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『隣の席の彼女は、今日も高すぎる』  作者: さかっち
~二年生~

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第百十話 1月17日 二日間の、静かな戦い


 共通テスト当日の朝は、いつもより早く明けた。


 波多野家の玄関先で、ことねは、コートの襟を整えていた。


「お弁当、荷物にちゃんと入れた?」


「入れた。……お母さん、心配しすぎ」


「心配するに決まってるでしょう」


 母が、そう言って、ことねの肩を、軽くぽんと叩いた。


「体調は大丈夫? 緊張で眠れてる?」


「まあまあかな。……でも、やるだけのことはやった」


 ことねが、そう言うと、母は、優しく微笑んだ。


「今まで頑張ってきたんやから、大丈夫」


「うん。……行ってきます」


 玄関を出ようとしたことねを、母が、もう一度呼び止めた。


「ことね」


「なに?」


「あんたなら、大丈夫。お母さん、信じてる」


 母の言葉に、ことねは、少しだけ、目頭が熱くなった。


「……うん。行ってくる」


 ことねは、そう言って、玄関を出た。

 冬の澄んだ空気が、頬に冷たく触れる。


 同じ頃、比叡家でも、(さく)が、玄関で靴を履いていた。


「気をつけて行けよ」


 父の短い一言に、朔は、静かに頷いた。


「お守り、持った?」


 母が、心配そうに聞いた。


「もちろん。……鞄の内ポケットに」


 朔は、そう言って、鞄をそっと叩いた。


「万年筆も、忘れてないな」


 父が、ふと聞いた。


「うん。……お守り代わりに、持っていく」


「そうか」


 父が、そう言って、珍しく、朔の肩に手を置いた。


「今まで、よく頑張ってきた。あとは、いつも通りやってこい」


「……はい」


 短い激励だったが、朔には、それで十分だった。


 母も、玄関先まで見送りに出てきた。


「お昼、ちゃんと食べるのよ。緊張してても」


「分かってる」


 朔が、そう答えると、母は、少し安心したように微笑んだ。


「行ってきます」


 朔は、そう言って、家を出た。


 玄関の外に出ると、冬の朝の冷たい空気が、身を引き締めるようだった。

 これまでの努力を、今日と明日の二日間で試される。

 その重みを噛みしめながら、朔は、駅への道を歩き出した。


 試験会場は、ことねと朔とで、それぞれ別々だった。

 志望校の違いによる、当然の結果ではあったが、

 いつも隣にいた相手が、今日だけはいないという事実が、

 二人にとって、少しだけ心細かった。


 昼過ぎ、後輩たちのグループLINEが、静かに動いた。


───────────────────────

央   :ことねさん、朔先輩、頑張ってください

みお  :応援してます

太秦  :無理すんなよ、二人とも

さやか :終わったら連絡待ってます

ひな  :全力出し切ってきて~

慧   :頑張ってください

ほのか :ファイト!

みお  :今日と明日、みんなで見守ってますね

太秦  :連絡は無理しなくていいからな

───────────────────────


 試験中の二人には、返信する余裕はなかった。

 それでも、休憩時間にスマホを開いた瞬間、

 この温かいメッセージの数々が、目に飛び込んでくることになる。


 試験会場の廊下で、ことねは、短い休憩の合間に、そのメッセージを読んだ。

 緊張で強張っていた肩から、少しだけ、力が抜けるのが分かった。


(みんな、見てくれてるんやな)


