第百七話 12月31日 紅白と、年越しそばと
◆勢多家
大晦日の勢多家は、いつもより少しだけ、のんびりとした空気だった。
「央、そば茹でるの手伝って」
「はいはい」
母の声に、央は台所に向かった。
昼間、投函し忘れていた年賀状を、ようやくポストに入れてきたところだった。
宛先を確かめながら、何度も指でなぞった葉書の感触が、まだ手に残っている。
「なに、にやにやして」
「別に」
「怪しいな」
祖父が、湯気の立つ鍋を覗き込みながら、そう言った。
「別に、怪しくない」
「まあ、いい。詮索しないでおいてやる」
祖父が、そう言って、意味深に笑った。
央は、それ以上何も言わず、そばの水切りに集中するふりをした。
台所の窓の外では、隣家の飾り付けられた門松が、静かに夜風に揺れていた。
夕食の席には、天ぷらののった年越しそばが並んだ。
テレビでは、紅白歌合戦が始まっている。
「今年も、もうこんな時間か」
父が、しみじみと呟いた。
単身赴任先へ戻る前に、大晦日まで休みを取ってくれたことが、
央には、何よりのプレゼントのように感じられた。
「来年は、もう少し帰ってきてよ」
「善処する」
父が、そう言って、少し照れくさそうに笑った。
そばをすすりながら、家族で他愛のない話をする。
今年のヒット曲、来年の目標、来年こそ痩せるという母の毎年の宣言。
「お母さん、それ、三年連続で言ってる」
「今年こそ、本気だから」
母が、そう言い返すと、家族の間に、小さな笑いが起きた。
紅白の中継が、大トリのアーティストを映し出す。
央は、テレビを眺めながら、今年一年のことを、ぼんやりと思い返していた。
クラス替えのなかった二年生。
みおとの日々。
太秦、さやか、ひな、ことね、朔、、慧、ほのか。
賑やかになった、この一年。
振り返ってみれば、変化のきっかけは、いつも些細なことだった。
隣の席になったこと。
勇気を出して、名前を呼んだこと。
それだけのことが、一年を経て、こんなにも大きな景色の違いを生んでいた。
スマホを取り出し、グループLINEを開くと、
すでに何人かが、今年最後の他愛のないやり取りを交わしていた。
いつも通りの、変わらない大晦日だった。
◆葛城家
葛城家では、大学から帰省した蒼介を交えた四人での、賑やかな年越しそばが並んでいた。
「みお、来年もあの調子でいくのか」
「あの調子って?」
「彼氏とラブラブな調子」
「お兄ちゃん」
みおが、頬を赤くしながら、そう言い返した。
「いいことじゃない。応援してるって言ったろ」
蒼介が、そう言って、そばをすすった。
「にしても、勢多くん、年賀状書くタイプなんだな」
「……なんで知ってるの」
「昼間、玄関にそれっぽい葉書見えたから。出したんだろ?」
「見てないで教えてよ、そういうの」
みおが、慌てたように言うと、蒼介は、にやにやと笑った。
「別に、盗み見たわけじゃない。ただ目に入っただけだ」
「それを、盗み見って言うんじゃないの」
みおが、そう言い返すと、蒼介は、肩をすくめた。
母が、そんな二人の様子を見て、微笑ましそうに笑っている。
「今年最後くらい、静かに食べさせて」
みおが、そう言うと、家族の間に、あたたかい笑いが起きた。
「わたしも、来年は、もっと上手にお菓子作りたいな」
みおが、そう呟くと、母は、嬉しそうに頷いた。
「一緒に練習しましょう」
「うん」
テレビの紅白が、賑やかに新曲を映し出している。
台所の壁には、みおが今年最初に手掛けた年賀状の下書きが、まだ貼られたままだった。
「来年は、もっと上手に書けるかな」
みおが、その下書きを眺めながら、ふと呟いた。
「今のままでも、十分上手よ」
母が、そう言って、優しく笑った。
みおは、その下書きを、そっと指でなぞった。
今年は、まだ央への年賀状を出せていないことを、少しだけ気にかけながら。
(明日、出しに行こう)
そう決めて、みおは、テレビの紅白に視線を戻した。
画面の中では、今年最後の大トリが、盛大な歌声を響かせていた。
◆太秦家
太秦家では、大学から帰省中の姉も交えて、家族で年越しそばを囲んでいた。
「拓海、来年はいよいよ受験生だね」
「気が早いよ、姉ちゃん」
「気は早くない。あっという間だから、そういうの」
姉が、そう言って、そばをすすった。
「今年一年、色々ありがとな、姉ちゃん」
「急にどうしたの」
「別に。……なんとなく」
太秦が、そう言うと、姉は、少し驚いた顔をしてから、優しく笑った。
「店の方も、もう少し手伝おうと思ってる」
