和菓子の前に立ったときだけ、みおの表情に余白が出た。
それを、太秦には言わなかった。
「じゃあ生菓子系よりは日持ちするやつがいいかもね」と太秦が言った。
「……そうだな」
「もしくは、今食べてもらうつもりなら生でもいいけど」
今食べてもらう、という言い方が少し引っかかった。
今、というのは、誕生日当日に渡すということを指していた。
渡す前提で話している。
(当然か)
贈るために来ているのだから、当然だった。
央は腕時計に目を落とした。
文字盤を軽く撫でた。
「……当日に渡せるかは、まだ分からない」
「渡す気あるんでしょ、一応」
太秦がさらりと言った。
「……ある」
「じゃあいい。決まってから考えよ」
それで話が終わった。
最初にデパートに入った。
地下の食品フロアを見て回った。
和菓子のコーナーを一通り見た。
季節の生菓子が並んでいた。
透明のケースの中に、紫陽花をかたどった練り切りがあった。
「六月っぽい」と太秦が言った。
「きれいだな」と央が言った。
二人してしばらく見ていた。
「でも生菓子だから、当日渡せないとちょっとな」
「……そうだな」
「やっぱり渡す日をまず決めた方がよくない?」
太秦が横から言った。
央は少し考えた。
渡す日、という問いに、また六月三日という日付が浮かんだ。
誕生日当日がいいのかどうか。
学校で渡すのか、それとも。
(図書室なら自然かもしれない)
委員の仕事の帰りとか。
あるいは昼休みに。
ただ、そのためにはものを選んでおかなければいけない。
「……誕生日当日に渡せればいいと思っている」
「じゃあ持ち運びできて、日持ちもそこそこするやつがいいね」
太秦が「和菓子なら焼き菓子系がいいんじゃないかな」と言った。
「最中とか、どら焼きとか。個包装になってるやつ。箱に入れても変じゃないし」
「……最中か」
「どら焼きでもいいと思うけど。葛城さんが好きなのはどっちっぽい?」
葛城さん、と太秦が言った。
さらっと言った。
「……どちらかというとあんこの量が多い方が好きそうだが」
言いながら、央は少し首をかしげた。
なぜそう思ったのか、はっきりとは説明できなかった。
ただ、梅晴堂で「どら焼きの皮が厚いのが好きなんです」とみおが言っていたことを、
なんとなく覚えていた。
聞いたわけではなかった。
自然にこぼれた話だった。
(覚えていたんだな)
そう思った。
覚えていようとしたわけではなかった。
ただ、残っていた。
「じゃあ焼きどら焼きとか、分厚い皮のやつが合いそうね」
太秦が続けた。
「あとは本も、と言ってたじゃん。本も一緒に贈るの?」
「……考えていた」
「本、難しくない? 趣味が合わないとかあるし」
「……ミステリーが好きだと思う」
また、さらりと出た。
太秦が少し顔を向けた。
「ずいぶん詳しいね」
「……図書委員の話から、聞いた」
「そっか」
太秦は深追いしなかった。
ただ、少し笑っていた気がした。
デパートを出て、少し歩いた。
渋谷の書店に入った。
文庫本のコーナーを見た。
ミステリーの棚に行く。
本は多かった。
どれがいいかは、すぐには分からなかった。
「葛城さん、本はどのくらい読むの?」
「……かなり読む方だと思う」
「じゃあ有名なのは全部読んでそうじゃない? ダブらないか心配になってくるね」
「そうだな」
央は棚を見た。
並んでいるタイトルに、見覚えがあるものが多かった。
自分が読んだことのある本もあった。
(何を選ぶべきか)
悩んだ。
本を贈るのは難しい、と太秦が言ったのは、当たっていた。
ただ、それでも本を、という気持ちがあった。
読書が好きな人に本を贈ることは、必ずしも正解ではない。
趣味がずれれば迷惑かもしれない。
同じ本を持っていることもある。
でも。
図書委員として、自分が選んだ一冊を渡せたら。
(それは、意味のある話かもしれない)