 午後の試験に向けて、ことねは、小さく深呼吸をした。


 別の会場では、朔も、同じように、そのメッセージに目を通していた。

 直接返信する時間はなくても、気持ちは十分に伝わってくる。


 朔は、鞄の中のお守りに、そっと触れてから、試験会場へと戻っていった。



 一日目が終わる頃、(おう)たちは、いつも通りの放課後を過ごしていた。


「ことねさんたち、今頃どうしてるでしょうか」


 みおが、ふと呟いた。


「今日はもう、終わった頃だろうな」


 央が、そう答えると、太秦(うずまさ)が、ふと空を見上げた。


「明日で、全部終わるのか」


「二日間、長いようで短いですね」


 みおが、そう言うと、央は、静かに頷いた。


「俺達にできることなんて、応援するくらいしかないけど」


「それでも、意味あると思います」


 みおが、そう言うと、央は、少し照れくさそうに笑った。


「さやかさんとひなさんは?」


「二人とも、今日は塾の自習室らしい」


 太秦が、そう言うと、みおは、少し感心したように頷いた。


「みんな、それぞれのペースで頑張ってるんですね」


「慧くんと乙訓さんも、後輩なりに気にかけてるみたいだったし」


 央が、そう言うと、太秦は、少し笑った。


「みんな、優しいよな、意外と」


「意外は余計です」


 みおが、そう突っ込むと、太秦は、肩をすくめた。


 いつも通りの放課後のはずだったが、

 どこか誰もが、二人のことを気にかけているのが、会話の端々から伝わってきた。


 夜、央は、自室で、ふとスマホを手に取った。

 グループLINEに、何かメッセージを送ろうか迷ったが、

 結局、余計な言葉は送らず、そっと画面を閉じた。


(今は、そっとしておく方がいいだろう)