「へえ、いいじゃん。父さん、喜ぶよ」
姉が、そう言って、嬉しそうに笑った。
◆鳥飼家
さやかの家でも、祖父母を交えた、賑やかな年越しの食卓が続いていた。
「今年も、いい一年だったな」
祖父が、しみじみと、そう言った。
「うん。……来年も、頑張る」
さやかが、そう答えると、祖父は、満足そうに頷いた。
「弟の勉強、見てやってるんだって?」
「まあ、たまにね」
「さやかは、本当に面倒見がいい」
祖母が、そう言って、目を細めた。
「そんなことないよ、おばあちゃん」
さやかが、少し照れくさそうに言うと、祖母は、静かに首を振った。
◆御所家
ひなの家でも、兄を交えた食卓で、年越しそばが並んでいた。
「今年撮った写真、あとで年賀状にまとめとくから」
「……俺の写真、変なのだけは選ぶなよ」
「善処する」
ひなが、そう言って、悪戯っぽく笑った。
「来年も、しっかり記録してくれよな」
「言われなくても」
ひなが、そう言って、スマホを掲げてみせた。
夜十一時を過ぎた頃、グループLINEが動き出した。
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さやか :今年もあと少し
ひな :カウントダウン配信見てる人~
太秦 :見てる。会場めっちゃ人多いな
さやか :行きたかったな、こういうの
ひな :来年みんなで行く?
太秦 :予定合わせるの大変そう
さやか :それはそう
ひな :うちの兄、もう寝落ちした
さやか :うちの弟もさっき寝た
太秦 :子供は寝る時間だよな、もう
さやか :太秦も子供でしょ
太秦 :ひどい
ひな :とりあえず、今年もお疲れさまでした
太秦 :お疲れさまでした
さやか :お疲れさまでした
ひな :来年もよろしくお願いします
太秦 :よろしく
さやか :よろしくお願いします
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三人のやり取りは、それぞれの家で、それぞれの年越しを迎えながら続いていた。
◆波多野家・比叡家
受験を控えたことねと朔は、大晦日も、それぞれの部屋で机に向かっていた。
波多野家では、母が、夜食にと、温かいうどんを部屋まで運んできた。
「息抜きも大事やで」
「うん、ありがとう」
ことねは、そう言って、束の間、参考書から目を離した。
比叡家でも、父が、夜遅くまで灯りのついた朔の部屋を、そっと覗いていた。
「無理するなよ」
「……はい」
短いやり取りのあと、父は、それ以上何も言わず、部屋を出ていった。
朔は、閉じられたドアをしばらく見つめてから、再び参考書に向き直った。
紅白もカウントダウン特番も見ず、参考書とにらめっこする時間が、
二人にとっては、当たり前の年末になっていた。
それでも、たまに休憩がてら、お互いの進み具合を、短くLINEで報告し合っていた。
日付が変わる直前、ことねのスマホが、小さく震えた。
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朔 :今年もありがとうございました
ことね:うちこそ。来年もよろしくお願いします
朔 :はい
ことね:勉強、根詰めすぎんとってな
朔 :ことねさんこそ
ことね:うち大丈夫。強いから
朔 :知ってます
ことね:知ってるならもっと心配して
朔 :心配してます。人一倍
ことね:……ならよろしい
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短いやり取りを終えると、二人は、また静かに机に向かった。
新年の空気は、参考書のページをめくる音とともに、静かに近づいていた。
画面を閉じる前、ことねは、その短いやり取りを、もう一度読み返した。
受験が終わったら、もっとゆっくり話せる時間が来る。
そう信じて、ことねは、再びシャープペンシルを握った。
◆放出家・乙訓家
慧とほのかも、それぞれの家で、大晦日を過ごしていた。
放出家では、両親と並んで紅白を見ながら、そばを食べる、いつも通りの夜だった。
「けい、来年の抱負とかあるの?」
「別に、特にない」
「つまんない答え」
母が、そう言って、笑った。
乙訓家でも、似たような光景が広がっていた。
「ほのか、今年は誰かさんと仲良かったわね」
「……お母さんまで、そういうこと言うの」
ほのかが、そう言って、少し口をとがらせた。
「良い意味で言ってるのよ」
母が、そう言って、笑いながら、そばを取り分けた。
