第百四話 12月24日 いつも通りの、特別な日
商店街の入り口に、電飾のアーチが立っていた。
毎年恒例の、ありきたりなクリスマス装飾だった。
慧は、その下で、スマホの時間を確認した。
約束の時間まで、あと少しある。
待ち合わせといっても、ほのかの家までは歩いて三分もかからない。
「けいくん」
声がして振り返ると、ほのかが、いつものダウンコート姿で立っていた。
「悪い、待たせたか」
「今来たとこ。……ってか、待ち合わせする距離でもないよね、うちら」
ほのかが、そう言って、小さく笑った。
「まあ、そうだけど」
慧は、少し照れくさそうに、頭をかいた。
二人が育った町内は、駅を挟んで反対側にある。
小学生の頃から、こうして待ち合わせもせずに、当たり前のように一緒に歩いてきた。
その距離感が、今日に限って、少しだけ意識される。
二人は、どちらからともなく、商店街の方へ歩き出した。
「こういう日に、二人で出かけるのって、なんか変な感じ」
ほのかが、ふと言った。
「……変じゃないと思う」
慧が、短くそう答えた。
「なんで即答なの」
「いつも通りだから」
「いつも通り、二十四日に出かけたりしないでしょ」
ほのかが、そう突っ込むと、慧は、少し詰まった。
「……それは、そうだけど」
「クラスの子とか、今日は予定あるって、朝から色めき立ってたよ」
「俺らのクラス、誰かとどっか行くやつ多いのか」
「まあまあ。……それに比べたら、うちらのは、地味だよね」
ほのかが、そう言って、小さく笑った。
「地味で悪いか」
「悪くはないけど」
「まあ、いいけど」
ほのかが、そう言って、それ以上は追及しなかった。
商店街のイルミネーションは、去年よりも少し豪華になっていた。
小さなツリーがいくつも並び、通行人が足を止めて写真を撮っている。
アーチの中央に、大きな一対のベルの飾りがぶら下がっていた。
その下を通るカップルが、笑いながら写真を撮っている。
「あそこ、カップルスポットになってるらしいよ」
ほのかが、通りすがりにそう言った。
「……知らなかった」
「けいくん、そういう情報、疎いよね」
「ほのかが詳しすぎるんだと思う」
「SNSでよく回ってくるから」
ほのかが、そう言って、少し得意げに言った。
二人は、そのベルの下を、特に意識するでもなく、普通に通り過ぎた。
少なくとも、慧はそう装った。
「毎年、地味に力入ってくよね、ここ」
「去年より、電球増えてる気がする」
「けいくん、細かいとこ見てる」
ほのかが、そう言って、笑った。
商店街の途中に、小さな古本屋があった。
慧の足が、自然とそちらへ向く。
「また覗くの」
「せっかく通りかかったし」
慧が、そう言って、店先の棚を眺めた。
冒険小説の棚を、指でなぞるように見ていく。
「けいくんち、本だらけだもんね。お父さんの影響?」
「ああ。家中、本棚だらけで。子供の頃、それが普通だと思ってた」
「うちの家、そこまで本ないもんね」
「その代わり、ほのかの部屋、メモ帳だらけだろ」
「それとこれとは違う」
ほのかが、そう言い返しながらも、少し照れたように笑った。
「ほのかのは、感想メモとセットだから、密度が違う」
「それ、褒めてる?」
「褒めてる」
慧が、そう言うと、ほのかは、少しだけ得意げな顔をした。
店を出て、二人は、小さな公園に立ち寄った。
ベンチに並んで座ると、ほのかが、鞄からメモ帳を取り出した。
「それ、また本の感想?」
「うん。昨日読み終わった分」
「見せてよ」
「やだ。恥ずかしい」
ほのかが、そう言って、メモ帳を胸に抱え込んだ。
「毎回言うけど、見せてくれたことないよな、それ」
「一生見せない」
慧は、その様子に、思わず笑った。
「昔は、見せてくれたのにな」
「昔は、けいくんも一緒に本読んでたじゃん。今は全然読むペース違うし」
「読むには読んでるけど、感想メモまではしてない」
「そこがけいくんの雑なとこ」
ほのかが、そう言って、メモ帳を鞄にしまった。
「小学校の頃、よくここで、貸し借りしてたよな、本」
「ああ、あったね。けいくんが持ってくる本、いつも冒険ものばっかりで」
「ほのかが持ってくるの、恋愛ものばっかりだったし」
「今も変わってないけどね、それ」
ほのかが、そう言って、笑った。
公園の遊具は、当時のまま、変わらずそこにあった。
ブランコの軋む音だけが、静かに響いている。