 央なりの気遣いだった。



 二日目の朝、ことねは、いつもより早く目を覚ました。

 昨夜は、あまり眠れなかった。


 それでも、鏡の前で、深呼吸を一つしてから、身支度を整えた。


「今日で最後やから」


 自分に言い聞かせるように、そう呟く。


 鏡に映った自分の顔は、思ったより落ち着いて見えた。

 この二日間で、少しは強くなれたのかもしれない。


 同じ頃、朔も、静かに一日を始めていた。

 昨日と変わらない朝食、変わらない見送り。

 それでも、今日という日にかかる重みは、昨日とは少し違って感じられた。


 二日目という響きには、一日目にはなかった、独特の緊張感があった。

 これで最後だという思いが、良くも悪くも、集中力を研ぎ澄ませてくれる。


 鞄の中の、お守りと万年筆の位置を、もう一度確かめてから、朔は、家を出た。



 二日目の試験を終えた夜、ことねと朔は、電話で、互いの手応えを報告し合った。


「……終わった」


 ことねが、電話越しに、そう呟いた。


「お疲れ様でした」


「朔くんは、どうやった?」


「……分かりません。手応えはありましたが、自己採点してみないと」


「うちも、同じ」


 二人は、それぞれ手元に置いた解答速報を見ながら、静かに自己採点を始めた。


 一問ずつ、丸をつけていく作業は、思った以上に緊張を伴った。


「……英語、思ったより取れてる」


 朔が、そう報告すると、ことねは、電話の向こうで、小さく歓声を上げた。


「よかった! うちは、数学がちょっと怪しい」


「大丈夫です。全体のバランスは、悪くないはずです」


 朔が、そう言うと、ことねは、少し安堵したように息をついた。


「国語は?」


「まずまずです。古文で少し落としたと思いますが」


「うちも、古文の助動詞、絶対間違えた自信ある」


 ことねが、そう言うと、朔は、小さく笑った。


「地理は、思ったより点数取れてるかもしれません」


「え、いいなあ。うち、地理苦手やのに範囲広くて泣きそうやった」


「知識より、資料の読み取りが多かった印象です」


 朔が、そう分析すると、ことねは、感心したように相槌を打った。


「理科基礎は?」


「ぼちぼちです。時間配分に苦労しました」


「うちも同じ。最後の大問、焦って計算ミスした気がする」


 ことねが、少し悔しそうに言うと、朔は、労うように言った。


「模試の時より、落ち着いて解けてたはずです」


「うん、そう信じることにする」


「終わったことは、仕方ないです。それより、これからのことを考えましょう」


「……朔くん、こういう時、頼りになるよね」


 ことねが、そう言うと、朔は、少し照れくさそうに、小さく笑った。


 しばらく、二人は、無言で採点作業を続けた。

 電話越しに聞こえる、シャープペンシルの音だけが、静かに響いていた。


「……だいたい終わった」


 ことねが、そう言うと、朔も、静かに頷いた。


「合計、どうでしたか」


「まあまあ、かな。……目標にはちょっと届かんかったけど、圏内は圏内」


「僕も、似たような感じです」


「二人とも、これで二次に集中できるってことやね」


 ことねが、そう言うと、朔は、静かに頷いた。


「終わった。でも、ここからが本番」


 朔が、採点を終えて、そう言った。


「うん、二次に向けて頑張ろう」


 ことねが、そう答えると、朔は、静かに頷いた。


「今日は、ゆっくり休んでください」


「朔くんもね。……本当、お疲れさま」


 電話を切る前、ことねが、そう付け加えた。


「二人で、ちゃんと約束の場所、行けそうですか」


 朔が、ふと聞いた。


「まだ分からんけど、可能性はゼロじゃない」


「それだけで、十分です」


 朔が、そう言うと、ことねは、小さく笑った。


「あと一ヶ月ちょっとやね、二次試験まで」


「はい。……気を抜かず、頑張ります」


「うちも。……ここまで来たら、意地でも結果出したい」


 ことねが、そう言うと、朔は、静かに笑った。


「その意地、応援してます」


「ありがとう。……朔くんの意地も、応援してるから」


 二人は、そう言い合って、しばらく笑い合った。

 電話越しでも、その温かさは、十分に伝わってきた。


 しばらくの沈黙のあと、ことねが、ふと、思い出したように言った。


「そういえば、後輩たちからのLINE、見た?」


「まだです。電話中だったので」


「見てあげて。きっと、心配して待ってると思うから」


「……分かりました」


「じゃあ、また明日連絡する。おやすみ」


「はい。おやすみなさい」


 電話を切ると、朔のスマホに、後輩たちからのメッセージが、次々と届いた。


───────────────────────

央   :お疲れ様でした!

みお  :本当にお疲れ様です

太秦  :よく頑張ったな

さやか :ゆっくり休んでください

ひな  :写真じゃなくて、お疲れ様の言葉だけ送っとく

慧   :お疲れ様でした

ほのか :ゆっくり休んでね

───────────────────────


 朔は、そのメッセージを、一つずつ丁寧に読んだ。


───────────────────────

朔   :ありがとうございます。無事に終わりました

朔   :これから、二次に向けて頑張ります

太秦  :無理せず、着実に

朔   :はい

みお  :本当にお疲れ様でした

央   :ゆっくり休んでください

───────────────────────


 画面を閉じ、朔は、しばらく天井を見上げた。


 共通テストという大きな山を、一つ越えた。

 それでも、本当の勝負は、これからだった。


 机の上のお守りと万年筆を、朔は、そっと手に取った。

 この二つが、これまでの二日間、確かに自分を支えてくれた。


 誕生日にことねが訪ねてきてくれた夜のことを、朔は、ふと思い出した。

 あの日の「あなたがいると、それだけで頑張れる気がします」という一言は、

 柄にもない発言だったが、今も、偽りのない本心だった。


 図書委員に入ったばかりの頃は、こんな未来を、想像もしていなかった。

 人と深く関わることを避けてきた自分が、今では、

 誰かを支え、誰かに支えられる関係を築いている。


 その変化を、朔は、静かに噛みしめた。


 二月の個別試験まで、残された時間は、決して長くない。

 それでも、この積み重ねがあれば、乗り越えられる気がした。



 同じ頃、ことねも、自室のベッドに、大の字になって寝転がっていた。


(終わった……)


 張り詰めていた糸が、ゆっくりとほどけていくのが分かる。


 窓の外を見上げると、冬の夜空に、星がいくつか瞬いていた。


 振り返れば、この冬休みは、あっという間だった。

 クリスマスに交わした約束、初詣で引いたおみくじ、朔の誕生日。

 そのひとつひとつが、今日という日への、確かな道のりだったように思う。


(うちら、ちゃんとここまで来られたな)


 二学期の終わり、進路のことで悩んでいた頃を、ことねは、ふと思い出した。

 将来の方向性が定まらず、模試の結果にも一喜一憂していたあの頃。

 あの頃はまだ、自分の将来も、朔との関係も、

 こんなにもはっきりとした形になるとは、想像していなかった。


 まだ結果は分からない。

 それでも、二人で支え合ってきた時間は、決して無駄ではなかったはずだ。


 ことねは、スマホを取り出し、もう一度、後輩たちからのメッセージを読み返した。


 直接会えなくても、こうして気にかけてくれる人たちがいる。

 その事実が、今のことねにとって、何よりの励みだった。


 窓の外では、冬の夜空が、静かに広がっていた。


 二月の個別試験まで、残された時間は、決して長くない。

 それでも、朔もことねも、確かな手応えを胸に、次の一歩を踏み出そうとしていた。


 共通テストという、大きな二日間が終わった。

 9人の輪の中で、この冬をともに過ごしてきた仲間たちも、

 それぞれの形で、この結果を見守っている。


 クリスマス、大晦日、初詣、誕生日。

 積み重ねてきた時間の分だけ、今日という日の意味も、深くなっていた。


 物語は、次の局面へと、静かに進んでいく。


 二人が積み重ねてきたのは、勉強の成果だけではない。

 支え合う関係そのものが、この冬、確かな形を得た。


ご一読いただきありがとうございます。

ポイント、リアクションスタンプ、感想コメントなどいただけると、作者が小躍りして喜びます。

次回もよろしくお願いします。

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