第百五話 12月25日 それぞれの、家の灯り
◆勢多家
央の家に、父が帰ってきたのは、夕方のことだった。
単身赴任先から、月に一、二度しか帰らない父が、
クリスマスに合わせて休みを取ってくれたのは、珍しいことだった。
「お、央。大きくなったな」
「先月も同じこと言ってた」
「言ったか」
父が、そう言って笑うと、リビングにいた祖父も、静かに目を細めた。
夕食の後、央は、駅前のケーキ屋で買ってきたホールケーキを、
台所からリビングへ運んだ。
「わざわざ並んで買ってきたのか」
「並ばないと、売り切れるから」
「律儀だな、お前は」
父が、そう言って、ろうそくに火をつけた。
四人分の拍手と、少しずれた「メリークリスマス」の声が、
狭いリビングに、あたたかく響いた。
「央、最近、忙しそうだな」
ケーキを切り分けながら、父が、ふとそう聞いた。
「……普通だよ」
「普通の顔で、そのマフラー巻いてくるのか」
父が、からかうように言った。
央は、思わず、首元に手をやった。
昨日もらったばかりのマフラーを、無意識に身につけていたことに、今更気づいた。
「……別に、深い意味はない」
「そうか」
父は、それ以上追及せず、ただ、少し嬉しそうに笑った。
「お前も、隠し事が下手になったな」
祖父が、静かにコーヒーを淹れながら、そう呟いた。
「……別に、隠してるわけじゃ」
「いい傾向だ。昔の央は、何を聞いても『別に』しか言わなかった」
祖父が、そう言って、小さく笑った。
母が、その様子を見て、微笑ましそうに口を挟んだ。
「お義父さん、あんまりからかわないであげて」
「からかってるんじゃない。褒めてるんだ」
祖父の言葉に、央は、少しだけ気恥ずかしくなって、視線をケーキの皿に落とした。
昨夜のことを、何も聞かずに見守ってくれた祖父の距離感を、央は改めてありがたく思った。
食後、自室に戻った央は、机の上に置いた柚子餡の包みを、そっと開けた。
一つだけ、味見をしてみる。
思っていたより、ずっと優しい甘さだった。
(明日、感想を伝えよう)
そう思いながら、央は、スマホを手に取った。
もらったマフラーを、椅子の背にかけたまま、しばらくその紺色を眺める。
特別なことは、何も起きていない一日だったはずなのに、
家族に囲まれたこの夜も、どこか昨日の続きのように、あたたかく感じられた。
窓の外では、昨日よりも静かな夜が、ゆっくりと更けていった。
◆葛城家
葛城家の食卓は、いつも通り、賑やかだった。
みおの兄、蒼介が、ローストチキンを取り分けながら、
みおの顔を、にやにやと見ていた。
「なに、その顔」
「いや、別に」
「絶対、なにか言おうとしてる」
みおが、警戒するように、そう言った。
「昨日、デートだったんだろ?」
蒼介が、あっさりと切り込んできた。
「……その話はしません」
みおが、そう言って、顔を赤くしながら、視線を逸らした。
「彼氏とは、うまくいってるのか」
「お兄ちゃん」
「照れるなって。俺は応援してる側だぞ」
蒼介が、そう言うと、母が、笑いながら口を挟んだ。
「蒼介、あんまりからかわないの。みおが可哀想でしょう」
「別に、いじめてるわけじゃ」
「いじめてます」
みおが、そう言い返すと、テーブル中に、小さな笑いが起きた。
父が、穏やかな顔で、その様子を眺めていた。
「まあ、みおが幸せそうで、何よりだ」
父の一言に、みおは、それ以上何も言えなくなった。
「にしても、相手、あの勢多くんだろ? いつも真面目そうだよな」
蒼介が、思い出したように言った。
「……知ってるの?」
「一回、駅で見かけた。お前と歩いてるとこ」
「なんで教えてくれなかったの」
「言うほどのことでもないと思って」
蒼介が、そう言うと、みおは、少し安堵したような、拍子抜けしたような顔をした。
「変な誤解、しないでね」
「してないって。ちゃんと、いい子そうだったし」
