第百十六話 2月22日 お守りは、言葉のかたちで
二月二十二日、日曜日。
朔とことねの二次試験まで、あと三日。
朝、央は、リビングで、メッセージカードに何を書こうか、しばらく悩んでいた。
「……なかなか、筆が進まないみたいだな」
祖父が、新聞を読みながら、そう声をかけてくる。
「はい。……ことねちゃんも朔さんも、俺よりずっと先を歩いてる人たちだから。何を書いても、薄っぺらく感じてしまって」
「言葉の重さは、長さじゃないぞ」
祖父が、そう言って、湯呑みを傾けた。
「短くても、本気で書いた言葉は、ちゃんと伝わる。……お前が二人のことを、ちゃんと見てきたなら、それでいい」
その言葉に、央は、少しだけ、肩の力が抜けた。
ペンを持ち直し、これまでの二人の姿を、頭の中で思い返しながら、言葉を選び始める。
午後、央の家のリビングには、七人が集まっていた。
みおは、待ち合わせの前、自宅で、朝から折り紙と向き合っていた。
祖母に電話をかけて、末広の折り方を、もう一度、確認したところだった。
「……ここの、最後の折り込みが、いつも上手くいかなくて」
「ゆっくりでいいのよ。……気持ちがこもってれば、多少不格好でも、ちゃんと伝わるものだから」
電話越しの祖母の声に、みおは、小さく頷いた。
何度か折り直して、ようやく納得のいく形に仕上がった頃には、待ち合わせの時間が、迫っていた。
央、みお、太秦、さやか、ひな、慧、ほのか。
テーブルの上には、折り紙と、色ペンと、小さな巾着袋が並んでいる。
「直接会いに行くのは、さすがに邪魔かもってなったからさ」
太秦が、そう言いながら、折り紙を一枚、手に取った。
「その分、気持ちだけでも、しっかり届けよう」
「太秦くんにしては、まともなこと言うじゃない」
さやかが、そう茶化すと、太秦は、心外だという顔をした。
「俺だって、たまにはまともなこと言うんだよ」
「たまに、ってところが、地味に傷つくよね」
ひながすかさず、そう突っ込む。
太秦は、ぐうの音も出ないという顔で、折り紙に視線を戻した。
みおは、テーブルの端で、折り紙を、丁寧に折り進めていた。
鶴でも、星でもない、小さな、末広がりの形をした、お守り袋。
祖母から教わったという、この折り方は、みおが、時間をかけて練習してきたものだった。
「みお先輩、それ、何の形なんですか」
ほのかが、興味深そうに、手元を覗き込む。
「末広という形です。……これから先、道が広がっていきますように、という意味を込めて」
「……なんか、みお先輩らしいですね、そういうところ」
ほのかが、そう言うと、みおは、少しだけ照れくさそうに微笑んだ。
「祖母に教わったんです。……昔、祖父の受験の時に、同じものを折ったことがあるらしくて」
「へえ……そういう話、素敵ですね」
ほのかが、そう言って、感心したように、みおの手元を見つめた。
小さな折り紙が、みおの指先で、少しずつ、形を成していく。
太秦とひなは、色ペンで、メッセージカードに、それぞれの言葉を書き込んでいた。
「うちは、ことね先輩に可愛いイラスト描いとく」
「俺は、朔さんに。シンプルに『頑張れ』でいいか」
「シンプルすぎ。もうちょっと、気持ち入れなよ」
ひなが、そう突っ込むと、太秦は、うーんと唸りながら、ペンを持ち直した。
さやかは、自分のカードに向き合いながら、少し考え込むような顔をしていた。
「……さやか、どうかした?」
みおが、そう尋ねると、さやかは、小さく首を振った。
「ううん。……ただ、うちの弟の受験も、もう結果待ちの時期だから。ことね先輩たちのこと見てると、なんか、重なるなって」
「海斗くん、結果、もうすぐですか」
「今週中には、分かるはず」
さやかは、そう言いながら、カードに、丁寧な文字で、言葉を綴り始めた。
「ことね先輩、朔先輩。二人の頑張り、ずっと近くで見てきました。あとは、笑って終われますように」
その一文には、弟を見守ってきた、さやかなりの実感が、静かに滲んでいた。
慧とほのかも、それぞれのカードに、一年生らしい、飾らない言葉を綴っていた。
「先輩たちの受験、うちらも、なんか自分事みたいに緊張してます」
「慧くん、それ、そのままカードに書くの?」
「……いや、さすがにもう少し、言葉選びます」
慧が、そう言って、頭を掻きながら、ペンを走らせ直す。
その様子を、ほのかが、隣で、じっと見つめていた。
「……何か、変な感じ?」
「ううん、別に。……ただ、けいくんも、ちゃんと考えて書くんだなって」
ほのかが、そう言うと、慧は、少し照れくさそうに、視線を逸らした。
二月十八日のあの帰り道以来、二人の間には、まだ、名前のつけようのない、けれど確かな空気が続いていた。
こういう何気ないやり取りの中にも、以前とは少しだけ違う手触りが、混じり始めている。
グループLINEにも、それぞれのメッセージが、次々と投稿されていた。
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太秦:ことね先輩、朔先輩 もうすぐだな
太秦:緊張すると思うけど、今まで積み重ねてきたもんは裏切らないから
さやか:二人とも、これまでよく頑張ったと思う。あとは、実力出すだけ!
