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『隣の席の彼女は、今日も高すぎる』  作者: さかっち
~二年生~

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第百六話 12月28日 今年のうちに、片付けたいこと


 朝から、勢多家は、大掃除の空気に包まれていた。


(おう)、そっちの窓、頼めるか」


「分かった」


 祖父の指示に従って、央は、リビングの窓を、一枚ずつ拭いていく。

 冷たい水が、指先にじんと染みた。


 母は台所で、換気扇の掃除に奮闘している。

 単身赴任先の父は、昨日のうちに戻っていったが、

 「代わりに、これで何か美味いもの食え」と、

 少し多めの小遣いを置いていってくれた。


「今年も、あっという間だったな」


 窓拭きの手を止めず、祖父が、ふとそう言った。


「……そうだね」


「お前も、随分変わった。去年の今頃とは、顔つきが違う」


 祖父が、そう言って、小さく笑った。


「そんなに変わったかな」


「変わった。いい方にな」


 祖父の一言に、央は、少し照れくさくなって、窓拭きを再開した。


 台所から、母の声が飛んできた。


「央、換気扇のフィルター、新しいの買ってきてくれた?」


「ああ、玄関に置いてある」


「助かるわ。……お父さんがいないと、力仕事が大変で」


 母が、そう言いながら、少し疲れたように笑った。


「俺がいるだろ」


「そうね。今年は、央がいてくれるから助かってる」


 母のその一言に、央は、少しだけ誇らしい気持ちになった。


 昼過ぎ、一通りの掃除が片付くと、央は、自室の本棚の整理に取りかかった。


 教科書や参考書の合間に、去年の文化祭のパンフレットが挟まっていた。

 その下から、去年の年賀状の束も出てきた。


(もう、一年経つのか)


 何気なく、年賀状を一枚ずつめくっていく。

 太秦(うずまさ)の字で書かれた「今年もよろしく」の一言。

 さやかからの、几帳面な挨拶文。

 その中に、みおからの年賀状は、まだなかった。


 本棚の隅から、去年の四月に配られた、席替え直後のクラス名簿も出てきた。

 自分の名前の隣に、「葛城みお」と印字されている。


 あの頃は、まさかここまでの一年になるとは、思ってもいなかった。


 緑道のベンチで、初めて名前を呼んだ日。

 梅晴堂の前で、そわそわしていたみおの顔。

 夏祭りの人混みの中で、はぐれないようにと繋いだ手。

 誕生日に渡した、どら焼き。


 思い出すたびに、指先が止まって、片付けが一向に進まなかった。


 そんなことを考えていると、スマホが震えた。


───────────────────────

さやか :大掃除終わった人~

ひな  :まだ半分

太秦  :終わった。俺毎年、掃除中に謎の物見つかるんだけど

さやか :また? 去年もなんか言ってなかった?

太秦  :去年は、賞味期限五年前のカップ麺

ひな  :やば

太秦  :今年は、小学生の頃の日記帳が出てきた

さやか :晒して

太秦  :絶対いや

さやか :一行だけでも

太秦  :……「今日はさやかにいじめられた」って書いてあった

さやか :え、私?

太秦  :多分、宿題見せてくれなかった日のこと

さやか :それは先週の出来事でしょ

───────────────────────


 央は、そのやり取りを見て、思わず笑った。


 自分の部屋にも、掘り返せば似たようなものが眠っている気がした。

 小学生の頃の作文、部活のノート、もう読み返さない漫画。

 どれも、今の自分とは、少しずつ違う時間の記録だった。


 本棚の奥から、古いノートが一冊、滑り落ちた。

 中を開くと、拙い字で、当時好きだった本の感想が、いくつも書き殴られている。


(こんなの書いてたのか、俺)


 懐かしさに、少しだけ、口元が緩んだ。


 ノートの間に、一枚の写真が挟まっていた。

 入学式の日、まだ緊張した顔で並んで写っている、太秦との二人の写真だった。


 あれから、もう二年近く経つ。

 友人にはさやかやひなが加わり、隣の席にはみおが座り、

 図書委員には慧とほのかという後輩まで増えた。


 一年前には、想像もしていなかった顔ぶれが、

 今の自分の周りには、当たり前のようにいる。


 その事実に、央は、少しだけ不思議な気持ちになった。


 スマホが、また震えた。


───────────────────────

ひな  :年賀状の写真、みんなの分も作ったよ

ひな  :修学旅行のと、いつもの集合写真、両方用意した

さやか :はやっ

ひな  :年末年始、忙しくなる前に片付けたくて

太秦  :ひな、仕事できるな

ひな  :でしょ

さやか :ひな、うちの弟の分も作ってくれた?