蒼介が、そう言って、ローストチキンを頬張った。
母が、そんな二人のやり取りを見て、くすくすと笑った。
食後、自室に戻ったみおは、机の上に置いた文庫本を、そっと開いた。
央が探してくれた続きの物語を、少しずつ読み進めていく。
一行、また一行と読み進めるうちに、
昨日の一日が、まだ胸のどこかに、あたたかく残っていることに気づいた。
紺色のマフラーが似合っていた央の顔を、ふと思い出す。
明日、学校で会ったら、なんて言おう。
そんなことを考えながら、みおは、静かにページをめくり続けた。
◆太秦家
太秦家では、大学一年生の姉が、久しぶりに帰省していた。
「拓海、また背伸びた?」
「もう伸びてないと思う」
「嘘だ、絶対伸びてる」
姉が、そう言って、太秦の頭を、ぽんと叩いた。
夕食の席で、話題は自然と、進路のことに移った。
「拓海、もう志望校とか、考えてるの?」
「まだ具体的には。でも、経済学部か、実技系か、そのへんかな」
「拓海らしいね。手先も器用だし」
姉が、そう言って、興味深そうに、太秦の話に耳を傾けた。
「姉ちゃんの大学、どんな感じ?」
「楽しいよ。でも、高校の頃の方が、時間の使い方に余裕あったかも」
「へえ」
「今のうちに、いろいろ悩んどきなよ。それも青春だから」
姉が、そう言って、笑った。
父が営む自転車修理店の話にも、自然と話題が及んだ。
「今度、俺も店手伝おうかな」
「え、拓海が?」
「暇な時くらいは」
「意外」
姉が、そう言うと、太秦は、少し照れくさそうに、頬をかいた。
「父さんも喜ぶよ、それ。ずっと拓海に継いでほしそうにしてたし」
「継ぐとは言ってない」
「分かってる分かってる」
姉が、そう言って、笑いながら、太秦の肩を軽く叩いた。
「クラスの方は、どう? みんな仲良くやってる?」
「まあまあ。……最近、周りが浮かれてるやつ多い」
「浮かれてる?」
「いや、なんでもない」
太秦が、そう言って、話をはぐらかした。
姉は、それ以上追及せず、代わりに、自分の大学生活の話を、楽しそうに続けた。
久しぶりの家族団らんは、いつもより少しだけ、賑やかに続いた。
◆鳥飼家
さやかの家では、両親と祖父母、そして中学一年の弟を交えた食卓が囲まれていた。
「姉ちゃん、この問題、分かんない」
弟が、宿題のプリントを差し出した。
「見せて」
さやかは、食事の合間に、弟のノートを覗き込んだ。
「ここ、公式間違えてる。もう一回、順番に考えてみ」
「うっ……分かった」
弟が、渋々、ノートに向き直った。
その様子を、祖父が、目を細めて見ていた。
「さやかは、面倒見がいいな」
「そんなことないよ、おじいちゃん」
「いや、いい。礼儀もしっかりしてる。誰に似たんだか」
祖父が、そう言って、静かに笑った。
厳格な祖父の言葉には、いつも重みがある。
それだけに、褒められると、さやかは、少しだけ照れくさかった。
「今年も、家族みんなで年越しできそうだね」
母が、そう言うと、祖母も、穏やかに頷いた。
「さやかがいると、食卓が締まるわ」
祖母が、そう言って、目を細めた。
「おばあちゃんまで、そんな」
さやかが、少し照れたように言うと、家族の間に、あたたかい笑いが広がった。
弟が、ようやく問題を解き終え、得意げにノートを掲げた。
「できた!」
「よくできました」
さやかが、そう言って、弟の頭を、軽く撫でた。
温かい食卓の空気が、その夜も、変わらず続いていた。
◆御所家
ひなの家では、両親と、高校三年生の兄を交えた食卓が囲まれていた。
兄とは、昔から話が合わない。
趣味も、話す速度も、テーブルマナーの好みまで、何もかもが違う。
「ひな、また写真撮ってんの」
「記録だから」
ひなは、スマホを構えて、テーブルの上の料理を、次々と撮影していた。
「毎年同じような写真じゃん」
「同じに見えて、実は毎年違うの。飾りつけも、料理も」