ひな:写真部からも応援してます!終わったら打ち上げの写真、うちが撮ります
慧 :先輩たち、頑張ってください!応援してます!
ほのか:終わったら、みんなでお祝いしましょうね
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最後に、央が、メッセージを打ち込んだ。
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央 :ここまでの二人を、ずっと近くで見てきました。あとは、当日の自分たちを信じてください
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みおも、続けて、自分の言葉を添えた。
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みお:お守り、心ばかりですが、作りました。少しでも、力になれば嬉しいです
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メッセージを送り終えると、太秦、さやか、ひな、慧、ほのかの五人は、それぞれ、帰り支度を始めた。
「あとは、おうくんと葛城さんで、届けてきてくれ。……あんまり大人数で押しかけても、うるさいだろうし」
太秦が、そう言って、鞄を肩にかける。
「うちも、そう思う。二人の方が、落ち着いて渡せるでしょ」
ひなが、そう頷きながら、玄関へと向かった。
「先輩たち、頑張ってきてください」
慧とほのかも、それぞれ、そう言い残して、央の家をあとにした。
残ったのは、央とみお、そして、みおが折り上げたお守りと、七人分のメッセージカードだけだった。
夕方、央とみおは、七人で作ったお守りとメッセージカードを持って、ことねの家へと向かった。
長居はしない約束で、玄関先だけの、短い訪問だった。
「わざわざ、ありがとう」
玄関に出てきたことねは、少し疲れた様子を見せながらも、二人を見て、嬉しそうに笑った。
その後ろから、朔も、静かに顔を出す。
二人一緒に、最後の追い込みをしていたところらしい。
「調子はどうですか」
央が、そう尋ねると、ことねは、小さく肩をすくめた。
「うーん、正直、五分五分ってとこ。……でも、やれることは、やった」
「……ことねさんも、朔さんも、ここまでよくやってきたと思います」
みおが、そう言うと、朔が、静かに頷いた。
「体調管理の方は、大丈夫ですか。……夜更かししすぎてないか、少し心配してます」
「……その辺は、ことねさんが、しっかり見てくれてるので」
朔が、そう言うと、ことねが、少し得意げに、胸を張った。
「うちが、寝る時間まで管理してるからね。……朔くん、油断すると、すぐ根詰めすぎるタイプだから」
「……返す言葉もありません」
朔が、そう言って、珍しく苦笑いを浮かべる。
その様子に、央とみおも、思わず、小さく笑った。
「これ、みんなで作りました。……よかったら」
央が、小さな巾着袋と、メッセージカードの束を差し出す。
ことねは、お守りを両手で受け取ると、しばらく、それをじっと見つめていた。
「……こういうの、ほんと元気出るわ」
その声は、いつもの快活さの中に、わずかに、涙ぐんだような響きを含んでいた。
「朔くんも、ほら」
ことねが、朔にも、カードの束を手渡す。
「……ありがとうございます。落ち着いて臨めそうです」
朔は、そう言って、静かに頭を下げた。
その表情には、いつもの硬さの中に、確かな温かさが滲んでいた。
「無理しすぎないでくださいね。……当日、いつも通りの二人でいてくれれば、それで十分だと思います」
みおが、そう言うと、ことねと朔は、揃って、小さく頷いた。
「……みんなでこんなに気にかけてくれるの、正直、めちゃくちゃ心強いわ」
ことねが、そう言って、お守りを、そっと胸の前で握りしめた。
「みんな、ことねさんと朔さんのこと、応援してますから」
央が、そう言うと、ことねは、少しだけ、目を潤ませながら、笑った。