自販機の前を通りかかると、慧が、何も言わずに硬貨を入れた。
「はい」
差し出されたのは、ほのかがいつも選ぶ、あたたかいミルクティーだった。
「……覚えてたんだ、これ」
「毎回同じの買うから、覚えるだろ、普通」
慧が、そう言って、自分の分の缶コーヒーを開けた。
ベンチに戻って、二人並んで、しばらく無言で飲み物をすすった。
冬の澄んだ空気の中、白い息が、時々ふわりと浮かんでは消えていく。
「そういえば、さっきグループLINE見たか」
「見た見た。先輩たち、今日デートらしいですよ」
ほのかが、そう言って、スマホの画面を見せた。
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さやか :太秦から聞いたけど、勢多くんとみおちゃん、今日デートらしいよ
ひな :ことね先輩たちも、多分してる
太秦 :まじで浮かれてる先輩たちしかいない
さやか :太秦もどうせ来年は浮かれてるくせに
太秦 :それはない
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「太秦先輩、いつも即否定するけど、なんか怪しいよね」
ほのかが、そう言って、くすくす笑った。
「……そうなんだ」
慧が、短く、そう答えた。
「先輩たち、みんな誰かと過ごしてるんだね」
ほのかが、スマホをしまいながら、そう言った。
「……俺らも、一応、誰かと過ごしてるけどな」
「けいくんとうちは、そういうのじゃないでしょ」
ほのかが、あっさりと、そう言った。
慧は、それに対して、何も言えなかった。
あっさりと否定されたことに、少しだけ、胸の奥が疼いた。
その感覚に名前をつける言葉を、慧はまだ持っていなかった。
物心つく前から知っている相手のはずなのに、
今日に限って、隣にいるほのかのことが、少しだけ遠く感じられた。
「……そうだな」
結局、そう返すのが、精一杯だった。
ほのかは、それ以上気にした様子もなく、先を歩き出した。
慧は、その背中を、一歩遅れて追った。
公園を出て、二人は、近所のラーメン屋に入った。
クリスマスらしくない選択に、店員が少し意外そうな顔をした。
「クリスマスにラーメンって、風情ないかな」
「腹減ったから、これでいい」
慧が、そう言って、席に着いた。
「けいくんらしいや」
ほのかが、そう言って、笑った。
この店は、小学生の頃、二人の親同士が仲がよく、
家族ぐるみでよく訪れていた店だった。
当時と変わらない、少し古びた赤い看板が、今も店先に掲げられている。
「ここ、久しぶりだね」
「小学生の頃、よく来たよな。俺、いつも大盛りにして怒られてた」
「ほのちゃんは小食だから大丈夫、って店長さんに言われて、けいくんだけ怒られてたやつね」
「今思うと理不尽」
慧が、そう言うと、ほのかは、声を上げて笑った。
「店長さん、まだいるかな」
「代替わりしたって、お母さんが言ってた気がする」
「そっか。……時間、経ってるんだね、うちらも」
ほのかが、そう言って、少ししみじみとした顔をした。
「大人になったら、また二人で来る?」
「……気が早い」
慧が、そう言って、少し笑った。
餃子をつつきながら、二人は、いつものように、他愛のない話をした。
最近読んだ本のこと。
部活の後輩のこと。
冬休みの宿題の量への文句。
「ねえ、けいくん」
ラーメンを食べ終えたところで、ほのかが、ふと言った。
「けいくんは、クリスマス、誰かと過ごしたいとか思わないの」
慧は、箸を止めた。
「……なんだよ、急に」
「いや、先輩たちのこと聞いてたら、なんとなく。けいくんは、そういうの、興味ないのかなって」
ほのかが、視線を落としながら、そう言った。
「別に、興味ないわけじゃ、ない」
「じゃあ、誰かいるの? 過ごしたい人」
ほのかが、思ったより真剣な声で、そう聞いた。
慧は、しばらく、何も言えなかった。
店内の暖房が、少しだけ強く感じられた。
どう答えても、何かが変わってしまう気がした。
それでも、黙っていることの方が、今はもっと苦しかった。
「……今、ほのかと過ごしてる」
慧が、ようやく、そう答えた。
ほのかは、それに対して、何も言わなかった。
ただ、少しだけ、驚いたような顔をしていた。
箸を置いたまま、ほのかは、しばらく慧の顔を見ていた。
いつもの調子で茶化すことも、聞き流すこともせず、