ほのかは、それ以上言い返せず、黙ってそばをすすった。
どちらの家庭も、家族で紅白を見ながら過ごす、ごく普通の年末だった。
日付が変わる少し前、二人の間にだけ、短いやり取りが交わされた。
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ほのか:良いお年を、けいくん
慧 :うん。良いお年を
慧 :来年もよろしく
ほのか:うん、よろしく
ほのか:……今年、色々あったね
慧 :……そうだな
ほのか:来年は、もっと色々あるかもね
慧 :どういう意味だよ
ほのか:さあ、どういう意味でしょう
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特別なことは、何も書かれていなかった。
それでも、その短さが、今の二人には、ちょうどよかった。
◆午前零時
テレビの向こうで、除夜の鐘の音が響き始めた。
勢多家のリビングでも、葛城家の台所でも、それぞれの場所で、
家族が顔を見合わせ、新しい年の訪れを待っていた。
「もうすぐだな」
祖父が、そう言って、テレビの画面を見つめた。
央も、母も、父も、同じ画面を見ながら、それぞれの一年を思い返しているようだった。
「来年も、みんな元気でいような」
祖父が、そう付け加えると、家族全員が、静かに頷いた。
葛城家でも、四人が、揃ってテレビの前に集まっていた。
「みお、今年はいい年だったか」
蒼介が、ふと聞いた。
「うん。……すごく」
みおが、素直にそう答えると、蒼介は、少しだけ驚いたような顔をした。
太秦家でも、さやかの家でも、ひなの家でも、ことねと朔の部屋でも、
慧とほのかの家でも、それぞれのテレビや時計が、同じ瞬間を指していた。
カウントダウンの声とともに、画面の中の数字が、ゼロに変わる。
「あけましておめでとう」
それぞれの家で、それぞれの「おめでとう」が交わされた。
その瞬間、グループLINEが、一斉に動き出した。
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太秦 :あけましておめでとう
さやか :あけましておめでとうございます
ひな :あけおめ~
ことね :あけましておめでとう
朔 :あけましておめでとうございます
ほのか :あけましておめでとう!
慧 :あけおめ
みお :あけましておめでとうございます!
央 :あけましておめでとうございます
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九人分の「あけましておめでとう」が、画面いっぱいに並んでいた。
央は、その連投を眺めながら、静かに笑った。
去年の今頃は、こんな賑やかな新年の挨拶を、想像もしていなかった。
グループLINEが落ち着いた頃、央は、みおにだけ、もう一通メッセージを送った。
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央 :あけましておめでとうございます
央 :今年もよろしくお願いします
みお :あけましておめでとうございます
みお :はい。……今年もよろしくお願いします
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短いやり取りだったが、央は、その画面を、しばらく眺めていた。
同じ頃、みおも、自室で、同じ画面を眺めていた。
去年の大晦日には、こんなやり取りを交わす相手はいなかった。
一年で、こんなにも変わるものかと、みおは、少しだけ不思議な気持ちになった。
窓の外では、初日の出を待つ町の空気が、少しずつ、澄み渡っていくようだった。
新しい一年が、静かに、始まろうとしていた。
紅白を見ながらの、いつも通りの年越し。
参考書を片手にした、静かな年越し。
家族に冷やかされながらの、少し照れくさい年越し。
九人分の年越しは、それぞれ違う形をしていた。
それでも、日付が変わる瞬間だけは、誰もが同じ場所を見ていた。
去年の大晦日には、まだ知らなかった顔ぶれが、今年は当たり前のように隣にいる。
その変化は、誰か一人の力によるものではなく、
少しずつ積み重ねてきた、それぞれの一年の結果だった。
新しい年が、静かに、明けようとしていた。
ご一読いただきありがとうございます。
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