「泣くほどじゃないでしょ、これくらいで」
「……うっさい。泣いてない」
ことねが、そう言い返しながら、袖口で、そっと目元を拭った。
その様子に、朔が、何も言わず、静かに、寄り添うように立っていた。
長居はしない約束通り、央とみおは、十分ほどで、ことねの家をあとにした。
帰り道、二人は、いつもより少し遠回りのルートを選んで、並んで歩いていた。
二月の夕暮れは、まだ肌寒かったが、空の色は、少しずつ、春の気配を帯び始めていた。
「……ことねさんも、朔さんも、あんなに落ち着いて見えるのに、やっぱり緊張してるんですね」
みおが、ぽつりと、そう漏らした。
「当然です。……二次試験、人生の中でも、大きな節目の一つですから」
「再来月には、わたしたちも三年生になります」
「……そうですね。あっという間だと思います」
央は、そう答えながら、今日、朝に祖父と交わした会話を、ふと思い出していた。
言葉の重さは、長さじゃない。
あの言葉が、まだ、胸の中に残っている。
「俺たちもいつか、この立場になるんですね」
央が、そう言うと、みおは、少しだけ、足を止めた。
「……その時は」
みおが、少し間を置いてから、続ける。
「央さんの隣で、受けたいです」
その一言に、央は、思わず、隣を歩くみおの横顔を見た。
みおは、少し恥ずかしそうに、けれど、はっきりとした声で、そう言っていた。
「……同じ大学、目指しますか」
「まだ、分かりません。……でも、隣にいられる場所を、選びたいとは思っています」
その言葉に、央は、しばらく、何も言えなかった。
「……勉強、得意な分野、違いますよね。俺は文系寄りで、みおは、数学が」
「はい。……だから、大学そのものより、通える距離とか、そういう形での『隣』かもしれません」
「……なるほど」
央は、そう言いながら、少しだけ、笑ってしまった。
「なんだか、みおらしい考え方だと思います」
「……央さんらしい、とは、思いませんか」
「……いえ、思います。すごく」
二人は、顔を見合わせて、どちらからともなく、小さく笑い合った。
進路は、まだ何も決まっていない。
それでも、今の一言で、その「決まっていない」ことの中に、一つだけ、確かな軸ができた気がした。
「……俺も、そう思います」
央が、ようやく、そう答えると、みおは、小さく、けれど、確かに笑った。
夕暮れの道を、二人は、しばらく、言葉少なに、並んで歩き続けた。
二年後、あるいは、もっと先の話かもしれない。
それでも、今日という日に交わした言葉は、確かに、二人の間に、一つの約束として残った。
央の家の前まで来たところで、二人は、立ち止まった。
「……今日は、ありがとうございました。付き合っていただいて」
「いえ。……こちらこそ、いい話が聞けました」
央が、そう言うと、みおは、少しだけ、頬を赤らめた。
「……変なこと、言いすぎましたか」
「まさか。……嬉しかったです、正直」
央が、素直にそう答えると、みおは、驚いたように目を見開いてから、それ以上何も言わず、小さく頷いた。
「また明日、学校で」
「はい。また明日」
みおは、そう言って、自分の家へと続く道を、歩き出した。
その背中を、央は、しばらく、見送っていた。
二月の夜空には、まだ、冬の星座が、はっきりと見えていた。
春はまだ遠いが、確実に近づいている。
それは、季節のことだけでなく、央たち自身のことでもあるのかもしれない。
央は、そんなことを思いながら、玄関の鍵を、静かに開けた。
部屋に戻ってから、央は、スマホを開き、今日撮った、七人分のメッセージカードの写真を、もう一度、眺めた。
それぞれの言葉は、不揃いで、飾り気もなかったが、どれも、確かな気持ちが込められていた。
あと三日。
ことねと朔が、それぞれの場所で、これまでの積み重ねを、形にする日が来る。
央は、画面を閉じて、静かに、その日のことを、心の中で願った。
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