その視線だけが、店内の喧騒から切り離されたように、静かだった。
「……なにそれ」
やがて、ほのかが、小さく呟くように言った。
声に、いつもの勢いはなかった。
店を出ると、外は、すっかり夜になっていた。
商店街のイルミネーションが、遠くにぼんやりと見える。
二人は、どちらからともなく、無言で歩き出した。
いつもなら、途切れることのない他愛のない話が、今日は続かなかった。
それでも、その沈黙は、気まずいものではなかった。
街灯の間隔が、やけにまばらに感じられた。
光の下を通るたびに、隣を歩くほのかの横顔が、
一瞬だけ、いつもより大人びて見える。
ほのかの方も、隣の慧を、時折そっと横目で見ていた。
いつもと同じ歩幅、いつもと同じ距離のはずなのに、
今日だけは、その距離を、少しだけ意識してしまう。
(けいくん、今、どんな顔して歩いてるんだろう)
確かめる勇気は、まだなかった。
商店街を通り過ぎ、住宅街に入ると、周りの音が一気に静かになった。
二人分の足音だけが、規則正しく響いている。
ほのかの家の前まで来て、慧は、ようやく口を開いた。
「……今日、ありがとな」
「うん。……こちらこそ」
ほのかが、そう言って、少しだけ笑った。
「じゃあ、また」
「うん。また」
ほのかが、玄関の中に消えるまで、慧は、その場に立っていた。
閉まったドアを、しばらく見つめてから、慧は、ようやく踵を返した。
玄関に入ってすぐ、ほのかは、靴も脱がずに、しばらくドアにもたれかかっていた。
(今、ほのかと過ごしてる、か)
さっきの一言を、頭の中で、もう一度繰り返してみる。
特別な言葉ではないはずなのに、いつまでも耳の奥に残っていた。
慧のことは、物心つく前から知っている。
それなのに、今日だけは、知っているはずの相手が、少しだけ知らない人に見えた。
鞄からメモ帳を取り出し、いつもの一行感想を書こうとして、
ほのかは、ペンを止めた。
今日読んだ本は、なかった。
代わりに書くべき言葉が、うまく見つからなかった。
結局、何も書かないまま、メモ帳を閉じた。
こんなことは、初めてだった。
制服のまま、ベッドに座り込んで、ほのかは、しばらく天井を見上げていた。
(けいくんと過ごすの、当たり前だと思ってた)
小学校からずっと一緒にいて、今さら意識するようなことじゃない、
そう思っていたはずだった。
それなのに、さっきの一言だけが、いつまでも頭から離れなかった。
冬の夜道を、一人で歩きながら、慧は、さっきの自分の言葉を、何度も思い返していた。
(今、ほのかと過ごしてる、か)
特別なことは、何も言っていないはずだった。
それでも、口にした瞬間の緊張は、今も胸の奥に残っている。
ほのかが、あの言葉にどう思ったのか、聞くのが少し怖かった。
それでも、言わなかったことにはしたくなかった。
家に着くと、スマホが震えた。
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ほのか:今日、楽しかった
ほのか:ラーメン、美味しかったね
慧 :うん
慧 :また今度、行こう
ほのか:うん
ほのか:……さっきの、あれ
慧 :うん
ほのか:別に、変な意味に取ったわけじゃないから
ほのか:ただ、ちょっとびっくりしただけ
慧 :そっか
慧 :ならよかった
ほのか:うん
ほのか:おやすみ、けいくん
慧 :おやすみ
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短いやりとりだったが、慧は、その画面を、しばらく眺めていた。
「変な意味に取ったわけじゃない」という一文を、
何度も読み返してしまう自分に、少し呆れた。
それでも、既読がついてすぐに返信が来たことが、
今の慧には、十分な救いだった。
いつも通りの一日のはずだった。
それでも、今日という日には、少しだけ、いつもと違う何かが、確かにあった。
それが何なのか、慧はまだ、言葉にできずにいた。
それでも、今はそれでいい、とも思っていた。
いつか、この気持ちに、ちゃんとした名前がつく日が来るのかもしれない。
その日がいつになるのか、今の慧には、まだ分からなかった。
ご一読いただきありがとうございます。
ポイント、リアクションスタンプ、感想コメントなどいただけると、作者が小躍りして喜びます。
次回もよろしくお願いします。