「そんなの、誰が見るんだよ」
「未来のわたし」
ひなが、そう言うと、兄は、呆れたように肩をすくめた。
それでも、母がケーキを切り分ける瞬間、兄は、ほんの少しだけ、
ひなのカメラに視線が入らないよう、身を引いてくれていた。
その小さな気遣いに、ひなは、少しだけ驚いた。
「……兄ちゃんも、写る?」
「いや、いい」
「たまにはいいじゃん」
「……一枚だけな」
兄が、渋々そう言うと、ひなは、すかさずシャッターを切った。
珍しく笑っている兄の顔が、画面の中に、しっかりと残った。
「あとで消せよ、それ」
「消さない。永久保存」
「おい」
兄が、慌てて画面を覗き込もうとすると、ひなは、素早くスマホを引っ込めた。
「年賀状にでも使おうかな」
「絶対やめろ」
「冗談。……たぶん」
ひなが、そう言って、悪戯っぽく笑った。
犬猿の仲は、今日も変わらない。
それでも、こういう小さな瞬間が、確かに積み重なっている。
◆放出家・乙訓家
放出慧の家では、両親との、いつも通りの夕食が囲まれていた。
「今日、ほのかちゃんと出かけたんだって?」
母が、そう聞くと、慧は、少し口ごもった。
「……別に、普通に、飯食っただけ」
「ふうん」
母は、それ以上追及せず、ただ、少し嬉しそうに笑っていた。
「昔から、仲良かったもんね、あの子とは」
「……そうだけど」
慧は、それ以上何も言わず、黙々と箸を進めた。
その様子を、父が、何も言わずに見守っていた。
乙訓家でも、似たような会話が交わされていた。
「けいくんと、楽しかった?」
母の問いに、ほのかは、素直に頷いた。
「うん。……いつも通りだったけど」
「いつも通り、ね」
母が、意味深に微笑むと、ほのかは、慌てて話題を変えた。
どちらの家庭でも、詳しい追及はされないまま、夜は静かに更けていった。
◆波多野家・比叡家
受験を間近に控えたことねと朔の家では、それぞれ、
いつもより控えめな、静かなクリスマスが過ぎていった。
波多野家では、母が、いつもより少しだけ豪華な夕食を用意していた。
「今日は無理させないから、明日からまた勉強漬けでしょう。今日くらいは、ゆっくりしていきなさい」
「うん。……ありがとう」
ことねは、そう言って、久しぶりに、家族との時間をゆっくり過ごした。
食後、自室に戻ったことねは、鞄からもらった鉢植えと万年筆を取り出し、
机の上に並べて眺めた。
(朔くん、今頃、何してるかな)
スマホを手に取りかけて、やめておく。
受験が近い今、あまり夜遅くまで連絡を取り合うのは、お互いによくない。
それでも、明日の朝には、なにか一言送ろうと決めていた。
比叡家でも、両親が、朔の受験を気遣いながら、
いつもより少し豪華な献立で、静かな夜を演出していた。
「無理はするなよ」
父の短い一言に、朔は、静かに頷いた。
「……はい。ありがとうございます」
自室に戻った朔は、机の上の鉢植えに、そっと水をやった。
もらったばかりの万年筆を、灯りの下で、もう一度眺める。
(来年の今頃、どうなってるだろうか)
答えの出ない問いを、そっと胸にしまい、朔は、静かに机に向かった。
それぞれの家に、それぞれの灯りが灯っていた。
賑やかな食卓もあれば、静かな食卓もある。
からかい合う家族もいれば、多くを語らない家族もいる。
それでも、誰かと過ごす夜も、家族と過ごす夜も、
特別なことは何もないようで、確かにその日だけの、あたたかさがあった。
昨日、それぞれの一日を過ごした七人は、今日、それぞれの家庭に帰り、
当たり前のようで、当たり前ではない時間を、静かに過ごしていた。
クリスマスの夜は、こうして、静かに暮れていった。
ご一読いただきありがとうございます。
ポイント、リアクションスタンプ、感想コメントなどいただけると、作者が小躍りして喜びます。
次回もよろしくお願いします。