ひな  :作った。三人並んでるやつでいいよね

さやか :完璧

太秦  :俺の分は?

ひな  :太秦くんは、自転車のってる写真にしといた

太秦  :それ変な角度で撮ったやつじゃないだろうな

ひな  :秘密

ことね :うちも大掃除終わったよ~。息抜き中

太秦  :先輩、勉強は?

ことね :今聞くのやめて

朔   :ことねさんは休憩中です。僕は今から再開します

ことね :朔くんまで無理しなくていいのに

朔   :無理はしていません

さやか :先輩たち、仲良いですね

ことね :うるさい

ほのか :あたしも大掃除終わった。けいくんが手伝いに来てくれた

慧   :普通に暇だっただけ

ほのか :素直じゃないなあ

太秦  :後輩たちも元気そうでなにより

───────────────────────


 央は、その画面を見ながら、来年の年賀状には、

 もう少し違う一年を書けるかもしれない、と思った。


 ふと思い立って、央は、みおに、個別のメッセージを送った。


───────────────────────

央  :大掃除、そっちは終わりましたか

みお :まだおせちの途中です。栗きんとん、裏ごし中

央  :手、冷たそうですね

みお :はい、少し

央  :今年一年、色々ありましたね

みお :はい。……本当に

央  :来年もよろしくお願いします

みお :はい。……こちらこそ

───────────────────────


 短いやりとりだったが、央は、その画面を、しばらく眺めていた。


 画面越しでも、みおの手が忙しく動いている様子が、なんとなく想像できた。



 葛城家の台所は、いつもより慌ただしかった。


 みおは、母と並んで、おせちの下ごしらえをしていた。


「みお、栗きんとんの裏ごし、お願いできる?」


「うん、任せて」


 みおは、慣れた手つきで、裏ごし器に栗を通していく。

 黄金色のペーストが、ボウルの中に、少しずつ溜まっていった。


「相変わらず、丁寧ね、みおは」


「これくらいは、ちゃんとやりたいから」


 みおが、そう言って、少し得意げに笑った。


「みお、将来、お嫁に行っても安心ね」


「お母さん、気が早いよ」


 みおが、そう言い返すと、母は、くすくすと笑った。


「冗談よ。……でも、いつか誰かと、こうやって台所に並ぶ日が来るのかもね」


「……そういうの、今は考えなくていいから」


 みおは、そう言いながら、少しだけ、央の顔を思い浮かべてしまった。


 昆布と鰹節でとった出汁の香りが、台所いっぱいに広がっている。

 黒豆を煮る鍋から、ふつふつと小さな泡が立っていた。


「今年も、あっという間だったわね」


 母が、鍋をかき混ぜながら、ふと呟いた。


「うん。……本当に」


 みおは、そう答えながら、この一年を、頭の中でゆっくりとたどった。


 クラス替えのなかった二年生になったこと。

 央の隣の席でなくなったこと。

 少しずつ言葉を重ね、互いの理解を深め合うようになったこと。


 夏祭りで、はぐれないようにと繋いだ手の感触。

 誕生日に、緑道のベンチで渡した、どら焼き。

 文化祭の準備で、二人だけで居残りをした放課後の教室。


 どれも、思い出すたびに、胸の奥が、じんわりとあたたかくなる記憶だった。


 思い出すたびに、栗きんとんを裏ごしする手が、少しだけ緩んだ。


「手、止まってるわよ」


「あ、ごめん」


 みおは、慌てて、手元に視線を戻した。


 母が、その様子を見て、くすりと笑った。


「いい一年だったのね、みおにとって」


「……うん」


 みおは、それだけ答えて、それ以上は、何も言わなかった。

 言葉にしなくても、母には、十分伝わっている気がした。


 台所の隅で、スマホが震えた。

 グループLINEの通知を、みおは、手を止めて確認した。


 太秦の「謎の物」エピソードに、みおは思わず笑ってしまった。

 ひなの年賀状写真の話には、素直に感心した。


───────────────────────

みお :ひなちゃん、すごい。わたしも写真選ばなきゃ

ひな :みおの分もあるよ、後で送るね

みお :ありがとう。楽しみにしてる

───────────────────────


 続けて、央からの個別メッセージに気づき、みおは、少し頬を緩めた。


 返信を打ち終えると、母が、その様子を、横目でちらりと見ていた。


「勢多くんから?」


「……なんで分かるの」


「顔に書いてあるもの」


 母が、そう言って、悪戯っぽく笑った。