根拠のない確信だった。
ただ、そう感じた。
央はしばらく棚を見て、一冊を手に取った。
最近刊行されたミステリー短編集だった。
著者は国内の作家で、評価が高いのは知っていた。
央自身も読んでいた。
短編が六本入っていて、どれも完成度が高かった。
初読みでも入りやすい。
すでに読んでいた場合は、伝えればいい。
(それでいい)
央は本を持って、太秦の方を振り返った。
「これにしようと思う」
太秦が表紙を見た。
「読んだことある?」
「ある。いいと思う」
「みおちゃんが読んでたら?」
「……読んでいたら、別の話をすればいい」
「読んでたかどうか確認できるの?」
「……図書委員の記録とかで、なんとなく」
太秦がまた少し笑った。
「それ、普通に調べてる感じがするけど」
「……業務の範囲内だ」
「業務な」
太秦が頷いた。
納得した顔ではなかった。
本を一冊買った。
それから、和菓子を探した。
渋谷の路地に、小さな和菓子の店があった。
老舗ではなかったが、評判はいいと聞いていた。
ガラスケースの中に、焼き菓子がいくつか並んでいた。
どら焼き、最中、栗羊羹の小切れ。
央はケースを覗いた。
どら焼きが、大きめのものと小ぶりのものの二種類あった。
大きい方は皮が厚い。
表面に、焼き目がしっかりついていた。
(これか)
根拠はなかった。
ただ、合いそうだと思った。
「これにする」
「焼き目が濃い方ね」と太秦が言った。「いいじゃん、美味しそう」
三つ入りの箱を選んだ。
個包装になっていた。
日持ちは一週間ほどとのことだった。
店員が丁寧に包んでくれた。
会計のとき、太秦が横に立っていた。
黙っていた。
珍しかった。
太秦が黙っているのは、何かを言おうかどうか考えているときだ。
店を出た。
日が高くなっていた。
梅雨前の六月の空は、まだ乾いていた。
太秦が歩きながら、ゆっくりと口を開いた。
「……おうくん」
静かな声だった。
「何だ」
「これ、もう普通じゃないよ」
太秦がさらりと言った。
笑っていなかった。
でも、からかう感じでもなかった。
央は少し間を置いた。
「……図書委員として、気を遣っただけだ」
「気を遣っただけなら、ミステリーの趣味まで把握しないし、皮の厚さで選ばないと思うけど」
「……偶然だ」
「偶然にしては色々揃いすぎてる」
太秦が頭の後ろを掻いた。
「まあ、別にいいけど」
続けた。
「俺が言いたいのは、そういうことじゃないから」
「……じゃあ何だ」
太秦が少し考えた。
数秒、間があった。
「何でもない」
それだけ言って、歩くペースを戻した。
(何でもない、で終わるのか)
央は追いかけなかった。
追いかけても、たぶん同じことを言う。
ただ、歩きながら、紙袋を持つ手に少し力が入った。
(普通じゃない、か)
自分では、普通だと思っていた。
誕生日を知った人間が、プレゼントを用意する。
それは、まあ、そういうことだと思っていた。
でも。
(本の趣味を確認して、和菓子の好みを考えて、そこまでするのが普通かどうか)
考えた。
途中まで考えて、止めた。
名前のつかない何かに、今は名前をつけなくていい。
それでいいと思った。
「腹減らない?」と太秦が言った。
「……そうだな」
「ラーメン食べて帰ろう。知ってる店がある」
「……付き合う」
二人でそちらに向かった。
六月の空が、少し雲を引いていた。
梅雨が近いのかもしれなかった。
央は紙袋を持ち直した。
(六月三日)
また、その日付が浮かんだ。
何をするでも、言うでもなかった。
それが何を意味するのか、まだ言葉にしなかった。
ただ、今度は、その日付に少しだけ「渡す」という形が伴っていた。
ご一読いただきありがとうございます。
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