「そんなに分かりやすいかな、わたし」


「分かりやすいわよ、昔から」


 みおは、それ以上何も言い返せず、栗きんとんの裏ごしに集中するふりをした。


 スマホをしまい、再び作業に戻ると、次は伊達巻の準備に取りかかった。


「これも、一緒に作る?」


「うん、やりたい」


 みおが、そう言うと、母は、嬉しそうに材料を並べ始めた。


 卵とはんぺんを混ぜ合わせる音が、台所に、規則正しく響いていく。


「みおがいると、料理が楽しいわ」


「お母さんの手際がいいから、わたしはついていくだけ」


「そんなことないわよ。……最近、随分上手になった」


 母が、そう言って、優しく笑った。


 夕方、玄関の方から、物音が聞こえた。


「ただいま」


 仕事から戻った父の声に、みおと母は、同時に顔を上げた。


「おかえりなさい。おせち、順調よ」


「そうか。楽しみだな」


 父が、台所を覗き込んで、そう言った。


「みお、随分様になってきたな、料理」


「まだまだだよ」


 みおが、そう言いながらも、少し嬉しそうに笑った。


 夕食は、家族四人で、いつもより少し早めにとった。

 食卓には、味見用に取り分けた栗きんとんが、小さな器に盛られている。


「わたしが作ったやつ、味見してみて」


 みおが、そう言うと、蒼介(そうすけ)が、真っ先に箸を伸ばした。


「……うまい」


「でしょ」


 みおが、得意げに胸を張ると、家族の間に、あたたかい笑いが広がった。


 窓の外では、年の瀬の澄んだ空気が、静かに町を包んでいた。

 台所の湯気が、その冷たさをやわらげるように、ふわりと立ち上っている。


 一年の終わりが、少しずつ、近づいていた。


 央にも、この賑やかな年末のことを、今度話してみようか。

 そんなことを考えながら、みおは、手元の作業に戻った。



 夕方、央は、片付け終えた本棚を、改めて眺めた。


 去年の年賀状の束の隣に、今年の分を書くための、真新しいはがきを置く。


(今年は、誰に、何を書こうか)


 考えるまでもなく、真っ先に浮かんだ名前があった。


 太秦にも、さやかにも、ひなにも、慧やほのかにも、書くべき言葉がある。

 それでも、一番丁寧に選びたい言葉は、決まっていた。


 はがきを一枚手に取り、央は、机に向かって座った。

 まだ何も書かれていない白い面を、しばらく見つめる。


 書き出しの言葉を選ぶのに、思ったよりも時間がかかった。

 当たり障りのない言葉なら、いくらでも浮かぶ。

 それでも、今年一年のことを思うと、もう少しだけ、丁寧な言葉を選びたかった。


 結局、何度か書き直した末に、短い一文に落ち着いた。

 大げさな言葉は使わず、それでも、気持ちはきちんと込めたつもりだった。


 書き終えたはがきを、封筒にしまい、机の端に立てかける。

 投函するのは、もう少し先でいい。

 今は、この時間を、もう少しだけ、味わっていたかった。


「央、夕飯できたぞ」


 階下から、祖父の声が聞こえた。


「今行く」


 央は、そう答えて、立ち上がった。


 夕食の席には、母の作った、少し豪華な鍋が並んでいた。

 一年の終わりを労うような、あたたかい湯気が、部屋いっぱいに広がっている。


「今年も、色々あったな」


 祖父が、鍋をつつきながら、しみじみと言った。


「うん」


「来年は、もっといい年になるといいな」


「……そうだね」


 央は、そう答えながら、机の上に立てかけたままの、あの一枚のはがきを思い出していた。


 誰に宛てて書いたものかは、家族には言わなかった。

 それでも、祖父は、なんとなく察しているような顔をしていた。


 窓の外は、もうすっかり暗くなっていた。

 それでも、一年の終わりに向かう空気には、

 どこか静かな充実感があった。


 この一年で、隣にいる人が、一人増えた。

 それだけのことが、今の央にとっては、何よりも大きな変化だった。


 来年も、こうして一年を振り返る夜が来るとしたら、

 その時にはまた、どんな一年だったと思うのだろうか。


 答えの出ない問いを抱えたまま、央は、静かに箸を進めた。


 もうすぐ、今年最後の日がやってくる。

 それぞれの家庭で、それぞれの一年の終わりが、静かに近づいていた。


ご一読いただきありがとうございます。

ポイント、リアクションスタンプ、感想コメントなどいただけると、作者が小躍りして喜びます。

次回もよろしくお願いします。

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